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【アーメダバード】サーバルマティー・アシュラム (ガンジー・アシュラム)~インド独立運動の転換点となった塩の行進はここから始まった!~

タイトル画像(【アーメダバード】サーバルマティー・アシュラム (ガンディー・アシュラム)~インド独立運動の転換点となった塩の行進はここから始まった!~)

【アーメダバード】サーバルマティー・アシュラム(ガンジー・アシュラム)~塩の行進はここから始まった!~

ナマステ(ᐢ人ᐢ) インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド独立の父として有名なマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)

ガンディーはグジャラート州の出身で、同州の州都アーメダバードにはガンディーが1917年から30年までの22年間、生活・活動の拠点としたアシュラム、サーバルマティー・アシュラム(別名ガンディー・アシュラム)があり、一般公開公開されている。

今回は、アシュラムの様子についてまとめてみたよ。

この記事はこんな人にオススメ

  1. インド在住・旅行者
  2. ガンディーについて調べている人

アーメダバードに来る人は必見~!

はじめに:ガンディーって?塩の行進って?

マハトマ・ガンディーとは、非暴力・不服従(サティヤーグラハ)でインドを独立に導いた活動家のこと。

イギリス植民地支配下では、塩は植民地政府によって専売制がしかれインド人は自由に塩を作ることができなかった。そこで、ガンディーはこの法律の不正に着目した。

塩は自然からの恵みで、暑いインドにおいて塩は絶対になくてはならないものであるにも関わらず、外国政府が高い税金をかけて専売するだなんておかしいんじゃないの?と主張し、サーバルマティー・アシュラムからムンバイ近郊まで弟子とともに行進し、海岸で「違法で」塩を作り、「みんなも違法で塩を造ろうぜ!」と呼びかけた。

これが、塩の行進だ。

塩の行進の影響はすさまじく、インド各地で違法な塩が作られ、イギリス製品の不買活動をはじめとする不服従運動が拡大。騒動収束のため、インド総督が直接ガンディーに交渉しなければいけなくなるほどだった。

本国イギリスは「ガンディー」を交渉の相手であると認め、ガンディは翌年1931年にロンドンで開催された「円卓会議」(イギリス本国とインドの指導者らがインドの自治について協議する会合)に参加し、イギリスに直接、完全独立を訴えたのであった。

▼ガンディーと独立運動についてはこちらの記事で詳しくまとめているよ!

アクセス

グジャラート州の州都、アーメダバードの中心から少し離れたサーバルマティー川のほとりにある。

私は市内中心部からリキシャーで向かった。ガンディー・アシュラムと言って通じたよ。

▼ガンディー・アシュラムの場所はこちら

詳細情報
Sabarmati Ashram
住所:Gandhi Smarak Sangrahalaya, Ashram Rd, Ahmedabad, Gujarat 380027
Website:https://www.gandhiashramsabarmati.org/en/

ガンディー・アシュラムへ!

ガンディーアシュラムの入り口

アシュラムに到着。ゲートをくぐって早速中へ。

敷地内には、アシュラム(修行や瞑想をするための場所)の他に、ガンディーや塩の行進について展示している博物館がある。

Gandhi Memorial Museum

まずは博物館へ。

▼糸車(チャルカ)の展示 手紡ぎ車(チャルカ)の展示

チャルカはガンディー、そしてインド独立のシンボル。

ガンディーが体に巻き付けているあの粗末な布はカーディといって、チャルカで紡いだ綿糸を織って作られている。

イギリス統治下では、インドで栽培された綿花がイギリスに安価で輸出され、イギリスの機械化された工場で布に加工されたものがインドに高値で輸入された。それまで綿織物を生業としていた人達は失業し、伝統的な手織り産業は破壊した。

ガンディーは、チャルカで紡いだ糸で作ったカーディーを身に着けることで、「イギリス製のものを使わず国産のものを使おう!」と自らの身をもって主張。言葉では伝わりにくい思想や理念を具現化したことで、民衆にも思想は受け入れられ反英運動は拡大した。

▼塩の行進の模型
塩の行進の模型

ガンディーは、塩の行進に参加する条件として、カーディ(手で紡いだ綿糸を織って作った布)の着用を必須とした。カーディーを作るのは地味で単調、時間のかかる作業である。これを作り上げることのできる忍耐力のある者は、塩の行進中にイギリスに弾圧されても抵抗しない我慢強さを持ち合わせていると考えたためだ。

▼ガンディーの若かりし頃の写真も…!
年代別のガンディーの写真

髪があって洋服を着ているガンディーはなかなかお目にかかれないぞ!(今の時代ネットですぐ見れる😂)

▼博物館の外にはガンディーの像もあったよ。
博物館の外にあるガンディーの像

▼社会科見学で学生さんも勉強しにきていた。
社会科見学中の学生たち

Hriday Kunj(ガンディー住居)

ガンディーと彼の奥さんのカストゥールバーイーは、1918年から1930年までこのアシュラムに住んでいた。

▼住居の外観
ガンディーの住居

▼コートヤードから住居内部を撮影
ガンディーの住居内部の様子

住居内には6つの部屋(①ガンディーの部屋、②カストゥールバーイの部屋、③客室、④キッチン、⑤物置、⑥仕事部屋)がある。

▼ガンディーの部屋
ガンディーの部屋

ガンディーの部屋には、当時の様子が再現されており、チャルカと机は当時使わていた実物である。

ガンディーは塩の行進にでかけた1930年3月12日、インド独立を果たすまでアシュラムには戻らないと言って出て行ったのだが、インド独立の翌年に暗殺されたため、その言葉を最後に二度とアシュラムには戻らなかった

このほかに、ゲスト滞在用の建物や、弟子たちの宿舎も残っている。

また、こんなものも、敷地内にある・・・!

▼見ざる🙈 言わざる🙊 聞かざる🙉
ガンディーアシュラムにある見ざる言わざる聞かざる

どうやら、日本人からもらったものらしい。まさか、インドで、しかもガンディーのアシュラムで遭遇するとは思ってもみなかった。

外国からの来賓の定番観光スポット

ガンディーアシュラムは国賓の視察ルートに組み込まれることが多い。

2017年に安倍首相も訪問している。
安倍総理大臣のサバルマティ・アシュラム訪問|外務省

(↑ 著名人の訪問はアシュラムのウェブサイトに掲載されるのに、安倍さんはなぜかアップされてないので外務省のページを埋め込んでます😂)

先月、トランプ大統領も訪問した。
Video Gallery - Donald Trump (45th U.S. President)


(↑ 動画が掲載されているのだが、当日の警備の様子などもわかって面白い😂)

さいごに

ガンジーアシュラム

敷地内でこんなボードを発見した。(ガンディーは宗教や身分による隔たりを取り払うことを目指していた)

これ、すごく上手に表現しているなぁ!と思いました。

ガンディーが推し進めた非暴力・不服従運動によってインドは独立を勝ち得たけど、宗教による分裂は避けることができず、インドとパキスタン間での争いはなくなるどころか、むしろ悪化・・・。

ガンディーはムスリムに譲歩しすぎだという理由でヒンドゥー至上主義者に暗殺されたが、もし暗殺されていなかったら今の印パ問題はどうなっていたのだろう?イギリスに分割統治されていなければ、分裂しなかったのかなぁ、などと延々と考えてしまう私なのでした。

おしまい。

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