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インドでメジャーな宗教をサクッと解説 ③キリスト教

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タイトル画像(インドでメジャーな宗教をサクッと解説 ③キリスト教)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インドの宗教というと「ヒンドゥー教」がまず頭に浮かぶ。 ヒンドゥー教はインドで誕生し、インドの全国民の約8割が信仰している。

インドは多宗教の国でもある。ヒンドゥー教の他に、ジャイナ教、や仏教、シーク教もインドで誕生したし、外来のイスラム教やキリスト教、ゾロアスター教の信者も多い。

そこで今回は、インドのメジャーな宗教について簡単にまとめてみることにした。

この記事ではキリスト教についてまとめるよ!!

インドの主要な宗教

  1. ヒンドゥー教
  2. イスラム教
  3. キリスト教 ←今回のテーマ
  4. シーク教
  5. 仏教
  6. ジャイナ教
  7. ゾロアスター教

はじめに:インドで信仰されている主な宗教

インドの直近の国政調査(2011年実施、2015年発表)によると、主な宗教は以下の通り。

宗教信者数割合
ヒンドゥー教9億6,620人79.80%
イスラム教1億7,220人14.23%
キリスト教2,780万人2.30%
シーク教2,080万人1.72%
仏教844万人0.70%
ジャイナ教445万人0.37%
ゾロアスター教5.7万人---

インドでキリスト教徒が多い地域

キリスト教はインドで3番目に信者が多いが、人口に対する割合は2.3%と少なく、インドにキリスト教のイメージはあまりないかもしれない。

人口におけるキリスト教徒の割合が高い州は以下の通り。(2011年国勢調査より)

州名クリスチャン
人口
州人口に
対する割合
ナガランド州173万人87.93%
ミゾラム州95万人87.16%
メガラヤ州221万人74.59%
マニプール州117万人41.29%
アルナチャル・
プラデーシュ州
41万人30.26%
ゴア州36万人25.10%
アンダマン・ニコバル
連邦直轄領
8万人21.28%
ケララ州614万人18.38%

上位5州は(北東インド)は州人口は少ないが、人口のほとんどがキリスト教を信仰している。

ゴアやケララ(南インド)もキリスト教徒が多いということでよく知られており、古い教会も残っている。

北東インドから南インドまで、インド各地で信仰されているキリスト教であるが、 そのルーツや信仰は多岐にわたっている。

インドのキリスト教の歴史と宗派

シリアン・クリスチャン

インドにキリスト教を伝えたのは十二使徒のひとりである聖トマスであると伝えられている。

紀元後52年、南インドの西海岸(現在のケララ州北部、マラバール海岸)にやって来た聖トマスが マラバール海一帯に7つの教会を設立し、その後東海岸へ移動しマドラス(現チェンナイ)で亡くなったとされる。

▼マラバール海岸はここ
マラバール海岸の場所

聖トマスは数々の奇跡を起こし、それを見た高位カーストのバラモンたちがキリスト教に改宗したそうだ。

この地は古くからアラブの国々との香辛料貿易で繁栄し、大きなユダヤ人コミュニティが存在していた。68年にこの地を訪れたユダヤ人の記録には「キリスト人コミュニティ」について記されており、 2世紀に訪れたアレクサンドリアの学者もこの地のキリスト教について記録しているらしいので、 遅くとも2世紀、3世紀までには相当数のキリスト教徒が存在していたのではないかと言われている。

その後、345年にペルシャから商人としてやって来たクナイ・トマンは、 木製の十字架を身に着けた「自称クリスチャン」に出会うが、彼らの信仰は正しいキリスト教とは似て非なるもので、異教信仰のようであった。

そこでトマンは「自称クリスチャン」たちを正しい道へ導くべく東シリア教会に助けを求め、聖職者を含むペルシャ人の一団が現在のケララ州北部に移住し、東シリア教会の信仰がケララに伝わった。

この時代からの古いキリスト教徒は「聖トマス・クリスチャン(St. Thomas Christian)」や「シリアン・クリスチャン(Syrian Christiann)」と呼ばれる。ケララ州のキリスト教徒は、半数以上がシリアン・クリスチャンであるという。

シリアン・クリスチャンは、キリスト教徒としての歴史が長く、シリアン・クリスチャン同士での婚姻が一般的であることから、一種のカーストとして機能している。

キリスト教徒の中でも階級意識があるようで、低カーストから逃れるために改宗したキリスト教徒と比較してシリアン・クリスチャンの地位はかなり高く、プライドもお高めらしい。

