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【インド地域別まとめ】北東インドの州・連邦直轄領

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インドゆるゆる生活

タイトル画像(【インド地域別まとめ】北東インドの州・連邦直轄領)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、北東インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

北東インド

北東インドは7つの州から構成されており、セブン・シスターズ(7姉妹州)と呼ばれる。各州・地域の民族や宗教、文化は大きく異なるものの、社会構造は似ている。

インドの中の異国であり、地球の歩き方にも詳しい情報はほとんど載っていない。インターネット上にも情報は少なく、まさに知られざる秘境。

01. アッサム州

アッサム州

州都ディスプル
Dispur
その他の
主要都市・観光地
グワハティ
Guwahati
州公用語アッサム語
第二公用語(一部の地域のみ)
ベンガル語
ボド語
州内で母国語として
話されている言語
アッサム語48%
ベンガル語29%
ヒンディー語7%
ボド語5%

イギリス植民地時代、マニプル王国とトリプラ王国を除く北東の全地域がオリッサ州に含まれており、今よりも遥かに大きな州であった。現在も北東インドの中核をなしている。

13世紀にタイ族系のアホム族がこの地に移住しアホム王国を建国。19世紀初頭にビルマから侵略を受けて制服され、さらに第一次イギリス・ビルマ戦争でビルマが負けたことにより、イギリス東インド会社(のちに英領インド帝国)に併合された。その際、アホムがイギリス流に発音されて「アッサム」と呼ばれるようになった。

もともとの州都はシーロンであったが、1972年にメガラヤ州が分割した際にシーロンがメガラヤ州都となったため、新たにグワハティの衛星都市であるディスプルを州都とした。

世界的にアッサムティーが有名。アッサムの茶葉は濃い味を出すためミルクティーに向いている。

お茶で有名なアッサムの茶畑
お茶で有名なアッサムの茶畑(shutterstockより)

象に乗ってサイを見ることができるカズィランガ国立公園
カズィランガ国立公園では、象に乗ってサイを見るアトラクションが人気。(shutterstockより)

02. ナガランド州

ナガランド州

州都コヒマ
Kohima
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
コンヤック語12%
アオ語10%
ロタ語9%
スミ語9%
アンガミ語8%

現在も16部族もの異なるナガ族が昔ながらの風習を守って生活している。ナガ族はかつて首狩りの文化があり野蛮な部族とみなされていた。もともと山や森を崇拝対称としていたが、キリスト教の布教により、現在は住民の9割以上がキリスト教徒。

英領インド帝国からビルマ州が解体した際、ナガ族はイギリスから独立を認められ、1947年8月14日に独立宣言。しかし1日後にインドが独立、ナガ族の独立を認めずインドに併合、アッサム州に組み込み、1963年に州となった。現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗している。

※禁酒州

ナガランド州に住むナガ族の人々
ナガランドに住むナガ族の人々。(shutterstockより)

ナガランドのホーンビル祭りの様子
各部族の伝統文化を保護・継承する目的で毎年12月に開催されるホーンビル祭りには、すべての主要ナガ族が参加する。 (shutterstockより)

03. マニプール州

マニプール州

州都インパール
Imphal
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語メイテイ語
(マニプール語)
第二公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
メイテイ語53%
タドウ語8%
タンクル語6%
ポウラ語5%

主にメイテイ族が生活しているメイテイ族の多数はヒンドゥー教徒だが、19世紀のキリスト教の布教によりキリスト教を信仰する人も多い。

この地の歴史は古く、紀元前1世紀から10世紀まではメイテイ朝、それ以降は20世紀までカングレイパク朝が統治し、1891年にイギリスの藩王国となった(マニプール藩王国)。マニプールは立地的にも外部とほとんど繋がりのない静かな地域だったが、1942年に日本軍がビルマを支配すると、イギリスと日本の前線地帯となった。1944年には史上最悪の作戦といわれる「インパール作戦」の地となり、多くの人が亡くなった。

