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【小樽観光】北のウォール街を歩く ~小樽に残るレトロな歴史的建造物巡り(小樽銀行街)~

タイトル画像(【小樽観光】北のウォール街を歩く ~小樽に残るレトロな歴史的建造物巡り(小樽銀行街)~)

ナマステ、インド在住(現在一時帰国中)のKome(@chankomeppy)です。

小樽といえば、札幌の隣の小さなまちで、札幌駅から電車で40分弱で行けるというアクセスの良さから、札幌からのショートトリップ先として人気の観光地だ。「小樽運河」や「寿司」というイメージが強いが、戦前は北海道の金融・経済の中心地として栄えていた。(今となっては想像できないw)

ピーク時の大正後期には、20行超の銀行が小樽に拠点を持ち、その数は札幌や函館を上回り、北海道最大の金融拠点だったのだ。当時の小樽銀行街の様子は「北のウォール街」と呼ばれている。

小樽には当時の銀行の建物が今も数多く残っているので、旧銀行建物群を巡って、歴史のお勉強をしてきたよ!

札幌や小樽への旅行を検討されている方の参考になれば幸いです(ᐡωᐡ*)

▼目次はこちら

小樽経済の歴史

はじめに、小樽が「北のウォール街」と呼ばれるまでに発展した歴史について少しだけ説明💡

幕末~明治中期:ニシン漁

小樽の発展はニシンなしでは語れない。小樽でのニシン漁の歴史は古く、江戸時代にまでさかのぼる。

江戸時代後期、函館や江差で獲れていたニシンが姿を消し始め、代わりに小樽で獲れるようになったそうだ。幕末頃には、小樽でニシン漁が盛んとなり、1857年(安政4年)の記録によると266か所の漁場があったらしい。

ニシンを追い求める人々は道南から小樽に移り、和人とアイヌ人の交易所である「ヲタルナイ場所」が開かれた。ニシン漁で栄える小樽には、道南のみならず、北陸や東北といった内地からの出稼ぎ労働者や移住者が増え、大変賑わったようだ。

ニシン漁は明治中期に最盛期を迎えるが、その後漁獲量は減少していく…

明治中期~後期:石炭と鉄道

明治に入り、1869年(明治2年)に札幌に開拓使が設置されると、北海道の海道開拓が本格的にはじまり、小樽は北海道開拓の最重要港湾として位置づけられた。

1880年(明治13年)、小樽に石炭などを運ぶために、札幌ー小樽間に鉄道が敷かれ、1882年(明治15年)には炭鉱のある幌内から小樽までの全線が開通した。

この鉄道(手宮線)は新橋ー横浜、神戸ー大阪に次いで日本で3番目の鉄道であり、明治政府の北海道開拓に対しての気合いが感じられる。石炭をはじめ、木材や農産物が北海道各地から小樽に運ばれた。

小樽は北海道各地で採掘された石炭の積出し港として栄え、ニシンの漁村から商業都市へと変貌していった。

【小樽】手宮線跡地(線路)
手宮線の跡地(線路)

1889年(明治22年)には「特別輸出港」、1899年(明治32年)には「開港場」として指定を受け、小樽は貿易港としての地位を確立。石炭・木材・豆などが小樽の港からアジアやロシア(シベリア)に輸出された。

特別輸出港とは?

不開港のうち、①米、②麦、③麦粉、④石炭、⑤硫黄の輸出を特別に認められた港のこと。
当時これら5品目は日本屈指の物産であり輸出額は年々増加していたが、これらの輸出品は大きくて重く、当時開港している港が限られていたため、輸出港へ輸送するのにお金も時間もかかった。
そのため、物品の産地に近い港を「特別輸出港」とし、これら5品目に限り直接海外に輸出できるようにした。
四日市(三重)、博多(福岡)、口之津(長崎)、三角みすみ(熊本)、小樽(北海道)、下関(山口)、門司(福岡)、唐津(佐賀)、伏木(富山)の9港が特別輸出港に指定された。

日露戦争(1904-1905年)で樺太を領土とすると、小樽は樺太への物資供給の中継地としてさらに活気づいた。

第一次世界大戦(1914年-1918年)でヨーロッパの物流が途絶えると、北海道の産物が世界に進出するようになり、ヨーロッパや北米も大きな輸出先となった。特にヨーロッパへの主力輸出品であったエンドウ豆は、「小樽の商人がロンドンの相場を動かす」とまで言われたらしい… (本当か?真偽は不明w)