サントメ聖堂
12使徒のひとり、聖トマスが没したとされる場所に建てられたチェンナイのサントメ大聖堂(St. Thomas Cathedral)には、ザビエルも来たし、ローマ教皇ヨハネパウロ2世も訪れた聖地ともいえる場所。使徒にゆかりがある教会は世界に3つしかなく、そのうちの1つがここ。19世紀にイギリスによって改装され現在の姿になった。(2016年4月撮影)

クナナヤ・クリスチャン

クナイ・トマン、およびペルシャから移住してきた一団は、現地のキリスト教徒との結婚が厳しく制限され、ペルシャ人同士での内婚が続いた。

彼らは「クナナヤ・クリスチャン(Knanaya Christian)」と呼ばれ、一般的なケララの人達よりも肌が白く、南インド感が薄い顔つきをしている。

イギリス植民地時代、ケララにでのクナナヤ・クリスチャンの社会的地位は非常に高く(肌が白いので重要な役職を与えられた?)、20世紀には多くのクナナヤがインド国外に移住し、海外ではシカゴに最大のクナナヤコミュニティがある。

シリアン・クリスチャンの分裂

大航海時代の1498年、ポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマが喜望峰を経由して現在のカリカットに到達し、インドへの航路を開拓すると、ポルトガルによるインド支配が始まる。ポルトガルはコチに商館を開き、1510年にはゴアを手に入れて植民地支配の中心地としてこの一帯を支配した。

▼バスコダガマの航路
バスコダガマの航路

ポルトガル人にとってケララの人達が信仰していたシリアキリスト教は「異端」で、その誤りを正す(=ローマ・カトリックに改宗させる)ために熱心な布教を行ったとされる。

1599年にはディアンパー(ウダヤンペルール)で開催された宗教会議で教会のラテン化が決議され、ポルトガル人司祭を採用したり、典礼を変更することが強制された。シリア教会の古い記録や蔵書は「異端の書」として焼き捨てられ、ポルトガル人来訪以前のキリスト教の歴史がわずかしか知られていない理由のひとつとなっている。

ポルトガルによる強引な改宗に反発する人も多く、巻き返しをはかるべく、シリア正教会の一派であるバビロンのヤコブ派がケララにアハッタラという主教を派遣したのだが、ポルトガル人に殺されてしまう。

これに激怒した人々はローマ・カトリックの教えには従わねぇ!と宣言し、ヤコブ派を受け入れる派閥と、カトリックを受け入れる派閥に分裂した。

ラテン・カトリック・クリスチャン

1542年、ポルトガルのインド支配の中心地ゴアにやってきたのが、宣教師フランシスコ・ザビエル

ザビエルはゴアからアジアへの布教をスタートさせて日本にもキリスト教を伝えたので、私たちも歴史の授業で習うお馴染み?の人物だ。

▼日本人でこの絵を見たことがない人はいないのでは?社会の資料集に載ってるよね。(Wikipediaより)
フランシスコ・ザビエル

ザビエルは南インドを渡り歩いて熱心に布教活動を行い、多くの人をカトリックに改宗させるのに貢献した。ゴアのボン・ジェズ教会にはザビエルの遺体が安置されており、10年に一度拝むことができる。

ゴアでは住民の多くがヒンドゥー教からカトリックに改宗し、もともとのカーストがキリスト教の社会でも引き継がれた。ポルトガルが支配していた時代は、みなポルトガル語を操れたようだが、いまでは一部の老人に限られる。

ゴアの近辺、特に現在のカルナータカ州の海岸沿い(マンガロールなど)にもゴアのキリスト教(Goan Catholics)が移民などを通じて伝わり、さらにローカライズした。

タミル語圏では、ザビエルはインド最南端のカニャクマリ周辺を中心に布教したこともあり、今でもカニャクマリの住民の半数近くはカトリックを信仰している。特に、パラバ(Paravar)という漁民カーストは大半がカトリックに改宗した。

ケララではシリアンクリスチャンから改宗した人たちに加え、ヒンドゥー教の低カーストへの差別から抜け出すために多くの人が改宗した。

ポルトガルによってにカトリックに改宗した人々は「ラテン・カトリック・クリスチャン(Latin Catholics)」や「ローマ・カトリック・クリスチャン(Roma Catholics)」と呼ばれる。

ゴアのボン・ジェズ教会
ザビエルのミイラが保管されているゴアのボン・ジェズ教会(Basilica of Bom Jesus)(2019年5月撮影)

