ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。
インド生活7年目に突入したので、私が私のために自分のインド生活を振り返るシリーズ。
今回は2年目編です~!(2017年3月~2018年2月)
▼前回の記事:インド生活1年目(2016年2月~2017年2月) www.chankome.com
▼目次はこちら (クリックして表示)
- 2017年3月
- 2017年4月
- 2017年5月
- 2017年6月
- 2017年7月
- 2017年8月
- 2017年9月
- 2017年10月
- 2017年11月
- 2017年12月
- 2018年1月
- 2018年2月
- インド2年目は、1年目以上に充実していた!
2017年3月
トリバンドラム旅行
ケーララ州はトリバンドラムにサーフィンしに来ますたよ~🏄 前年7月に訪れ(前の記事参照)、とてもよかったのでサーフィン仲間と再訪。
トリバンドラム空港から車で30分のところにある、Kovalam Beachというところで、私はゴア北部によく見られるにぎやかでギラギラしたビーチよりもこちらの方が落ち着いていて好き。水質もゴアよりも良い。
ビーチの端では漁師さんたちが地引網漁をしていた。
レストランではその日獲れた新鮮な魚介類を頂くことができる。調理方法も指定できるので「グリル、ノーマサラ」でお願いすると美味しい魚の塩焼きが出てくるよ。醤油を持参すると良い。
ナシーク日帰り旅行(ワイナリー)
ムンバイから車で3~4時間の場所にあるナーシク(ナシック)。ここはインドワインの有名な産地であり、多くのワイナリー(ワインが作られる場所)やヴィンヤード(ぶどう畑)がある。
インドを代表するワイン、太陽のマークでおなじみの「Sula(スーラ)」のヴィンヤードもナーシクにあり、ナーシク最大の観光地となっている。スーラをはじめ、他のヴィンヤードやワイナリーも商業施設化しているので観光しやすい。(観光客を受け入れず真剣にワイン造りに取り組んでいるところもある)
この時はムンバイから日帰りで友人と訪れた。時間的な都合で、訪問できたのはSula(スーラ)とSoma(ソマ)。
ムンバイ在住時は酒屋でよく「Soma」を購入していたが、グルガオンの酒屋では全くみかけない。Somaのような北インドでは全然メジャーではないワインが、ナシークでは数多く生産されている。
アーメダバード&ジュナーガル旅行
ムンバイからグジャラートは近い。前月にブージを旅行し(前回の記事参照)、グジャラートをもっと旅行したいと思い、グジャラートに再びやって来た。
まずはグジャラート州最大の都市アーメダバード。この当時はまだ世界遺産に登録されていなかったが、この年2017年の9月に旧市街や階段井戸が世界遺産として登録された。
▼ガンディーのアシュラムについてはこちらの記事もどうぞ www.chankome.com
ジュナーガル。ジュナー(古い)ガル(城砦)という名の通り、古都。街にはかつて栄えていた時代の砦が残っている。
町の中心地にはあちこちに門があり、城下町感がある。
ジュナーガルの見どころ一つ目は玉ねぎのような形の屋根と螺旋階段が巻き付いたミナレットが特徴的な霊廟、マハーバトマクバラー。
見どころ二つ目のウバルコート・フォート(砦)には、大自然が生み出した岩壁を利用した階段井戸があり、インド版のアンテロープキャニオンといったところでしょうか(全然違う😂)
色々と寄り道して、この旅行最大の目的がギルナール山巡礼。頂上まで9999段あるという石段をのぼった。この山には小さいものも含めると1000を超える寺院があるそうだ。
当時20代の私で、頂上まで登るのに5時間を要し翌日にはひどい筋肉痛に見舞われた。なかなか大変な巡礼コースにも関わらず、途中すれ違った人の多くは年配の方で、その熱心さに感服した。
2017年4月
リシケシ旅行
ヨガの聖地として非常に有名なリシケシに元ヨガインストラクターの友人と一緒に訪れた。ちなみに、この時私はまだヨガを本格的に始めておらず、超似非ヨギ時代。
デリーNCRからであればサクッと訪れられるリシケシであるが、ムンバイからは遠い。そして飛行機も高い。往復で1万4000ルピーもかかったことを私は今でも忘れない。
似非ヨギはなにかとミーハーである。ということでパーマスニケタンに宿泊した。
リシケシでやることといえば、「ヨーガ」。
我々はパーマスニケタンの朝のクラス、他のアシュラムのドロップインクラスに参加した。当時は1クラス300ルピー程度だったかな?
