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【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在に精を出す(後編: Amar Mahal Hotel - Orchha, Hari Niwas Palace - Jammu)

アイキャッチ画像(【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテルに滞在に精を出す。(後編))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

前回のつづき、インドのヘリテージホテルに泊まってきたよという話。

前編では①インドのヘリテージホテルについての基本情報、②カシミール・シュリーナガルのハウスボート、③コルカタのオベロイグランドホテルについて紹介した。

▼前編はこちら www.chankome.com

後編では、オルチャとジャンムーのヘリテージホテルを紹介する。

▼目次はこちら (クリックして表示)

【オルチャ】アマル・マハル(Amar Mahal)

2022年6月上旬、MP州にある古都オルチャを訪れた。

▼オルチャの場所

オルチャは人口1万人にも満たない小さな町であるが、ラージプートのブンデラ一族がかつて統治していた地域(ブンデルカンド、と呼ばれる)の中心地であり、ブンデラ王国(後のオルチャ藩王国)が存在した。今も当時の宮殿や王族の墓、寺院などが町の中心部に残っており非常に見ごたえがある。

ラージプートとは、ラジャスターンをはじめとす、る北インドのクシャトリヤ階級(戦士階級)の支配者層。

ブンデラ一族はムガル帝国と友好な関係を築いて繁栄したそうで、ブンデルカンドの建築はムガル帝国の影響を強く受けており、ヒンドゥー×ムスリムが融合したデザインが特徴的である。

ラージマハルジャハンギールマハル
オルチャの宮殿群(左:ラージマハル、右:ジャハンギールマハル)

オルチャのヘリテージホテル

オルチャにはヘリテージホテルが2軒ある。

一つ目は、州政府が運営している「MPT Sheesh Mahal」で、これは宮殿コンプレックス内にある宮殿ホテル。

宮殿の一部をホテルとして使用しているのだが(以下写真赤枠)、私が求めているのとはちょっと違ったので見送った。

MPT Sheesh Mahal
宮殿のおまけ感がすごい。

二つ目は、私が宿泊した「Amar Mahal」。ここは「萌え」の宝庫で大当たり。というわけで、ヒアウィゴー👇👇👇

アマル・マハル滞在

アマル・マハルは1895年に建てられたブンデラ一族のお屋敷を改装したホテル。オルチャの町で一番豪華なホテルでもある。

ブンデルカンド建築は上述の通りムガル帝国の影響を強く受けており、エントランスのドームはムガル感に溢れている。

メインエントランス
メインエントランス

その一方でコートヤードはラージプートスタイルの作りで、まるでラジャスタンの宮殿にいるかのような雰囲気が漂う。

中庭
中庭

▼コートヤードではおじさんが笛を吹いていて平和🕊🕊🕊

廊下一面に素敵なミラーワークが施されていたり、天井や壁に植物モチーフのペイントが施されていたり、細部まで徹底的に美しさを追求しているように感じた。

回廊
回廊

ミラーワーク1ミラーワーク2
ミラーワーク

ペイント1ペイント2 ペイント3
天井と壁のペイント

ペイントは客室にも施されており、テンションは爆上がりだ。

客室
客室

ホテルでの食事

夕食はホテルのレストランでいただいた。ご当地メニューをお願いしたところ、パクチーの効いたトマトベースのチキンカレーが提供された(名前は失念)。

ディナー
チキンカレーとナン

このホテルで多分一番お金がかかってるんじゃないのかと思ったのがこのレストラン。というのも、この天井を見よ!!!

天井1天井2天井3

天井にぎっしりとミニアチュール!!私はこんなにも「萌え」が詰まった天井をこれまでに見たことがない!なんという萌えの境地!料理よりも天井の緻密画でお腹と心が満たされたのであった。

遺跡ビュー

このホテルは遺跡ビューで、客室からも遺跡を眺めることができた。

チャトルブージ寺院王家の墓
遺跡ビュー(左:チャトルブージ寺院、右:王家の墓)

私の客室から見えたのは王家の墓の遺跡で(ちなみに、王家はヒンドゥー教徒なのにどうしてお墓があるの?という話だが、正確にはお墓というよりも「記念碑」的なモニュメントである)、遺跡を眺めながら美しいお部屋でチャーイを飲んでいると、とてつもないほどの非日常を感じた。非日常を求めて旅をする者としてはこれ以上ない至福の時間であった。

私が宿泊した宮殿ホテル
Amar Mahal
1泊約5,000ルピー(2022年6月上旬)

【ジャンムー】ハリ・ニワス・パレス(Hari Niwas Palace)

6月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領(JK)の冬の首都、ジャンムーを訪れた。

▼ジャンムーの場所

ジャンムー・カシミールと一括りにされているが、ジャンムーとカシミールは全く異なる歴史や文化を持つ。ジャンムーは住民の多くがヒンドゥー教徒でドーグラー語を話すのに対し、カシミールは住民の大半がムスリムでカシミール語を話す。

ジャンムーはドグラ―・ラージプートが治めていたのに対し(ドーグラー王朝)、カシミールはたびたび支配者が変わり、ムガル帝国やアフガニスタン、シーク王国に支配されてきた。

ジャンムー・カシミール藩王国と宮殿ホテルの歴史

歴史も文化も異なる「ジャンムー」と「カシミール」、二つの地域が一つになったのは、1845年に勃発した第一次シーク戦争(イギリスVSシーク王国)でドーグラー王朝がイギリス軍の味方をしたことに因る。

当時ドーグラー王朝はシーク王国の封臣であったが、シーク軍を裏切ってイギリス側についた。そのおかげでイギリス側は勝利、負けたシーク王国は慰謝料としてジャンムーやカシミール等の多くの領土割譲を余儀なくされた。ドーグラー王朝のグラーブ・シンはイギリスへの協力の見返りとしてイギリスに割譲されたジャンムーとカシミールを与えられ、英領インド最大の領土を誇った巨大な藩王国「ジャンムー・カシミール藩王国」が誕生した。

今回宿泊したHari Niwas Palaceジャンムー・カシミール藩王国最後のマハラージャである「ハリ・シン」のために20世紀初頭に建てられたもので、隣接するAmar Mahal(1890年建造のJK藩王国マハラジャファミリーの豪華なお屋敷で現在は博物館として一般公開されている)の離れである。

アマル・マハル
Amar Mahal

1947年にインドとパキスタンが分離独立した際、J&K藩王国はインドとパキスタンどちらかへの帰属を決めかねており結論を先延ばしにしていたところ、パキスタンがカシミールのシュリーナガルに攻め込んできて無理やりカシミールをパキスタンに入れようとしてきた。

最後のJK藩王ハリ・シンは、インド軍から支援を受ける代わりにインド帰属を決め、自身はシュリーナガルからジャンムーに避難し、終生をハリ・ニワス・パレスで過ごしたと言われている。

そんな歴史があるお屋敷、ハリ・ニワス・パレスはこんな感じ👇👇👇

ハリ・ニワス・パレス滞在

ハリ・ニワス・パレスは20世紀初頭に流行したアールデコ様式で建てられている。隣接するアマル・マハルが荘厳な作りであるため、見劣りしてしまう感は正直否めない。

ハリ・ニワス・パレス
ハリ・ニワス・パレス2
外観

モダンな作りのエントランス
モダンな作りのエントランス

ホテル内に足を踏み入れると、歴代のマハラージャたちに迎え入れられる。右を見ても、左を見ても、あちこちにマハラージャの肖像画が飾られ「マハラージャのお屋敷」であることのアピールがすごかった。それもそのはず、このお屋敷は現在、最後のマハラージャ「ハリ・シン」の孫たちが管理している。

ロビー1ロビー2
マハラージャの肖像画で埋め尽くされたロビー

歴代のマハラージャ達の写真
歴代のマハラージャ達の写真

客室にももれなくマハラージャ達の写真が飾られている
客室にももれなくマハラージャ達の写真が飾られている

客室に飾られたマハラージャ達の写真
客室に飾られたマハラージャ達の写真

JK藩王国だけでなく、インド独立前(1920~47年頃)の主要藩王国のマハラージャ達の写真も飾られており、ついつい見入ってしまった。

主要藩王国のマハラージャ達の写真
主要藩王国のマハラージャ達の写真

鏡を用いた装飾が多く、なんとなくギラギラした印象を受けた。

装飾1

ミラー装飾1ミラー装飾2

ホテルでの食事

夕食と朝食はホテルでいただいた。夜になるとホテルの庭がオープンエアーのレストランに変わる。生演奏もあり、非常に雰囲気がよい。

オープンエアーのレストラン

外で夕食をいただきたかったのだが、テーブルチャージミニマム5,000ルピーとのことで、ソロトラベラーの私にとっては無理ゲーのためここで夕食をいただくことはできなかった。

じゃあ、夕食に5,000ルピーを支払えない貧乏人はどうすればいいのか!

「貧乏人はBARでお食事をお楽しみくださいませ」

というわけでBARへ。

BAR

Polo Bar1Polo Bar2

マハラージャのハリ・シンはポロの名手だったようで、ポロインスパイア―ドのBARだった。BARの名前も「Polo Bar」。

馬のはく製があったり、ポロ用具が飾られていたり、大理石のテーブルにポロのデザインが施されていたり、インテリアにはかなり凝っているようでBARとしては非常にいいと思うものの、ここでごはん食べるのかよ~という気持ちでいっぱい。

明らかにここはごはんを食べる場所じゃないんだよね。テーブルの高さとかさ、照明とかさ、色々違うの…

夜ご飯
赤いシャンデリアはご飯には合わない。

ちなみに、外のレストランで食べても、このBARで食べても、メニューは同じ。ソロトラベラーには優しくないホテルだわ。

翌朝の朝食は、素敵なレストランにて。ここで夕食がいただけたらよかったのだが、ディナー営業はしていないらしい。普通に考えてBARよりもこっちの方がいいだろ。

朝食会場のレストラン
朝食会場のレストラン

朝食
朝食

このホテルをまとめると、マハラージャを身近に感じられるアットホームな雰囲気のお屋敷で居心地が非常によかった。以上!

私が宿泊した宮殿ホテル
Hari Niwas Palace
1泊約5,500ルピー(2022年6月中旬)

まとめ

前編では、親子3世代続くシュリーナガルのハウスボート、植民地時代から営業しているコルカタのコロニアルホテル、後編では、100年以上前に建てられたマハラージャのお屋敷を改装した宮殿ホテルを紹介した。

一言で「ヘリテージホテル」と言っても多種多様だが、私が好きなのはマハラージャゴリ押しスタイルのホテルかな!

2022年後半も、ヘリテイジ萌えを求めて旅行計画を練るぞ~~!

最後までお読みいただき有難うございました♪ෆ(◕ㅂ◕)ෆ♪


【インド生活】アーバンカンパニーでマッサージを頼んだら手汗がすごいお姉さんがやって来た。

アイキャッチ画像(【インド生活】アーバンカンパニーでマッサージを頼んだら手汗がすごいお姉さんがやって来た。)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

タイトルの通り、アーバンカンパニーでマッサージを頼んだら、手汗がすごいお姉さんがやって来たという話です。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:アーバンカンパニーとは

Urban Company

アーバンカンパニー(旧名アーバンクラップ)とは、ローカルの専門業者さんを派遣するプラットフォーム。2014年創業で、私がインドにやって来た2016年には「便利なアプリがある!!!」とすでに浸透し始めていた。

私の記憶が正しければ、以前は「結婚式のカメラマン」「子供の誕生日パーティーのプランナー」「衣類クリーニング」「ダンス・ヨガレッスン」等々、多種多様なサービスの専門家(プロフェッショナル)を派遣していたのだが、現在は以下のサービスに絞られている。

  1. サロン(脱毛、ヘアカット・カラー、ネイル)
  2. スパ(マッサージ)
  3. 電化製品の修理
  4. 家の大掃除
  5. ペストコントロール
  6. 電気工・配管工
  7. 大工(家具作り・家具組立)
  8. ペンキ塗り

Urban Company Services
アーバンカンパニーのサービス内容(2022年7月現在)

私がこれまでに頼んだことがあるサービスは、定番のマッサージの他、ビューティー系だとスレッディング(顔の産毛と眉毛を糸で脱毛するやつ)とペディキュア(足のケア)、修理業者系だとエアコンの清掃・ガス交換や天井照明の電気の交換等々…大変お世話になっている。

グルガオンに引っ越してきてからは、近くにお手頃なビューティーパーラーがないし、いい業者も全く知らないので、ムンバイに住んでいたとき以上に利用頻度が高くなっている。

※ビューティーパーラーとはローカルの美容院。モールに入っているサロンの半額以下で同等のサービスを受けられる。(私調べ)

アーバンカンパニーのマッサージについて

アーバンカンパニーのマッサージについて知らない方もいると思うので、本題に入る前に少し触れておく。

私はだいたい月2回の頻度でマッサージを頼んでいる。月2ペースで頼んでおきながらこんなことを言うのもあれだが、アーバンカンパニーのマッサージはお世辞にも上手とは言えない。2016年から使い続けてきて7年、上手だと思った人はムンバイ時代にリピートしまくったミゾラム出身のTiaさん1人だけだ。

それでも頼んでしまうのは、人にマッサージしてもらうだけで超絶リラックスできるからに他ならないだろう。体にはあまり効果がないが心には効果絶大で、インドというストレスフルな環境で心穏やかに過ごすためにはこういう時間が必要なんだよね。

メニューは色々とあるが、高いのにしたからといって上手なマッサージを受けられるわけではなく、オイルの種類が変わる程度なので一番安いので十分だ。

アーバンカンパニーのマッサージメニュー
アーバンカンパニーのマッサージメニュー

プロフェッショナルと日時を選択して予約完了。過去にサービスを頼んだことがあれば、過去に担当してくれた人をリピすることもできる。初めて利用する場合は自動アサインのオプションのみ。どんな人がアサインされるかわからないので、何度も頼んでいい人に巡り合えるよう祈るしかない。

プロフェッショナル選択画面

女性客には女性、男性客には男性のプロフェッショナルがアサインされ、予約時間になると折りたたみ式のマッサージベッドを持ってプロフェッショナルがやって来る。

折りたたみ式マッサージベッド1折りたたみ式マッサージベッド2
折りたたみ式マッサージベッド

各人各様のやり方で準備し、気合の入った人は造花などの小道具を使ったりオイルをその場で温めたり、高評価を得るための工夫を凝らす。

マッサージベッドのセッティング1マッサージベッドのセッティング2マッサージベッドのセッティング3
気合の入った方々の作品。

マッサージオイル1マッサージオイル2マッサージオイル3
マッサージオイルをその場で温めてくれるのはすごく嬉しい。

使い捨ての下着に着替え、OTP(ワンタイムパスワード)を伝えマッサージスタート。オイルなしで軽く揉んで体をほぐした後、オイルマッサージに移行する流れ。

マッサージに統一した基準はなく、過去に働いていたマッサージ屋さんのやり方を引き継いでいるように思える。「もっと強くお願いします」「もうちょっと左」「あ、そこそこ!」と積極的にコミュニケーションを取らないと残念なマッサージを受ける可能性が高くなるのでご注意。

ここでも、気合の入った人達はマッサージ時間を10分くらいサービスしてくれて「わたし、無料で10分追加しました!高評価よろしく!」とアピールしてくる。マッサージが下手でも、もちろん評価は★5つです!!!

手汗がすごいお姉さんの話

と、一通りアーバンカンパニーのマッサージについて話したところで、本題の手汗がすごいお姉さんの話だ。

今日いきなりどうしてもマッサージをしてもらいたくなり、アーバンカンパニーでマッサージを予約した。予約したのは80分のコースで、一番早い時間に来れる人にお願いすることにした。過去にアサインされたことがあるDAMINIさんという方(どんな人か覚えていない)が2時間後に来れるということだったので予約。

DAMINIさんは時間通りに到着し「2回目の予約、ありがとうございます」と言って準備を開始した。

DAMINIさんは高評価を積極的に取りに行く勢ではないようで、造花を使った装飾やオイルを温めるといった過剰サービスは見られなかった。OTPを伝えてマッサージがスタートしたのだが、すぐに私は違和感を感じた。

そう、DAMINIさんの手が【しっとり】していたのだ。

緊張しているときに手汗をかくのと同じような、そんなしっとりさがあった。

「外からやって来たばかりだからまだ汗が引いてないのかな?」と思ったが、何分経ってもずっとしっとりしていた。ちなみに室内のエアコンはガンガンに効いていた。

「オイルを塗り始めたら気にならないかな?」とも思ったが、オイル越しでもそのしっとりさはしっかりと確かに伝わってきた。

DAMINIさんのマッサージは、手のひら全体をつかって包み込むように優しく揉むスタイルだったので、最大限にしっとりさを感じた気がする。

DAMINIさんのマッサージを受けるのはこれで2回目のはずだが、過去にこのような【しっとりハンド】でマッサージを受けたことがないため私は困惑した。本当に2回目なのだろうか?こんなにしっとりしていたら、忘れるはずがない

そんなことを考えていたら、足の裏をマッサージした直後にこめかみのマッサージを始めた。なんかいやだよ、すごくいやだよ。

顔とか頭はマッサージしなくていいですよ、と言うも「いえいえ、2回目なのでサービスしたいんです」と、ここで過剰サービスを発動してくる。いや、いいんだよ、やらなくていいんだよ、気持ちだけでいいんだよ。

なんでこんなにしっとりしているんだろう?緊張しているのか?興奮しているのか?そういえばDAMINIさん、マッサージ前に手の消毒してたっけ?・・・

そうこうしているうちにマッサージは終了し、私はしっとりハンドから解放された。

「マッサージ後30分はシャワーを浴びないでくださいね!」と言われたが、DAMINIさんが帰った後すぐにバスルームに直行した。

シャワーを浴びてさっぱりした後、アーバンカンパニーのアプリを開いてDAMINIさんの評価を登録した。しっとりハンドと足の裏の直後のこめかみマッサージ以外はよかったので「★4つ」で登録しようとすると「What went wrong?」と・・・。

アーバンクラップレビュー

手だよ!手が終始汗ばんでたんだよ!

加点方式の日本人の感覚だと、★4つは高評価の部類に入るが、減点方式のインド人の感覚だと、★5つ以下=なにか気に食わない点があったことになる。

レーティングついでに注文履歴を見て、過去に本当にDAMINIさんのマッサージを受けたことがあるか確認をした。

NO DAMINI SAN....

DAMINIさんは間違いなく「2回目」と言っていたし、2回目ということで過剰サービスまで提供してくれた。

一体どういうことなんだ、、、

まとめ

どうしてあんなに手汗がすごかったのか

どうして2回目をアピールしていたのか

手汗がすごいDAMINIさんの謎は深まる。


【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在に精を出す(前編: Lily of Nageen - Shrinagar, The Oberoi Grand - Kolkata)

アイキャッチ画像(【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテルに滞在に精を出す。(前編))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

北インドを離れることに決めたのでここ最近は北インド各地を旅行していた。「ヘリテージホテル」を旅の目的のひとつとし、①シュリーナガル、②コルカタ、③オルチャ、④ジャンムーを旅先に設定。思う存分ヘリテージ萌えを堪能してきた。

というわけで2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在記録。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:インドのヘリテージホテルについて

はじめにインドのヘリテージホテルについて簡単に説明しておく。ヘリテージホテルとはその名の通り歴史たっぷりなホテルで、インドにおいては以下の三つに大別される。

一つ目は宮殿ホテル

独立前のインドには、500を超える藩王国(イギリス植民地時代にマハラージャやニザーム(藩王)が統治していた領国で、イギリスと同盟を結び軍事・外交を握られる代わりに一定の自治権を認められていた。)が存在しており、藩王たちは豪華絢爛な宮殿に住み、派手な生活をしていたという。

そんなマハラージャの宮殿がホテルに改装されたものが宮殿ホテルだ。「これぞマハーラジャ」という超煌びやかでエレガントな大宮殿(マハラージャご本人のお家)からこじんまりとしたお屋敷(客人向けのお屋敷や地方の別荘など)まで、レンジはかなり広い。一泊数万ルピーするものもあれば、数千ルピーでお気軽に泊まれるところもある。

宮殿ホテルはインド各地に存在し、有名な宮殿ホテルにはだいたい「タージ」か「オベロイ」の冠がついているので、サービスも最高級。ロイヤルファミリー気分を味わえ、インドならではの宿泊体験ができるゾ!

タージ・ファラクヌマパレスホテルタージ・ウシャキランパレスホテル
(左)Taj Falaknuma Palace Hotel
ハイデラバードのニザームの住居として1893年に建てられた宮殿ホテル(1泊10万ルピー級!)
(右)Taj Usha Kiran Palace Hotel
マラタ―同盟、グワリヤルのシンディア一族がウェールズ公訪問時のゲストハウスとして1902年に建てたお屋敷(コロナ前で1泊約7,000ルピー)


二つ目はお屋敷ブティックホテル

独立前に金融や貿易で財を成した地元の豪商や藩王国の役人、地元の地主や有力者が建てたお屋敷がホテルに改装されたもので、宮殿ホテルのようなエレガントな華やかさはないが、すんげー可愛くてテンションが上がる。特にラジャスターン州の有力者たちが建てたお屋敷はインテリアがめちゃくちゃカワイイく気絶するレベルだ。

ゴリゴリの宮殿ホテルと違い家族経営のところも多く、アットホームでお手頃価格なのも魅力。1泊5,000~1万ルピー程度で泊まれるので私のようなバジェットトラベラーにも推せる。

個人的には、ゴア(ポルトガル領だったので建築が総じてカワイイ)や南インド(豪商が多かったチェッティナードゥ地方とか)、ラジャスターン(特にジャイプール周辺、上述の通り気絶レベルのホテルがウヨウヨ)に多い印象がある。

タンジャブールの豪商の屋敷を改装したブティックホテルチェッティナードゥの豪商の屋敷を改装したブティックホテル
(左)Tanjore Hi Heritage Boutique Hotel
タンジャブールの豪商の屋敷を改装したブティックホテル(コロナ前で1泊約5,000ルピー)
(右)Chola Heritage Hotel
チェッティナードゥの豪商の屋敷を改装したブティックホテル(コロナ前で1泊約3,000ルピー)


三つめは植民地時代のコロニアルホテル

イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築のホテルで、100年以上前からホテルとして活躍する激萌え物件だ。当時(19世紀末)最先端の建築様式が取り入れており、建築好きにはたまらない。

植民地時代の中心地であったムンバイ(経済の中心)やコルカタ(政治の中心)で見られ、その当時から高級ホテルとして君臨し続けている。

Taj Mahal Palace Hotel
Taj Mahal Palace Hotel
1903年にタタ財閥の創始者によって建てられたムンバイを代表する高級ヘリテージホテル(本館は1泊2~3万ルピー台、タワーは1万ルピー台)


と、一通り簡単に説明したところで、私のヘリテージホテル滞在記のはじまりはじまり。

【シュリーナガル】ハウスボート(Lily of Nageen)

一発目から上記三つに区分されない「例外」の登場である。(おいおい)

2022年4月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領の夏季の首都であるシュリーナガルに旅行し、ハウスボートに滞在した。

▼シュリーナガルの場所

シュリーナガルはかつてのイギリス人の避暑地で、町の中心にはダール湖・ナジーン湖、2つの湖が広がっている。それらの湖に浮かぶハウスボートは観光客向けの宿泊施設となっており、「シュリーナガルでハウスボートに泊まるのが憧れ」というような一種のアトラクションと化している。

ハウスボートの歴史

ハウスボートの歴史は19世紀のイギリス植民地時代にまで遡る。前述の通りシュリーナガルはイギリス人の避暑地だったので、この地に住みたい!別荘を持ちたい!と考えたイギリス人が多くいた。しかし当時この地を治めていたジャンムー・カシミール藩王は外国人に土地の購入や建物の建築を認めなかったのだ。それでどうなったか?

それなら湖の上に住んじゃえー!ということでイギリス人が湖の上に住み始め、それが今日のハウスボートの起源となっているらしい・・・めちゃくちゃだなwww

イギリス人が当時住んでいたハウスボートはもう残っていないようだが、今ホテルとして使われているハウスボートは比較的新しいものでも50年前、古いものだとインド独立前に作られたものだというから、こりゃーヘリテージである!!

ダール湖 or ナジーン湖、どちらに滞在する?

ハウスボートを予約するにあたって、インターネットやインスタでかなり下調べをした。というのも、ダール湖とナジーン湖には何百隻ものハウスボートが存在し、どのハウスボートに泊まればいいのか全く分からなかったのだ!