ゴア南部の街並み
ゴア南部の街並み。英国コロニアルとも異なる独特の雰囲気があるよね。ゴア・ポルトガルStyle。(2018年12月撮影)

イースト・インディアン

ボンベイ(現ムンバイ)をルーツとするキリスト教徒は「イースト・インディアン(East Indians)」と呼ばれる。

ボンベイは西インドなのに、なぜイースト・インディアンなのか?これはイギリス東インド会社に由来する。

ボンベイはもともと小さな島で、1534年にポルトガルの領地になると、約1万~2万人がカトリックに改宗したと考えられている。

1661年、ポルトガル国王の娘キャサリンがイギリスのチャールズ2世に嫁いだ際の持参金としてボンベイはイギリスに譲渡され、イギリス東インド会社に貸与されることになった。

ボンベイはイギリスの植民地支配における西インド拠点として急速に発展し、現地のインド人も東インド会社に仕えたのだが、雇用は「キリスト教徒」を対象としたため、ポルトガル時代に改宗した人々のみが東インド会社の仕事に就くことができた。そのため彼らは「イースト・インディアン」と呼ばれるようになった。

ヒンドゥー教を信仰しているインド人と、ローマカトリックを信仰しているインド人選ぶことができるなら、同じ宗教を信仰する後者のほうが色々とやりやすい。イースト・インディアン達が優遇されたのも納得だ。「ボンベイに行けば東インド会社の仕事がある」という理由でゴアからボンベイに移り住む者もいたという。

1887年、ビクトリア女王(インドの初代皇帝でもある)の即位50周年を祝う際、イースト・インディアン達はポルトガル名からイギリス名に改名し「俺たちがインド最古のイギリスのローマカトリック教徒だぜぃ!」とアピールした。ムンバイのクリスチャンにポルトガル名とイギリス名がいるのはこれに由来しているんだとか。

ムンバイのキリスト教徒は人口の3%教と少数派だが、イースト・インディアンの居住区にはコロニアルな建物が多く残っていたり、イギリス植民地時代に建てられた立派な教会が点在していたりするので、感覚的にはもっと多いような気もする。

ムンバイのイーストインディアン居住区1
ムンバイのイーストインディアン居住区2
ムンバイのイーストインディアンが住む地域。ムンバイにもゴア感漂うエリアがある。(2020年2月撮影)

ムンバイの聖トマス聖堂
イギリスによってつくられたムンバイの聖トマス聖堂(2019年8月撮影)

プロテスタント

18世紀、プロテスタント(ルター派)の宣教師がドイツから派遣され、南インドを中心に布教活動を行い、新約聖書をタミル語に翻訳した。

1798年、プロテスタントの一派であるバプテスト派(英国国教会の分離派思想から発生)の宣教師ウィリアム・ケアリーが、イギリスから植民地支配の中心であったカルカッタ(現コルカタ)に派遣され、新約聖書をベンガル語(ベンガル州)、オリヤ語(オリッサ州)、アッサム語(アッサム州)、マラティー語(マハラシュトラ州)、サンスクリット語、ヒンディー語に翻訳した。

19世紀に入ると、バプテスト派の宣教師がインド北東部に進出し始める。

1872年、アメリカ人宣教師のエドワード・ウィンター・クラークはナガランドで初めての教会(バプテスト派)を作り、布教活動を行った。ナガランドの住民(ナガ族)は、もともと山や森を崇拝し、部族間の戦いで首狩りを行う習慣があったが、ナガ族がキリスト教を受け入れることでこの文化は消滅した。

今日、ナガランドの住民(ナガ族)の大半はキリスト教徒で、その3/4はバプテスト派である。割合ベースでみると、ナガランド州は「世界で最もバプテスト派が多い州」らしい。

1895年、ミゾ族の土地(=ミゾラム)は英領インドに合併されたが、ミゾ族は伝統的・原始的な暮らしをしており、文字を読める人は全くいなかったという。

ミゾ族の生活様式を改善するための解決策として、イギリス人宣教師たちがミゾラムにやって来て、1897年にミゾラムで初めての教会(プロテスタント・カルヴァン派の教派である長老派)がアイザウルに作られた。ミゾ族はもともと精霊などを信じていたが、大半がキリスト教を信仰するようになり、長老派が大部分を占める。キリスト教を通じて生活様式が変化し、国内で1、2を争う識字率の高さを誇る州となった。

ナガランドやミゾラムのように、インド北東部の部族は伝統的な習慣と結びついたスピリチュアルな信仰をしていたが、植民地時代にやってきたキリスト教(プロテスタント)は、いまや北東インドでもっともメジャーな宗教のひとつとなった。

Kohima
ナガランド州の州都コヒマには教会がたくさん!(Flickrより)

インドのキリスト教の特徴

インドのキリスト教の特徴、というか個人的に面白いと思う点を、独断と偏見でピックアップ!