1947年のイギリス撤退後にマニプール王国として独立したが、1949年に当時のマハラジャがインド政府との合意書にサインした事でインドに併合され、王国は消滅した。

1956年に連邦直轄領、1972年にマニプール州となったが、現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗しており、2019年11月には反体制派の指導者らが一方的にインドからの独立を宣言し英国に亡命政府を樹立すると発表した。

同州の女性はパワフルで、女性だけで切り盛りされている市場、イマー・マーケットがある。「イマー」はメイテイ語で「お母さん」を意味する。女性だけで切り盛りされている世界最大級の市場として有名。

ムンバイやデリーなどの大都市で出稼ぎ労働している人が多く、日本食・韓国レストランや、タイマッサージ店に多い。大都市で日本人のような顔立ちのインド人がいたら、マニプール出身であることがほとんど。

※禁酒州

マニプール州都インパールのイマー・マーケット
インパールのイマー・マーケットの様子。(shutterstockより)

マニプールの州都インパールのパカンバ寺院とインパール作戦墓地
(左)マニプールの守護神パカンバを祀る寺院(右)史上最悪の作戦と言われる「インパール作戦」で亡くなったインド人兵士が眠る墓地。(shutterstockより)

04. ミゾラム州

ミゾラム州

州都アイゾール
Aizawl
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ミゾ語
第二公用語英語
ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ミゾ語73%
チャクマ語9%

主にミゾ族が生活している。ミ=民族、ゾ=高地、ラム=土地、つまりミゾラムとは「高地民族の住む土地」を意味しする。首都アイゾールは標高1200mの山頂にあり、州のほとんどが丘陵地帯である。

19世紀半ばに初めてイギリス人がこの地に入るまで、ミゾ族は非常に原始的な暮らしをしていたとされる。1895年に正式に英領インドの一部に組み込まれ、ミゾ族はイギリス式の生活様式を取り入れた。イギリス人がキリスト教を布教したため住民の9割はキリスト教を信仰している。

インド独立とともにインドに併合されてアッサム州に組み込みまれるも、ミゾ族にとってインド式の社会制度が受け入れがたいものであるとして、1960年代に独立運動が起こり、1971年に連邦直轄地としてアッサム州から分割、さらに1987年にはミゾラム州となった。

他州の人はミゾラム州に土地を購入できないという法律があるため、住民の9割がミゾ族。そのため、ミゾラム州には一般的に想像されるようなインド人がほとんど生活しておらず、日本人に近い顔立ちの人ばかりだ。

ミゾラム州都アイゾールの風景
高地にあるミゾラム州の州都アイゾールの景色。住民のほとんどがキリスト教徒。(shutterstockより)

05. トリプラ州

トリプラ州

州都アガルタラ
Agartala
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ベンガル語
コクバラ語
第二公用語英語
ヒンディー語
マニプール語
チャクマ語
州内で母国語として
話されている言語
ベンガル語70%
コクバラ語26%

紀元前からの古いれヒンドゥー教王朝のトリプラ王国が統治していた地域。バングラデシュと国境を接し、州のほとんどがバングラデシュに囲まれている。インドの他州とつながる陸路は1本のナショナルハイウェイのみで、事実上インドの飛び地とも言われている。

インド・パキスタン分裂後、東パキスタン(現バングラデシュ)から多くのベンガル人が流入し、現在では州人口の約7割はベンガル人が占める。州政府の主要な役職もベンガル人が就いている。トリプラ王国の時代から、トリプラ人は優秀なベンガル人を良い職に就かせたというが、今となってはトリプラ族が少数民族となり、立場が逆転する事態が起きている。