レビューを読み漁って分かったことは、ダール湖の観光客エリアは避けた方がいいということ。そこにはハウスボートがびっしりと隙間なく埋まっていて全く風情がないとのことだった。つまり窓から見えるのは湖の景色ではなく隣のハウスボートで、湖上の滞在を最大限に楽しめないわけだ。観光客エリアへのアクセスは良いので便利な立地であるが、それなら陸のホテルで十分じゃないかと個人的に感じた。

観光客エリアのハウスボート(ダール湖)
観光客エリアのハウスボート(ダール湖)

また、ハウスボートは「デラックス」「Aクラス」「Bクラス」「Cクラス」と観光局によってランク分けされており、観光客エリアには安いハウスボート(1泊1,000ルピー台)が多い印象を受けた。

せっかくハウスボートに泊まるならいいところに泊まりたい!というわけでナジーン湖のデラックスクラスのハウスボートを予約。これが大正解だった。周りは湖に囲まれ、静かでのんびりとした雰囲気。船が湖をこぐ音、木の葉がこすれる音、鳥の鳴き声、なんというリラックスチル空間!ただし、周りに観光客向けのレストランなどはないので不便かもしれない。

▼ハウスボートからの景色。すごくイイ…!

ハウスボート滞在

色々前置きが長くなったが、本題のハウスボートについて。

ハウスボートの一般的な間取りは、前方に甲板があり、その次に応接間(リビング)、ダイニング、そして客室が3部屋ほどある。

船の壁と床にはカシミール絨毯やラグが敷き詰められ、細かな彫刻が施された木製のアンティーク家具はとっても優雅な雰囲気。まるで祖父母の家に遊びに来たかのようなアットホームさ・ノスタルジックさを感じた。

ハウスボートの応接間
応接間

ハウスボートのダイニングルームハウスボートの廊下
ダイニングと廊下

ハウスボートの客室
客室

ハウスボートのインテリアは萌え要素があまりにも多すぎて鼻血が出そうだった。いや、もしかしたら出ていたのかもしれない。

▼窓や天井の手作業で施された装飾

ハウスボートの窓ハウスボートの天井

▼甲板のデコ具合にも萌える

ハウスボートのデッキの装飾ハウスボートのデッキ

▼インテリアだけでなく、外観にもこだわりが見られる。

シュリーナガルのハウスボートの外観
私が宿泊したハウスボートの外観

部屋の装飾とは打って変わり、バスルームはダサめ。水が染み込まないように、青色の防水シートが全面に貼ってあり、防水優先のつくりとなっていた。

ハウスボートのバスルーム
ハウスボートのバスルーム

ちなみにお湯がよく出て感動した。どこにギザ(電気湯沸し器)があるんだろう?それとも、、もしかして、、ガスっすか???

ハウスボートでの食事

カシミールと言えば「ワズワン」などの有名ご当地料理が存在する。しかしハウスボートで提供された食事は極めて一般的なインド料理だった。

朝食はトースト、卵、フルーツとカシミールのお茶「カワ」。「ローカルの朝食が食べたいです」と尋ねたところ「ローカルの人もこれ食べるで」と言われ撃沈。しかし湖を眺めながら食べる朝食は、その雰囲気だけでお腹がいっぱいになった。

夕食はダールとチキンカレー。辛さ控えめで非常に美味しかったのだが、せっかくなら郷土料理を食べたい!!!「ご当地料理が食べたいです」と相談すると、翌日以降は夕食時にワズワン屋さんに連れて行ってもらった😂

ハウスボートでの朝食ハウスボートでの夕食

ハウスボートで提供された食事

そうそう、ひとつ大変よい経験をしたことを思い出した。シカラと呼ばれる手漕ぎの小舟で昼食をいただいたのだ。後にも先にもこれが最初で最後の経験だろう。

シカラをチャーターシカラで昼食
シカラをチャーターし湖上で昼食を楽しんだ。

ハウスボートオーナーの話

私が宿泊したハウスボートは現オーナーが3代目で、船は祖父の時代から60年以上使われているという。何種類もの木材で作られていて、水に浸かる底の部分は数年に一度張り替え作業が必要だというが、木材の価格が年々高くなっているため割にあわないと本音をもらしていた。

信じられない話だが、私が宿泊した数日前、この近くでハウスボートの火事があり数隻のハウスボートが全焼したそうだ。原因は宿泊客の寝たばこで、木製のハウスボートはあっという間に火に包まれ、隣のハウスボートにも燃え移り膨大な被害をもたらした。いまハウスボートを新しくゼロから作ると1,000万ルピー以上かかるそうで、全焼した船のオーナーはどうすることもできず悲しんでいるという。

ハウスボートを今後も残していくためには、今あるものをメンテナンスして維持するしかない。が、メンテナンス費用は莫大にかかる。「何十年後にはもうシュリーナガルにハウスボートはないかもしれない」とオーナーが言っていたのが印象的であった。私はシュリーナガルの歴史の証人のひとりになるのかもしれない。

私が宿泊したハウスボート
Lily of Nageen
1泊約5,000ルピー(2022年4月中旬)

【コルカタ】ジ・オベロイ・グランド(The Oberoi Grand)

2022年5月中旬、ウエストベンガル州の州都であるコルカタに旅行し、オベロイグランドホテルに滞在した。

▼コルカタの場所

コルカタ(旧名カルカッタ)はイギリス東インド会社の商館が置かれ(1690年)、ベンガル総督が置かれ(1773年)、英領インドの首都が置かれ(1858年~1911年)、イギリスのインド支配の中心となった場所である。

市内中心地には植民地時代の新古典様式~アールデコ様式の建物があちこちに残っており、コルカタのカオスな街に溶け込んでいる。

植民地時代のコルカタとホテル

歴史あるコルカタには、かなり早い段階でイギリス人によってモダンなヨーロッパ調のホテルが作られた。もう現存しないが、1830年にコルカタにて開業したSpence's Hotelはインド最古、そしてアジア最古のホテルと言われている。

現存するインド最古のホテルはグレートイースタンホテルだ。1840年にAuckland Hotelという名でベーカリーとして開業し、のちにホテル営業を開始し、1859年にグレートイースタンホテルへ改名した。インド独立後も営業を続け、1970年代からは州政府がホテルとして運営、2005年に高級ホテルチェーンのLaliTに売却され、2013年にThe LaLiT Great Eastern Kolkataとして営業を再開した。数年間のリノベ期間を除き、150年以上営業を続けているというのだから驚きである。

Great Eastern HotelThe LaliT Great Eastern

(左)Great Eastern Hotel (1865)、(右)LaliT Great Eastern Kolkata (2022)

その次に古い現存するホテルは、私が宿泊したグランドホテル(現在はThe Oberoi Grand)だ。建物は19世紀末に建てられたもので、1911年からホテルとして営業している。1937年に当時のアメリカ人オーナーが亡くなりオベロイ氏が買収した。このオベロイ氏とは、そう、あのオベロイホテルの創始者だ。

Grand HotelThe Oberoi Grand

(左)Grand Hotel (年代不明)、(右)The Oberoi Grand Kolkata (2022)

オベロイとグランドホテル

オベロイ氏はもともとシムラー(植民地時代の夏の首都)でイギリス人が経営していたセシルホテルで働いていた従業員の一人にすぎなかったが、その勤勉ぶりを買われてクラークスホテルの運営を任され、最終的にこのホテルがオベロイ氏に譲渡されたことでオベロイホテルの歴史が始まった。

こうして始まったオベロイホテルが最初に買収した記念すべき?ホテルがグランドホテルなのだ。つまり、インド全土に展開するオベロイホテルの中で、グランドホテルは最も古いホテルの一つというわけだ。

オベロイは、TajやITC、LaliTといったインド系高級ホテルの中で最も評判がよく(特にサービス・ホスピタリティの面で)、そんなオベロイのDNAが80年以上も流れ続けるホテルに泊まってみたいと思いませんか?思いますよね?そうですよね?

ということで、長年ずっと宿泊してみたいと思い続け、やっとその夢がかなう日が来た。

ジ・オベロイ・グランド滞在

ジ・オベロイ・グランドは、エスプラネードと呼ばれるコロニアルな建物が多いエリア(=植民地時代のイギリス人たちの生活の中心地)にある。

かつては超洗練された外国人向けのエリアだったのだろうが、今は見事にインド化しており、ホテル前のアーケードには露店がひしめいている。ムンバイのコラバ地区みたいだな。

ホテル前のアーケード街
ホテル前のアーケード街

こんなカオスな中に、オベロイのエントランスゲートがある。一歩エントランスをくぐるとそこは別世界。あの喧騒は一体どこに行った。

The Oberoi Grand エントランス
エントランスゲートの先にある入口

建物はコルカタに多い新古典主義建築。柱萌え。

エレガントなロビー、古いエレベーター、コートヤードから陽が差し込む回廊、、、最高かよっ。

グランドホテルのロビー
ホテルロビー

グランドホテルのエレベーターホール
エレベーターホール

グランドホテルの回廊
回廊

グランドホテルの共用スペース
共用スペースのソファ

客室は大変心地よく快適に過ごせた。バスルームのミラーの周りに手描きのファインアートが施されており、非常に萌えた。

グランドホテルの客室グランドホテルのバスルーム
客室とバスルーム

二日目、街歩きから戻るとベッドの上に小物入れのプレゼント・・・。さすがオベロイ・・・わかっていらっしゃる・・・

コートヤードの真ん中にはプール、外にはカフェスペースもあり、いい雰囲気。ホテルの外に出ればカオスな世界が広がっているというのに、ここは天国なのかな?涅槃なのかな?

グランドホテルのコートヤード
コートヤード

ホテルでの食事

朝食になにかベンガル料理でてくるかと期待したが、一般的なインドのホテルの朝食メニューだった。ただ、デザートにミシュティードイ(ベンガル地方の甘いヨーグルト)があったのでしっかりと頂いた。濃厚でおいしうございました。

ミシュティードイ
ベンガルデザートの定番、ミシュティードイ

また、卵の調理方法に「エッグベネディクト」があり、若干興奮した。若干ね。

朝食のエッグベネディクト
インドで初めてのエッグベネディクトかもしれない。

朝食ブッフェのレストラン
朝食ブッフェのレストラン

ホテルの建築や歴史だけでなく、オベロイのホスピタリティにも大満足の滞在となった。次回コルカタに旅行時は、ラリットの方(グレートイースタンホテル)に泊まるぞー!!!(義務)

私が宿泊したコロニアルホテル
The Oberoi Grand
1泊約7,000ルピー(2022年5月中旬)

後編につづく

全て一つの記事にまとめて書くつもりだったが、それぞれのホテルに対する想いが強すぎて長くなってしまったので、前編と後編に分けることにした。

というわけで、後編はオルチャとジャンムーのヘリテージホテルについて!

▼後編につづく www.chankome.com


【インド生活】インドでワクチン3回目接種完了(コバクシン)

アイキャッチ画像

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インドでワクチンのブースター接種完了したよ~~~

▼目次はこちら (クリックして表示)

インドにおけるブースター接種

今年の4月から、インド国内でも18歳以上の大人向けにワクチン3回目接種(ブースター接種)が始まった。2回目の接種から9か月以上経っていることが条件。

私は昨年9月にワクチン2回接種を終えたので、今月やっとこさ3回目接種が解禁!というわけで早速打って来た。

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私は不活化ワクチンがよかったので、バーラト・バイオテックが開発・製造する純国産ワクチン「コバクシン」接種組だ。インドでは混合接種は認められていないので、1回目接種にコバクシンを選択すると2回目も3回目もコバクシンを選択しなければいけない。

実はコバクシンではなくコビシールド(アストラゼネカ開発・セラム・インスティテュート製造)にしとけばよかったなぁ…と今更になって強く思っている。

というのも、コバクシンは、日本入国時に「1回目及び2回目に接種したワクチン」として認められているが「3回目に接種したワクチン」としては未だ認められていない。その一方でコビシールドはつい最近3回目のワクチンに追加された

インドから日本に一時帰国する際、インドは滞在国区分が「黄色」なので有効なワクチンを3回接種していない場合には、到着時に空港での検査+隔離が最低3日間必要となる。

日本入国時の検疫措置
出典:厚生労働省ウェブサイト

つまりコバクシンを3回接種しても、現時点の運用ルールでは日本入国時の検疫措置が緩和されるわけではないのよね。

コバクシンは2回目までは認められているので3回目に追加されるのは時間の問題だとは思うが・・・またはインドの区分が黄色から青に格上げになるか・・・1か月半後に一時帰国するので、その時までにルールが変わることを心の底から祈るのみ!

3回目ワクチン接種

CoWINで予約して3回目の接種会場の病院へ向かった。今回予約した病院は非常に立派な総合病院。

ワクチン3回目接種会場

ドライブスルー接種可能だったので、ドライブスルー会場へ向かったのだが、「待ち時間が長いので、マダムは病院内で接種してください」と告げられた。パッと見はガラガラなのに、何故!

3回目ワクチン接種会場(ドライブスルー)

病院内はまるでホテルのような、モールのような、病院とは思えない雰囲気が漂っていた。

3回目ワクチン接種会場(病院内)
病院のロビー

受付ブースで身分証確認と支払いを済ませる。1回目や2回目接種時と比較して全く混んでおらず手続きは非常にスムーズ。費用はたったの386ルピー(≒約700円)。1・2回目は1200ルピーだったので、激安になっている…!

3回目ワクチン接種会場(病院内2)
ワクチン接種の受付ブース

ワクチン接種会場は非常に開放的なつくり。この総合病院すごいなぁ。

3回目ワクチン接種会場(病院内3)
接種会場

いざ3回目接種!!

「いつ注射した?」というくらい全く痛みなく、知らない間に注射が刺され、知らない間に注射が抜かれていた。私のこれまでの人生30数年で一番痛みのない注射だったぞ。立派な総合病院は看護師さんの腕もよいのだろうか。

3回目ワクチン接種会場(病院内4)

ワクチン接種後の待機エリアも立派。リクライニングチェアでいびきをかいて爆睡しているオッサンもいた。適度に効いた空調、窓から差し込む太陽の光、座り心地のよいリクライニングチェア… 心地よいのは分かるがここで爆睡しないでくれw

3回目ワクチン接種会場(病院内5)
オブザベーションエリア

リクライニングチェアでくつろいでいると、ブースター接種完了通知がSMSで届いたのでモディ印の接種証明書をダウンロードし、無事3回目接種完了です。

3回目ワクチン接種終了(SMS)

ワクチン接種証明書

副反応は?

1回目接種時、副反応は全くなく、接種日当日の夜にワクチンを接種したことを忘れてうっかり酒を飲んだりしてしまうほどであった。

2回目接種時は、ワクチンを打った方の腕に筋肉痛のような軽い痛みがあっただけ。

3回目の今回は、ワクチンを打った方の腕が明らかに痛い。

腕が上がらないほどではないが、腕をまっすぐ伸ばして肩よりも上にあげようとすると強い痛みを感じる。接種した場所を指で押すとスゴク痛い。3回目にして初めてのそれらしい副反応が出た・・・。

明日には治っているだろう、、、多分、、、(希望)

インドのワクチン接種状況

これで記事を終えるのもちょっと内容がなさすぎるので、記事執筆時点におけるインドのワクチン接種状況について簡単にまとめておく。(CoWINからのコピペ😂)

10億人以上がワクチン接種済み、9割以上が2回目接種完了済み。3回目のブースター接種はまだ4,000万人ほど(約4%)。

インドのワクチン接種状況①インドのワクチン接種状況②

インド国内で州を跨いだ移動をする際などに求められるのは今のところ「2回目」までなので、3回目をわざわざお金を払って打つ必要性を感じる人は少ないんだろうな。

というかそもそも論、インドでは多くの人が無症状でコロナウイルスに感染していて、ブースター接種をしなくても高い抗体を持っているんじゃないかと思うんだ。

私自身もそうだと思うし・・・(一緒に外食をして同じ皿の飯を箸でつついてシェアした知人がその日から体調不良になりコロナ陽性だった、とか。)

さいごに

コバクシンが3回目のワクチンに追加されますように!インドの国区分が「青」になりますように!

祈るのみ・・・🙏🙏🙏

最後までお読みいただき有難うございました♪


【インド生活】北インド(デリーNCR)の夏は殺人的な暑さだ!!!

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ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。 前回の投稿は3月末、2か月近くもブログを更新していないへっぽこブロガーでございます。最低でも月に一度は更新しようと思っていたのだが、趣味のアクリルペイントに時間を割いてしまいブログを書く時間がなく。 ずっと家にこもって趣味(アクリルペイント)に没頭していた最大の理由は、外があまりにも暑すぎてお出かけなんてする気になれなかったからである。 というわけで、北インドの夏が暑すぎて辛いという話。 ▼目次はこちら (クリックして表示) [:contents] ##はじめに:インドの気候は一言で表すことができない インドは東西南北に広く地形も多様なので、地域によって気候が異なる。ゆえに「インドの気候はァ~」と一括りにして語ることは不可能だ。 ケッペンの気候区分によれば、インドの気候は大きく6つに分けられる。
インドの気候区分
インドの気候区分
レー・ラダックやスピティ渓谷などヒマラヤ山脈のふもとの地域は低温砂漠気候・高山気候に属する。
スピティ渓谷
森林限界を超え茶色い岩山が広がるスピティ渓谷。
パキスタン国境地帯付近は砂漠気候で、タール砂漠が広がっている。
カッチ湿原
タール砂漠の写真を貼りたいところだが行ったことがないため、タール砂漠の南側にあるカッチ湿原(ここも砂漠気候に属するよ)
パキスタン国境地帯から少し離れたラジャスターンの東側やデリーNCRはステップ気候で、肌がカサカサになるくらいには乾燥している。砂嵐も吹く。夏はドライヤーをあびているかのような熱波、そして冬は寒い。
ジャイプール・アンベール城
ジャイプールのアンベール城から雨季真っただ中(8月)に撮影。ところどころ剥げている山から乾燥具合がうかがえるでしょう?
ガンジス川流域は温帯~亜熱帯に属する。雨季は降水量が多く農業がさかん。デリー周辺同様、夏はかなり暑くなるが冬の気温は一桁台になることもある。ただ、デリー周辺ほどは乾燥していない気がする。
グワリヤル
雨季終盤(9月)のグワーリヤル(グワーリオル)
ムンバイやゴア、ケーララといった西側のアラビア海沿いは熱帯モンスーン気候で、夏の季節風が吹く6月~9月の雨季にはバケツをひっくり返したような雨が降る。高温多湿なのでカサカサとは無縁。
マテラン
雨季(8月)のムンバイ近郊の避暑地マテラン。モンスーン中は緑いっぱいになる。
インドの真ん中内陸部デカン高原~東部沿岸部にかけては熱帯サバナ気候となる。バンガロールなどの標高が高いところには当てはまらないと思うが、バンコクのような気候なのかなぁと。一年を通じてトロピカルみ溢れ、アラビア海沿いよりも雨季の降水量が少ない印象。
タミルナードゥ
常夏な雰囲気が漂うタミルナードゥの田舎。
これを前提にして、今回はデリーNCRのお話。以下の内容はヒマラヤの方、西インド、東インド、南インドには当てはまらない。 ##【3月】厳しい冬が終わるとすぐさま猛暑襲来 冬に「北インド、寒くて辛い」という話を投稿したが、3月になるとポカポカ陽気でとても過ごしやすくなった。 これを周りの皆さんは「デリーの短い春」と表現されており、本当に一瞬で終わった。2週間くらい!? そんなレベルで短かった。。。 3月末には最高気温が40度手前になり熱波が始まった。つい1か月前まで寒くて凍えていたのがウソのようである。ニュースではインド北西部(デリーやラジャスターン等)の3月の平均最高気温は、過去122年の観測史上最高だったと報道していた。 同僚たちも「今年は暑くなるのが早い」と皆声をそろえて言っており、今年が異常であることを知る。デリーでは3月に雨が全く降らなかったことも影響していたようだ。
22年3月の気温
22年3月のデリーの気温推移(AccuWeather)
www.indiatoday.in ##【4月】40度超え、ドライヤーのような乾燥した空気が吹く 4月に入ると40度を越える日が出てきた。3月に引き続き4月の平均最高気温も122年の観測史上過去最高を記録し、インド北西部では35.9度に達した。 平日の日中はエアコンの効いたオフィスにいたため暑さのダメージをモロに食らうことはあまりなかったものの、それでも日中に短時間外に出ると日差しが強くとても痛かった。寒すぎて痛いというのは雪山で体験済みだが、暑すぎて痛いというのは初めての体験。 また、私は乾燥にもやられた。これまでの感覚で肌ケアをしていたら保湿が全然足りず、全身の肌がカッサカサ、砂漠肌にィィィ…😭😭😭 急遽バイオイルを買い足し、ローズウォーターと合わせて使うことでなんとか乾燥から肌を守った。 全身に油を塗りたくらないとマネージできないほどの乾燥具合とは、恐るべしデリーの初夏…
バイオイルとローズウォーター
バイオイルさまさまです。
全然どうでもいい情報だが、インドは日本よりもバイオイルが安い。125mlで700ルピーほど(1000円強)。ローズウォーターはカーマやフォレストエッセンシャルの高級なものではなく、水感覚でばしゃばしゃ使えるDabur社製のもので十分。お値段は100ルピー以下とお財布にやさしい。
22年4月のデリーの気温
22年4月のデリーの気温推移(AccuWeather)
www.indiatoday.in ##【5月】最高気温50度、最低気温30度の世界 5月はインドの夏本番だ。異常な熱波はさらに猛威をふるい、ほぼ毎日40度越えという超酷暑が到来。そして最低気温も30度を超えるという意味のわからない事態が見込まれている。 5月15日には、デリーで49.2度を観測。ほぼ50度とは、、、すさまじい。気候変動によって熱波の頻度・厳しさは増し、都心部はヒートアイランド現象、さらに今年はラニーニャ現象も影響しているそうで、色々と不幸のオンパレードだ。
22年5月のデリーの気温推移
22年5月のデリーの気温推移(AccuWeather)
下の折れ線グラフは、濃い線が2022年5月、薄い線が2021年5月の最高気温(赤)・最低気温(青)を示しているが、去年と比較して今年はかなり暑いいことが一目瞭然だ。
2021年・2022年5月の気温比較
2021年・2022年5月の気温比較(ソース:AccuWeather)
私がグルガオンに引っ越してきたのは昨年、モンスーン前の6月末だったのでデリーNCRの5月を体験するのは初めて。それで過去最高レベルに暑いってサ… ほんとうに辛い。 北インドの夏が厳しいということはニュースやSNSで見聞きして知識としては知っていたが、実際に住んでみると思っていたよりも過酷だった。 ▼5月は砂嵐にも何度か遭遇した。 このような砂嵐(ヒンディー語でアーンディ Aandhi、嵐)は北インドではよく起こるのかもしれないが、私はインド生活7年目にして初めて遭遇した。というのも、私がこれまで住んでいた西インドのムンバイでは砂嵐が発生することはなく、私にとってのアーンディはサイクロンの雷雨。気候が違いすぎて戸惑うわ~。 ##北インドは人間が住めない地域になるのかもしれない 北インドの熱波は気候変動の影響を大きく受けているため、今後夏の暑さは厳しさを増すのみである。今年が異常気象でこんなに暑いのではなく、いつかこれが当たり前になる日が来るのではないか… だなんて思っているとき、ドイツの新聞社が「気候変動によって人間が住めなくなる場所」をがマッピングした3Dマップを発見した。 interaktiv.morgenpost.de この3Dマップでは、「熱波」「水不足」「海面上昇」「熱帯低気圧」の4つに焦点を当て、2100年に居住不可能となる地域を示している。
熱波により居住不可能となる地域
熱波により居住不可能となる地域
これによると、熱波により人間が住めなくなる主要地域は、北インドである。人間は40°Cを超える温度に耐えることができるが、これは空気が乾燥している場合に限られる。湿度が高くなると汗をかいて冷却することができなくなり危険な状態となるそうだ。 湿球温度が32度に達すると通常の活動を行うことができなくなり、35度が人間の生存の限界の暑さと言われている。 2022年現在、40度超えかつ高湿度の地域はほとんど存在しないものの、21世紀中に湿球温度35度に到達する地域が急増すると予測されており、中東や南アジア(パキスタンや北インド)などがその主な地域である。 私が北インドの酷暑になんとか耐えられているのは、空気が乾燥しているからなんだな… たしかにこの温度で、ムンバイやコルカタ並みの湿度だったら死ぬ。 暑さ云々以前に、ディワリ時の大気汚染はすでに深刻な健康被害をもたらすレベルだけどね… ##まとめ デリーNCRは、夏は非常に暑く、秋は大気汚染、冬は骨の芯から凍えるような寒さ、なんと過酷な環境なのでしょうか!! 私は別にヒンディー語圏に住みたいわけではないし、こちらに家族がいるわけでもないので、こんなに過酷な環境に住む意味を見出せない。できることならば早く引っ越したいというのが本心。 おまけ 私がブログを2か月近く放置していた理由、趣味のアクリルペイント。ワルリーアートというマハラーシュトラ州あたりの伝統的な絵画手法を用いて描いた。
最後までお読みいただき有難うございました♪

【インド刺繍】カシミール刺繍のすてきなウールラグと帆布バッグを手に入れた!(Tramper)

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ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インドの刺繍が大好きな私。カシミール刺繍のラグとバッグを入手いたしましたので、今回はその自慢をさせていただきます、オホホホホ🤭

▼目次はこちら (クリックして表示)

インド刺繍を好きな理由

広い国土と深い歴史を持つインドでは東西南北各地で文化が全く異なり、その土地ならではの美しくユニークな伝統手工芸が存在する。旅行の際にはそれらを自分へのお土産として購入するのが旅の楽しみのひとつだ。

お土産として購入するのは、布製品や織物、刺繍が施されたポーチやストール、インド服が多く(かさばらずお土産として持ち帰りやすいからね!)、気が付いたらインドの刺繍に大変興味を持つようになっていた。

カンタ刺繍のクラッチバッグ
シンプルなカンタ刺繍が施されたクラッチバッグ。カンタ刺繍はベンガルやオリッサで有名。オリッサ旅行時に購入。

ミラーワーク・パッチワークが施されたカバン
ミラーワークやパッチワークなどが施されたカバン。ミラー刺繍はグジャラートやラジャスターンで有名。グジャラート旅行時に購入。

ミラーワークが施されたタペストリー
ミラーワークが施されたタペストリー。インド各地の工芸品店が集まるイベントで、ラジャスターンのアイテムを取り扱うお店で購入。

インド各地で購入したストール
(左)グジャラート旅行時に購入したストール。
(中・右)ヒマラヤ山麓クル地方のデザインが施された手織りの羊毛ストール。ヒマチャル旅行時に購入。

しまいには「自分でも素敵なインド刺繍が施せるようになりたい!」と思い、刺繍の練習を開始。

自分で刺繍してみてわかったことが一つある、

めちゃくちゃ手間暇かかるーーーーー!

