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【インド地域別まとめ】中央インドの州・連邦直轄領

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インドゆるゆる生活

タイトル画像(【インド地域別まとめ】中央インドの州・連邦直轄地)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、中央インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

中央インド

植民地時代に「中央州」とされていた、インドの真ん中に位置する2州を中央インドとした。

インド中央部は古代インド時代からの歴史があり、北インド・東インド・西インドの文化に加えて伝統少数民族の文化が入り混じる地域だ。

1. マディヤ・プラデーシュ州

マディヤ・プラデーシュ州

州都ボパール
Bhopal
その他の
主要都市・観光地
サーンチ
Sanchi
グワリオール
Gwalior
インドール
Indore
カジュラホ
Khajuraho
ウッジャイン
Ujjayin
州公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語89%

2000年にチャッティスガール州が分離するまでは、最も面積の広い州だった。マディヤ=中央、プラデーシュ=州、つまり中央の州を意味する。通称MP(エムピー)州。

植民地時代にはCentral Provinceと呼ばれた地域で、独立後にこれを単純にヒンディー語に訳してマディヤ・プラデーシュとした。

この地の歴史は古く、石器時代にまでさかのぼる。古代インド仏陀の時代に存在したといわれる四大国のひとつ、アヴァンティ国の首都ウッジャインはヒンドゥー教の聖地で、クンブ・メーラとよばれる1億人規模の集団沐浴開催地にもなっている。また、紀元前インド初の統一王マウリヤ朝のアショカ王によって建てられたインド最古の仏教遺跡(ストゥーパ / 卒塔婆)が、現在もサーンチに当時のままの形で残っているなど、古代から宗教・文化が繁栄していた。

中世になるとチャンデラ朝が成立、カジュラホのロマンティック(エロ?)な彫刻で有名なヒンドゥー教寺院が建てられた。その後イスラム系王朝がいくつか成立したのち、16世紀にはムガル帝国支配下となる。

18世紀に入ると、ムガル帝国と対立していたマラーター王国(現在のマハラシュトラ州を中心にインドが勢力を拡大して北部へ遠征するようになり、グワリオール周辺地域をシンディア家、インドール周辺地域をホールカール家が治めた。マラーター王国がマラーター戦争でイギリスに敗れると、これらの有力な一族が支配した地は藩王国として存続した。現在もマラーター王国(同盟)が支配した地ではマラティー語(マハラシュトラ州の公用語)が通じることがある。

インド独立後、Central Provinceは、①マディヤ・プラデーシュ州 、②マディヤ・バラト州(インドールを中心とする地域)、③ビンディヤ・プラデーシュ州(現在のMP州北東部)、④ボパール州の4つに分割された。独立直後のマディヤ・プラデーシュ州の州都は、現在はマハラシュトラ州に属するナグプールだった。1956年に州は再編され、4州のなかでヒンディー語を話す地域をマディヤ・プラデーシュ州に統合、マラティー語を話すエリアをボンベイ州(現マハラシュトラ州)に統合することで、現在のかたちとなった。

(上)インドールのホルカール家のお屋敷(下)グワリオールのシンディア家の宮殿
マラーター同盟の一族が治めていた地域にある当時のお屋敷は博物館として公開されている。
(上)インドールのホルカール家のお屋敷(2016年8月撮影)
(下)グワリオールのシンディア家の宮殿(2019年9月撮影)

世界遺産に登録されているカジュラホの寺院群
世界遺産に登録されているカジュラホの寺院群は官能的な彫刻で有名。(shutterstockより)

世界遺産に登録されているサーンチのアショーカ王のストゥーパ
世界遺産に登録されているサーンチのアショーカ王のストゥーパは紀元前3世紀に造られたもの。(shutterstockより)

聖地ウッジャインで行われたクンブ・メーラ(集団沐浴)の様子
聖地ウッジャインで行われたクンブ・メーラ(集団沐浴)の様子。3年に一度、4か所を持ちまわる形で開催される。(shutterstockより)

2. チャッティスガール州

チャッティスガール州

州都ライプール
Raipur
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語84%

2000年にマディヤ・プラデーシュのうちチャッティスガリ語を話す地域が分離して成立。チャッティスガリ語はヒンディー語の方言・訛りのひとつに分類されるが、先住民の文法や語彙が含まれており、方言・訛りの域を超えている(らしい)。

チャッティスガール州の名前の由来は2つの説がある。

1つ目は、この地域に36の古代の城砦があることに由来しているというもの。チャッティス=36、ガール=城砦(フォート)を意味する。

2つ目は、チェディス帝国を意味する「チェディスガル」が訛ってチャッティスガールとなったとするもの。古代インドの時代、同州の地域はカリンガ王国(現オリッサ州の地域に存在した王国)のチェディ王朝の一部で、1803年まで同州東部の大部分はオリッサ州の一部でもあった。したがって、東部ではオリッサ州の公用語であるオリヤ語がよく通じる。

同州西部を中心とする地域は、かつてマラーター王国の支配下にあり、マラーター同盟のボンスレー家がナグプール王国として治めたため、一部の地域ではマラティー語も話される。マラーター王国がマラタ戦争でイギリスに敗れ、1818年にナグプール藩王国となるが、1853年に失権の原理が適用され、イギリス領へと併合された。

失権の原理:植民地時代、イギリスは藩王国に養子による相続を認めず、後継者が途絶えた場合はイギリス領に併合するという政策を取った。これを失権の原理と言い、インド大反乱(セポイの反乱)時には失権の原理で失脚した元藩王らがイギリス人を虐殺した。反乱鎮静後は養子による相続も認められるようになった。

チャッティスガリ語圏の分離を望む声は英領インド帝国時代の1920年代からあったものの、分離運動がカオスだったりしてなかなか承認されなかった。1990年代の分離運動でようやく新たに州をつくることが認められた。

州内には滝が多く、特にチトラコットの滝はインド最大の水量を誇ると言われており、インドのナイアガラと呼ばれる。落差30m幅350mから豪快に崖を水が流れ落ちる。モンスーン後半の9月下旬に最も水量が多くなる。

インドのナイアガラと呼ばれるチトラコットの滝
インドのナイアガラと呼ばれるチトラコットの滝。(Wikipediaより)

雨季のチトラコットの滝
雨季のチトラコットの滝は迫力満点。(Wikipediaより)

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