もう一つの人気アクティビティが「ガンジス川でラフティング」。
リシケシのガンガーは上流のため、バラナシなどのガンガーと比べ物にならないほど水が綺麗で、川の中に躊躇なく飛び込むことができる。
私はリシケシ旅行で初めて、「TTC200」「TTC500」というワードを目にした。TTCとはTeacher Training Courseの略で、200や500は200時間、500時間を表す。
TTC200=ヨガインストラクターに必要な座学・実技を200時間学べるコースであり、いつか私も受けてみたいと似非ヨギながらに思うのであった。
(その3年後、2020年に受講したぜ!)
▼TTC200受講の話。 www.chankome.com
一時帰国(1回目)
友人の結婚式があり一時帰国。
2017年5月
特にどこにも旅行せず、ムンバイにとどまる。
ムンバイ観光(Khotachiwadi)
ムンバイは歴史のある町で、「The★観光地」以外の見どころが実はたくさんある。
ムンバイ南部に、インド・ポルトガル様式の建物が残るエリア(Khotachiwadi)がある。
もともと現在のムンバイはポルトガルの領地だったこともあり、このエリアにはポルトガル様式のカラフルな建物が密集している。英領インド時代の建物群とは違った雰囲気でヘリテージウォークを楽しめる、穴場観光スポットである。
ちなみに、↓これが当時私の最寄駅「Bandra(バンドラ)駅」。1869年築、ゴリゴリの英て本当にワクワクする町だね。
2017年6月
ポンディシェリー&クンバコーナム旅行
インドのサーフスポットを検索していると、ポンディシェリーの近くビーチにフランス人が営むサーフショップがあると知った。
そう、ポンディシェリーはかつてフランスの植民地だった町。有名ボリウッド女優「カルキ・ケクラン」もポンディシェリーで生まれ育ったフランス人。ポンディシェリーはインドの中のおフランスなのである。
せっかくなので、サーフィンついでにポンディシェリー、さらにそのついでにクンバコーナムとタンジャヴ―ルにも訪れることにした。
チェンナイからバスで4時間程度でポンディシェリーに到着。
おおぉ~!なんかフランス感あるぞ!(フランスに行ったことないけど)
と見せかけ、このようなエリアはごく一部。
フランス感溢れる地域の外にでると、そこには典型的なインドの町が広がっていた。
ポンディシェリー近郊にはフランス人女性がつくったエコヴィレッジ「オーロヴィル」があり、ミーハーな私は漏れなく訪問。
ポンディシェリーの少し北、スクーターで30分程度のところに、サーフィンができるビーチがある。
サーフショップで板をレンタルしてサーフィン🏄✨
が、ここで事件!!!!!!!!!!
サーフィン中に腕にクラゲが絡まった。
触れただけではなく絡まっていた。
それも一匹ではなく、5匹くらい。
何事~~~!
すぐにサーフショップに戻って大正解。アナフィラキシーショック。。。サーフショップの地べたで1時間くらい横になっていた。長袖のラッシュガードを着用しなかったことを激しく後悔した。
クラゲに刺された翌日、バスでクンバコーナムへ。
世界遺産大チョーラ朝の寺院群のひとつであるブリハディーシュワラ寺院を訪れるためである。
この翌日にタンジャヴ―ルに移動し、タンジャヴ―ルの本家ブリハディーシュワラ寺院を見る予定だったのだが、、、
クラゲに刺されたところがパンパンに腫れ、生命の危機を感じた。
腕が腫れていることで血管が圧迫され、指の先端まで十分な血が流れていないようで指先が冷たく紫色に変色。「指 壊死」とググり、宿で一人おびえていたことを覚えている。
今すぐムンバイに帰りたい!!!
旅行を中断することを決意し翌朝バスでチェンナイに戻り、空港の窓口でムンバイ行の航空券を購入。ムンバイ到着後すぐに病院へ向かった。
入院
病院で診てもらい検査をしたところ、
「すぐに入院してください」
!!!!!
「コンパ―メント症候群」の可能性があるという。症状が進んだ場合は手術が必要になると脅された。
まずは「腫れを抑えましょう」ということで投薬治療。左腕を上げたまま病院で寝泊まりすること3泊4日。腕の腫れが引いたので退院となる。
ちなみにコンパートメント症候群ではなかったらしい。誤診だったのか?
2017年7月
一時帰国(2回目)
クラゲ事件後、一応日本の病院でも診てもらいたいと思い一時帰国。当時は何かあったらすぐに一時帰国する癖があったナ!