私が初心者というのもあるが、一見簡単そうに見えるデザイン・ワンポイントのシンプルなデザインを刺繍するのに何日も要し、私がこれまで買ってきたようなインド刺繍を作るためには相当の技術と経験が必要なのだと思い知らされた。

また、刺繍を勉強していく中で「インドの刺繍は他国では見られない非常に独特なスタイル」であることを学んだ。

古くから近隣諸国による侵略を受け、いくつもの王国が存在したインド。外国の文化と融合して独自の刺繍文化が形成されたのであろう。

刺繍を学び始めたことでインド刺繍への愛はさらに高まり、今にいたる。

カシミール刺繍への興味

前述の通り、私は旅先でご当地手工芸品(インド刺繍を含む)を購入することが多い。もちろんネットでも購入できるのだが、現地ではバリエーションが桁違いだし、職人さんが作った『本物』を自分の目で見たいという気持ちが強い。近くに工房があれば見学できる場合もあるし、現地の人々がその工芸品を着用・使用している様子を遭遇することだってできるしね!

インド旅行でこれまでにインド国内70~80か所は訪れたが(詳細はコチラ)、未踏の地の一つがカシミールだ。

カシミール地方はインド北部の山岳地帯で、ヒマラヤの景色、緑広がる牧草地、ムガル帝国時代の建造物など、「Paradise on Earth(地上の楽園)」と称される非常に美しい場所である。ボリウッド映画の撮影にもよく使われている。

インド独立前はジャンムー・カシミール藩王国に属した。藩王国とはイギリス植民地下において自治権を認められたイギリス保護下の王国で、インド独立前は500を超える藩王国が存在したとされる。1947年8月のインド・パキスタン分離独立時に各藩王はインド・パキスタンどちらかへの帰属を求められたのだが、同藩王国は藩王がヒンドゥー教徒なのに対し住民の大半はムスリムであったことから藩王は帰属を決断できずにおり、インド独立後も「どちらにも帰属しない状態」でいたところパキスタンから武力攻撃を受け、カシミールをインドに帰属させたいインド側は同藩王国のインド帰属と交換条件にカシミール地方に軍隊を派遣し戦争へと発展。今も領土問題は解決していない。

何年も前からカシミールに旅行したいと思っているのだが、これまで西インドのムンバイに住んでいたので遠かった&2019年には領土問題からテロが起きるなど治安面での不安がありなかなかタイミングが合わず…。今は北インドのデリー近郊に住んでおり距離的にはかなり近くなった。カシミールの情勢も落ち着いていることから、今年こそは絶対に訪れたい!

カシミールを訪れたい理由の一つが「カシミール刺繍」だ。カシミールはもともとパシュミナが有名であり、ムーガル帝国時代に王族たちはカシミールのパシュミナを愛した。そのパシュミナに繊細で美しい刺繍が施されるようになり、カシミールの刺繍文化が発展したと言われている。

カシミール刺繍の色・デザインは、「地上の楽園」と呼ばれるカシミールの美しい自然をヒントにしていると言われており、草木や花をモチーフにしたものが多い。またムガル的なインド・ムスリムデザインもよく見られる。

カシミールへ旅行の際には、絶対にシュリーナガル(スリナガル)に訪れると決めている。なぜなら、シュリーナガルはカシミール刺繍の本場だからだ!職人さん達の現場が見れたら最高なんだけどなぁ。シュリーナガルでカシミール刺繍についての知見を広めたい。あぁ。早くカシミールに行きたい。

アーリ刺繍のクルタ
カシミール刺繍(アーリ刺繍)のクルタ。

カシミール刺繍のウールラグと帆布バッグ

前置きが非常に長くなったが、本題はここからだ。

カシミール刺繍への思いを募らせているところ、なんとカシミール刺繍のウールラグとカバンを知人からいただいた。なんという偶然だ!!

ウールラグとバッグは台湾のTramperというブランドのもの。日本でも販売開始となるそうなので、いただいた商品の自慢(兼紹介)をする。

台湾向けサイト(tramper.tw)
※中国語(繁体)表記だけど、日本人ならなんとなく読める。

日本向け公式インスタ
※商品情報やお知らせなど。

CAMPFIRE(クラウドファンディング)
※日本では、現在クラファン形式で先行販売している。

ウールラグ

一つ目がウールラグ。代表的なカシミール刺繍のひとつ、アーリ刺繍が施されたラグマットだ。

アーリ刺繍とは、アーリと呼ばれるかぎ針のような針を使用してチェーンステッチする刺繍のこと。

いくつかデザインがある中で、個人的にもっともカシミール的なデザインだと感じたものをいただいた。(ペルシャ感もあり、ムガル感もあり、カシミール感もあるような気がする)

▼ラグのデザイン
アーリ刺繍のラグマット1
アーリ刺繍のラグマット2

▼他にはこんなデザインがある。
ラグデザイン

私のデザインは【C】だが、上の写真とはだいぶ色が違うように見える。これは私の自宅の照明が暖色であることが大きく影響しているが、それ以外にも理由がある。刺繍に使われている羊毛(ウール)の糸は植物染料で染められ、数日間太陽光と自然の風にさらされる。これにより同じ色のない独特な色合いとなるそうだ。世界で一つだけの色合いって素敵よね。

刺繍部分を近くで見るとこんな感じ。目の揃ったチェーンステッチが一面にビッシリと詰まっており、ウール糸の温もりが感じられる。

▼刺繍部分
アーリ刺繍のラグマット3
アーリ刺繍のラグマット4

裏面はコットン。「Tramper」のタグがついている。フリンジが自然な風合いを出していて良いね~。

▼ラグ裏面
アーリ刺繍のラグマット5

サイズは90㎝✖150㎝。大きすぎず小さすぎずでちょうどよい。ソファーの前に敷いたらピッタリだった。ベッド横なんかにもよさそうだ。

▼ラグのサイズ感
アーリ刺繍のラグマット5

帆布バッグ

続いて帆布バッグ。キャンバス素材の布地にアーリ刺繍で幾何学模様が施されており、伝統的な手法で現代的なデザインの刺繍が施されているというスタイル。

▼バッグのデザイン
アーリ刺繍のバッグ1

▼キャンバスの色はネイビーとベージュの2種類、刺繍パターンは4種類ある。
バッグデザイン

私は、こういう伝統✖現代の組み合わせは大好物である。全てがあまりにも伝統的すぎると、ガイコクジンの私にとっては身に付けることに少し抵抗があるというか何というか。現代風にアレンジされることでその抵抗が全くなくなり、日常生活にインドの伝統を気軽に取り入れることができる点が魅力だと思う。

刺繍はキャンバス地に直接施されているのではなく、別の布に刺繍したものがキャンバス地と合体している作り。

▼刺繍部分
アーリ刺繍のバッグ2

裏側にはブランドのタグ付き。

▼バッグ裏側
アーリ刺繍のバッグ3

ショルダー紐が取り付けられるようになっており、手提げかばんとしてだけでなく、斜め掛け、肩掛けもできる2Wayスタイル

▼ショルダーバッグとしても使えるので便利。
アーリ刺繍のバッグ4

サイズは縦20㎝✖横24㎝✖マチ8㎝。小ぶりで可愛く、マチがあるので収納能力は高い。私は主にショルダー部分を装着し斜め掛けして使用している。

▼手提げで持つ場合
アーリ刺繍のバッグ(手提げ)

▼肘にかけて持つ場合
アーリ刺繍のバッグ(肘にかける)

▼肩にかける/斜め掛けする場合
アーリ刺繍のバッグ(ショルダー)

バッグの中にはインドのポストカードが何枚も入っていた。創設者の方が現地で撮影したものだろうか?インドの犬カワイイ、、、

ポストカード

Tramper社が行うインドの女性支援について

Tramper社のカシミール刺繍商品を縫う女性
(出典:CAMPFIRE)

Tramper社のカシミール刺繍商品は、カシミールの女性職人たちによって作られているそうで、女性職人たちには現地給与水準の25%増しの給与が支払われるという。また、基金を設立して女性のマイクロクレジットや女の子たちへの教育奨学金に使用しているそうだ。

(私はカシミールの刺繍職人は男性ばかりだと思っていた。カシミール刺繍に限らず、インドのこういう職人技は男性のお仕事というイメージがある。気になったので調べてみると、超緻密なスザニ刺繍はやはり男性職人が多いようだが、アーリ刺繍はスザニ刺繍に比べると比較的習得しやすいということで女性職人もいるとのこと。)

インドではまだまだ女性の社会的地位は低い。私も「女性」というだけで舐められることがこれまでに何度もあった。大都市に住んでいる外国人の女性の私ですらそう感じることがあるのだから、地方部に住んでいるインド人の女性が感じるそれは私の比ではないことは言わずもがな。 カシミール刺繍の商品を天然素材を使用して手作りしているだけでなく、こうした女性支援も行っているというのは、インドに住む一人の女性として応援したくなるのであります。

さいごに

伝統的なカシミール刺繍を、こうやって日常で気軽に使えるのがとても嬉しい。カシミール刺繍のある暮らし、ええなぁ…

カシミールへのあこがれが増し、カシミールへ旅行するのがこれまで以上に楽しみになった!!

最後までお読みいただき有難うございました♪


インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(2年目編)~

アイキャッチ画像(インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(2年目編)~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド生活7年目に突入したので、私が私のために自分のインド生活を振り返るシリーズ。

今回は2年目編です~!(2017年3月~2018年2月)

▼前回の記事:インド生活1年目(2016年2月~2017年2月) www.chankome.com

▼目次はこちら (クリックして表示)

2017年3月

トリバンドラム旅行

ケーララ州はトリバンドラムにサーフィンしに来ますたよ~🏄 前年7月に訪れ(前の記事参照)、とてもよかったのでサーフィン仲間と再訪。

トリバンドラム空港から車で30分のところにある、Kovalam Beachというところで、私はゴア北部によく見られるにぎやかでギラギラしたビーチよりもこちらの方が落ち着いていて好き。水質もゴアよりも良い。

Kovalam Beach
Kovalam Beach

Kovalam Beachの夕焼け
Kovalam Beachの夕焼け

ビーチの端では漁師さんたちが地引網漁をしていた。

レストランではその日獲れた新鮮な魚介類を頂くことができる。調理方法も指定できるので「グリル、ノーマサラ」でお願いすると美味しい魚の塩焼きが出てくるよ。醤油を持参すると良い。

ケーララのレストラン1(魚)

ケーララのレストラン2(甲殻類)ケーララのレストラン3(イカ)
ケーララの海で取れた新鮮な魚介類

ナシーク日帰り旅行(ワイナリー)

ムンバイから車で3~4時間の場所にあるナーシク(ナシック)。ここはインドワインの有名な産地であり、多くのワイナリー(ワインが作られる場所)やヴィンヤード(ぶどう畑)がある。

インドを代表するワイン、太陽のマークでおなじみの「Sula(スーラ)」のヴィンヤードもナーシクにあり、ナーシク最大の観光地となっている。スーラをはじめ、他のヴィンヤードやワイナリーも商業施設化しているので観光しやすい。(観光客を受け入れず真剣にワイン造りに取り組んでいるところもある)

この時はムンバイから日帰りで友人と訪れた。時間的な都合で、訪問できたのはSula(スーラ)とSoma(ソマ)。

ムンバイ在住時は酒屋でよく「Soma」を購入していたが、グルガオンの酒屋では全くみかけない。Somaのような北インドでは全然メジャーではないワインが、ナシークでは数多く生産されている。

Sula Vineyards
Sula Vineyards

スーラのワイナリーツアー1スーラのワイナリーツアー2
スーラのワイナリーツアー

スーラのワイナリーツアーの試飲1スーラのワイナリーツアーの試飲2
スーラのワイナリーツアーの試飲

スーラのワイン畑
スーラのワイン畑

Soma Vineyards
Soma Vineyards

ソマのワイナリーツアーソマのワイナリーツアー試飲
ソマのワイナリーツアーと試飲

アーメダバード&ジュナーガル旅行

ムンバイからグジャラートは近い。前月にブージを旅行し(前回の記事参照)、グジャラートをもっと旅行したいと思い、グジャラートに再びやって来た。

まずはグジャラート州最大の都市アーメダバード。この当時はまだ世界遺産に登録されていなかったが、この年2017年の9月に旧市街や階段井戸が世界遺産として登録された。

アーメダバードの旧市街
アーメダバードの旧市街

ダーダーハリ階段井戸アーメダバードのジャマーマスジット
(左)ダーダーハリ階段井戸
(右)ジャマーマスジット

サーバルマティーアシュラム
マハトマ・ガンディーの住まい、塩の行進のスタート地点でもある「サーバルマティーアシュラム」

▼ガンディーのアシュラムについてはこちらの記事もどうぞ www.chankome.com

夜行バスでジュナーガルへ
夜行バスでジュナーガルへ

ジュナーガル。ジュナー(古い)ガル(城砦)という名の通り、古都。街にはかつて栄えていた時代の砦が残っている。

町の中心地にはあちこちに門があり、城下町感がある。

ジュナーガルの街並み1ジュナーガルの街並み2
ジュナーガルの街並み

ジュナーガルの見どころ一つ目は玉ねぎのような形の屋根と螺旋階段が巻き付いたミナレットが特徴的な霊廟、マハーバトマクバラー。

マハーバトマクバラー
マハーバトマクバラー

見どころ二つ目のウバルコート・フォート(砦)には、大自然が生み出した岩壁を利用した階段井戸があり、インド版のアンテロープキャニオンといったところでしょうか(全然違う😂)

ウバルコート・フォートの階段井戸
ウバルコート・フォートの階段井戸

色々と寄り道して、この旅行最大の目的がギルナール山巡礼。頂上まで9999段あるという石段をのぼった。この山には小さいものも含めると1000を超える寺院があるそうだ。

当時20代の私で、頂上まで登るのに5時間を要し翌日にはひどい筋肉痛に見舞われた。なかなか大変な巡礼コースにも関わらず、途中すれ違った人の多くは年配の方で、その熱心さに感服した。

ギルナール山巡礼コース
ギルナール山巡礼コース

f:id:chankome:20220305200528j:plain:alt=ギルナール山頂上からの景色:title=
山頂からの景色。手前に見えるのはジャイナ教寺院

2017年4月

リシケシ旅行

ヨガの聖地として非常に有名なリシケシに元ヨガインストラクターの友人と一緒に訪れた。ちなみに、この時私はまだヨガを本格的に始めておらず、超似非ヨギ時代

デリーNCRからであればサクッと訪れられるリシケシであるが、ムンバイからは遠い。そして飛行機も高い。往復で1万4000ルピーもかかったことを私は今でも忘れない。

リシケシのラクシュマンジュラ
ラクシュマンジュラ

似非ヨギはなにかとミーハーである。ということでパーマスニケタンに宿泊した。

2017年4月当時のパーマスニケタンのTariff
2017年4月当時のパーマスニケタンのTariff。私たちはガーデンNon-ACの部屋に宿泊した。

パーマスニケタンアシュラムの夕方のセレモニー(Ganga Aarti)
パーマスニケタンアシュラムの夕方のセレモニー(Ganga Aarti)

リシケシでやることといえば、「ヨーガ」。

我々はパーマスニケタンの朝のクラス、他のアシュラムのドロップインクラスに参加した。当時は1クラス300ルピー程度だったかな?

ヨガのドロップインクラス
ヨガのドロップインクラス

もう一つの人気アクティビティが「ガンジス川でラフティング」。

リシケシのガンガーは上流のため、バラナシなどのガンガーと比べ物にならないほど水が綺麗で、川の中に躊躇なく飛び込むことができる。

リシケシのガンジス川(透明~!!!)
リシケシのガンジス川(透明~!!!)

リシケシでラフティング1リシケシでラフティング2
綺麗なガンガーでラフティングを楽しめる。

私はリシケシ旅行で初めて、「TTC200」「TTC500」というワードを目にした。TTCとはTeacher Training Courseの略で、200や500は200時間、500時間を表す。

TTC200=ヨガインストラクターに必要な座学・実技を200時間学べるコースであり、いつか私も受けてみたいと似非ヨギながらに思うのであった。
(その3年後、2020年に受講したぜ!)

▼TTC200受講の話。 www.chankome.com

一時帰国(1回目)

友人の結婚式があり一時帰国。

赤坂のまつじん
札幌に帰る時間はなかったので、都内のまつじん(松尾ジンギスカン)で北海道気分をチャージした。

2017年5月

特にどこにも旅行せず、ムンバイにとどまる。

ムンバイ観光(Khotachiwadi)

ムンバイは歴史のある町で、「The★観光地」以外の見どころが実はたくさんある。

ムンバイ南部に、インド・ポルトガル様式の建物が残るエリア(Khotachiwadi)がある。

もともと現在のムンバイはポルトガルの領地だったこともあり、このエリアにはポルトガル様式のカラフルな建物が密集している。英領インド時代の建物群とは違った雰囲気でヘリテージウォークを楽しめる、穴場観光スポットである。

Kotachiwadi1
このベランダが、インド・ポルトガル様式感強め~★

Kotachiwadi2
カトリックのクリスチャンが多く住んでおり、小さな教会もある。

Kotachiwadi3
カラフルな建物

ちなみに、↓これが当時私の最寄駅「Bandra(バンドラ)駅」。1869年築、ゴリゴリの英て本当にワクワクする町だね。

ムンバイ郊外鉄道バンドラ駅舎
ムンバイ郊外鉄道バンドラ駅舎

2017年6月

ポンディシェリー&クンバコーナム旅行

インドのサーフスポットを検索していると、ポンディシェリーの近くビーチにフランス人が営むサーフショップがあると知った。

そう、ポンディシェリーはかつてフランスの植民地だった町。有名ボリウッド女優「カルキ・ケクラン」もポンディシェリーで生まれ育ったフランス人。ポンディシェリーはインドの中のおフランスなのである。

せっかくなので、サーフィンついでにポンディシェリー、さらにそのついでにクンバコーナムとタンジャヴ―ルにも訪れることにした。

チェンナイからバスで4時間程度でポンディシェリーに到着。

ポンディシェリーのフランス領事館
ポンディシェリーにはフランス領事館がある。

ポンディシェリーのフランス風の建物
おフランス感あふれる街並み

おおぉ~!なんかフランス感あるぞ!(フランスに行ったことないけど)

と見せかけ、このようなエリアはごく一部。

フランス感溢れる地域の外にでると、そこには典型的なインドの町が広がっていた。

ポンディシェリー中心地
ポンディシェリー中心地

ポンディシェリー近郊にはフランス人女性がつくったエコヴィレッジ「オーロヴィル」があり、ミーハーな私は漏れなく訪問。

オーロヴィル
オーロヴィルにある瞑想ホール、別名「黄金のゴルフボール」

ポンディシェリーの少し北、スクーターで30分程度のところに、サーフィンができるビーチがある。

ポンディシェリー近郊のサーフスポット ポンディシェリー近郊のサーフスポット2
ポンディシェリー近郊のサーフスポット

サーフショップで板をレンタルしてサーフィン🏄✨

ポンディシェリーのサーフショップ
レンタル用のサーフボード。ソフトボード以外もある。

が、ここで事件!!!!!!!!!!

サーフィン中に腕にクラゲが絡まった。

触れただけではなく絡まっていた。
それも一匹ではなく、5匹くらい。

何事~~~!

クラゲに刺された直後の腕
クラゲに刺された直後。痛々しい。

すぐにサーフショップに戻って大正解。アナフィラキシーショック。。。サーフショップの地べたで1時間くらい横になっていた。長袖のラッシュガードを着用しなかったことを激しく後悔した。

クラゲに刺された翌日、バスでクンバコーナムへ。

世界遺産大チョーラ朝の寺院群のひとつであるブリハディーシュワラ寺院を訪れるためである。

ブリハディーシュワラ寺院1ブリハディーシュワラ寺院2
ブリハディーシュワラ寺院

この翌日にタンジャヴ―ルに移動し、タンジャヴ―ルの本家ブリハディーシュワラ寺院を見る予定だったのだが、、、

クラゲに刺されて腫れた腕
クラゲに巻き付かれたところが腫れてきた。

クラゲに刺されたところがパンパンに腫れ、生命の危機を感じた

腕が腫れていることで血管が圧迫され、指の先端まで十分な血が流れていないようで指先が冷たく紫色に変色。「指 壊死」とググり、宿で一人おびえていたことを覚えている。

今すぐムンバイに帰りたい!!!

旅行を中断することを決意し翌朝バスでチェンナイに戻り、空港の窓口でムンバイ行の航空券を購入。ムンバイ到着後すぐに病院へ向かった。

入院

病院で診てもらい検査をしたところ、

すぐに入院してください

!!!!!

「コンパ―メント症候群」の可能性があるという。症状が進んだ場合は手術が必要になると脅された。

入院中のベッド

まずは「腫れを抑えましょう」ということで投薬治療。左腕を上げたまま病院で寝泊まりすること3泊4日。腕の腫れが引いたので退院となる。

ちなみにコンパートメント症候群ではなかったらしい。誤診だったのか?

入院中の食事
入院中の食事。インディアンとコンチネンタルの選択肢があり、コンチネンタルを選択。

クラゲに刺されて腫れた腕3
退院時の腕。だいぶ腫れが引いた。

2017年7月

一時帰国(2回目)

クラゲ事件後、一応日本の病院でも診てもらいたいと思い一時帰国。当時は何かあったらすぐに一時帰国する癖があったナ!

一時帰国(2回目)
札幌に帰りますた。

クラゲに刺されて腫れた腕4
腫れは引いても、痛々しい見た目。

1か月ほどで赤味は引いたが、回復後も後遺症が残った。

後遺症その1
クラゲに巻き付かれた場所に「鳥肌」が立たなくなってしまった。

後遺症その2
クラゲに巻き付かれた場所の脂肪がなくなり皮だけになった。

左腕細くなったぜ~!ウェ~~イ!(違う)

ちなみに、後遺症その1は今もまだ残っており、未だに鳥肌がたたない。多分今後も一生左腕に鳥肌が立たないような気がしている。

後遺症その2はその後2~3年かけて元通りの太さになりましたとさ!

2017年8月

ムンバイのレストラン

今はなき、ムンバイ民の心の拠り所であったレストランがある。

その名も「Boteco(ボテコ)」。この当時ムンバイに住んでいた外国人で、このレストランを知らぬ者はいなかっただろう。

BKC(Bandra Kurla Complex)という銀行や大企業のオフィスが集まるビジネス街にあり、アメリカ領事館のすぐ近くにあったのでアメリカ人はじめ多くのガイコクジンで連日賑わっていた。

みんなのお目当てはコレ👇
ボテコボテコ

Beef🐮
(バッファローではなく本物の牛肉)

コロナ第一波時にムンバイ店は閉店、いまはプネーに店舗があるそうです。プネ民の癒しの場になっているに違いない。

一時帰国(3回目)

何回一時帰国するの~という話であるが、これは当初から計画していたもの。日本の友人らと旅行をするために帰国した。

伊豆の白浜海岸伊豆の白浜海岸旅行
伊豆下田の白浜海岸で若い遊びをした。

上海旅行

一時帰国中、家族と3泊4日上海旅行。

ほぼ日本やんけ!

なんて住みやすそうな場所なんだと感動した。

上海旅行1 上海旅行2

モンスーンで大洪水!