明治後期~大正:小樽銀行街(北のウォール街)の形成

海外との貿易には「為替」や「保険」が伴うため、金融機能が必要となる。というわけで、明治後期になると多くの銀行が小樽に進出。小樽経済は爆発的に発展し、北海道最大の金融街となった。

当時の小樽に銀行が集まっている様子がまるでニューヨークのウォール街のようであることから、後になって「北のウォール街」と呼ばれるようになったそうだ。

当時は誰も「北のウォール街」と呼んでいなかったようで、「小樽銀行街」や「色内銀行街」という呼び方が一般的だったとのこと。一体だれが「北のウォール街」と言い出したのだろう?(という素朴な疑問)

▼小樽経済の全盛期(大正後期)の小樽市街地の地図がこちら
大正後期の小樽市街地の地図

▼小樽経済の全盛期(大正後期)の日銀通りの様子
大正後期の日銀通りの様子

第二次世界大戦後

第二次世界大戦後、日本は領土を失ったことで貿易が衰退し、昭和中期からはニシン漁も本格的な不漁になる。さらに、エネルギーが石炭から石油に転換し、炭鉱が次々と閉山し、小樽の経済は一気に縮小した。

北海道の経済拠点は札幌に移り、ほとんどの銀行が小樽から撤退。日銀と三井住友銀行は2002年まで営業していたものの、両行とも札幌支店と統合し撤退。ピーク時に20行以上あった銀行は、今では「北海道銀行」「北洋銀行」「北陸銀行」の3行のみとなっている。

小樽の金融は寂れてしまったが、栄光の時代の遺産が数多く残っているので、当時の建物を巡ることで華やかだった時代の小樽を感じることができる。歴史に浸るっていいよね。歴史的建造物を巡るのはこれだから楽しい。

それでは、今も残る旧銀行の建物を巡っていきます!

小樽銀行街マップ

小樽に現存する銀行建築は以下の地図に示す①~⑩の建造物。全部で10棟残っているよ。

①~⑩の番号は、建築年が古いものから新しいもの順。

①旧第百十三国立銀行小樽支店

旧第百十三国立銀行小樽支店

建築年:1895年(明治28年)
設計:不明
施工:不明

小樽銀行街に残る最も古い銀行の建物

第百十三国立銀行は、北海道初の地場銀行で、1878年(明治11年)に函館に設立、翌年1879年(明治12年)営業を開始した。

1928年(昭和3年)に北海道銀行(現在の北海道第一地銀である北海道銀行とは別の銀行)に合併され、1944年(昭和19年)に北海道拓殖銀行に合併された。

木骨石造りの平屋に瓦屋根、屋根には2本のトンガリの飾りがついており、当時流行していた和洋折衷様式で建てられたそうだが、エセ洋式感が漂っている。

小さくこじんまりとしたその佇まいからは、銀行らしさをあまり感じられないと思ったが、よーく眺めると窓に鉄格子が取り付けられていてセキュリティーがしっかりしていたり、軒下には百十三銀行のシンボルの分銅模様のレリーフが刻まれていたり、銀行の面影が残っている。

軒下のレリーフの拡大図
軒下のレリーフの拡大図

1897年(明治30年)、第百十三国立銀行は国立銀行から普通銀行となり、名称から「第」と「国立」がなくなって「百十三銀行」となった。業務拡大にともない百十三銀行は大きな支店を新築することとなり、1908年(明治41年)に次に紹介する②の建物に移転した。

移転後、建物は貿易商などのオフィスとして利用され、現在は「オルゴール堂®海鳴楼本店」として使われている。

オルゴールは小樽土産の定番アイテムのひとつなので、建物だけでなく店内も要チェックだね

②旧百十三銀行小樽支店

旧百十三銀行小樽支店

建築年:1908年(明治41年)
設計:池田増治郎
施工:不明

①の百十三銀行が新築で移転したもの。木骨石造り2階建ての建物で、見えづらいが屋根には瓦が使われている。

入口横の円柱や三角屋根の下のレリーフはギリシャを意識しているようだ。明治中期に建てられた①は、ちぐはぐな和洋折衷様式で少し違和感を感じたが、明治後期にもなるとこんなにもデザインが洗練されるのか!と少し驚いた。今では素敵なレトロ洋館である。