1か月ほどで赤味は引いたが、回復後も後遺症が残った。
後遺症その1
クラゲに巻き付かれた場所に「鳥肌」が立たなくなってしまった。
後遺症その2
クラゲに巻き付かれた場所の脂肪がなくなり皮だけになった。
左腕細くなったぜ~!ウェ~~イ!(違う)
ちなみに、後遺症その1は今もまだ残っており、未だに鳥肌がたたない。多分今後も一生左腕に鳥肌が立たないような気がしている。
後遺症その2はその後2~3年かけて元通りの太さになりましたとさ!
2017年8月
ムンバイのレストラン
今はなき、ムンバイ民の心の拠り所であったレストランがある。
その名も「Boteco(ボテコ)」。この当時ムンバイに住んでいた外国人で、このレストランを知らぬ者はいなかっただろう。
BKC(Bandra Kurla Complex)という銀行や大企業のオフィスが集まるビジネス街にあり、アメリカ領事館のすぐ近くにあったのでアメリカ人はじめ多くのガイコクジンで連日賑わっていた。
みんなのお目当てはコレ👇
Beef🐮
(バッファローではなく本物の牛肉)
コロナ第一波時にムンバイ店は閉店、いまはプネーに店舗があるそうです。プネ民の癒しの場になっているに違いない。
一時帰国(3回目)
何回一時帰国するの~という話であるが、これは当初から計画していたもの。日本の友人らと旅行をするために帰国した。
上海旅行
一時帰国中、家族と3泊4日上海旅行。
ほぼ日本やんけ!
なんて住みやすそうな場所なんだと感動した。
モンスーンで大洪水!
この時期のムンバイはまだモンスーン真っただ中。一般的に、ムンバイでは6月後半~9月半ばまでがモンスーン時期だと言われる。
ムンバイのモンスーン期間中は常にバケツをひっくり返したような雨が朝から晩まで降っており、数年に一度は町中がプールになるほどの大雨が降る。実はその降水量は日本の大雨時よりも少ない。排水システムが十分に整備されていないためこうってしまうのよね~。
▼私の家の前。比較的道路が広いのでまだマシ
▼狭い道路だとプール状態に。
こういう時、日本車はマジで強い。
特にフォーチュナーが最強。私は上司のフォーチュナーに便乗させてもらったおかげで無事濡れることなく帰宅できた。
お金持ちのムンバイ人たちがよく乗っているドイツ車は電気系統が弱めで故障するのか、道路に何台か放置されているのを見た。(その日は雨に濡れながら歩いて帰り後日取りに戻ってくるのか??)
2017年9月
アムリトサル旅行
北インド全然旅行できてないな、、、ということで、土日を使ってパンジャブ州のアムリトサルへ友人と旅行。
アムリトサルは、シーク教徒の総本山ともいえるゴールデンテンプルや、パキスタンとの国境(アターリー・ワガボーダー)で行われるセレモニーが有名だね。
パキスタン側に「インドにはこんなに外国人がいるんだぞ!」ということを見せつけるために(インド人の友人談。真偽は不明)、外国人はVIP席をあてがってもらえる。
▼セレモニーの様子。脚を高く上げ合う謎の儀式。
今は改善しているかもしれないが、人が多すぎて会場近辺では携帯の電波が非常に悪かった。私はセレモニー後友人とはぐれてしまい、連絡がとれず大変な目に遭った。(乗合ジープ100ルピーで市街地にひとりで帰還する羽目に)
国境セレモニー後、夜のゴールデンテンプルを訪れ、翌朝またゴールデンテンプルを訪れ、土日旅行は終了。土日に観光で訪れるのにちょうどよい街、アムリトサル!