この時期のムンバイはまだモンスーン真っただ中。一般的に、ムンバイでは6月後半~9月半ばまでがモンスーン時期だと言われる。

ムンバイのモンスーン期間中は常にバケツをひっくり返したような雨が朝から晩まで降っており、数年に一度は町中がプールになるほどの大雨が降る。実はその降水量は日本の大雨時よりも少ない。排水システムが十分に整備されていないためこうってしまうのよね~。

▼私の家の前。比較的道路が広いのでまだマシ

▼狭い道路だとプール状態に。

22017年のモンスーン時の洪水(ムンバイ) 2017年のモンスーン時の洪水(ムンバイ)2
ドライバル氏もついつい写真撮っちゃうほどでした。

こういう時、日本車はマジで強い

特にフォーチュナーが最強。私は上司のフォーチュナーに便乗させてもらったおかげで無事濡れることなく帰宅できた。

お金持ちのムンバイ人たちがよく乗っているドイツ車は電気系統が弱めで故障するのか、道路に何台か放置されているのを見た。(その日は雨に濡れながら歩いて帰り後日取りに戻ってくるのか??)

2017年9月

アムリトサル旅行

北インド全然旅行できてないな、、、ということで、土日を使ってパンジャブ州のアムリトサルへ友人と旅行。

アムリトサルは、シーク教徒の総本山ともいえるゴールデンテンプルや、パキスタンとの国境(アターリー・ワガボーダー)で行われるセレモニーが有名だね。

アターリー・ワガボーダーへ
セレモニーが行われる国境へ。乾杯~🍻
ムンバイでは見たことのないビールだった。

インド側のセレモニー会場
インド側のセレモニー会場。(兼イミグレでもあるのかな?)

パキスタン側に「インドにはこんなに外国人がいるんだぞ!」ということを見せつけるために(インド人の友人談。真偽は不明)、外国人はVIP席をあてがってもらえる

アターリー・ワガボーダーのセレモニー会場
屋根付き&国境に近い特等席

▼セレモニーの様子。脚を高く上げ合う謎の儀式。

今は改善しているかもしれないが、人が多すぎて会場近辺では携帯の電波が非常に悪かった。私はセレモニー後友人とはぐれてしまい、連絡がとれず大変な目に遭った。(乗合ジープ100ルピーで市街地にひとりで帰還する羽目に)

国境セレモニー後、夜のゴールデンテンプルを訪れ、翌朝またゴールデンテンプルを訪れ、土日旅行は終了。土日に観光で訪れるのにちょうどよい街、アムリトサル!

夜のゴールデンテンプル
夜のゴールデンテンプル

朝のゴールデンテンプル
朝のゴールデンテンプル

ゴールデンテンプル周辺地域
ゴールデンテンプル周辺は観光地として非常によく整備されており、景観形成にも取り組んでいた。

ゴア旅行①

2017年に運行開始した、ムンバイーゴア間を結ぶ準高速鉄道「Tejas Express」に乗るべく、週末ゴア旅行。

滞在時間の都合でビーチの方には行かずパナジ周辺のみ。

Tejas Express
Tejas Express

Tejas Express車内1Tejas Express車内2
運航開始した数か月後なので車内はまだキレイね。快適度は飛行機のプレエコくらい。CAさん的な役割の人もいる。

Tejas Expressの車内食
約8時間の鉄道の旅。朝食と昼食も運賃に含まれている。

お魚エビとカニの料理
ゴア到着後の夕食はシーフード祭り。🐟~🦐~🦀~

ゴアの有名観光地を巡った。

ボムジェズ教会
ボムジェズ教会。ザビエルのミイラが眠っている。

パナジ教会
パナジ教会

ゴアで食べたハンバーガー
非常に肉々しいハンバーガーを頂き、帰路。

マイソール旅行

9月末のダシェラ(ダサラ)休暇、マイソールに訪れた。

ダシェラ×マイソール… ピーンと来た方もいるかもしれない。

ダシェラ最終日、マイソールでは大規模なパレードを行う。このパレードは非常に歴史があり、2017年は「第407回目」だった。

何十匹ものゴージャスに着飾った象が街を練り歩く、、、それはまさにマハラジャの時代のようだ。それを見ようとはるばるやってきますた、マイソール。

(※マイソールは、最も有力な藩王国のひとつ「マイソール王国」があった場所)

バンガロールからシャタブディエクスプレスでマイソールへ。
バンガロールから鉄道でマイソールへ。

インドでは「一眼レフカメラ」が強い。

何が強いって?一眼レフカメラを首から下げてうろうろしてたら、なぜか報道関係者と勘違いされ「ジャーナリストパス」を支給された。

これはつまり、会場を自由に歩ける権利を手に入れたことになる。

お目当てのマイソールのダシェラパレード
お目当て、マイソールのダシェラパレード。

このパレードにおいて、この権利を手に入れた私は最強だ。まるでスターを手に入れたマリオ。

なぜなら・・・

マイソールのダシェラパレードの観客 マイソールのダシェラパレードの観客2 マイソールのダシェラパレードの観客3

一般観客席はこんなことになっているためである。

歩く隙間もない。

祭りでテンション爆上がりの観客たち。ガイコクジンの私にも興奮するという謎自体が発生した。スーパースターってのはこういう感じなんだろうか😂

マイソールのダシェラパレード

象さんパレードのほか、地元の団体や有志による出し物もあり、非常に楽しいパレードで大満足した。

マイソールのダシェラパレード2マイソールのダシェラパレード3

マイソールのダシェラパレード4

この観客にもみくちゃにされずにマイソールのパレードを観る方法は二つある。

一つ目は私のようにたまたまジャーナリストパスを手に入れること。一眼レフカメラ必須(多分)。これは運が必要で確実ではない。

二つ目はパレードが行われる通りにある高級ホテルに宿泊すること。ホテル名は忘れてしまったが、そこのホテルでは宿泊者向けに特別席を設けていた。これは確実だろう。

祭りの期間中、マイソール宮殿はライトアップされる。ブダペストにある国会議事堂のようで非常に美しい。

美しくライトアップされたマイソール宮殿美しくライトアップされたマイソール宮殿
美しくライトアップされたマイソール宮殿

翌日もマイソール宮殿を訪れた。祭り期間中マイソール宮殿は無料開放されるため、おびただしい数の人が押し寄せていた。

マイソール宮殿
ディズニーランドにありそうな外観

マイソール宮殿
すんげー人wwwww

マイソール宮殿
人が映らないように写真を撮ることができた唯一の場所w

宮殿をじっくりと見て回りたいなら、ダシェラの時期は外した方がいいと心の底から強く思う。

2017年10月

ジョグジャカルタ旅行

ディワリ休みを利用してインドネシアへ。

当初バリ島に行く予定だったが、出発数週間前にバリ島噴火の警戒レベルが高まり、ニュースでも報道されていた。噴火した場合空港が閉鎖され予定通りに帰国できなくなる。

前年のダッカでのテロ事件(私が訪れた2週間後にテロが起き日本人が死亡)や数か月前のクラゲ事件があり、「旅行時の危機管理」を強く言われていていた私はサラリーマンとして、目的地を変更せざるを得ず、ジョグジャカルタに行くことにした。

仏教寺院を訪れ、

ボロブドゥール遺跡1ボロブドゥール遺跡2
ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーに参加

ヒンドゥー教寺院を訪れ、

プランバナン寺院
プランバナン寺院

プランバナン寺院のガネーシャ像
プランバナン寺院のガネーシャ氏。

スルタンの宮殿を訪れ、

タマンサリ
タマンサリ

宗教や歴史に触れる旅。。。

普段のインド旅行と全然変わらねぇwww

ほんとはビーチでのんびり常夏気分を味わう予定だったのにな😂

インド旅行と大きく違う点は、「バックパッカーやヒッピーではない若い欧米人旅行者が多い」「観光地が整備されている」「料理が辛くない(日本人の口によく合う)」

以上!!!

ジョグジャカルタのレストランでいただいたランチ
ジョグジャカルタのいい感じのレストランでランチ

2017年11月

一時帰国(4回目)

出張で日本へ行くついでに一時帰国。

香港&マカオ旅行

一時帰国中に、3泊4日で友人と一緒に香港・マカオへ旅行。

香港蟹
大蟹の辛みそ炒め(橋底辣蟹にて)。その他飲茶など、香港では主に食を楽しんだ。

マカオマカオのエッグタルト
マカオでは女子旅感最大限にw

2017年12月

ハードウェル来印!

パリピ大国インド。前回の記事では、ディミトリベガス&ライクマイクとマシュメロがムンバイにやって来たことを紹介した。

2017年はハードウェル~~~

ムンバイ近郊の新興都市「ナビムンバイ」のスタジアムで開催、ディミトリの時とは違い酒は出ない。チケット代は非常にお手頃でなんと1000ルピー弱。

ハードウェルのチケット

酒なしでここまで盛り上がれるインド人たちはすごいと思う。

コインバトール&ニルギリ旅行

インドには世界遺産に登録されている山岳鉄道が3つある。一つ目がダージリン(コルカタ駐在のイギリス人たちの避暑地だった場所で、有名なお茶の産地)、二つ目がシムラー(デリー駐在のイギリス人たちの避暑地かつ「夏の首都」だった場所)、そして三つ目がこの旅の目的地、ニルギリ(ウーティー)である。

ニルギリは南インド駐在のイギリス人たちの避暑地として開発された場所で、お紅茶好きな人なら一度はその名前を聞いたことがあるだろう。紅茶の有名な産地の一つでもある。南インド版のダージリン的なところだ(そうだけど違う)。

目指せ山岳鉄道全制覇!まずはニルギリから攻めるでござる。拠点となる街はタミルナードゥ州第二の都市コインバトール。ついでにここも観光。

私が訪れた年、2017年にできたてホヤホヤのコインバトール名物「アディヨギ像」は、当時似非ヨギだった私が最も好むタイプのモニュメントである。

コインバトール名物「アディヨギ」像
コインバトール名物「アディヨギ」像

アディヨギがある宗教施設内
アディヨギがある宗教施設内。

山岳鉄道の始発駅はコインバトールから北に40キロほど離れた「メットゥパーラヤム駅」。駅に着くと、なんとその日はメンテナンスの問題で始発駅からではなく途中の「クーヌール駅」から運行すると告げられた。こういうトラブルはインドではよく起きる。特に山岳鉄道は点検による遅延や運休が多いんですって。

クーヌール駅
結局クーヌール駅までローカルバスで行った。

クーヌール駅の駅員さんの荷物入れ
何とも萌えポイントが高い駅員さんの荷物入れ。

ニルギリ山岳鉄道
はじめての山岳鉄道

山岳鉄道の車窓からウーティー駅
ゆっくりと山を登り、ウーティー駅に到着。

ウーティー近郊の動物保護区、ムドゥマライ・ワイルドライフ・サンクチュアリ―内にある宿に宿泊し、到着日の夕方と翌朝2回、サファリに参加した。お目当てはベンガルタイガー🐅

しかし、見ることができたのは鹿だけであった。

鹿しかみれなかったため、サファリのガイドは「2日前にトラがいたんだ!ほら、写真見てくれよ!」とトラが生息していることを必死にアピール。「君は運が悪かった」「普段は見れる」風の雰囲気に持ち込もうとするが、そもそも、マハラジャたちがトラを狩りすぎたのでトラは少ない。遭遇できたらラッキーなんだよね。

サファリバス。サファリで見た鹿
インドのサファリあるある「鹿しかいない」

ムンバイのクリスマス

インドの宗教といえばヒンドゥー教という印象が強いだろう。実際国民の7~8割はヒンドゥー教徒である。

しかし、私が住んでいたムンバイにはクリスチャンも多く、クリスマス時期になると「宗教として祝うクリスマス」が身近にあった。(デリーNCRのような「イベント行事としてのクリスマス」とは明らかに違う)

ディワリ後もクリスマスまでは窓やベランダに電飾・イルミネーションを残し、クリスチャンが特に多く住む地域の道はクリスマス仕様にデコレーションされる。

ムンバイのクリスマスのデコレーション
クリスマスのデコレーション

2018年1月

新年はインドで迎えた。

ジュフービーチ

年末年始になると日本人はほぼみんな一時帰国してしまうため、新年をインドで迎えるということは「暇」を意味する。あまりにもやることがなさ過ぎたのか、ムンバイ郊外のジュフービーチへ行っていたようだ。

ジュフーは閑静な住宅街で、アミターブバッチャンなどのスターも住む地域。私のように新年早々特に何もすることがない人達がジュフーのビーチに集結していた。

ジュフービーチ
ジュフービーチ

ムンバイマラソン(ハーフ)

前年フルマラソンで非常に辛い思いをしたため、ハーフマラソンに参加した。(前回の記事

2017年までは「スタチャー」がスポンサーであったが、この年からインド最大財閥の「TATA」がスポンサーに。

ムンバイマラソン(ハーフ)スタート地点
ムンバイマラソン(ハーフ)スタート地点

ムンバイマラソンでシーリンクがコースに組み込まれているのはフルとハーフだけ。
ムンバイマラソンでシーリンクがコースに組み込まれているのはフルとハーフだけ。

ムンバイマラソン(ハーフ)の結果
前年のフルマラソンはひどい結果であったが、ハーフはぼちぼち。

イマジカ

ムンバイから車で2時間程度の場所に「イマジカ」というテーマパークがある。

どんなもんなのか、友人たちと一緒に日帰りで訪れた。イマジカには宿泊施設もあり、変なローカルホテルかと思いきや意外にもノボテルだったりする。

イマジカ
イマジカの入り口前には写真撮影に適したモニュメントがある。

イマジカのアトラクション
どこかで見たことがあるようなアトラクションが多い。

イマジカのお土産
お土産屋さんにも、どこかで見たことがあるような物が多い。

イマジカのアトラクションの待ち時間
週末でも全然混んでおらず、めちゃくちゃスムーズにアトラクションに乗れる点は高評価。

イマジカの絶叫系アトラクション
絶叫系のアトラクションもある。多分メンテナンスはちゃんとされているので大丈夫、多分ね。

ディズニーとユニバーサルと富士急の3つを足して5で割ったような感じで、”超”満足はしないものの、満足度はなかなか高い。入場も1500ルピーくらいだった記憶があり、この値段でこれだけ楽しめるなら良い。ま、基本的にパクリなんだけどね★

2018年2月

ゴア旅行②

2泊3日、ゴアのカラングートビーチに遊びに来た。

ここら辺はもともとヒッピーが多い地域だったそうだが、現代版ヒッピーらはさらに北上または南下した場所に生息しており、現在のカラングートはインド人観光客で賑わっている。

賑やかなカラングートビーチ
賑やかなカラングートビーチ。女性は服のまま海に入りがち。水着になるのに抵抗がある人がまだまだ多い。

カラングートビーチの夕焼け
カラングートビーチの夕焼け

夜のカラングートビーチ
夜になると海沿いのレストランは胡散臭い派手なライトまみれになる。

今はなき、ゴアの地ビール「KINGS」!!!
今はなき、ゴアの地ビール「KINGS」!!!

浜辺ではニンゲンだけでなくワンコたちものんびりしている。
浜辺ではニンゲンだけでなくワンコたちものんびりしている。

一時帰国(5回目)

年末年始に一時帰国しなかった代わりに、2月にお休みをいただいて帰国した。

目的その①、ルナシーのコンサート。
ルナシーのコンサート

目的その②、さっぽろ雪まつり
さっぽろ雪まつり

その他、インドでは食べられないものを胃袋にため込む修行。

肉寿司生牡蠣

インド2年目は、1年目以上に充実していた!

国内旅行9回、海外旅行3回、一時帰国5回。合計旅行回数は17回。やはり若いって素晴らしい。体力があるからこそ、こんなにプライベートで旅行できるんだよね。

インド国内旅行
  1. トリバンドラム
  2. ナシーク
  3. アーメダバード&ジュナーガル
  4. リシケシ
  5. ポンディシェリー&クンバコーナム
  6. アムリトサル
  7. ゴア①
  8. コインバトール&ニルギリ
  9. ゴア②
海外旅行
  1. 上海(中国)
  2. ジョグジャカルタ(インドネシア)
  3. 香港&マカオ

1年目、2年目と毎月旅行していたのでお金は全然貯まらず貧乏であった。しかし我ながら本当にいいテンポで旅行していたと思うし、いまでは全ていい経験!

当時はこれでも「旅行し足りない」と思っていたのだが、それはおそらく周りの友人が毎月のように海外旅行していたからだと思うぞ。駐在員は祝日があるとすぐ海外に逃亡する。(←ひどい固定概念www)

次回、インド3年目を振り返ります!私の自己満投稿にまだまだお付き合い下さ~い!


インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(1年目編)~

アイキャッチ画像(インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(1年目編)~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

2016年2月27日にインドにやって来た私。

今日からインド生活7年目に突入~!

ということで、この6年間を振り返ってみるぞ!誰得でもない、完全に自己満。グーグルフォトに保存されている写真を見返して年月順に振り返る。

▼目次はこちら (クリックして表示)

2016年2月

ムンバイへ渡航!

ムンバイ行NH829便

忘れもしない2016年2月27日、この日私は全日空NH829便でムンバイに旅立った。当時の成田→ムンバイ便はビジネスジェット(ボーイング737-700ER)。機体が小さいため冬場はノンストップでムンバイまで飛べず、燃料給油のために福岡空港に立ち寄るというルートだった。

このビジネスジェットは2016年3月に退役となり、その後同路線はボーイング787ドリームライナーが運航。退役前に滑り込みでビジネスジェットに乗ることができたのはいい思い出だね!

www.aviationwire.jp

2016年3月

ムンバイ観光

週末を使ってムンバイ市内の観光に精を出していた。

ムンバイは「THE★観光地」と呼べるような場所が少ないため、有名観光地はすぐに制覇できる。

CST駅(現CSTM駅)
CST駅(現CSTM駅)。南ムンバイにある立派な現役駅舎!

インド門タージマハルホテル
インド門とその向かいにあるタージマハルホテル

ドビーガートと呼ばれる洗濯屋さんのスラム
ドビーガートと呼ばれる洗濯屋さんのスラム

▼ドビーガートについての記事 www.chankome.com

海に浮かぶハジアリ霊廟
海に浮かぶハジアリ霊廟、別名「ムンバイのモンサンミッシェル」笑。

▼ハジアリ霊廟についての記事 www.chankome.com

ムンバイ北部の国立公園内にあるカンヘーリー石窟寺院
ムンバイ北部の国立公園内にあるカンヘーリー石窟寺院

有名どころの観光地はざぁ~とこんな感じ。

ムンバイといえばシーフードが有名で、特にバターガーリッククラブはみんなが大好きな一品!TorishnaやMaheshが有名だよ。

有名レストラン「Mahesh」のバターガーリッククラブ
有名レストラン「Mahesh」のバターガーリッククラブ

ホーリー

3月といえばホーリー!!色粉をかけ合う基地外のお祭り春の訪れを祝うお祭りで、とても楽しいと聞いたので参加した。

ホーリー(2016年)

お祭りはとても激しく、色粉が肌に染み込んでしまって2~3日取れなかった。これ以降、激しいホーリーには参加していない。楽しかったが、1回でいいかなと思った次第である。もうお腹いっぱい。

2016年4月

私がインドにやってきた最大の目的は「インド国内をたくさん旅行すること」であった。というわけでインド旅行を開始。

チェンナイに友人が日本から長期出張に来ていたので、まずはチェンナイ&マハーバリプラムを初めてのインド国内旅行の目的地とした。

チェンナイ&マハーバリプラム旅行

マハーバリプラム

▼詳しくは以下の記事にまとめている。

www.chankome.com

www.chankome.com

一時帰国(1回目)

インドに来て2か月で早速一時帰国した😂

代々木公園でお花見したよ。

代々木公園でお花見

2016年5月

アジャンター&エローラ旅行

ムンバイから訪れやすい観光地のひとつに、アジャンター・エローラ遺跡がある。拠点となるのはアウランガーバードで、ムンバイからは飛行機で1時間弱。

アウランガーバードは名前からも想像できる通り、ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブが拠点としていた街である。ムガル帝国はデカン高原まで進出していた。

アウランガーバードにはタージマハルに似たお墓がある。これはアウラングゼーブの息子が、自身のお母さん(アウラングゼーブの妻)のために作ったもので、財政があまりよくなかったためにタージマハルと比べるとずいぶん質素な作りとなった。それがコレ↓

ビービーカマクバラー、別名「ミニ・タージ」
ビービーカマクバラー、別名「ミニ・タージ」

アウランガーバードには砦もある。たいへんインドらしい砦。砦の頂上からは一面に広がるデカン高原を望むことができる。

ダウラターバードと砦からみたデカン高原
ダウラターバードと砦からみたデカン高原

アウランガーバードから車で1時間ほどの場所にエローラ遺跡がある。ここで一番の見どころはなんといってもこの石彫寺院「カイラーサナータ寺院」かね~。

カイラーサナータ寺院
カイラーサナータ寺院

アウランガーバードから車で3時間ほどの場所にあるのがアジャンター遺跡。この石窟寺院群は19世紀にイギリス人が発見するまで1000年以上もの間ジャングルの中に埋もれていたというのだから驚きだ。

アジャンター石窟寺院群
アジャンター石窟寺院群

アジャンター遺跡の仏教壁画
アジャンター遺跡の仏教壁画は見ごたえがある。こんな状態で今も残っているのは、1000年以上も放置されていたおかげ?なのかな?

マハーバリプラムで「石窟寺院」「石彫寺院」「石造寺院」を観光した次の目的地がアジャンター・エローラというのは、今思えば、私結構センスあると思うんだ。うん、ほんとにセンスある😂(自画自賛)

一時帰国(2回目)

親友の結婚式があり、また一時帰国した😂

友人の結婚式

2016年6月

バングラデシュ旅行

友人の結婚式に参加するため、バングラデシュのダッカへ旅行。ムンバイからダッカへの直行便はないのでコルカタで乗り継ぎ。

ビーマンバングラデシュ航空を利用。
ビーマンバングラデシュ航空を利用。

コルカタ⇔ダッカ間の飛行時間はわずか1時間。この当時は特に何も考えずに訪れたが、ここはかつて英領インドベンガル州だったのだ、近くて当然。なのに時差は30分ある。

ダッカ

ダッカの街並み

ダッカの街を歩いて思ったのは、インドはずいぶん発展しているんだなぁと(語彙力)。私が住んでいたムンバイがとてつもなく都会に感じた。

2016年6月にダッカといえば、ピンとくる方もいるでしょう。そう、テロが起きた。日本人も巻き込まれたよね。私が訪れた2週間後にテロが起きて、私が訪れた場所でテロが起きて、、、自分も巻き込まれていた可能性が大いにあったのだと思うとぞくぞくしたし、それ以降外務省が出している渡航情報の危険レベルを考慮して旅行するようになった

2016年7月

コーチン&トリバンドラム旅行

日本在住時はほぼ毎週サーフィンをしていた私(冬以外)。インドでサーフィンというイメージはなかったので、板も何も持ってこなかったのだが、なんとインドでもサーフィンができるという。言われてみればスリランカも近いし、サーフスポットがあっても全然おかしくないんだよね。

トリバンドラムのコバラムビーチにあるサーフショップで板をレンタルできるという情報を入手したので早速訪れることに。せっかくケーララに行くなら近くの有名どころも訪れたいと思い、コーチンとセットで旅行。

コーチンの町(エルナクラム)の方は典型的なインド!という雰囲気が漂っていたが、フォートコーチンの方は異国情緒ただよう別世界だった記憶がある。

フォートコーチンの街並み
フォートコーチン

チャイニーズフィッシングネット
チャイニーズフィッシングネット。ネットで魚を釣っているところ。

「ケーララはカタカリダンス」が有名だよと同僚に教えてもらったので、カタカリダンスも漏れなく鑑賞した。これはインド版歌舞伎のようなもので(説明ざっくりすぎるかw)、お化粧しているところも見ることができて非常に面白かった。

カタカリダンスの化粧中。
ケーララの伝統芸能、カタカリダンスのお化粧をしているところ

カタカリダンス。
お化粧の派手さに目を奪われてしまいそうになるが、役者さんたちの目・指の動きが非常に細かく繊細だった。

夜行列車でコーチン→トリバンドラム。
夜行列車でコーチン→トリバンドラム。

トリバンドラムのコバラムビーチ。ここでサーフィンをすることがこの旅最大の目的。ここのビーチ、なんか江の島に似ているような気がして。灯台なんかも江の島感ありません?よく鵠沼に行っていたのでとても懐かしい気持ちになったのを覚えている。

トリバンドラムのコバラムビーチ
トリバンドラムのコバラムビーチ

サーフィン集合写真

友人、そしてサーフショップの兄さんたちと一緒にサーフィン。ここで受け入れがたい出来事が起きた。インドでは物をみんなで共有する文化がある。「私」が「私のため」にホテルから持って来たタオルをインド人の兄さんたちに使われているのを目撃、しかも体を拭いているだけではなく耳の穴にも突っ込んでいた!他のタオルはないので、私もそのタオルで体を拭かざるを得ない!

自分でタオル持参しろよな!!!!!😂

一時帰国(3回目)

一時帰国というわけではないが、出張でまた日本に帰国した😂

一時帰国中に食べたお刺身

2016年8月

ハンピ旅行

土日を使ってムンバイから弾丸でハンピへ旅行した。

金曜夜 :ムンバイ→バンガロール(飛行機)
土曜早朝:バンガロール→ハンピ(車)
土曜午後:ハンピ観光
日曜午前:ハンピ→バンガロール(車)
日曜夕方:バンガロール→ムンバイ(飛行機)

頭がおかしい旅程である。日本人はこういう弾丸旅行しがちだよね(私だけじゃないよね?!)