三角破風下のレリーフ拡大図
三角破風下のレリーフ・円柱・窓部分の拡大図。窓も可愛い。

外壁が赤い煉瓦タイルなので可愛らしい印象を受けたが、当初は石張りだったとのことで、重厚な雰囲気が漂っていたに違いない。

1928年(昭和3年)に百十三銀行が北海道銀行に合併された後は、住友銀行小樽支店として使われ、デザイン会社のオフィス、千秋庵せんしゅうあんの店舗を経て、現在は「小樽浪漫館」となり、小樽のガラス製品などをはじめとする雑貨を販売している。

小樽浪漫館の店内の様子:title
小樽浪漫館店内の様子。キラキラしていて見るだけでも楽しい✨

百十三銀行は①と②、新旧両方の建物を見ることができるので面白い。

③日本銀行旧小樽支店

旧日本銀行小樽支店

建築年:1912年(明治45年)
設計:辰野金吾、長野宇平治(辰野の弟子)、岡田信一郎
施工:不明

小樽銀行街で最も美しく、最も重厚で、最も荘厳な銀行の建物が、この日本銀行旧小樽支店だ。

1882年(明治15年)に開業した日本銀行(以下、日銀)は早くから北海道に拠点を持っており、大阪に次いで1893年(明治26年)に北海道に進出。札幌、函館、根室に出張所を開設し、小樽を含む道内16か所に派出所を設けた。

1897年(明治30年)、小樽派出所は出張所に昇格。1899年(明治32年)に小樽が貿易港として指定されて小樽が発展し続ける中で、1906年(明治39年)小樽出張所は小樽支店に昇格。これと同時に北海道支店(函館)が函館出張所に降格、札幌出張所は廃止となり、小樽は北海道の経済都市ナンバーワンとなった。

設計は、「日本近代建築の父」と呼ばれている辰野金吾。代表的な建築物は日銀本店や東京駅(丸の内)など。建設費用は日銀本店、大阪支店に次ぐ3番目の額で、36万8000円。

明治後期の物価はよくわからないが、国家公務員(エリート)の初任給が月55円(明治44年)、小学校教諭の初任給が月10円(明治40年)、とかそういう時代。

明治後期の10円が現在の価値で20万円と仮定すると、1円=2万円、36万8000円=70億円くらいになるのかなぁ?などと推測。そう考えると案外そこまで高くないような気もする。

建物は石造りのように見えるが、実はレンガ造り!明治時代の官庁や銀行の建物は、こうした❝石造り風❞が好まれたらしい。

日本銀行旧小樽支店の壁の構造
日本銀行旧小樽支店の壁の構造。石造りに見せるためにモルタルを塗っている。

ドームが美しいね~

日本銀行旧小樽支店
(左)正面には4つの小ドーム、(右)海側には大きなドーム(望楼)

夜にはライトアップされるそうなのだが、ついうっかり見逃してしまった。

日銀小樽支店は2002年(平成14年)9月に廃止されるまで、小樽で100年以上営業を続けた。営業終了後は「金融資料館」として無料で一般公開されており、日銀や旧小樽支店の歴史などについて学ぶことができる。

日本銀行旧小樽支店のエントランスの扉
エントランスの扉には日銀のマーク!

日本銀行旧小樽支店の内部
内部も美しい...!!

日本銀行旧小樽支店の大理石のカウンター
大理石のカウンター。2002年、つい20年前までこの窓口が使われていただなんて…エモいぜ…!!

(ちなみにどうでもいい話だが、札幌の小学生の修学旅行先は「小樽」がメジャーだ。私も小学生の時は修学旅行で小樽を訪れた。その時はまだこの旧小樽支店が現役だったんだよな~とか思うと、ちょっと震えるよね…!!)