ゴア旅行①
2017年に運行開始した、ムンバイーゴア間を結ぶ準高速鉄道「Tejas Express」に乗るべく、週末ゴア旅行。
滞在時間の都合でビーチの方には行かずパナジ周辺のみ。
ゴアの有名観光地を巡った。
マイソール旅行
9月末のダシェラ(ダサラ)休暇、マイソールに訪れた。
ダシェラ×マイソール… ピーンと来た方もいるかもしれない。
ダシェラ最終日、マイソールでは大規模なパレードを行う。このパレードは非常に歴史があり、2017年は「第407回目」だった。
何十匹ものゴージャスに着飾った象が街を練り歩く、、、それはまさにマハラジャの時代のようだ。それを見ようとはるばるやってきますた、マイソール。
(※マイソールは、最も有力な藩王国のひとつ「マイソール王国」があった場所)
インドでは「一眼レフカメラ」が強い。
何が強いって?一眼レフカメラを首から下げてうろうろしてたら、なぜか報道関係者と勘違いされ「ジャーナリストパス」を支給された。
これはつまり、会場を自由に歩ける権利を手に入れたことになる。
このパレードにおいて、この権利を手に入れた私は最強だ。まるでスターを手に入れたマリオ。
なぜなら・・・
一般観客席はこんなことになっているためである。
歩く隙間もない。
祭りでテンション爆上がりの観客たち。ガイコクジンの私にも興奮するという謎自体が発生した。スーパースターってのはこういう感じなんだろうか😂
象さんパレードのほか、地元の団体や有志による出し物もあり、非常に楽しいパレードで大満足した。
この観客にもみくちゃにされずにマイソールのパレードを観る方法は二つある。
一つ目は私のようにたまたまジャーナリストパスを手に入れること。一眼レフカメラ必須(多分)。これは運が必要で確実ではない。
二つ目はパレードが行われる通りにある高級ホテルに宿泊すること。ホテル名は忘れてしまったが、そこのホテルでは宿泊者向けに特別席を設けていた。これは確実だろう。
祭りの期間中、マイソール宮殿はライトアップされる。ブダペストにある国会議事堂のようで非常に美しい。
翌日もマイソール宮殿を訪れた。祭り期間中マイソール宮殿は無料開放されるため、おびただしい数の人が押し寄せていた。
宮殿をじっくりと見て回りたいなら、ダシェラの時期は外した方がいいと心の底から強く思う。
2017年10月
ジョグジャカルタ旅行
ディワリ休みを利用してインドネシアへ。
当初バリ島に行く予定だったが、出発数週間前にバリ島噴火の警戒レベルが高まり、ニュースでも報道されていた。噴火した場合空港が閉鎖され予定通りに帰国できなくなる。
前年のダッカでのテロ事件(私が訪れた2週間後にテロが起き日本人が死亡)や数か月前のクラゲ事件があり、「旅行時の危機管理」を強く言われていていた私はサラリーマンとして、目的地を変更せざるを得ず、ジョグジャカルタに行くことにした。
仏教寺院を訪れ、
ヒンドゥー教寺院を訪れ、
スルタンの宮殿を訪れ、
宗教や歴史に触れる旅。。。
普段のインド旅行と全然変わらねぇwww
ほんとはビーチでのんびり常夏気分を味わう予定だったのにな😂
インド旅行と大きく違う点は、「バックパッカーやヒッピーではない若い欧米人旅行者が多い」「観光地が整備されている」「料理が辛くない(日本人の口によく合う)」
以上!!!
2017年11月
一時帰国(4回目)
出張で日本へ行くついでに一時帰国。
香港&マカオ旅行
一時帰国中に、3泊4日で友人と一緒に香港・マカオへ旅行。
2017年12月
ハードウェル来印!
パリピ大国インド。前回の記事では、ディミトリベガス&ライクマイクとマシュメロがムンバイにやって来たことを紹介した。
2017年はハードウェル~~~!
ムンバイ近郊の新興都市「ナビムンバイ」のスタジアムで開催、ディミトリの時とは違い酒は出ない。チケット代は非常にお手頃でなんと1000ルピー弱。
酒なしでここまで盛り上がれるインド人たちはすごいと思う。
コインバトール&ニルギリ旅行
インドには世界遺産に登録されている山岳鉄道が3つある。一つ目がダージリン(コルカタ駐在のイギリス人たちの避暑地だった場所で、有名なお茶の産地)、二つ目がシムラー(デリー駐在のイギリス人たちの避暑地かつ「夏の首都」だった場所)、そして三つ目がこの旅の目的地、ニルギリ(ウーティー)である。
ニルギリは南インド駐在のイギリス人たちの避暑地として開発された場所で、お紅茶好きな人なら一度はその名前を聞いたことがあるだろう。紅茶の有名な産地の一つでもある。南インド版のダージリン的なところだ(そうだけど違う)。