ヴィルパークシャー寺院
ヴィルパークシャー寺院

ヴィルパークシャー寺院と奇岩
ヴィルパークシャー寺院と奇岩

ハンピを観光したのは数時間だけで、正直なにを見たのかあまり覚えていない。「ハンピに旅行した」という事実を作るためだけに旅行した感がある。また訪れることがあればゆっくりと滞在したいが、アクセスがよくはないため再訪するかどうかは微妙なところである。アクセスが悪いからこそ「秘境」と呼ばれているんだろうけどネ。

マンドゥ&インドール旅行

不便な旅行をしたいと思い、MP州のマンドゥを訪れた。州都のインドールからバスに揺られ、途中バスの乗り換えもあり、3~4時間かけてマンドゥに到着。こういうバックパッカーっぽい旅行をどうしてもしたかったらしい(笑)若いって素晴らしい👏

ローカル長距離バス
ローカル長距離バス

マンドゥの宿
2016年8月時点においてマンドゥで最も新しく綺麗で清潔だった宿(ソースはワイ)。ここに2泊した。

マンドゥはイスラム系王朝によって征服されてきた歴史があり、宮殿などの遺跡がのこる。今はどうなっているのか知らないが、当時は外国人旅行者は全くおらず、だいぶローカル感強めの観光地だった。

マンドゥの宮殿エリアに残る遺跡
マンドゥの宮殿エリアに残る遺跡。この建物はハーレムとして使われていた。

マンドゥ―の展望台
モンスーン期に訪れたので緑ゆたかだった。標高がやや高いところに位置しているのでよい景色。

インドールも少しだけ観光。あまり見るところがなく、うろうろして終了。やることがなさすぎて変更料を払って帰りの飛行機の時間を早めたほどである。

インドール中心地の様子
インドール中心地の様子

ちなみに携帯の電波が悪かったので、いまはなき「サイバーカフェ(ネットカフェのこと)」に駆け込み飛行機の変更手続きを行った。この当時はまだスマホも今ほど普及してなかったからサイバーカフェも存在していたんだねぇ。しみじみ。

2016年9月

アレッピー旅行

7月にケーララ旅行でケーララに完全に魅了されたため、ケーララ再訪。目的はケーララのバックウォーター(水郷地帯)とハウスボート滞在。

ケーララのハウスボート
水郷地帯の観光&滞在用のプライベートハウスボート

船頭さん付。コックさん付。お手伝いさん付。優雅な船の旅でございます。
船頭さん付。コックさん付。お手伝いさん付。優雅な船の旅でございます。

水郷地帯にて写真撮影
水郷地帯にて写真撮影

ハウスボート船内のベッドルーム
ハウスボート船内のベッドルーム。蚊がすごかった。

夜になるとハウスボート内に蚊が大量発生し、蚊帳を使っても防ぎ切れないほどの襲撃に遭った。

旅行後、その話をインド人マダム友達にしたところ「Komeちゃん、ハウスボートは滞在するものじゃないのよ。日中ハウスボートで観光を楽しんだあとは、近くのリゾートホテルに泊まる、これが常識よ」

確かにマダムの言う通り、わざわざ泊まる必要があるかどうかは微妙なライン。プライベートハウスボートを借りるとそこそこいい値段するしね。

↓最初からこういうホテルに泊まった方が間違いなく快適ではある。体験としてはハウスボート滞在もあり。

ハウスボート泊の翌日に宿泊したホテル
ハウスボート泊の翌日に宿泊したホテル

プシュカル&ジャイプル旅行

ラジャスターン州に行ってみたい!と思い、プシュカルとジャイプルを目的地とした。プシュカルは「ホワイトシティ」、ジャイプルは「ピンクシティ」と呼ばれており、外国人旅行者にも人気の旅行先である。

まずはプシュカル。ここはヒンドゥー教三大神のひとり「ブラフマー神」を祀る寺院があり、巡礼者が多く訪れる聖地でもある。

プシュカルの湖で沐浴する巡礼者
プシュカルの湖で沐浴する巡礼者。女性のサリーカラフルで鮮やか。

ブラフマー神を祀る寺院
ブラフマー神を祀る寺院。インドでブラフマー神をご本尊としている唯一の寺院だそうな??

欧米人バックパッカーが多く、路地は旅行者が好みそうなペイントで溢れていた
欧米人バックパッカーが多く、路地は旅行者が好みそうなペイントで溢れていた。

プシュカルのお隣、アジメールにもサクッと訪問。活気あふれる街だった。

アジメールにある有名な聖廟
アジメールにある有名な聖廟。インドムスリムの聖地のひとつらしい。

夜行列車でアジメール→ジャイプル
夜行列車でアジメール→ジャイプル

ジャイプルは有名どころを一通り観光して終了。ケチってシティパレスのロイヤルパレスには行かなかった(正確には行けなかった)。入場料高すぎなんですよ😂

風の宮殿ハワマハル
風の宮殿、ハワマハル

天文台、ジャンタルマンタル
天文台、ジャンタルマンタル

アンベール城
アンベール城

2016年10月

世界的に有名なDJがムンバイにやって来た!

インドはパリピが多い国である。幼少時から音楽にノって踊り狂うというパリピの英才教育を受けているようである。そんなパリピ国家インド、世界のDJたちも注目するわけであります。世界的に名の知れたDJたちがインドでよくパフォーマンスしていると知り、私はチャンスを待っていた。

キター!
キターー!!
キターーー!!!

当時わたしが大好きだったディミトリベガス&ライクマイクが ムンバイに来るぞ~~~~~!

ということでパリピ友と一緒に参戦。

チケットは2500ルピー。良心的な価格設定。
チケットは2500ルピー。良心的な価格設定。

ディミトリマシュメロ
ディミトリとマシュメロ。ウェイウェイウェーイ!

エレファンタ島

友人が日本から遊びにきたので、改めてムンバイ観光をば。初めてエレファンタ島も訪れた。

インド門の裏側からフェリーに乗ってエレファンタ島へ。
インド門の裏側からフェリーに乗ってエレファンタ島へ。

フェリーから見たインド門とタージマハルホテル
フェリーから見たインド門とタージマハルホテル

▼エレファンタ島についてはこちらの記事にまとめているので、あわせてど~ぞ。
www.chankome.com
www.chankome.com

シーリンク(橋)の近く、バンドラにあるこの「ラブムンバイ」モニュメントは記念撮影に持ってこいよね。海の向こう側に見える、南ムンバイの高層ビル群がまたいい味をだしている。

この辺には漁師のスラムがあり、フィッシュスメルと様々なものが混ざった独特の匂いがただよっている。撮影をしたらすぐに退散すると体調を崩さずに済むゾ!

ラブムンバイモニュメント
ラブムンバイモニュメント

2016年11月

高額紙幣廃止

高額紙幣廃止

インド1年目、最大の事件である。

www.nikkei.com

2016年11月8日20時。モディ首相が「高額紙幣を4時間後に紙切れにするぞ!」と発表した。

発表時、私は友人と飲んでおり23時頃にそのニュースを知った。1時間後に1000ルピー札と500ルピー札が紙切れになるとな!極めてインクレディブルインディアな事案である。

旧紙幣は銀行で新紙幣に交換可能で、銀行には連日長蛇の列ができていた。私も2時間並んで旧紙幣を新紙幣に交換。

実のところ、私自身は特に大きなダメージを受けなかった。デビットカードを持っていたし、すでにPaytmのヘビーユーザーでもあったため、現金がなくても全てオンライン払いで対応可能だったのだ。

ニコニコ現金払いをモットーとしている人達はかなり影響を受けていたね。新紙幣の供給が追い付かず、街中のATMはすっからかん、「あそこのATMは現金おろせるよ!」という情報がラインやワッツアップで出回った。

これを機に、一気にPaytmなどの電子マネーがインド全土に広まることとなった。その後銀行が「アーダールと銀行口座を紐づけないと銀行口座凍結しちゃうぞ!」とか言い出したもんだから、一気にアーダールも普及した。現地の駐在員たちもオフィスにアーダール代行業者を呼んで一斉にアーダール取得してたわね。

アーダール:生体認証付きのマイナンバーのようなもの。読み方はアドハーではない(←重要

ものもらいの手術

インドに来てからというものの、ものもらいを高頻度で患っていた。目を触るクセがあったのだが、手が汚れやすい国じゃないですか。ははは。

ものもらいになる度に眼科で点眼薬を処方してもらていたが、この時は点眼薬をさしても全然治らずしこりと化してしまった。右目の上と下、二か所にしこりがあった。

というわけでものもらい除去の日帰り手術を受けることに。インドで初めての手術である。ドキドキ、ドキドキ。

目に局所麻酔を刺され、手術開始。目に鋭利な刃物が入ってくると考えただけでとても怖くなり、しくしくと涙を流してしまった。そんな私に対して「マーム、大丈夫、マーム大丈夫」と手術台の左右から看護婦たちの声援。手術が終わるまで彼女たちは私の右手と左手をぎゅっと握りしめ続けた。

手術後、「目にほこりが入るといけないからね~」と包帯を巻かれたのだが

ものもらいの手術後
ものもらいの手術後

一体これ何重になってるのw
あまりにも立体的すぎてwww

日本の場合、おそらく普通の眼帯のみだと思うんだけど、ここまで厳重にガードされるとはなwww

さすがでーす!!

2016年12月

一時帰国(4回目)

年末年始に一時帰国。実家の北海道に帰省し、北海道神宮で初詣🙏

これまで初詣は季節のイベントごとのひとつにすぎなかったのだが、インド生活を通じて「宗教」を意識することが多くなったからかな、「自分の宗教は神道だ」と感じながらお祈りをした。

北海道神宮で初詣
北海道神宮で初詣

2017年1月

ムンバイマラソン(42.195キロ)

ムンバイの冬の一大イベント、ムンバイマラソン。毎年1月半ば頃に盛大に開催される。

会社の人たちがみんな参加するというので、私も参加することにした。エントリーしたのはフルマラソン

当時のスタート地点は世界遺産CST駅。

2017年1月のムンバイマラソン(42.195キロ)スタート地点
2017年1月のムンバイマラソン(42.195キロ)スタート地点

ムンバイマラソンの最大の魅力は、ムンバイ南部とバンドラを結ぶシーリンク(有料高速道路、普段は車以外通行不可)を走れることである。

シーリンクではいチーズ
シーリンクではいチーズ

初めてのフルマラソン、時間配分を完全に間違えヘロヘロになりながらもなんとか42.195キロを完歩した。

記録は6時間29分30秒。公式記録として認められるのは6時間30分までなので、ぎりぎりセーフ!こんなに辛い思いをしたのに「記録なし」になったら泣くよね。フルマラソンの公式記録を一応保持することができて本当によかった。

実は最後の15キロ「炎天下のなか、なぜ私はこんなに辛い思いをして歩いているのだろう」と半べそをかいていた。そんな中でも諦めずになんとかゴールできたのは沿道の人たちが応援してくれたおかげだろう。

沿道から「頑張れ~」「止まるな~」「泣くな~」と声援を送ってくれたり(ほんとに半泣きだった)、「水飲め~」とペットボトルの水を差しだしてくれたり、「これ食べろ~」と果物やビスケットなどをくれたりするんです。ここまで遅いともう給水所の水も全部撤去されているので、こういうサポートが本当に有難かったなぁ。ムンバイの人たちの優しさを感じることができる素敵なイベントだよね。

ちなみに、あまりにもフルマラソンが辛すぎたため、これが最初で最後のフルマラソンとなった。(翌年からはハーフに参加しているよ)

▼ムンバイマラソンについての記事もあわせてどうぞ。
www.chankome.com

一時帰国(5回目)

年末年始に一時帰国したのに、また1月末に一時帰国した😂

一時帰国時にはインドで食べられなさそうなものを中心に食べる。
一時帰国時にはインドで食べられなさそうなものを中心に食べる。

2017年2月

カッチ地方(ブージ・ホワイトラン・マンダヴィ)旅行

グジャラートのパキスタン国境近くに広がる大湿地、カッチ湿地。ここは雨季に訪れると「ウユニ湖」的な、乾季に訪れると「白い砂漠」的な、二つの違った顔がある。

観光地としては「白い砂漠」の方が有名で、毎年11月から2月頃にかけて「Rann Utsav」というイベントが行われている(Rann=砂漠、Utsav=お祭りを意味する)。

期間限定という言葉に弱い私は、一面に広がる白い砂漠をみるべく、いざカッチへ!

夜行列車で、拠点となる街ブージへ。
夜行列車で、拠点となる街ブージへ。

ブージはカッチ王国の首都だった場所。

ブージ観光。宮殿からブージの町を望む。
ブージ観光。宮殿からブージの町を望む。

意味不明に交通費をケチり、ブージ⇔カッチ砂漠はリキシャ―。途中で故障したり転倒しかけたりして大変な目に遭った。何時間もリキシャに揺られるとお尻と腰もやられるので、ケチらずにイノバをチャーターするのが無難。

ブージ⇔カッチ砂漠の移動はリキシャ―をチャーター。
ブージ⇔カッチ砂漠の移動はリキシャ―をチャーター。

パキスタンとの国境が近いため、外国人は途中でパーミッションを取得する必要がある。

入境パーミッションの手続き。
入境パーミッションの手続き。

カッチ砂漠入口
カッチ砂漠入口

カッチ砂漠でラクダに乗るのがポピュラーらしい。
カッチ砂漠でラクダに乗るのがポピュラーらしい。

この地方には、ユニークな伝統手工芸が有名な村々が点在している。そのあたりも訪問したいと思っていたのだが、リキシャ―トラブルで時間を食ってしまったがゆえに1か所しか訪れられなかった。交通費をケチった挙句このザマである。ドンマイ、私!!

ブージから日帰りでマンダヴィという町にも訪れた。ここはカッチ王国のマハラジャたちの避暑地だった場所で、王族たちの別荘として使用されていた宮殿が非常によい状態で残っている。

マンダヴィの宮殿
マンダヴィの宮殿

ビーチでは乗馬も楽しめる。
ビーチでは乗馬も楽しめる。

ブージに戻ってくると、何かのパレードが開催されており、色鮮やかな伝統衣装に身を包んだ女性たちが街を練り歩いていた。

伝統衣装萌え
伝統衣装萌え。

インド1年目、とても充実していた!

国内旅行8回、海外旅行1回、一時帰国5回

インド国内旅行
  1. チェンナイ&マハーバリプラム
  2. アジャンター&エローラ
  3. コーチン&トリバンドラム
  4. ハンピ
  5. マンドゥ&インドール
  6. アレッピー
  7. プシュカル&ジャイプル
  8. カッチ地方
海外旅行
  1. ダッカ(バングラデシュ)

一時帰国しまくったこともあり、日本を恋しいと思うこともなく、インド生活を楽しむことに全力を注いでいたと思われる。今となっては考えられないほどアクティブに旅行していたんだな~。

次回、インド2年目を振り返ります!私の自己満投稿にしばしお付き合い下さ~い!

To be continued.....

▼次の記事(インド2年目) www.chankome.com


【インド生活】北インド初心者、北インドの冬にびびるの巻。濃霧がすごい。そして寒い、寒すぎる。

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アイキャッチ画像(【インド生活】北インド初心者、北インドの冬にびびるの巻。濃霧がすごい。そして寒い、寒すぎる。)
ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。 前回の投稿からまたまた1か月以上も経ってしまった。もはやブログをやめた方がいいのではないかとも思うが、月一度くらいは何か更新しようと思い、今年初めて私用のパソコンを開いた。 ▼前回の投稿 www.chankome.com 前回は12月頭、大気汚染がヤバいという話をしたが、今回は濃霧と寒さの話をする。 ▼目次はこちら (クリックして表示) [:contents] ##想像以上に濃霧がヤバい インド生活6年目の私であるが、タイトルにもある通り北インドは初心者である。これまでは西インドのムンバイに住んでいた。 ムンバイ時代、私はずっと「大気汚染」と「濃霧」を混同していた。大気汚染がひどいのを、デリー民は「霧」と言い張っているのだと思っていた(←失礼) が、が、が、住んでみて分かった。大気汚染ではなく間違いなく霧である。 ディワリ前後~12月までは大気汚染がで視界が白くなり、年末から1月にかけては霧で視界が白くなる、、、デリー界隈は白いなぁ。。。 夜に気温が下がってくると霧も濃くなってくるのだが、これがなかなか幻想的である。
アパートの敷地内の霧1
うちのアパートの敷地をベランダから撮影。夜中0時。
アパートの敷地内の霧2
夜中2時。何も見えない!!!
朝の濃霧は、気持ちが沈む。太陽求ム。 アパートの敷地内の濃霧3 昼間になると太陽も出るのだが、日中はずっとオフィスにいるもので、太陽の光を浴びる機会が少ない。ビタミンD欠乏症にならないように気を付けないと、、、
日中の青空
日中は雲一つない青空
##想像以上に寒い 朝晩に濃い霧が発生するということは、朝晩がとても寒いということである。 私はずっと、デリー界隈の冬の寒さは皆さんが言うほどでもないと思っていた。気温が一桁台になることは知っていたが、「昼間は20度近く、朝晩が10度を少し下回る程度なら北海道の秋ごろの寒さでしょ?全然余裕やん」と、、、(←ワイ、北海道出身です) だからネ、北海道の秋を乗り切れるくらいの装備しか持ってこなかったんだけどネ、大間違いだったネ。 すっかり忘れてたよ、インドの家の作りを! 床は石。壁はただのコンクリート(または煉瓦😂)。日本の家のように断熱材など気の利いたものは入っていない。 その結果、家の中が外よりも寒いという謎自体が発生。 12月半ばごろまでは耐えられていたが、年末になると朝晩は10度を下回るようになり、家の中でひざ丈ダウンを着て生活する羽目になってしまった。
2021年12月のグルガオンの最高・最低気温
2021年12月のグルガオンの最高・最低気温(AccuWeatherより)
北インドの冬を完全になめていた~! 家の中がこんなに冷えこむと知っていれば、あれもこれも持って来たのに~~~!と大量の冬服を実家に保管している私は今更になって大後悔する。 備え付けのエアコンは冷房のみ対応のため、温かい風を作り出すこともできない。暖房を別途購入しようとも思ったが、みなさんオススメの「オイルヒーター」は1万ルピーくらいする。なかなかいいお値段だ。もうここまで耐えたんだし、とりあえず今年は暖房なしで乗り切ろうと、もこもこスリッパと湯たんぽを購入した。湯たんぽを自宅で使うのは人生30年超にして初めての経験。
もこもこスリッパと湯たんぽ
もこもこスリッパと湯たんぽ
1月も寒い日が続き、家の中でマフラーまで巻くようになった。あまりにも寒さに耐えられなくなったときには、家のなかで縄跳びやフラフープをして体を内側から温めたりもした(結構効果ある) 共和国記念日の今日1月26日なんて、最低気温4度ですって!??? マカラサンクランティ(今年は1月14日)を過ぎるとだんだん暖かくなってくるよ!と同僚に聞いていたが、全然暖かくなる気配がない、むしろ寒くなっている。こりゃ~まいっちまった。
2022年1月のグルガオンの最高・最低気温
2022年1月のグルガオンの最高・最低気温
なんとなーくインドは灼熱で蒸し暑いイメージがあるけど、北インドの冬は厳しい。 ちなみにグルガオンに来る前に住んでいたムンバイの冬は半袖で過ごせるくらいに温暖。暑すぎず寒すぎず、1年で唯一エアコンを付けないで快適に過ごせる季節である。同じインドでも気候がこんなに違うんだなぁ~。個人的にはムンバイの冬の方が好き。寒いのはただただツラいわ。。。 毎日寒さに凍えている私であったが、ある日ツイッターに一通のDMが届く。なんとオイルヒーターを譲ってくれるというのだ。なんということだ!そんな奇跡があるのか! 寒いアピールをしていてよかったと心から思った。← オイルヒーター機能のほか、温風も出る。なんまあったっけえゾ。 オイルヒーター 完全にここから動けなくなった。 オイルヒーターを使うと温まった空気が天井のほうに上がっていくので、シーリングファンを一番弱く回すと温かい空気が循環して良いよ、とアドバイスをもらったので、その通りにして使用している。 オイルヒーターは電気代が高いらしいが、冬は暖房代が高くなるものだと小さい時から親に言われて育ってきたのでそこまで気にしないことにした。譲っていただき本当にありがとうございます。深謝🥺✨ これで残りの寒い日々も乗り切れるね、うふふふ! ##さいごに 今年一時帰国することができたら、冬服大量に持ってくる。 以上! 最後までお読みいただき有難うございました♪

【インド生活】北インド初心者、北インドの大気汚染にびびるの巻。~原因と対策~

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アイキャッチ画像(【インド生活】北インド初心者、北インドの大気汚染にびびるの巻。)
ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。 前回の投稿からまたもや1か月以上経ってしまった。書きたいことは山ほどあるのに、パソコンを開くのがだるくてね。。。 ▼前回の投稿 www.chankome.com ディワリも終わり、北インドは一気に冬である! 北インドに引っ越してきてから初めて迎える冬であるが、北インド初心者の私はこの1か月、西インド(グルガオンに来る前はムンバイに住んでいた)との違いに驚いている。 ▼目次はこちら (クリックして表示) [:contents] ##想像以上に大気汚染がヤバい グルガオン 昔住んでいたムンバイでも大気汚染を感じることはあったが、いうても「新興国ならこんなもんだろ」というレベルで、身の危険を感じるほどではなかった。他の大都市もそんなもんだと思う。 秋冬のデリー近郊は大気汚染が非常に深刻にという話は知ってはいたが、私の想像を上回る白さ、そして臭さで驚いている。 「インドは大気汚染が深刻」とよく言われるが、まじで深刻なのは北インドだけだと思う、、、多分、、、。(←綺麗な地域もあるし、広大な面積を有するインドにおいてなんでも「インド」と一括りにするのよくないよね、と言いたい) 北インドの大気汚染の理由でよく言われているのは、こんな感じだろうか。
  1. 伝統的な焼き畑
  2. ディワリ時の爆竹や花火+ダシェラ
  3. 工場からの煙とか車の排ガスとか
  4. 大気汚染物質が滞留しやすい
##【原因①】伝統的な焼き畑 北インド(ハリヤナ州・パンジャブ州)では焼き畑農業がいまでも行われており、秋に稲を収穫後、その残りかすの藁を大量に燃やす。 焼き畑は北インドにおける大気汚染の最大の原因であるとされている。 州政府によって焼き畑は禁止されているはずなのだが、伝統的な人々がその伝統を簡単に変えられるはずがあるまい。コンサバなみなさんは変化を受け入れず、農地を焼くという伝統的な手法にこだわり続けている。 焼き畑をやめて機械を使えば補助金が出るらしいが、いきなり機械を使うのって難しいし、それならこれまで通り焼いた方が簡単だよねー。。。という気持ちはわからなくもない。実際に、焼き畑は安くて楽という意味でコスパも良いらしく、今を生きる人たちに将来の話をしてもなかなか伝わらないんだろうなぁ。 NASAの衛星カメラで撮影されたFire Map(リンク)を見てみると、パンジャブ州とハリヤナ州がとてもよく燃えている。
焼き畑10月
左から順に10月1日、15日、29日の火災状況
焼き畑11月
左から順に11月1日、15日、29日の火災状況
赤いところが火災🔥🔥🔥 10月中旬~11月中旬が焼き畑のピークなのか、と知る。11月下旬になると、焼き畑の気配はぱたりとなくなる。
焼き畑に加え、こちらでは焚き木をして暖を取っているローカルさんを見かける。 北インドの冬は他の地域と比べて圧倒的に寒い。朝晩は特に冷え込む。暖を取る手っ取り早い方法が焚き木なのはいいとして、何を燃やしているのか見ると、可燃物だけではなく、空のペットボトル容器なども燃やしていた。 影響度としては低いかもしれないけど、これも北インドならではの大気汚染の原因のひとつなのかなぁ、、と思ったりした。 ##【原因②】ディワリ時の爆竹や花火+ダシェラ ディワリ前後は彼方此方で爆竹騒ぎ、そして打ち上げ花火を上げてお祝いしている。 爆竹や花火の煙も大気汚染の原因のひとつであるとして、各州は「爆竹は20時から22時まで限定!」とか「グリーンクラッカー(大気汚染物質が少ない爆竹)限定!」とか、色々と制限を設けているようなのだが、ルールを破るのが大好きな人が多いので制限はあってないようなものである。 ディワリ時の爆竹や花火は北インドに限った話ではなく、インド各地で見られる。北インド特有の事情はないかな~?と考えてみると、ふと「ダシェラ」を思い出した。 ディワリの2週間ほど前に「ダシェラ」というお祭りがある。これはナヴラトリーの最終日で、北インドでは魔王に模した巨大な人形を燃やす。これまた大気汚染を引き起こしそうなイベントである。
ちなみに、西インドではガルバと呼ばれるダンスを夜な夜な踊り、東インドではドゥルガーという神様に祈りを捧げる。地域によって祝い方が異なる。 北インド以外の他の地域では魔王を燃やさないので、これもきっと北インドの深刻な大気汚染と結びついているんだろうな、と思っている。 ##【原因③】工場からの煙とか車の排ガスとか 工場から排出される煙や車の排気ガスも大気汚染の理由の一つだと言われており、奇数日には奇数ナンバー、偶数日には偶数ナンバーしか公道を走っちゃだめ!という、意味があるのかないのかよくわからない規制がかかったりもする。 工場の煙や車の排ガスは北インドに限った話ではないし、むしろ排気ガスという意味ではムンバイの方がデリー近郊よりもひどい。 果たしてこの規制にどれだけの効果があるのかは不明であるが、焼き畑や爆竹をなかなか制限できない中、州政府が唯一コントロールできる政策なのかもしれない。 「大気汚染に対して策は取っている」というパフォーマンスの一つとしても重要なのかな。規制される側としては、たいして効果もなさそうなのにいい迷惑である。 少しは意味あるのかな。。。と願っています。 他にも、建設現場や道路工事も大気汚染と関連づけられて「この期間は工事をしないこと」と規制がかけられるが、、、うーん、意味あるのか謎です。 様々な工事はこうして遅延してゆく。 ##【原因④】大気汚染物質が滞留しやすい環境 デリー周辺で大気汚染がヤバい最大の理由が、気候+地理的条件によって汚染された空気が滞留しやすいことにある。 秋ごろになると風向きが変わって、パンジャブ州やハリヤナ州の焼き畑で発生した煙がデリーの方へ流れてくる。 焼き畑の煙に加えて、ダシェラやディワリの煙、工場の煙、車の排気ガス、工事現場からの排出、すべてが合わさって超有毒なガスとなり、デリー周辺に滞留する。 滞留のメカニズムとしては、ディワリ頃からデリー周辺の気温がグっと下がり冷え込む。特に夜明けから明け方にかけて冷え込むのだが、空気が冷えると「大気境界層」という汚染物質をとじこめる層が狭くなり、大気汚染物質が地表に滞留してしまう。 また、内陸に位置していることから、海風の影響を受けることが全くなく、大気汚染物質が滞留してしまう。 ムンバイやチェンナイと言った海沿いの大都市は、冬も温暖だし、海風もあるから、仮にディワリや排ガスで大気汚染物質が生み出されたとしても、デリーのように滞留することはないんだな、、、 なんと不幸なデリー・・・ ##大気汚染と共に生きる(対処策) ローカル個人商店で売られているマスク 大気汚染が原因(だと思われる)で、外出後に頭が痛くなったり、体調が優れなかったりするので、外に出るのが億劫になってしまった。だからと言って外に出ず、ずっと家の中に引きこもっていると、太陽の光を浴びなさ過ぎてビタミンD欠乏症になる恐れもある。 外に出ると体調を崩すから家にいたいけど、外に出て太陽の光を浴びないと体調を崩す。私はどうすりゃあいいんだ…w 様々なファクターが複雑に絡み合って引き起こされる北インドの大気汚染がすぐに解決するとは思えないので、北インドの大気汚染とうまく向き合う方法を模索中である。 空気洗浄機があれば、気持ち的にはだいぶ楽にはなりそうなんだが、空気清浄機という高価なものはなく。。。あったとしても、きっとフィルター交換とかが面倒そうなので私には向いていないということにしておく。 とりあえず、毎日ジャラネーティ(鼻うがい)をして鼻の穴を清潔に保つよう努めている。なんの設備も投資もいらないし、これが一番楽。水と塩さえあれば誰でもできる。 www.chankome.com 鼻うがいは原始的な方法だが、目で見てわかる効果(黒い鼻水や鼻くそが排出される)がある。鼻毛がフィルターとなって汚染物質が体内に入るのを阻止してくれているのかと鼻毛に感謝する毎日である。 鼻毛や耳毛が異様に長いおじさまに時々遭遇するが、己の身を守るために毛が伸びたのだろうか。と見かける度にひそかに思っている。 ちなみに、外出していない日に鼻うがいをしても、黒い鼻水や鼻くそが排出される。 家の中にいても全く安全ではないのだな。。。 すきま風か!???換気扇か!??? どこにいても大気汚染からは逃れられないようである。 ##さいごに 「空気清浄機があったとしても、きっとフィルター交換とかが面倒そうなので私には向いていない」と強がりな発言をしたが、 なんだかんだやっぱり、 空気清浄機ほしい。 最後までお読みいただき有難うございました♪