日本銀行旧小樽支店に展示されている北のウォール街のジオラマ
最大の見どころの一つ、北のウォール街のジオラマ。写真だと少しショボく見えるかもしれないが、なかなか見ごたえがあった。

通常時であれば「1億円の重さを体験!」というコーナーもあるようなのだが、コロナの影響で閉鎖されていた。1億円の重さを体験してみたかったな~。

④旧北海道銀行本店

旧北海道銀行本店

建築年:1912年(明治45年)
設計:長野宇平治
施工:加藤忠五郎

④の日銀旧小樽支店の斜め向かいにある、鉄筋コンクリートの地下1階、地上2階建ての建物。

イタリアルネサンス様式で、エントランスや窓のまわりに施されたアーチ形の石組みが美しい。外観は建設当時の姿をほぼとどめているとのこと。これは萌えポイントだ。

旧北海道銀行本店
建物は奥行きがある。

設計の長野宇平治は、辰野金吾の愛弟子で日銀旧小樽支店の設計にも携わり、数多くの銀行建築を手がけた。長野宇平治は日銀小樽支店の設計と並行して北海道銀行の設計も行った。

旧北海道銀行は小樽に本店を置いてた銀行で、先に述べた通り現在の北海道銀行とは無関係。1944年(昭和19年)に拓殖銀行に吸収合併された後は、北海道海運局や北海道中央バスの本社となり、現在はワイン&カフェレストラン「小樽バイン」として使われている。

小樽バインでは、グラス1杯から気軽に小樽ワインを楽しめるので、小樽探索の途中にフラっと立ち寄ってみるのもよいかも◎

小樽バインのメニュー
小樽ワインをはじめとした北海道産ワインが楽しめる🍷

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食べログ
ぐるなび
ホットペッパー

⑤旧三菱銀行小樽支店

旧三菱銀行小樽支店

建築年:1922年(大正11年)
設計:不明
施工:清水組

小樽金融街の中心地にそびえたつ、鉄筋コンクリートの4階建ての建物。

6本のギリシャ感あふれる半円柱が特徴的なモダン洋風建築。建築当初は外壁にレンガ色のタイルが張られており、1937年(昭和12年)に現在の色調になったそうだ。

日本銀行旧小樽支店にて展示されているジオラマ(三菱銀行小樽支店)
日銀旧小樽支店に展示されているジオラマでは、レンガ色のタイルが貼られた外壁が再現されている。

現在は北海道中央バスが所有し、「小樽運河バスターミナル」として使われている。1階にはお土産などが売られているのだが、私の心をくすぐる萌えポイントがいくつか残っていた。

まず、正面エントランスが昔のまま。二重玄関なのが北国だね。

旧三菱銀行小樽支店のエントランス
正面エントランス。古い扉が今でも使われている。隙間風がピューピュー入ってくるのにも関わらず、昔の扉をあえてそのまま使うだなんて、最高ですなー!

次に、金庫室の活用され方!!!写真屋さんとして使われている。

旧三菱銀行小樽支店の金庫室
金庫室を当時のまま使用している。

金庫室の扉の鍵は今でも機能するらしいのだが、鍵の開け方を知る者がいないために、扉を施錠することができないのだという。

金庫室の扉の鍵
金庫室の扉の鍵

旧三菱銀行小樽支店の金庫室内の窓
金庫室内にはなぜか窓がある(普通金庫室に窓はない)

旧三菱銀行小樽支店の金庫室内の金庫
金庫室内の金庫は陳列台として活用されている。
これも金庫室の扉の鍵と同様、だれも鍵の開け方を知らないので閉めることができない。

この金庫には重要な書類や大量の現金が保管されていたのだろう…と思いきや、実はこの金庫はいつも空っぽだったという。毎日営業時間が終了すると、金庫の中のものは③の日銀小樽支店のロッカーに運ばれ、日銀で保管されていたそうだ。

たしかに窓のある金庫室で保管するよりは日銀で保管する方が安心だとは思うが、日銀まで運んでいるときに襲撃されるリスクもあると思うんだけどな…w 写真屋さんの店主のおじさんがとても気さくな方で、この裏話(?)を教えてくれた。