伝説によると、シヴァ様が他の神様と一緒に聖地バラナシに向かう途中にこの地のウナコティを通ったとされる。そこで、一夜を過ごし、シヴァ様は他の神様に「翌朝は日の出前に起きてね」と命じたにも関わらず、すべての神様はシヴァ様の命令を守らずに寝ていた…これに激怒したシヴァ様は神様たちを岩にしてしまったという。岩にされた神様たちは、ウナコティ遺跡で見ることができる。

紀元前から続いたトリプラ王国はイギリス植民地時代も藩王国として存続し、1949年にインドに併合した際の王は第168代目。1963年に連邦直轄地、1972年にトリプラ州となった。

トリプラ州のウナコティ遺跡
ウナコティ遺跡の岩にされた神様たち。シヴァ様自身も岩になっている。(shutterstockより)

トリプラ州都アガルタラのウッジャヤンタ宮殿
州都アガルタラにある白亜の美しい宮殿、ウッジャヤンタ宮殿はかつてのマハラジャの住居。(shutterstockより)

06. メガラヤ州

メガラヤ州

州都シーロン
Shillong
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
第二公用語カシ語
ガロ語
州内で母国語として
話されている言語
カシ語34%
ガロ語32%
ジャインティア語(Pnar)11%
ベンガル語6%

メガラヤはサンスクリット語で「雲のすみか」を意味し、小丘地帯に広がる州だ。この地の歴史は非常に興味深く、新石器時代(紀元前1万~4500年)から人類が生活していたとされる。

19世紀にイギリスの支配下になるまで、この地に住む伝統部族のカシ族、ガロ族、ジャインティア族はそれぞれ王国を築いており、1835年にアッサム州に統合されたが、半独立的な地位を与えられていた。第二次世界大戦が終了するまでに欧米から多くのキリスト教宣教師がこの地で布教活動を行ったため、住民の75%はキリスト教徒である。

インド独立時はアッサム州の一部であったが、1960年代に入ると、カシ丘、ガロ丘、ジャインテイア丘の部族たちからこれらの小丘地帯を州として分割せよと声があがり、1972年にメガラヤ州としてアッサム州から分割された。

ノングリアート村には、約100年前に住民が木の根っこをつなげて作った橋がいくつもあり、観光名所となっている。

「雲のすみか」の名にふさわしいメガラヤ州の景色
「雲のすみか」の名にふさわしい、小丘にあるメガラヤ州の景色。(shutterstockより)

ノングリアート村生きた吊り橋
ノングリアート村にある木の根っこをつなげて作った橋は「生きた吊り橋」と呼ばれる。(shutterstockより)

07. アルナーチャル・プラデーシュ州

アルナーチャル・プラデーシュ州

州都イタナガル
Itanagar
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
ニシ語29%
アディ語17%
ベンガル語7%
ヒンディー語7%
ネパール語7%

インド最北東に位置する州で、多数のチベット系少数民族が生活している。地元民以外土地の購入が禁止されているため、州外からの移住者はほぼいない。

1912年に清朝が滅亡すると、チベットは独立国家として国際社会からの承認を得ようと働きかけ、1914年に英領インドとチベットはシムラ条約を締結。シムラ条約では、英領インドとチベットの国境線を北上させ、これをチベットに認めさせた。この北上した国境線は、シムラ会議にイギリス代表として参加したヘンリー・マクマホンにちなんで「マクマホンライン」と呼ばれている。このときに北上して英領インドに組み込まれた地域が、現在のアルナーチャル・プラデーシュ州である。

この地は「北東の辺境の地」として管理されていたが、1960年には中国との武力衝突が勃発。この地の支配をより強固なものにするため、1972年に連邦直轄領、1987年に州とした。

入域が制限されており、外国人はもちろん、インド人も許可証を取得しなければ入域できない。

世界で二番目に大きいチベット仏教の修道院タワン修道院
タワン修道院はインド最大のチベット仏教修道院であり、ラサにあるポタラ宮殿に次いで世界で二番目に大きい修道院でもある。 (shutterstockより)

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