【インド生活】今年もディワリの季節がやって来た!ハッピーディワリ!!

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ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。 最低でも月に1本は記事を書こうと思っていたのに、10月は何も投稿できず、前回の投稿から1か月半も経ってしまった。 www.chankome.com 太陽礼拝の練習に精を出しすぎてしまったのである。そんなこんなで気が付けばもう11月。「ディワリ」の季節である。私にとっては、インドで6度目のディワリであり、北インドで過ごす初めてのディワリでもある。 ▼目次はこちら (クリックして表示) [:contents] ##ディワリとは ラクシュミー神とガネーシャ神 ディワリとは、ヒンドゥー教の光の祭典である。サンスクリット語で「光の行列」を意味する「ディーパヴァリー」に由来する。 インドで最も大きなお祭りのひとつであり、「闇に打ち勝つ光」「悪に打ち勝つ良心」「無知に打ち勝つ知識」を象徴している。お祭り期間中は各家の屋上や玄関口、窓、お寺やオフィス、地域の建物などで多くの明かりが灯される。 月と太陽の運行をもとに作られたインドの太陰太陽暦であるヒンドゥー暦の8番目の月を「カルティカ」といい、カルティカ月の中で最も暗い新月の日がディワリ本番、その前後2日間を含めた合計5日間をディワリと呼ぶ。毎年10月最終週~11月第1週目頃、インド全土、そして世界中にのインドコミュニティにおいて盛大に祝われる。 大国インドにおいては、同じ宗教であっても東西南北で「宗教行事」が異なることもしばしば。そんな中で、ディワリはインド全土で共通して祝われるのだから、どれだけ大きなお祝いなのか容易に想像できよう! ディワリはヒンドゥー暦の新年とも言われており、ディワリを迎えるにあたって、各家やオフィスでは大掃除、飾り付けを行う。街中はイルミネーションでキラキラと輝きお祭りムード全開となり、日本のクリスマス前や年末年始の雰囲気を感じるので、ヒンドゥー教徒ではない私もついワクワクしてしまう。 きっと、ムスリムやクリスチャンも一つのイベントとしてウキウキしていると思うんだ。宗教という壁を越えた、もはや一つのイベントのような気がする。 ##ディワリ5日間の伝統的な過ごし方 ディワリの5日間はどのように過ごすのか。私はインドのご家庭でディワリを過ごしたことがないので、同僚が教えてくれた。 ディワリ1日目・2日目はディワリ準備の日。神様を家に迎え入れるにあたり、カラフルな色粉や花びらを使って「ランゴリ」と呼ばれる模様を床に描いたり、家を掃除したりする。
色粉と花びらで描かれたランゴリ
色粉と花びらで描かれたランゴリ
ディワリ3日目、最も暗い新月の日はディワリで最も重要な「ラクシュミープージャ」の日である。 人々はサリーやクルタなどの伝統的な衣装で着飾り、「ディヤ」と呼ばれるオイルランプで家に明かりを灯し、繁栄と富の女神である「ラクシュミー神」に対して「プージャ」と呼ばれる祈りを捧げて来年一年の繁栄を祈る。
ディヤ
ディヤで家の入口を明るく灯し、ラクシュミー神を招き入れる
ラクシュミー神(左)とガネーシャ神(右)
神棚に置かれたラクシュミー神(左)とガネーシャ神(右)の像。
ラクシュミー神に祈る前に、まずはじめに象の頭を持つガネーシャ神に祈りを捧げることになっているので二体の像を設置する。
プージャ後には、「ミタイー」と呼ばれる甘いインドのお菓子や贈り物が配られ、家族・親族とわいわい過ごす。
ミタイー
インドの激アマスイーツ。癖になる甘さだよ。
ディワリ4日目に新年を迎え、ディワリ5日目は姉妹が兄弟を食事に招待し、お互いの健康と幸福を願い、男兄弟から女姉妹にプレゼントをするという習わしがある。 ##オフィスでも祝う ディワリ時には3~5日ほどオフィスホリデーでお休みとなる会社がほとんどだ。 ディワリ休暇前、オフィスでも会社の繁栄を祈って(?)、ディワリを祝う。 オフィスをランゴリやディヤで飾りつけ、神棚を綺麗に整え(今働いている会社は神棚がないため、総務が即席神棚を作っていた)、年長者やプージャ慣れしている人が先頭に立ってラクシュミープージャを行い(規模が大きな会社はバラモンを外部から雇う)甘いスイーツをいただき、会社からディワリギフトをもらい、セルフィ―しまくる、というのが一般的な流れ。 ドレスコードは伝統衣装。外国人の私にとって、こういうときぐらいしかガッツリとインド服で着飾る機会がないので、実は毎年かなり楽しみにしている。インド服に合わせるためにメヘンディ(ヘナタトゥー)も施した。 ちなみに今年のディワリギフトはカシューナッツとラップトップ用リュック… 無難にAmazonのギフトカードが一番うれしいんだが😂←←← ギフトとは別に、別途ボーナスも支給される。 日本の感覚だと、ボーナス年2回支給(各給与数か月分)が一般的であるが、こちらはディワリ時の1回のみ。しかも月収の1~2か月分が相場なようで、インド1年目は正直「少なッッッ!」と思ったものである。今となってはこれが当たり前になったのでボーナスをいただけるだけでありがたいと思えるようになったよ。 ##ディワリ前のショッピングが楽しい 上述の通りディワリ時にボーナスが支給されるため、この時期人々の懐は潤っている。 というわけで、ディワリ前にはありとあらゆるお店でディワリセールが開催される。 私の元同僚によると、「ディワリセール時の割引率は実はたいしたことないが(みんなお金があるので少しくらい高くても気にしない)、商品のバリエーションがかなり豊富になるのでこの時期に買い物すべき」だそうだ。 私もこの機会にインド服を大量購入した。 ▼インド服は可愛いのでついうっかり買いすぎてしまう。 ディワリセールで大量購入したインド服 ディワリ時には、親族や親しい人、仕事でのお得意先などに食料品セットをプレゼントする。まるで日本のお歳暮のようである。 ▼スーパーなどの店頭ではディワリお歳暮がズラーっと。大きなカゴに、お菓子やナッツなどが詰まっている。 ディワリお歳暮 マーケットにはディワリ装飾用のアイテムが並ぶ。 ▼ディヤと呼ばれるオイルランプの入れ物を売る商人。これに油を注いで火をつけ、玄関に飾る。 ディヤ商人 ディヤ ▼ランゴリと呼ばれる床装飾を描くための色粉。 粉を指の隙間から落としながら線を描くのが伝統的な描き方だが、経験値を要する職人技であるため、ランゴリをうまく描けない人は型つきのふるいを使用する。 ランゴリ用の粉を売る商人① ランゴリ用の粉を売る商人② ▼イルミネーション用の電飾。家の外壁や窓、ベランダをこれでゴリゴリに装飾する。 ディワリ装飾用の電飾 ▼玄関、家の中や神棚を飾る数々のアイテム。 ディワリ用の装飾 ▼プージャ(お祈り)用のアイテム。 神棚用の神様の像と装飾 日本人が新年を迎えるにあたって正月飾りのしめ縄を用意したり、神棚の装飾をしたりするのと同じだと思うと非常によく理解できる。やはり民族宗教であるヒンドゥー教と神道には共通点・類似店が多い。 ##ディワリ時の街はキラキラ美しい 10月中旬のナブラトリ&ダシャラが終わると、街はディワリモードになる。 ハロウィンが終わると街が突如クリスマスモードになる日本と似ている! オフィスビルや商業施設はライトでキラキラに照らされ、もうすぐディワリだな~という気分にさせてくれる。
商業施設のイルミネーション住宅街のイルミネーション
商業施設・住宅街のイルミネーション
グルガオン(の日本人が生活しているエリア)は高層階の商業施設が多いこともあってキラキラレベルが非常に高く、朝晩がもう肌寒いということもあって、すっかり冬の訪れを感じている。 これまで住んでいたムンバイでは、イルミネーションの装飾は「企業」ではなく「個人」によるものがほとんどなのでそこまでガチではないし、この時期は暑くてじめじめしているので、ディワリで冬を感じたことはなかった。 (その代わり、クリスチャンが多いため、クリスマスで冬を感じられるヨー) 同じインドでも、ディワリの感じ方がこんなに違うとは想像できなかったな。 ##ディワリ中はうるさく、ディワリ後は汚い。 これまで書いてきたことだけを見ると「ディワリってなんて美しくて素敵なお祭りなんだろう!」と思うかもしれない。 しかし、問題は爆竹や花火である。 ディワリの「光」はランプやイルミネーションのような美しい光だけでなく「爆竹」「花火」の類も含まれる。 道路で爆竹を鳴らしたり、花火を上げたりて盛り上がる輩が多く、まぁ本人たちは楽しいのだろうが、普通にうるさいし危ないし、個人的にあまり好きになれない。大量の爆竹を一気に鳴らすもんだから、屋内にいようとも、叫ばないと会話が成立しないレベル…。(地域によると思うが…) あちこちで爆竹や花火を使用すると、大気汚染も深刻なものとなる。ディワリ後になると大気汚染が進み視界が悪くなるというのはインドあるある。これまで住んでいたムンバイはそこまでひどくなかったが(AQI300程度)、こちら北インドでは毎年ディワリ後にAQI999を記録しているので、正直不安しかない。私の鼻と喉は大気汚染に耐えられるのであろうか。

AQI:Air Quality Index(大気質指数)
大気汚染の程度を示す指標で、最大値は999。999を記録するということは、実際は999よりもさらに悪い数字であるということである… 恐怖!

爆竹を禁止する州もあるが、実際は全然守られていないのが実態である。 初めてのディワリ(2016年)でディワリの実態を知った私は、「ディワリはインド国外に逃亡する」ことをモットーに過去数年過ごしてきた。 |年|滞在地| | ---- | ---- | |2016 (1回目)|インド(ムンバイ)| |2017 (2回目)|海外旅行(インドネシア)| |2018 (3回目)|海外旅行(ハンガリー・チェコ・ドイツ)| |2019 (4回目)|海外旅行(オマーン)| |2020 (5回目)|日本(コロナで一時帰国)| |2021 (6回目)|インド旅行(北東インド)| 今年は2016年以降5年ぶりにインドでディワリを過ごすことになるが、北東インドなのでそんなにうるさくないだろう…と予想。 いやー、本当にウルさいのと汚いのは勘弁でござる。個人的にはディワリは、ディワリ本番前が一番楽しい。 ##さいごに インドのご家庭でディワリを過ごすことがあれば、私のディワリに対する見方も変わるのかもしれない。今のところ、外国人の私にとってディワリは旅行するに限る、、、!長期休暇だしね! それでは皆様、 Happy Diwali !! よいディワリをお過ごしください。 最後までお読みいただき有難うございました♪

【インド生活】コロナワクチン、2回接種完了しました!(コバクシン)

アイキャッチ画像(【インド生活】コロナワクチン、2回接種完了しました!(コバクシン))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

昨日ワクチンを接種してきまして、ようやく2回接種完了したヨーーー!!!

これで、心おきなくインド国内旅行ができる万全の体制で第3波に備えられるゾーーー!

▼目次はこちら (クリックして表示)

インドのコロナワクチンについて(簡易まとめ)

はじめに、インドにおけるコロナワクチンについて簡単にまとめておく。

インドのワクチン接種タイムライン

ワクチン接種のタイムライン
  • 2021年1月16日~:
    医療従事者のワクチン接種開始
  • 2021年3月1日~
    60歳以上の高齢者と45歳以上で一定の基礎疾患を持つ人へのワクチン接種開始
  • 2021年4月1日~:
    45歳以上の成人を対象にワクチン接種開始
  • 2021年5月1日~:
    18歳以上の成人を対象にワクチン接種開始

2021年5月以降、18歳以上の成人はだれでもワクチンを接種できる。これには私たち外国人も含まれる

インドで承認されているワクチン

  • Covishield(コビシールド)
    • 開発:英 アストラゼネカ
    • 製造:印 セラム・インスティテュート
    • 種類:ウイルスベクターワクチン
  • Covaxin(コバクシン)
    • 開発:印 バーラト・バイオテック
    • 製造:印 バーラト・バイオテック
    • 種類:不活化ワクチン
  • Sputnik V(スプートニクV)
    2021年4月承認
    • 開発:露 ガマレヤ・リサーチ・インスティテュート
    • 製造:各国メーカーが委託生産
      (印 セラム・インスティテュート でも9月から製造開始予定)
    • 種類:ウイルスベクターワクチン
  • Spikevax(スパイクバックス)
    2021年6月承認 / 接種開始時期未定
    • 開発:米 モデルナ
    • 種類:mRNAワクチン
  • Janssen Vaccine(ヤンセンワクチン)
    2021年8月承認 / 接種開始時期未定
    • 開発:米 ジョンソン・エンド・ジョンソン
    • 種類:ウイルスベクターワクチン
  • ZyCoV-D(ザイコブD)
    2021年8月承認 / 接種開始9月以降
    • 開発:印 ザイダス・カディラ
    • 印 ザイダス・カディラ
    • 種類:DNAワクチン
    • 注射針なし。3回接種必要。
    • 接種対象年齢は12歳以上(成人以外もOK

記事執筆時点においてインドで承認されている新型コロナウイルスワクチンは6種類

ほとんどの成人はアストラゼネカ製のコビシールドか、インドの純国産ワクチンのコバクシンを接種している。

モデルナとジョンソン&ジョンソンのワクチンは、第2波後の6月・8月に承認されたが、まだ輸入できておらず接種は行われれていないみたい。

最近承認されたザイコブDは、コバクシンと同じく純国産ワクチンで、世界初のDNAワクチンでもある。注射針を使わないのが特徴なので子供向けにも使われるみたい。いや~筋肉注射は痛いからこれは子供には有難いね。

インドはジェネリック医薬品の一大生産国であり「世界の薬局」とよく表現される。

世界最大のワクチン製造メーカーであるセラム・インスティテュートがアストラゼネカ製のワクチンを製造しているほか、全世界で供給されるワクチンの半分以上はインドで作られており、世界最大のワクチン製造能力を有する。

ワクチン接種費用

政府系の接種会場では無料、民間の接種会場では有料で接種できる。

  • コビシールド:780ルピー(≒約1,200円)
  • コバクシン:1,410ルピー(≒約2,100円)
  • スピートニク:1,145ルピー(≒約1,700円)

そこそこ収入のある人たちは「無料ワクチンは貧しい人たちが利用した方がいい、ワイらはお金払おうや」というスタンス。(少なくとも私の周りではそう)

ワクチン接種の予約方法

日本では地方自治体から接種券が届くのを待たなければいけないが、インドではCoWINコウィンという専用サイトを通じて接種日・時間帯を予約する。

Cowin
CoWINのトップページ

ワクチン予約画面
ワクチン予約画面

同サイトからは接種証明書のダウンロードもできる。

1回目接種に出遅れた

18歳以上の人は、4月28日以降CoWINに登録可能、5月1日から接種可能ということだったので早速CoWINに登録したのだが、当時私が住んでいたムンバイが属するマハラーシュトラ州では5月1日から接種できないということを知る…

「ワクチン1回目打った」という報告がツイッターなどのSNS上に続々と並ぶ中、ワクチンを打てずに悶々とする日々であった。

ちなみに、私はこの時謎のウイルスに感染して苦しんでいたので、仮に5月1日から接種可能だったとしても、とてもじゃないがワクチンを打てるコンディションではなかったので、まぁヤムナシか…

5月末にビザ更新のために一時帰国し、1か月ほど日本で過ごしたのでさらにワクチン接種は遅れた。

現在は海外からの帰国者は隔離期間中にワクチンを接種できるが(2021年8月より開始)、5月末時点ではそのような仕組みはなかったので一時帰国中にワクチンを打つという選択肢はなかった。

ワクチン接種1回目(7月末)

6月末にインドに戻ってきてグルガオンで新生活をスタート

生活のセットアップでバタバタしてしまい、なかなかワクチン接種に行けなかったのだが、7月末ごろには生活もようやく落ち着いてきたので、やっとこさ1st dose💉

予約を取った接種会場は産婦人科の病院。接種場所以外は病院として通常通り診察を行っており、日本だったら大バッシングをうけそうだなとひそかに思った。「妊婦さんがいるところをワクチン会場にするだなんて何考えているんですか!」という声が上がりそうじゃない?

ワクチン接種会場
1回目のワクチン接種会場は民間の産婦人科病院

コロナウイルスに感染したことがある人は回復してから3か月ほど期間をあけてワクチンを接種することが推奨されているので、4月~5月の第2波でコロナに感染した人たちは、この時期に1回目の接種となる人が多かったようで、接種会場はそこそこ混んでいた。

私は不活化ワクチンのコバクシンを選択。

筋肉注射はやはり痛かったが、ワクチンを打った方の腕があがらない・ワクチンを打った場所がジンジンするというのは一切なく、発熱もなく、副反応が本当に何もなかったので、「もしかして私が打たれたワクチンはただの水だったのでは」などと要らん心配をするほどであった。

▼1回目の接種証明書

新型コロナウイルスワクチン接種証明書(1回目)

ワクチン接種2回目(9月頭)

コバクシンの場合、1回目の接種から4~6週の間に2回目を接種することになっている。1回目の接種証明書の下部にいつからいつまでの期間に2回目の接種をするように、と丁寧に書かれている。

「早く2回目の接種をしたい」と思っていたはずなのに、いざ時期が来ると面倒くさくなってしまうという怠慢モードが発動し、結局1回目の接種から6週目の最終日であった昨日、接種してきた。

予約を取った接種会場は眼科クリニック。私を含め、みんな2回目の接種に来ているようだった。

ワクチン接種会場
2回目のワクチン接種会場は民間の眼科クリニック

ファイナリー、2nd dose💉

1回目の接種同様、副反応なし~!ヒャッホー

と思いきや、このブログを書いていたら左の上腕にジンワリとした筋肉痛のような痛みがでてきたよ。前回「水」疑惑があっただけに(←いやないないw)何かしら反応があるのは少し嬉しい気持ちもあるのだが、ちょっと痛い… 痛い… うん、痛い。

▼2回目の接種証明書

新型コロナウイルスワクチン接種証明書(2回目)

インドのワクチン接種状況

現在、インドではワクチン接種が急速に進んでいる。

↑こちらのインド政府のツイートによると、

2021年8月には1億8600万回の接種があり、
インドのコロナワクチン接種状況

接種対象者の50%以上が1回目のワクチン接種済み。
インドのコロナワクチン接種状況

これからの秋のシーズンはヒンドゥー教のお祝い事が多く、11月にはヒンドゥーカレンダーの新年にあたるディワリがあり多くの人が故郷に帰省して親族と過ごす。この辺りで第3波がくるおそれがあると言われているのだが、このままの勢いでワクチン接種が進めば、第3波がきても第2波の時のようにたくさんの重傷者・死者がでるような事態にはならない… のかな…

さいごに

新型コロナワクチンを無事2回接種したが、気を抜かずに手洗い・消毒・うがい・マスク着用は継続しましょうね~

てゆーか、やっぱり腕いたい… 痛み増してきているような気がするよ!
この時間差攻撃、なんなの…

筋肉痛のような痛みでただただ不快~😅

最後までお読みいただき有難うございました♪


パソコンのキーボードでヒンディー語(デーヴァナーガリー文字)を入力したい。

アイキャッチ画像(パソコンのキーボードでヒンディー語(デーヴァナーガリー文字)を入力したい。)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

ヒンディー語は永遠の初心者であるが、一応ひっそりと勉強を継続している(たまに。)

以前はデーヴァナーガリー文字を覚えるためにノートに手書きして勉強をしていたが、いちいち書くのが面倒くさくなり(おいおい)、パソコンでOneNoteを使って勉強することにした。

でもここで問題…

ワイ、パソコンでどうやってヒンディー語(デヴァーナーガリー文字)を入力するのかわからねぇ・・・

というわけで、パソコンでヒンディー語を打つぞ!というお話。

▼目次はこちら (クリックして表示)

簡単な入力方法(設定不要)

これまではパソコンにヒンディー語キーボードをインストールしていなかったのだが、稀にヒンディー語を打たねばならないことがあり、ブラウザ上でヒンディー語を入力していた。

特別な設定も不要なので、結構おすすめである。

Google入力ツール

まずは、Google入力ツール

Google入力ツール
(新しいタブで開きます

▼ヒンディー語を選択し、アルファベットを入力すると色々と候補が出てくるので選択するだけ。

Google入力ツール

▼手書き入力やスクリーンキーボードもある。

Google入力ツール②

Google入力ツール(拡張機能)

Google入力ツールの拡張機能を使用すると、パソコンにヒンディー語キーボードをインストールしなくてもGoogle Chrome上でヒンディー語が入力できるようになる。

ブラウザ以外でヒンディー語を入力することがないのであれば、この拡張機能で十分である。

Google入力ツールをChromeに追加
(新しいタブでChromeウェブストアのページが開きます

拡張機能を追加したら、Chromeブラウザの右上に追加されるので、アイコンをクリックしてオプションを開くと、言語を追加できる。

Google入力ツール拡張機能

▼一番上のやつが、アルファベット入力だヨ。

Google入力ツール拡張機能②

普段は拡張機能をオフにしておき、必要なときのみヒンディー語を選択して有効にすればヒンディー語が入力できるようになる。

Google翻訳

Google翻訳もかなり使える。

▼元の言語でヒンディー語を選択し、アルファベット入力をすると、候補が出てくるのでそれを選択する。(Google入力ツールと同じ)

Google翻訳でヒンディー語を打つ①

▼短母音と長母音の区別もない。

Google翻訳でヒンディー語を打つ②

▼「もしかして」の圧倒的安心感。初級学習者には有難い。

Google翻訳でヒンディー語を打つ③:titile=

私のような永遠のヒンディー語初心者は、翻訳と「もしかして」に頼りながら入力したいのだ。

パソコンにヒンディー語キーボードをインストールする

OneNoteを使ってヒンディー語を勉強することに決めたので、いつまでもブラウザ上で入力しているわけにはいかない。

ようやく、ヒンディー語キーボードをパソコンにインストールする時が来たのだ…

  1. 設定→「時刻と言語」を開く
    ヒンディー語キーボード追加①
  2. 左のメニューバーで言語を選択
    →「言語の追加」を開く
    ヒンディー語キーボード追加②
  3. ヒンディー語」を選択してインストールする
    ヒンディー語キーボード追加③
    ヒンディー語キーボード追加④
  4. インストールが完了して言語が追加されたら、「オプション」を開く
    ヒンディー語キーボード追加④
  5. おいおい、これ大丈夫なのかwww
    とりあえず放置する
    ヒンディー語キーボード追加⑤
  6. キーボードの追加→「ヒンディー語 Phonetic」を追加する(←ここがミソ!
    ヒンディー語キーボード追加⑥
  7. タスクバーの右下の「J」の部分をクリック、またはショートカット(「WinWindowsKey」+「スペース」 or 「Alt」+「Shift」)で言語選択ウィンドウを開く
    ヒンディー語キーボード追加⑦

無事、ヒンディー語キーボードがインストールされた。 ⑤のエラーはチョットヨクワカラナイので放置。

ヒンディー語トラディショナルキーボード

ヒンディー語トラディショナルキーボード

まずは、ヒンディー語トラディショナルキーボードの入力方法。

日本語JISキーボードの「かな入力」的な入力方法で、各キーボードに母音・子音が割り振られているのだが、難しい、、、 難しすぎる、、、!