目指せ山岳鉄道全制覇!まずはニルギリから攻めるでござる。拠点となる街はタミルナードゥ州第二の都市コインバトール。ついでにここも観光。
私が訪れた年、2017年にできたてホヤホヤのコインバトール名物「アディヨギ像」は、当時似非ヨギだった私が最も好むタイプのモニュメントである。
山岳鉄道の始発駅はコインバトールから北に40キロほど離れた「メットゥパーラヤム駅」。駅に着くと、なんとその日はメンテナンスの問題で始発駅からではなく途中の「クーヌール駅」から運行すると告げられた。こういうトラブルはインドではよく起きる。特に山岳鉄道は点検による遅延や運休が多いんですって。
ウーティー近郊の動物保護区、ムドゥマライ・ワイルドライフ・サンクチュアリ―内にある宿に宿泊し、到着日の夕方と翌朝2回、サファリに参加した。お目当てはベンガルタイガー🐅
しかし、見ることができたのは鹿だけであった。
鹿しかみれなかったため、サファリのガイドは「2日前にトラがいたんだ!ほら、写真見てくれよ!」とトラが生息していることを必死にアピール。「君は運が悪かった」「普段は見れる」風の雰囲気に持ち込もうとするが、そもそも、マハラジャたちがトラを狩りすぎたのでトラは少ない。遭遇できたらラッキーなんだよね。
ムンバイのクリスマス
インドの宗教といえばヒンドゥー教という印象が強いだろう。実際国民の7~8割はヒンドゥー教徒である。
しかし、私が住んでいたムンバイにはクリスチャンも多く、クリスマス時期になると「宗教として祝うクリスマス」が身近にあった。(デリーNCRのような「イベント行事としてのクリスマス」とは明らかに違う)
ディワリ後もクリスマスまでは窓やベランダに電飾・イルミネーションを残し、クリスチャンが特に多く住む地域の道はクリスマス仕様にデコレーションされる。
2018年1月
新年はインドで迎えた。
ジュフービーチ
年末年始になると日本人はほぼみんな一時帰国してしまうため、新年をインドで迎えるということは「暇」を意味する。あまりにもやることがなさ過ぎたのか、ムンバイ郊外のジュフービーチへ行っていたようだ。
ジュフーは閑静な住宅街で、アミターブバッチャンなどのスターも住む地域。私のように新年早々特に何もすることがない人達がジュフーのビーチに集結していた。
ムンバイマラソン(ハーフ)
前年フルマラソンで非常に辛い思いをしたため、ハーフマラソンに参加した。(前回の記事)
2017年までは「スタチャー」がスポンサーであったが、この年からインド最大財閥の「TATA」がスポンサーに。
イマジカ
ムンバイから車で2時間程度の場所に「イマジカ」というテーマパークがある。
どんなもんなのか、友人たちと一緒に日帰りで訪れた。イマジカには宿泊施設もあり、変なローカルホテルかと思いきや意外にもノボテルだったりする。
ディズニーとユニバーサルと富士急の3つを足して5で割ったような感じで、”超”満足はしないものの、満足度はなかなか高い。入場も1500ルピーくらいだった記憶があり、この値段でこれだけ楽しめるなら良い。ま、基本的にパクリなんだけどね★
2018年2月
ゴア旅行②
2泊3日、ゴアのカラングートビーチに遊びに来た。
ここら辺はもともとヒッピーが多い地域だったそうだが、現代版ヒッピーらはさらに北上または南下した場所に生息しており、現在のカラングートはインド人観光客で賑わっている。
一時帰国(5回目)
年末年始に一時帰国しなかった代わりに、2月にお休みをいただいて帰国した。
目的その①、ルナシーのコンサート。
目的その②、さっぽろ雪まつり
その他、インドでは食べられないものを胃袋にため込む修行。
インド2年目は、1年目以上に充実していた!
国内旅行9回、海外旅行3回、一時帰国5回。合計旅行回数は17回。やはり若いって素晴らしい。体力があるからこそ、こんなにプライベートで旅行できるんだよね。
- トリバンドラム
- ナシーク
- アーメダバード&ジュナーガル
- リシケシ
- ポンディシェリー&クンバコーナム
- アムリトサル
- ゴア①
- コインバトール&ニルギリ
- ゴア②
- 上海(中国)
- ジョグジャカルタ(インドネシア)
- 香港&マカオ
1年目、2年目と毎月旅行していたのでお金は全然貯まらず貧乏であった。しかし我ながら本当にいいテンポで旅行していたと思うし、いまでは全ていい経験!
当時はこれでも「旅行し足りない」と思っていたのだが、それはおそらく周りの友人が毎月のように海外旅行していたからだと思うぞ。駐在員は祝日があるとすぐ海外に逃亡する。(←ひどい固定概念www)
次回、インド3年目を振り返ります!私の自己満投稿にまだまだお付き合い下さ~い!