⑥旧北海道拓殖銀行小樽支店

旧北海道拓殖銀行小樽支店

建築年:1923年(大正12年)
設計:矢橋賢吉、小林正紹、山本万太郎
施工:伊藤組

日銀通りを挟んで⑤の旧三菱銀行の向かいにある、鉄筋コンクリートの地下1階、地上4階建ての建物。北海道の初期鉄筋コンクリート建築を代表する遺構だと言われている。

拓銀は政府系の特殊銀行だったので設計には大蔵省が携わっており、当時大蔵省臨時建築課長だった矢橋賢吉などが設計。矢橋賢吉は国会議事堂なども手掛けている。

ここは「蟹工船」で有名な小林多喜二が1924年(大正13年)から1929年(昭和4年)まで銀行員として働いていた場所としても知られている。

この建物は、正面エントランスの曲線がユニークだ。上の写真だと少しわかりづらいかもしれないが、下の写真の角度から見ると、私が言いたいことがなんとなく伝わると思う。こんな形の建物を見たことがない。隣にあった建物の影響だと思うが、左側が短いような、細長いような、なんと言えばいいのか(語彙力)。

旧北海道拓殖銀行小樽支店(正面)
正面エントランス

1969年(昭和44年)に拓銀が撤退した後は、ホテルや美術館として使われ、2017年(平成29年)からはニトリが所有。現在は「似鳥美術館」としてニトリ社長のコレクションが展示されている。(ニトリ儲かってまんなー!)

入口をくぐると銀行ホールになっており、6本の大きな円柱がドーンと2階まで伸びていて存在感が凄まじいのでぜひ内部も覗いてみて!

ちなみに、ニトリはこの建物のほかにも、⑧の旧三井銀行小樽支店など計4棟の歴史的建造物を所有しており「小樽芸術村」として運営している。

小樽芸術村 公式ページ

⑦旧第一銀行小樽支店

旧第一銀行小樽支店

建築年:1924年(大正13年)
設計:中村田辺建築事務所(田辺淳吉)
施工:清水組

色内大通りを挟んで⑤の旧三菱銀行の向かいにある、鉄筋コンクリートの4階建ての建物。

角の曲線が美しい。外観は飾り気がなく非常にシンプルだが、もともとは道路に面した2面に巨大な円柱があり、エントランスには凝った装飾がほどこされていた。

日本銀行旧小樽支店に展示されている北のウォール街のジオラマ(旧第一銀行小樽支店)
日銀旧小樽支店に展示されているジオラマでは、建築当初の様子が再現されている。巨大なオーダーや装飾はなぜ取り除かれてしまったのだろう。老朽化かな?もったいないね。

現在は洋服工場として使われており内部公開はされていないが、当時の吹き抜けや営業フロアがそのまま残っているとのこと。

日銀通りと色内大通りの交差点には、ほぼ同時期に⑤三菱銀行(1922年)、⑥北海道拓殖銀行(1923年)、⑦第一銀行(1924年)が立て続けに建てられた。この時代の小樽がいかに繁栄していたのかが容易に想像できる。大正後期のこの時期が小樽経済の絶頂期だったんだなぁ。。。ふむふむ。

⑧旧三井銀行小樽支店

旧三井銀行小樽支店

建築年:1927年(昭和2年)
設計:曾禰中條建築事務所(曾禰達蔵、中條精一郎)
施工:竹中工務店

⑥の北海道拓殖銀行と同じ「小樽芸術村」にある、鉄骨鉄筋コンクリートの地下1階、地上3階建ての建物。

丸の内の三菱系のオフィスビルを数多く手がけ、日本建築界をリードしていた曾禰達蔵と、その後輩中條精一郎によって設計された。

正面には5つのアーチ窓が設けられ、軒下やエントランスの周りには彫刻がほどこされている。「THE★銀行」とでも言わんばかりの重厚感あふれる、ルネサンス様式のデザインが美しい。

旧三井銀行小樽支店エントランス
エントランスから上を見上げる。各所に施された彫刻もステキ。

1923年(大正12年)の関東大震災後に設計されたので、当時最先端の耐震構造(鉄骨のまわりに鉄筋を配しコンクリートで固める)で作られている。

夜にはライトアップされるのだが、これがあまりにも美しすぎる。この景色だけを切り取ってみると、ここが日本ではないような、ヨーロッパかどこかにいるような気分になる。

旧三井銀行小樽支店のライトアップ
旧三井銀行小樽支店のライトアップ。日が暮れる直前が一番きれい。

この建物は、三井銀行→帝国銀行→太陽神戸銀行→さくら銀行→三井住友銀行と名前を変えながら銀行店舗として使用され続けたが、2002年(平成14年)11月に三井住友銀行小樽支店が廃止となり、銀行としての役目を終えた。