ट्रेडिशनल कीबोर्ड पर टाइप करना बहुत मुश्किल...

日本語の「かな入力」さえできない私が、ヒンディー語のトラディショナルキーボードを使いこなせるわけがなかろう。諦めも肝心である。

とは言え、せっかくなのでどのキーボードにどの文字が割り当てられているのかを確認してみる。

ノーマル

ヒンディー語トラディショナルキーボード①

Shift同時押し

ヒンディー語トラディショナルキーボード②

Ctrl+Alt同時押し

ヒンディー語トラディショナルキーボード③

Shift+Ctrl+Alt同時押し

ヒンディー語トラディショナルキーボード④

ज़रूर(ザルール、「もちろん」という意味)を打つためには、

  1. ज :【 p 】
  2. ़ :【 ] 】
  3. र :【 j 】
  4. ू :【 t 】
  5. र :【 j 】

ヒンディー語トラディショナルキーボードで入力する

ॐ(オーム)の一文字を打つためには、【Shift】【Ctrl】【Alt】【 x 】のキーボード4つ同時押しだぞ…

これでスラスラと入力できる現代人(インド人)はいるのだろうか。日本語のかな入力よりも難しい気がする。

デーヴァナーガリー文字のタイプライターはこの方式なんだろうか…

昔ラクナウに旅行した際にデヴァーナーガリー文字のタイプライターを操るおじさんを見たことがある。

デヴァーナーガリー文字のタイプライター

経験値が圧倒的に必要な世界である。このおじさんのように打てるようになるには、一体何年かかるのだろう?

ヒンディー語 Phoneticキーボード

ヒンディー語Phoneticキーボード

トラディショナルキーボードを使いこなすには経験値が必要だと分かったところで、初心者はおとなしくPhoneticキーボードを選択。

PhoneticキーボードはGoogle入力ツールやGoogle翻訳と同じで、アルファベットを入力したら複数の候補が出てくるので、そこから選択するタイプのキーボード。

日本語のJISキーボードでいうところのローマ字入力みたいなもんである。

ヒンディー語Phoneticキーボード

これで簡単にブラウザ上以外でも、ヒンディー語が入力できるようになったゾ!ヒャッホーイෆ(◕ㅂ◕)ෆ

まとめ

ブラウザ上でのみヒンディー語を入力するとき

  • Google入力ツール
  • Google入力ツール(拡張機能)
  • Google翻訳

ブラウザ上以外でもヒンディー語を入力するとき

  • ヒンディー語キーボード(Phonetic)

Phonetic以外(トラディショナルキーボード等)は、初心者にとっては非常に難易度が高いのでほぼ不可能に近い。

最後までお読みいただき有難うございましたෆ(◕ㅂ◕)ෆ♪


【インド生活】グルガオンの激安家具市場、バンジャラマーケットで家具・インテリア用品を買う。

アイキャッチ画像(【インド生活】グルガオンの激安家具市場、バンジャラマーケットで家具・インテリア用品を買う。)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

グルガオンに引っ越してきて1か月が経った。

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家具付きのアパートを借りているのだが、備え付けの家具はオーナーの趣味でが大いに反映されており可愛さに欠ける

毎日過ごす家は可愛く、自分好みにした~い!

というわけで、引越し後はAmazon IndiaとHomecentre(ニトリ的な家具・インテリア用品店)で色々と買い漁っていたのだが、どうやらご近所に「バンジャラマーケット」と呼ばれる激安家具市場があると知り、早速行ってきた。

▼目次はこちら (クリックして表示)

バンジャラマーケットの場所

バンジャラマーケット(Banjara Market)は、グルガオンのセクター56にある家具・インテリア用品の巨大屋外市場。

最寄り駅はメトロ「Sector 54 Chowk」駅で、駅からは1キロ弱、リキシャ―で2~3分程度(運賃20~30ルピー)で着く。

▼バンジャラマーケットの場所

バンジャラマーケットの歴史

バンジャラマーケットの歴史はおおよそ20年前まで遡る。2000年初頭、グルガオンはまだ開発が始まったばかりでジャングルのような場所だった。ラジャスターン州の古都Chittorgarhチットールガル(メーワール王国(のちのウダイプル藩王国)の旧首都)から「ガディヤロハール(Gadia Lohar)」と呼ばれる鍛冶・鉄工(鉄の武器づくり)を生業としていた遊牧民たちがやって来たのがはじまり。

どういう経緯で彼らが家具の道に進むことになったのかは存じ上げないが、家具を作り、ホームデコールを仕入れて販売するようになり、ここに一大マーケットが形成された。YoutubeやSNSで「インドで一番安い家具マーケット」として紹介されたことで、ここ2~3年で一気に有名になったという。

店を切り盛りするガディヤロハールの皆さんは英語を全く話さないため、値引き交渉をするためにはヒンディー語能力が求められる

最低限、ヒンディー語の基本的な数字(1エーク2ドー3ティーン4チャール5パーンチ10ダス15パンドラ20ディース30ティース50パチャース100ソォー1000ハザール 等)さえ知っていれば、値段を尋ねることはできるので、何とかなるのではないかと思う。(数字がわからないとちょっと厳しい or めちゃくちゃ吹っ掛けられる可能性大)


ローカルマーケットなのだが、なんと公式サイトも存在する。

インテリア用品やキッチン用品など、実際にマーケットで取り扱われている商品の一部がネットからも購入できるのだが、なかなかのオーバープライスなのでネットで買おうとは思わないかな…😅

Banjara market online shop
バンジャラマーケットのネットショップ

Banjara Market 公式サイト

インスタのアカウントもあるw

Banjara Market 公式インスタグラム

バンジャラマーケットへGo!

バンジャラマーケットはとても広く、様々な種類の家具・インテリア用品が売られている。

私の記憶によると、こんな感じ👇でお店が並んでいた。
(大雑把なだいたいのイメージなので間違っているかもw)

バンジャラマーケットの地図

食器ゾーン

バンジャラマーケットに入ると、入口付近にズラーっと並んでいるのがセラミックのお皿やマグカップなどの食器類。

Banjara Market(セラミックのお皿とマグカップ)①

Banjara Market(セラミックのお皿とマグカップ)②

一度に購入する個数にもよると思うが、おおよその相場(値引き後)は以下の通り。

  • マグカップ1個: 30~50ルピー(≒約50~80円)
  • お椀(カトリ)1個: 30~50ルピー(≒約50~80円)
  • 大皿1枚: 100~150ルピー(≒約150~200円)

ガイコクジンの私は、お皿1枚300~400ルピーから交渉開始だったよ…

食器類がたくさん並ぶ通りの道はきちんと整備されており、比較的歩きやすい。

Banjara Marketの通り

このゾーンの端の方で、やたらと人が集まるショップがあった。何を売っているのかと覗いてみると神様のオブジェや、神様のオブジェ付きの小さな噴水を取り扱うお店だった。お祈り用ではなくインテリアとしての神様はブッダが人気なイメージがある。ヒンドゥー教徒なのに仏教?と思うなかれ、ブッダはヒンドゥー教にも取り込まれており、3大神のひとりヴィシュヌ神のアバター(化身)ということになっているのである。

Banjara Mrket(神様のオブジェショップ)

元ムンバイ民としてはやはり、象の頭をもつ神、ガネーシャ神が好きだ。(ガネーシャはムンバイやプネ―で最も人気がある神様)

買わないけどねw

Banjara Market(ガネーシャとブッダのオブジェ)

小さめ家具・雑貨ゾーン

食器ゾーンの向かい側には、チェストや収納などの比較的小さめの家具を取り扱う店舗が並ぶ。

小さい家具・雑貨ゾーンへの道
小さい家具・雑貨ゾーンへ進むための通路

なかなかハードな外観のお店が多いが、突き進んでいくと掘り出し物がたくさんある。宝探しのようでわくわくする。

Banjara Market(ハードな外観のお店)

木の容器・トレーは20ルピー(≒約30円)から。汚れが気になってしまって私は買わなかったが、ちゃんと消毒できるならかなりお買い得である。

Banjara Market(木の食器・トレー)

木の小物入れは300~500ルピー(≒約500~800円)。リモコンなどを収納するのにちょうど良さそう。

Banjara Market(木の小物入れ)

この赤と緑の棚がすごく可愛くて… 2,000~3,000ルピー程度(≒約3,000~4,500円)で手に入るなら欲しいと思ったが、5,000ルピーと言われた。サイズ的にそれは高すぎると思って諦めたが、また日を改めてチャレンジするつもりである。なお、インド人にこういうデザインの家具はあまり人気がないのか売れ残り感があったのでもっと安くなるのではないかと思うが、私のバーゲニングスキル次第だね…

Banjara Market(アンティーク棚)

小物・テーブル&チェアゾーン

小さめ家具・雑貨ゾーンを出て、分かれ道の右側の方に行くと、写真立てや室内装飾の小物、ラグやマット、ガーデンテーブル&チェアセット、サイドテーブル、ランプなど(主に既製品)を取り扱うお店がたち並ぶ。

Banjara Marketの小物屋さんなどが並ぶ通り

道は土を押し固めたもので舗装されていないため、雨が降ると足場が悪くなるのでご注意。

Banjara Marketの未舗装の道
真ん中の大きな足跡は私の足跡ですw まんまと土にハマったw

まずは木の小物屋さん。木のフレームなどの小さなアイテムは50~100ルピー(≒約80~150円)、トレー・おぼんは200~500ルピー(≒約300~800円)、 小物入れや小さな引き出しも同じくらい。

Banjara Market(木の写真立て)

素材や大きさによるが、花瓶やキャンドルホルダー、置物などは100~500ルピー(≒約150~800円)

Banjara Market(小物屋さん) Banjara Market(小物屋さん)

壁に吊るす装飾物は小さいものは1,000ルピー弱(≒約1,400円)、大理石のサイドテーブルは、小さいものなら1,500ルピー(≒約2,300円)程度で手に入る。

Banjara Market(サイドテーブル屋さん)通り

ラグやマット、オットマン類を取り扱うお店もこのゾーンに多数あり、ジュート(インド麻)や布を編んだものもあるのでカワイイ。

私が購入したジュートのラグ(120センチ×90センチ)は400ルピー(≒約600円)だった。大きいカーペットも2,000~3,000ルピー(≒約3,000~4,500円)くらいで買えるらしい。

Banjara Market(ラグ屋さん)

ガーデン用テーブルとイスも様々なデザインがあり、テラスやベランダに設置してチルするのか、インド人に大人気だった。インド人の交渉を聞いていると、セットで4,000~6,000ルピー(≒約6,000~9,000円)で入手していた。個別売りも可能。

Banjara Market(ガーデン用テーブル)

ハンドメイドの大型家具ゾーン

分かれ道の左側の方に行くと、職人手作りの大型家具屋さんが連なる。

ここの道状況が最もレベルが高い。舗装されておらず、しかも土も押し固められていないのでガタガタ&モンスーン中なので水たまりも多数。

Banjara Marketの大型家具通り

木のスタディテーブルやダイニングテーブル、チェア、テレビユニット、箪笥、蛇腹のパーテーションといった大型の家具(一点もの)が多数。店先では職人さんが家具を作っていた。

私は可愛い下駄箱を探し求めていたのだが、言い値は8,000ルピー(≒約12,000円)

交渉力がないため断念したのだが、その時同じ店にいたインド人が「あれは値切れば3,000~5,000ルピー(≒約4,500~7,500円)くらいで買えると思うよ」と後で教えてくれた。そのインド人は木のテレビユニットを4,000ルピー(≒約6,000円)で買ったと、自身のバーゲニングスキルを自慢してきたが非常に参考になった。

ちなみにそのインド人情報によると、お願いすればその場でペンキで色を塗りなおしてくれたり、ポリッシングしてくれるらしい。

Banjara Market(家具職人)
Banjara Market(家具屋さん)

バンジャラマーケットと、奥に広がる高層ビルのコントラストがすごい。ムンバイのドビーガート(洗濯屋さんのスラム)とその奥に広がる高層ビル群の対比をふと思い出した。そしてなかなか工事が進んでいなさそうな建設中の建物もインドみがある。

バンジャラマーケットと高層ビルのコントラスト

このようなローカルな場所があまり似合わないアッパーミドル以上のインド人たちが汗を垂らしながら市場を歩き回っている様子はどこか不思議な感じもしたが、インド人は「値切る」というイベントが好きだと思うので、エアコンのない屋外市場でもみんな楽しく買い物しているんだろうな!

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私が購入したもの

インド人のような値切り能力を持ち合わせていない私であるが、そんな私でも拙いヒンディー語を使って、市場価格よりは安く買い物することができた。

私が購入したものを一部紹介する。(誰得←)

ガーデンテーブル&チェア屋さんで購入したサイドテーブル(500ルピー(≒約750円))と、ラグ・マット屋さんで購入したジュートのラグ(400ルピー(≒約600円))。

観葉植物を置く台として使っている。カワエェ…ෆ(◕ㅂ◕)ෆ💓

バンジャラマーケットで購入したサイドテーブルバンジャラマーケットで購入したジュートのラグ
バンジャラマーケットで購入したサイドテーブルとジュートのラグ
サイドテーブルの汚れ 👈ちなみに、サイドテーブルはめちゃくちゃ汚れていた。家に帰ってきてからウエットティッシュで拭いたら真っ黒… 安い分、購入後の清掃はしっかりとしないといけない。

ソファーの横に置くサイドテーブルも購入した。言い値が2,500ルピーで、私は1,500ルピー(≒約2,300円)で取引したが、1,200~1,300ルピーくらいまで値下げできそうな雰囲気があった。

大理石のサイドテーブル

1,500ルピーでも全然いいのだが、なぜそれ以上値下げできなかったのか?

それは、私が「11」「12」「13」「14」をヒンディー語ですぐに言えなかったからであるw😂

1,500は 15と100を組み合わせて Fifteen hundred、1,400は14と100 を組み合わせてfourteen hundred、という感じで言うのが一般的。
日本語のように1000+500、1000+400という風にはあまり言わない(伝わるけど)。

足のメッキ部分が剥がれている商品を渡さたので、指摘してダメージがないものを持ち帰った。屋外市場なので保管環境は悪い。ヒビが入っていたり、変なシミが付いていたり…

商品購入時には自分の目でしっかりと検品しなければいけない。

似非ヨガ練習生としては、曼荼羅マンダラ模様に心くすぐられてしまい、この丸いジュートラグも購入した。(600ルピー(≒約900円)

曼荼羅模様のジュートラグ

120センチ×120センチ(4フィート×4フィート)なのでなかなか大きいよ。もともと持っていたバンブーのスツールとも合う。

ちなみに、曼荼羅模様は可愛いだけでなく、ヒンドゥー教や仏教で用いられる象徴的な模様である。

各模様には以下のような意味があり、ヨガの練習との相性がよく、心を落ち着かせ外の世界を遮断するような効果がある。

  • ○丸:統一性
  • ◇四角:安定性
  • ☆星:自由
  • △上向きの三角:宇宙・神への願望
  • ▽下向きの三角:地上への願望

他にも小物などを購入。インド人のようにゴリゴリの値引き交渉はできなかったが、アマゾンよりは安く買えたので非常に満足している。

さいごに

まだ購入したいものがいくつかあるので、ヒンディー語の数字をきちんと覚えて再挑戦するぞ~!

モンスーン中は道がぐちゃぐちゃでつらいので、モンスーンが終わったら行こうっと。

最後までお読みいただき有難うございました♪


【インド生活】グルガオンに引っ越してきて1か月が経ちました!(渡印&家探し&引越等々…)

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アイキャッチ画像(【インド生活】グルガオンに引っ越してきて1か月が経ちました!(渡印&家探し&引越等々…))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

5月末に5年間のムンバイ生活を終え、ビザの手続きのため1か月一時帰国し、6月末にインドに戻ってきた。

▼お引越し www.chankome.com

▼一時帰国時の強制軟禁シリーズ www.chankome.com

インド生活第2シーズン開幕!

これからは北インドの新興ビジネス都市であるグルガオンが生活の拠点となる。インド国内で最も日本人が密集しているエリアだ。

こちらに到着して1か月が経過し、新生活のセットアップもほぼ終わって生活が落ち着いてきたので、久しぶりにブログを更新するよ(◕ㅂ◕)

1か月分の日記まとめのようなものなので無駄に長いですw

(つづきは新ブログでお読みください!)

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はじめに: グルガオンってどんな街?

グルガオンとは、ここ20年で発展した非常に新しい街である。首都デリーのお隣、ハリヤナ州にある。数年前にグルグラムに改名されたが、グルガオンという旧名称の方がよく使われる。

グルガオンとデリーの位置関係
グルガオンとデリーの位置関係

デリーへは車やメトロで1時間弱の距離にあり、デリーの古い建物に入居していた外資系企業がこぞってグルガオンの新しいオフィスに移転したことで急速に発展した。先日新規上場したZomato(食べログ&ウーバーイーツ的なサービスを提供する会社)や、日本に進出(そして撤退)したことで話題になったホテルチェーンのOYOなど勢いのある新しいインド企業の本社もグルガオンにある。デリーの衛星都市というわけだ。

DLFというディベロッパーが中心となって開発していることから、オフィスビルや商業施設、コンドミニアムに「DLF」という名前がついているものが多い。グルガオンで最も洗練されたオフィス街の「サイバーシティ」やその近くにある商業施設「サイバーハブ」もDLFによる開発で、右を見ても左を見てもいたるところにDLFによって開発された何かがある。綺麗で大規模なモールが多く、レストランやバーのレベルも総じて高いので、インド慣れしていない外国人でも比較的快適に生活できる環境が整っている。日本食や韓国レストランの数もインドで一番多い。

プレミアムいち膳
日本クオリティーのカツ丼定食(プレミアムいち膳のランチ)
インドのココ壱番屋
CoCo壱番屋もある。

外資系企業や勢いのあるインド企業がオフィスを構えていることから、グルガオンで生活するインド人の所得水準は他都市と比較して非常に高く、現地採用として働く私よりも高い給料をもらっているインド人サラリーマンも数多く存在する。そんなこともあって最先端ラグジュアリーとドローカルの間の適度な「中間」が少ない印象がある。

グルガオンのモール(MGF Metropolis)
こんなに必要か?というくらい大量にモールがある。

グルガオンのローカルマーケット
ローカル度高めのマーケット。モールとの差が激しい。

グルガオンはビジネス街として発展するホットな街ではあるが、都市の規模的にはTier2であり、Tier1の都市と比較すると色々と物足りない感がある。中心エリアを外れると一気に田舎になる点や街中にいる牛の数、トラクターが大きな道路を走っている点もTier1都市ではまず考えられない。

Tier1の都市は人口が400万人超、総所得が1,000億ルピー以上の巨大都市。ムンバイ、デリー、チェンナイ、コルカタ、ハイデラバード、バンガロール、アーメダバード、プネの8都市が該当する。Tier2の都市は州都~地方都市レベル。

これは私の感想であるが、特に物足りないと感じるポイントは「ご当地名物料理」や「地域に根付いた伝統」的な要素がマルっと抜けている点だ。インドのそれなりに大きな街にはその地ならではの「定番」があり、地域ごとに多種多様でユニークな文化が根付いている点がインドの面白いところの一つでもある。

例えばムンバイであれば「パオバジ」「バタタワダ」「イラニカフェ」「植民地時代のコロニアル建築」「2階建てバス」等々、「ムンバイといえば○○」と言えるような定番が数多く存在する。

グルガオンの定番は何なのだろう…

トリップアドバイザーで見てみると、トップアトラクションとしてショッピングモールが挙げられている。

f:id:chankome:20210731165421j:plain:alt=グルガオンの見どころ(トリップアドバイザー):title=
グルガオンの見どころ(トリップアドバイザー)

・・・モールなんてインド各地どころか世界中にあるし、それが定番になっているだなんて、やはりどこか面白みに欠けるのである。まぁ買い物はしやすいけどね~★

他の都市と比較すると良くも悪くもインド的要素は薄い

渡印

グルガオンに向かいま~す✈

初めて羽田空港から渡印

日系航空会社は、北はデリー、西はムンバイ、南はチェンナイとバンガロールに日本から直行便を飛ばしている。

この中で日本人が最も多く利用するのがデリー空港(IGI空港: Indira Gandhi International Airport)である。在インド日本大使館とジェトロの集計によると、デリーNCRには日系企業が1,000超の拠点を構えており、拠点数は年々増え続けている、つまりデリー便の業務渡航需要も増加している。タージマハルなどの有名な観光地もあるので観光客の大半もデリー便を利用する。

NCRはNational Capital Regionの略で、デリーNCR=デリー首都圏を意味する。グルガオンもこのデリーNCRに含まれる。

コロナ前まで、インド⇔日本間の直行便はすべて成田発着だったが、羽田空港の発着枠拡大によって日系航空会社はデリー便を羽田空港発着に変更とし、利便性が大幅に向上した。

コロナまっただ中にデリー=羽田発着便が就航となったため、在印邦人くらいしか羽田発着の恩恵を受けていない。コロナ前の規模で出張者がやってくるまでにはしばらく時間がかかりそう)

これまでは成田空港が私にとって日本の玄関口であったが、今回はグルガオンに向かうということで、初めて羽田空港を利用してインドへ向かった

スケジュールの関係で私は出発前に前泊しなければいけなかったので、国際線ターミナルの出発階●●●にあるホテルに宿泊した。

羽田空港ロイヤルパークホテル
羽田空港第3ターミナル(国際線ターミナル)の出発階にあるロイヤルパークホテル

出発階にホテルはあるし、都内各所・地方空港からのアクセスも良いし、羽田空港発着の便利さを心の底から感じた。

デリー便はほぼ毎日運航

このコロナ禍で、インドは2020年3月末からずっと定期国際商用旅客便運行を禁止しており、エアバブル協定を結ぶ国からの国際線のみを臨時便扱いで受け入れている。日本はインドとエアバブルを結んでいるので臨時便が運航されているが、運航本数はコロナ前と比べて非常に限られている

コロナ前、デリー便はJAL、ANA、エアインディアの3社が毎日運航していたが、現在は各社とも週2~3本程度。最近インドのビスタラという航空会社がデリー=羽田路線に新規就航し週に1往復しているので、ほぼ毎日どこかの航空会社がデリー=東京便を運航している
(JAL、ANA、ビスタラは羽田発着、エアインディアは成田発着)

ムンバイ=羽田便は、コロナ前には毎日運航していたが、現在は月に1~2往復運航。

チェンナイ=成田便は、コロナ前には週に3~4往復していたが現在は完全に運休中。

バンガロール=成田便は、定期便就航予定がコロナでつぶれてしまい、定期便として就航できていない状態のまま臨時便として第一便を飛ばし、現在は月に1~2往復運航。

仮にコロナが収束してインド政府が定期国際商用旅客便の運航を解禁したとしても、すぐにはコロナ前の頻度でインドと日本を結ぶ直行便が運航されるようになるとは思えず、そんな中でデリー=東京便はほぼ毎日運航しているので非常に心強い。

何かあった時にすぐ日本に帰国できるか」というのは海外で生活する上で非常に重要なポイントである。(すぐに帰国できても今は日本入国後10日間の強制隔離があるんだけどね~😅)

初めてJALで渡印

これまで住んでいたムンバイでは、日系はANAしか就航していなかったのでこの5年間はずっとANAを利用していたのだが、先述の通りデリー便は日系2社(JAL・ANA)とインド2社(エアインディア・ビスタラ)が就航しており選択肢が豊富だ。

私はどちらかというと青色の方が好きなのだが(これまでずっと使っていたしね)、会社に赴任航空券を手配してもらったところ赤色の方になった。

というわけで、初めてJALのインド便に搭乗

JALでインドに向かう

青色信者は「キャビンアテンダント、セットスライドバァ(出発前のドア操作の業務指示アナウンス)がないと、これから飛び立つぞ!という気にならないのである😂 JALは「業務連絡です。客室乗務員はドアモードをオートマティックモードに変更して下さい。」的なフレーズだったと思う。

同じドリームライナーでもこんなに違うんだなとしみじみ。私は座席配列もろもろ、やっぱり青い方が好きだ。ちなみに、エアインディアのデリー=成田便もドリームライナーであるが、機体は比較的新しいはずなのに異様にボロボロなので論の外…

初めてデリー空港の国際線に到着

ムドラー(手の形)のオブジェがあるデリー空港のイミグレは、インドにやってくる大半の方にとってはお馴染みだと思う。

私はこれまでデリー発着の国際線を利用する機会がなかったため、ムドラーの下での入国手続きだは私にとっては初めてで、新鮮な気持ちでインドに入国した。

デリー空港のイミグレにあるムドラーのオブジェ
デリー空港のイミグレにあるムドラーのオブジェ

家探し

家探しをしま~す🏠

手段:アプリ

インド到着前からアプリを使って気になった物件を取り扱う不動産業者や大家さんにWhatsupで連絡しており、到着翌日から内見を開始した。

家探しに使ったアプリ
家探しに使ったアプリ

アプリ経由でやり取りした業者の大半はクソだったのだが(返信がない、レスが遅い、持ち球が少ない、業界における力が弱そう等)、よい業者にも巡り合えたので、数を打てばいい人に当たるだろう。

家探しの手段は、他にもフェイスブックのグループ(Flat and Flatmates (Gurgaon)等)や日系の不動産業者があるが、FBグループは時間的な余裕が比較的ある人向けだと感じ、日系不動産業者は現地採用向けの物件取り扱いが少ない&仲介手数料が高いため利用しなかった。
(仲介手数料は、インド業者は家賃0.5か月分、日系業者は家賃1か月分が一般的)

条件:家賃・家具の有無・間取り・建物タイプ

家を探すにあたり、予算は月4~5万ルピーで、家具付き2BHKソサエティアパートメントで絞り込んだ。

家賃について
これまで住んでいたムンバイはインドで最も家賃水準が高く、それと比較するとグルガオンの家賃水準はムンバイの半分程度なのでだいぶ気が楽である。


家具の有無について
日本では家具なし物件が一般的だが、インドでは家具付き物件も多い。

  • Furnished(家具付き)
  • Semi Furnished(一部家具付き)
  • Unfirnished(家具なし)

家具付き物件には生活に必要な家具家電が備え付けられており、すぐに生活を始められる。

一部家具付きの物件は「Semi」の定義があいまいで、ほぼ家具付きの物件もあれば、ほぼ家具なしの物件もある。ほぼ家具付き物件であればお得だと思う。

家具なし物件は全ての家具家電を自分で用意しなければいけない。ギザ(湯沸し器)すらついていないこともある。


間取りについて
家の間取りの表し方は「BHK」を用いる。

B=Bedroom(部屋数)
H=Hall(リビングダイニング)
K=Kitchen(台所)

ほかに、1RK(1Room Kitchen: ワンルーム)やPG(Paying Guest: 家の一部屋を間借り)というオプションもある。

1人暮らしなら1BHKで十分だと思うが、私の場合荷物が非常に多く(引越し荷物は段ボール30箱超だった)1BHKだと荷物が入りきらない恐れがあったため、消去法で必然的に2BHK以上が必要だった。2BHKだと1部屋を荷物置き場&洗濯物を乾燥させる部屋にできて広々生活できるのがよいよね~★


建物タイプについて
インドの賃貸物件を分類すると、主に以下の3タイプに分類できる。

  1. ソサエティアパートメント
    ディベロッパーや組合が管理するマンション
  2. ビルダーフロア
    大家さんが管理するアパート
  3. ヴィラ・バンガロー
    一軒家

①のソサエティアパートメントはさらに分類することができ、ディベロッパーが開発するコンドミニアムタイプの大規模な集合住宅(敷地内にA棟、B棟、C棟…とあり、ジムなどが併設されている)と、日本でいう「普通のマンション」的なアパートに分けられる。警備員がエントランスに24時間常駐しており、セキュリティ面で非常に安心感がある

②のビルダーフロアは、個人の大家さんが所有する建物で、セキュリティ面や停電時の電気のバックアップ、エレベーターの有無等はアパートによりけり。アパートが所属するソサエティ(町内会)が、外部者が侵入できないような作り(Gated Society: ソサエティの入り口に門番がいる)であれば治安面でも心配なさそうである。

③のヴィラ・バンガローは、1人暮らしには関係ないので割愛。

グルガオンの土地勘が全くなく、各エリアの治安状況もよくわからない状態だったので、セキュリティ面優先でソサエティアパートメントを中心に家探しをすることにした。

▼予算的に普通のマンション系の方で…。

グルガオンのソサエティアパートメント
内見したアパートメントの一部

▼駐在員さんなど予算に余裕のある方々が暮らすコンドミニアムタイプの集合住宅

外国人駐在員が多く住むアパート
外国人駐在員が多く住むアパート群

築古物件がボロい

私はムンバイ時代、築30~40年超のアパートに住んでいた。ムンバイは昔からの大都市なので古い建物が多く、中心地になればなるほど古い建物が残っている。箱は古くても中は綺麗にリノベされていることがほとんどで、私が住んでいた築30年超のアパートも中はすべて綺麗に改装されており、家の中だけ見れば築浅物件と遜色なかった。

そのため、こちらでも「箱が古くて(=家賃が下落していて)中が綺麗な物件があれば…★」と思っていたが、グルガオンの古いアパートはせいぜい築15年くらいで、内装全リノベするほど古くもないため、内装は分譲したときのままという物件も多く、特にバスルームとキッチンに古さを感じる部屋が多かった。

▼毎日使うバスルームがこういうのはちょっと抵抗がある。(奥に写る二層式洗濯機も抵抗がある)

分譲時のままだと思われるバスルーム
分譲時から改装されていないと思われる時代を感じるバスルーム

また、築古物件のエアコンは窓に取り付けるタイプの「ウィンドウAC」ばかりであった点も気になった。ウィンドウACはスプリットACよりも電気代が高いんだよね~

ウィンドウACが設置された寝室
ウィンドウACが設置された寝室

インドは電気代が高いので(エアコンを使うと電気代は跳ね上がる)、少しでも電気代を抑えるためにウィンドウACは避けたかった…

何に重きを置くか(妥協)

到着翌日と翌々日に十数件内見したが、私の予算では「この家に住みたい!」と思えるような物件に巡り合うことはできなかった

今後家探しを継続してもきっと同じような物件ばかりだろうと思ったのと、早くアパートを決めて心身ともに落ち着きたかったので、それまで見た中から最も妥協できるアパートを借りることに。

妥協するにあたり「ここだけは譲れない!」というポイントが、上で書いた「バスルーム」と「エアコン」だった。特に、バスルームがぼろいのは無理や…

妥協の結果諦めざるを得なかったのは、リビングの日当たり。日当たりが良くないので昼間なのに暗い。インドの家は「暗い家」が多いと思う。私の家の場合は日当たりが悪いというのもあるが、基本的に照明が少ないムーディーな雰囲気を好む人が多いのもあると思う。

子供時代に電気が煌々と灯された明るい家で生活していなかったが故に、少々暗くても気にしない人が多い説もある←

何度も何度もムンバイの話を出してしまい恐縮だが、ムンバイでは賃貸契約期間が2年、ロックインピリオドが10~11か月であることが一般的である。なので一度契約してしまうと最低でも1年弱は家賃を支払わなければいけないのだが、こちらでは契約期間11か月、ロックインピリオド6か月が一般的とのことで、住んでみて気に入らなければすぐに引越しできるという点も、家探し終了を促し私を妥協させた。

ロックインピリオド: 大家・住人ともに契約を解除できない期間。ロックインピリオド中に退去する場合は、ロックインピリオド分の家賃を支払わないといけない。

ホテル生活

家が決まってもすぐには引っ越せないので(契約の手続きやディープクリーニングがあるため)、入居日まで1週間ほどホテル生活をしていた。

外国資本のホテルに泊まっており部屋そのものは非常に快適であったのだが、1週間という短い滞在の中でいくつかの事件(?)が起きた。

ダブルツリーバイヒルトン
滞在していたホテルの客室

眼鏡紛失事件

会社から帰ってくるとベッドのサイドテーブルに置いていた眼鏡が紛失していた。

ホテルグループのカスタマーサポートを通じて連絡すると、以下の返信が来た。

We have investigated about same.本件につき調査いたしました。

Our hotel is total under CCTV coverage.当ホテルはセキュリティカメラの監視下にあります。

Didn't found any eye glasses.眼鏡は見つかりませんでした。

We totally understand your dissatisfactionご不満について承知いたしました。

結局眼鏡は見つからないし、ホテル側も「眼鏡は見つからない」と言い張るばかり。部屋の中で起きたことなんだから監視カメラとか関係ないだろ~という話なのだが、ハウスキーパーが紛失したという証拠がないためどうにもならず。

特にむかつくのが「We totally understand your dissatisfaction」という一言。不満を抱く客に向かって言う言葉じゃないだろうがよw 私のディスサティスファクションを理解しているなら謝るなり、補償するなりしておくれ、という話である。

結局謝罪も補償もなく、レンズカート(実店舗もあるインドのオンライン眼鏡屋)で新しい眼鏡を購入した。とんだ大損失だぜ!

レンズカートの店舗
レンズカートの店舗

ルームダイニング事件

眼鏡事件の他にも細々とした事件が勃発。ルームダイニングでカルボナーラを頼んだら千切れていたり、チャーイを頼んだらティースプーンの代わりに割りばしが付いていたりと、ネタの宝庫であった。

ホテルで頼んだカルボナーラ
パスタの麺がそばめしのような短さに千切れていた。

ホテルで頼んだチャーイ
割りばしでチャーイを混ぜるという新体験を提供

チェックアウト時に請求されたルームダイニングの金額も正しく計算されていなかった。なんかおかしいぞ?と思いレシート一つ一つと見比べさせたところ(セコくてすいません)、金額が違うことが発覚。

このホテルはもう二度と使わないと心に決めた😌😌😌

引越し

ヤバいホテルをチェックアウトし、ついにお引越ししま~す。

引越し手数料

引越しにあたり、ソサエティに「Moving charge」 として5,000ルピー(約7,500円)の支払いを求められた。

ムンバイではそんな手数料は聞いたことがなかったのでツイッターで確認したところ、どうやらグルガオンにおいては入居時・退去時にソサエティにこの手数料を支払うのが慣習となっている模様。

ムンバイでいうMathadi Union Charge(マハラーシュトラ州内で引越しをする際に荷積み・荷下ろしをする人へに支払う手数料で引っ越し代には含まれていない)に近いのかもしれない。不動産や物流系にはこういう古くからの慣習的なものが存在するから、こちとら損した気分である。

引越し屋さん

ムンバイでの引越しの話は以前のエントリーで投稿した通り、予想以上の仕事ぶりであった。

www.chankome.com

今回も引越し屋さんは時間通りにやって来て(むしろ早着していて待たせてしまった)てきぱきとお仕事をしてくれ、2時間程度で作業終了!

アンパッキングまでやってもらえるパッケージだったのだが、どこに何を置けばいいのかまだ決めかねている状態だったのでそれは自分でやることに… アンパッキングも引っ越し料金に含まれていたのでその分を無駄にしてしまい、もっと安いプランにすればよかったなと少し後悔。もしまた引越しすることがあれば、アンパッキングは付けなくてもよいと学んだ。

引越しトラック
引越しトラック

引越し作業員引越しスーパーバイザー
赤シャツの作業員たちの手際は非常によかったが、青シャツのスーパーバイザーは終始まったりしており現場監督として機能していなかった。

備え付けの家具家電

家具・家電付きのアパートを借りたが、備え付けの家具・家電は必要最低限しかなかった。

例えば、リビングに下駄箱テレビユニットがないし、ベッドやソファ横にサイドテーブルがないのも微妙に不便である。

部屋家具・家電
リビングダイニングテーブル&チェア
ソファ&カフェテーブル
テレビ・掃除機
キッチンコンロ(ガスストーブ)
浄水器
電子レンジ・冷蔵庫・洗濯機
ホットサンドメーカー
マスター
ベッドルーム
ベッド&マットレス(クイーン)
ワードローブ
チェスト・化粧台
アイロン台
ゲストルームベッド&マットレス(クイーン)
ワードローブ

逆に、不要なものも備え付けられていた。キッチンのホットサンドメーカなんてとてもじゃないが使う気が起きない。チーズらしきカスが付着しており不潔だったので棚の奥で眠っていただくことにした。

ホットサンドメーカー
カスがこびりついているだけでなく、なんか匂う。

他にも謎の掃除機や、謎の装飾品も備え付けられていたが、使い道がなさそうなのでホットサンドメーカー同様にお眠りいただいている。

駐在員さんのように家賃が一定以上のアパートであれば、オーナーに「これ買って」「あれ買って」とお願いすれば色々手配してくれるのだと思うが(特に相場よりも高い家賃を支払っているような場合)、私はコロナで家賃相場が少し下がっているときに借りたこともあり、オーナーに色々要望を伝えてみたがことごとく却下された。ざんね~ん!!

家具や装飾品・日用品の購入

玄関マットだったり、掃除用品だったり、足りない家具だったり、新生活を始めるにあたって揃えなければいけないものが大量にあったので、「homecentre」というニトリ的なお店でお買い物。

しばらく買い物をしていなかったので物欲が崩壊し、不要不急のものまでついつい購入してしまった。

ホームセンター
ホームセンターは品ぞろえ豊富でお手頃価格の家具・日用品が揃う

ホームセンターの店内1ホームセンターの店内2
ホームセンターの店内

その他、アマゾンで簡易組み立て家具もいくつか購入し、お兄さんに組み立てをしてもらった。

アマゾンで購入した簡易組み立て家具
アマゾンで購入した簡易組み立て家具

ちなみに、ここ2~3年でAmazon Indiaの商品・サービス・セラーの質は総じて高まっていると感じていたが、今回大量に注文してみたところ(1か月で細々したものも含めて20商品もポチっていた!)、傷や故障している商品が届いて返品や交換を依頼したり、配達人が住所がわからなくなって配達放棄されてキャンセルになったりということが数件あり、Amazon Indiaに対してToo muchな評価をしていたことに気づかされた。

まぁ、ちゃんと返品・交換できるのでいいんですけれどもね。

アマゾンで注文した商品
20アイテム中、4アイテムを返品・交換した。

そんなこんなで家具などもそろい、1か月たって我が家もようやく生活感が出てきたゾイ!

修理工が部品代ちょろまかす事件

入居して2週間で2度もブレーカーが突然落ちた。

1度目は私が悪い。インドの電圧は240Vだが、日本規格のコンセント(110Vまで)を差し込んでしまい、バチバチと火花が飛び散りショートして親ブレーカーと子ブレーカーが死んだ。

部品交換が必要だと言われ、言われた通りの金額を支払ったのだが部品代にしてはやけに高く、「この修理工、部品代ちょろまかしてるんじゃないの!?」という疑惑が生じた。キャッシュオンリーという点もまた疑惑を強めた。

もやもやしたのでインボイスを要求したところ、メモ帳に手書きのインボイスを持って来たので疑惑は確信へと変わった。

その翌週、今度は何もしていないのにいきなり電気が落ちた。「おっと、アパート全体の停電かな?」と思うも、電気が消えているのはうちだけ。

電気の修理工
電気の修理工

前回と同じ「疑惑の修理工」がやってきて、ブレーカーをいじり始めた。前回は何か測定したり色々と試行錯誤している感があったのだが、2度目は即座に部品を取り出し、何の確認もせずに部品の交換が必要だとか言いだし、部品代を請求してきた。

この時もやはりキャッシュオンリーというので「手持ちの現金がない」とその場での支払いを拒否し、後日支払うということで帰ってもらったが、その後も支払いを拒否し続けたところ、何も連絡がこなくなったのでそういうことだったのだろう・・・ということにしている。(もしそういうことじゃなかったらマジですいません😅)

住所変更などの手続き

新生活に様々な「手続き」はつきものだ。

私の場合、つい最近までムンバイに住んでいたので「PANカード」や「銀行口座」といった必須手続きは疾うの昔に完了済み✌

5年前にムンバイでインド生活を始めたばかりの時のことを思い出すと、あの時は大変だった。銀行口座を開設して給与が振り込まれるまでは手持ちのインドルピーがないので日本のカードでキャッシングしながら生きていた。日本円の収入がないのに日本円を使わなければいけないのは非常に悲しかった記憶がある。

私が今回した手続きといえば、就労ビザが変わったのでFRRO(外国人登録)を新規で登録しなおすことくらい。これまでは全て自分でやっていたが、今は会社の総務担当がやってくれるとのことで、丸投げした。

丸投げに関しては一点思うことがあり、申請のプロセスを知ってて丸投げするのと、何も知らないで丸投げするのとでは大違いである。特に現地採用の人は、FRROの申請手順や必要書類についてはある程度自分で理解していた方が良い。税金や年金関連についても然り。最低限の知識を持ち合わせていないとあとあと困ることになる(かもしれない)

あとは時間があるときにAadharアーダール(マイナンバー的な生体認証ID)や携帯のSIMカード契約の住所変更をすればすべての手続きは終了である。早く変更しないといけないのだが、日々忙しくて時間を作れない(と言い訳している)

グルガオン生活の感想

まだこちらに来て1か月しかたっていないが、ムンバイとの違いがありすぎて、思うことはいっぱいある!

気候について

私がこちらに到着したばかりの6月末、日中は40度を超えるような灼熱地獄であったが、7月に入ってモンスーンに突入すると一気に涼しくなり、超快適極まりない

窓を開けてシーリングファンを回せば涼しい風が入ってきて気持ちよいし、モンスーンだというのに全然蒸し暑くない

ムンバイの湿度は一年を通じて高く、モンスーン時は80%超になり、除湿器を使うとすぐに水がいっぱいになる。

グルガオンとムンバイの週間天気予報
グルガオンとムンバイの天気予報

気温だけ見ればグルガオンもムンバイもそんなに変わらないように思えるが、体感は全く異なる。ムンバイはこの時期家の中も蒸し暑くなり、カビが増殖しないように常にエアコンを稼働させていないといけないような状況で(エアコンをつけてもカビは生えるが)、窓を開けても涼しい風は入ってこない。

まるで、ムンバイの冬ムンバイで一番過ごしやすい季節)のようである。

これからモンスーンが終わり、セカンドサマーの後に冬が来ると肌寒くなるというので、季節の変化も楽しめるのだろうか…?(ポジティブにとらえすぎ?)

個人的には冬の大気汚染にびびっている。ムンバイのAQI(Air Quarity Index: 空気質指数)はどんなに悪い時でもせいぜい300程度。

こちらは999を記録する日もあるというので…
(≒999が最大測定値なので、実際は999超

道について

道路を歩く牛と道路を走るトラクターの数に驚いた。牛はまだしも、トラクター… まだまだ発展途中の街なんだなというのを強く感じる。

大通りを走るトラクター
大通りを走るトラクター

道路の排水の悪さにも驚いた。少し大雨が降っただけで大きな道路が川になっていて、なんじゃこりゃ~と仰天。

ムンバイでもよく洪水起きていたが、グルガオンの道路は比較的最近整備されたのだから、他の街の失敗例などを活かして水はけのよい道路を作ることも可能だったと思うのだが。ここに、インドが「永遠のポテンシャルカントリー」と言われる所以を見ることができるような…。

移動手段について

公共交通機関はまだ活用しきれていないが、メトロはやっぱり便利である。バスも駆使できるようになれば楽しいのかもしれない。

メトロの駅
メトロの駅

メトロやバスなどの公共交通機関よりも、インド生活において「市民の足」として最もお世話になるのは、間違いなくオートリキシャーであろう。

ムンバイやプネなど、マハラーシュトラ州のリキシャ―はきちんとルールに基づいて運用されており、運転手は制服着用が必須。個人事業主か雇われ運転手かで制服の色も異なる。メーターが付いており走行距離に基づいたメーター運賃を支払えばよい。

こちらでは、運転手はみな私服だし(制服があるのかもしれないが誰も着用していない)、リキシャ―にメーターがついていないし、メーターがついていたとても使う気配はゼロだし、適正運賃でリキシャ―に乗るのが容易ではない

「ちょっとそこまで」の距離でも平気で「100ルピー」とほざく輩がいるのは、実際に100ルピー払っている外国人がいるからですよ~~~!

Ola(配車アプリ)でリキシャ―を呼べば、適正に近い運賃で乗車できるが、リキシャ―のいいところは「ちょっとそこまでの距離を移動するのに待たずにすぐ乗れる点」であると思うので、リキシャ―の配車依頼をする意義を見出せないワケで…。

果たして、こちらのリキシャ―を適正運賃で乗れる日はくるのであろうか。

動物について

インドの街には野良動物が溢れている。牛や犬、猫等々。

「野良動物は危ない!」と言う人もいるが、インドの野良動物、とくに犬は「地域犬」として地域の住民みんなで育てているような感じで、日本人が想像する野良犬とはちょっと違う気がする。(語彙力がないのでうまく説明できない)

ムンバイにも地域犬はたくさんいたが、こちらの地域犬は超がつくほど人懐っこくて~~~😍‼

虎次郎と愉快な仲間たちが日々の癒しである。

お店について

モールなどの商業施設にあらゆるお店が集結しており、少し生活しづらいと感じる。私のアパートの立地的な問題もあるだろうし、これまでの環境が恵まれすぎていたのかもしれない説もある。

(ムンバイで住んでいた家の周り(徒歩5分圏内)には路面店のカフェが少なくとも5件はあった。徒歩数秒の距離にサモサ屋、チャイ屋、ドゥカーン(路肩にある何でも屋)があり、野菜・果物屋やココナッツ屋、サトウキビジュース屋、パニプリ屋、個人経営のジェネラルストアや酒屋、薬局にも徒歩1分でアクセスできた。飲み屋やレストランが集う繁華街も徒歩10分くらいの距離にあったし、映画館も服屋も宝石屋も、徒歩圏内になんでもあった(しかも治安もよかった)のヨ~…)

今住んでいるエリアの徒歩圏内にあるのは小さなモールと酒屋と超ローカルマーケットのみで、「徒歩」を想定していないつくりの街だと感じながら生活している。

また、上の方にも書いたが、インド人の所得水準が高いこともあって適度な中間が少なく、高級かドローカルかの二極化が比較的激しい点も生活しづらいと感じるポイントである。

▼アパートの隣にあるドゥカーンは❝見た目❞のローカル度が若干高い(品揃えは普通だし家の隣にあるので便利だが、見た目だけはややハード)
ドゥカーン(グルガオン)

さらに、これまた上の方に書いたが、新しくイケているお店は多い一方で「この地域で何十年年商売やってます!」的な老舗がないのもつまらない。大都市に展開する人気のチェーン店ばかりで、これからそういう歴史が作られていくような雰囲気もあまり感じられない。グルガオン生まれグルガオン育ちの世代がこれから増えていけばグルガオン独特のユニークな歴史なり文化なりが形成されていくのかもしれないが、今現在はちょっとつまらなくないです~?

さいごに

グルガオンでの新生活を始めて1か月!

言葉を選ばずにいうと、モールと日本食があるだけの田舎にやって来てしまった感がある。(グルガオンを誇りに思っている人がいたらごめんなさ~い)

ハヨこちらの生活に慣れて、グルガオンを好きになれればいいなぁと思うが、ぶっちゃけその自信はあまりない😂 だって、私の好きなインドとかけ離れすぎているんですもの…(来る前から分かっていたこと~w)

最後までお読みいただき有難うございました♪♪♪


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