三井住友銀行は、21世紀まで小樽で営業を続けた唯一の都市銀行である。

小樽支店廃止後、建物は「白い恋人」でおなじみの石屋製菓に売却されたが建物が活用されることはなく、2016年にニトリが所有者となって小樽芸術村を構成する施設のひとつとなった。

内部は有料(500円)で一般公開されており、営業カウンターや金庫室、会議室などを見学することができる。手元にいい写真がないので、小樽芸術村のHPの写真をお借りします。

旧三井銀行小樽支店の内部の様子

➈旧安田銀行小樽支店

旧安田銀行小樽支店

建築年:1930年(昭和5年)
設計:安田銀行営繕課
施工:清水組

①~⑧の建物から少し離れた小樽駅前の大通り(中央通り)沿いにある、鉄筋コンクリートの2階建ての建物。

昭和初期の銀行建築は、このようなデザインが好まれた。石張りの外壁に4本の円柱。いかにも銀行ですーという感じ。

旧安田銀行小樽支店の正面
正面エントランスから見上げた様子は圧巻!大オーダーがすごいィィィィィ…‼

第二次世界大戦後、安田銀行は財閥解体を経て富士銀行となり、建物は富士銀行が継承した。 富士銀行が小樽から撤退すると、1970年(昭和45年)から北海道経済新聞社の社屋、2007年(平成19年)から花ごころという和食レストランとして使われていた。

レストランで飲食すれば内部を見れたのだが、コロナの影響で観光客が激減したことによって経営が悪化し2020年6月にレストランは閉店してしまった。次のテナントはまだ決まっていないようで、私が訪れたときも入口は閉ざされていた。

⑩旧第四十七銀行小樽支店

旧第四十七銀行小樽支店

建築年:1936年(昭和11年)
設計:不明
施工:不明

中央通りを挟んで➈の旧安田銀行の向かいにある、木造2階建ての建物。小樽銀行街に残る建物としては一番新しい。

安田銀行の建物と比較すると小規模でこじんまりとしているが、正面の円柱や、しっかりとしたタイル張りの外壁は昭和初期の典型的な銀行建築のデザイン。建設時の姿で残っているらしい。

北海道紙商事の社屋として使われ、北海道紙商事の看板が長いこと掲げられていたのだが、今は「第四十七銀行小樽支店」の看板が…!これは激しく萌えポイント…!!!

「第四十七銀行小樽支店」の看板

第四十七銀行は、「富山」に本店を置いていた私立銀行で、のちに十二銀行(石川・富山に本店を置いていた私立銀行)と合併、北陸銀行の前身の一つである。

富山の銀行がなぜ小樽に支店を持っていたのかというと、明治の北海道開拓の時代、北海道への入植者の多くが北陸地方出身者だったためだ。ピーク時には入植者の3割ほどが北陸出身者だったという。

北陸からの移住者を支援するため、北陸の銀行である四十七銀行と十二銀行は北海道に進出し、北の地で営業基盤を固めた。この建物のすぐ近く(中央通り沿い)には、いまも北陸銀行小樽支店がある。

北陸銀行小樽支店は、1899年(明治32年)に十二銀行が小樽支店を開設してから100年以上も同じ場所で営業を続けており、これまた歴史がある。(ただし、古い建物は残っていない)

さいごに

明治・大正・昭和初期にかけて小樽が栄えていた時代の建造物は、数多く残っており、小樽市指定の歴史的建造物は現在79件もある

いつかすべてをじっくりと見て周りたいが、時間の制約があるので、今回は「銀行街」をテーマに巡ってみたが見ごたえ抜群。小樽経済が絶頂期の様子をイメージすることができて楽しかったし、小樽の歴史についてもやけに詳しくなった。札幌からフラっと気分転換に訪れるにはいい場所だと改めて感じた。

旧日本郵船小樽支店や、にしん御殿など、訪れてみたい名所がまだまだたくさんあるので、また日を改めて小樽探索をしなければいけない。(義務!

最後までお読みいただきありがとうございました♪