衣食住が西洋チック

ヒンドゥー教やイスラム教のように1)食事に制約がないので、豚肉も牛肉も食べる。キリスト教徒が多い地域は海に近いところが多いので、シーフードももりもり食べる。お酒に対しても「後ろめたいもの」というイメージを持っていない。

衣服に関しても、ヒンドゥー教やイスラム教の女性がかなり保守的2)なのに対し、クリスチャンの女性は洋服やワンピース、デニムといった西洋のファッションを抵抗なく受け入れている

1:ヒンドゥー教徒は菜食主義者が多く、牛肉を口にしない。イスラム教徒は豚肉を食べず、お酒を飲まない。

2:ヒンドゥー教徒の女性は、足首隠して腹隠さず。サリーでお腹や背中は露出するけど、足は露出しない人が多い。上半身よりも、下半身の露出に保守的なイメージ。イスラム教徒の女性は髪の毛をスカーフ(デュパタ)、全身をガウン(アバヤ)で覆い、体のラインを最大限に隠す。

今でこそ都市部において洋服は当たり前になっているが、ほんの少し前まではサリーやクルタといったインド服が一般的で、地方や田舎では今もインド服が圧倒的に支持されている。 インド全体で洋服に抵抗を持つ人がまだまだ多い中、クリスチャン女性は、若い世代に限らずおばあちゃん世代も含めて日常的にワンピースやスカートを着用している。

結婚式やセレモニーの時はインドの民族衣装ではなく、女性はドレス、男性はスーツをを着る人が多い。

知人に「サリーを一度も着たことがない」というクリスチャン女性がいる。着飾るべきフォーマルな場面では、インド服ではなくドレス(ワンピース)を着るのが彼女たちにとっては一般的なのだそう。

「クリスチャンじゃないからスーツのジャケットを持っていない」と困っていたヒンドゥー教徒の男性もいた。なんちゅ~理由だよw、と思ったが、彼は職場ではクールビズ系(インドは暑いので1年中クールビズ)、祝いの席ではインド服を着るので、ジャケットを着る機会が全くないのだという。そんな彼に対し、クリスチャンの男性は何着も上下セットで仕立てたものを持っているのが当たり前。上下白とか、見る角度によって色が変わる素材のやつとか、派手なものを好む傾向にあるようですw

住居に関しても、クリスチャン・コミュニティーのエリアでは印洋折衷コロニアルな一軒家が多く残っており、文化の違いを見せつけられる。

インドのクリスチャンは、食べるもの、着るもの、住むところ、衣食住が西洋チックである。

ゴアのビーフシャクティ
牛肉のシャクティ(Beef Xacuti)。シャクティーはココナッツとスパイスが効いたゴア名物の肉カレーだよ。(2019年5月撮影)

キリスト像やマリア像がインド化している

カトリックのクリスチャンが多く住む地域では、小さなキリスト像やマリア像が道の脇にあちこち設置されている3)

3: 旧約聖書では偶像崇拝が禁止されているが、十字架や像、絵画などからイメージを膨らませて信仰の媒介にするのはOKだと理解されているので、カトリックではキリストや聖人の絵画や像が存在する。プロテスタントは聖書主義なので偶像崇拝を避けるために像や絵画が少なくて、十字架もシンプルだったり、なかったりといった感じ。

像にはマリーゴールドやジャスミンの花で作られた花輪がかけられていて、ヒンドゥー教の神様みた~い!

マリア像にもサリーをイメージしたと思われる布が巻かれていて、インドっぽ~い!

十字架や像がインドナイズされてて興味深いなぁとひそかに思っている。

サントメ大聖堂の聖母マリア像
サリーに身を包む聖母マリア像。チェンナイのサントメ大聖堂にて。(2016年4月撮影)

マリーゴールドの花輪がかけられた十字架
マリーゴールドの花輪がかけられたイエスキリスト像
マリーゴールドの花輪がかけられた十字架とイエス・キリスト像(2020年2月撮影)

インドのクリスマス

クリスマスは一大イベント!私が住むムンバイではクリスマスが近づくと町がクリスマス色になる。「クリスマス一色」ではなく、あくまでも一部がクリスマス色になる程度

ちなみに、インドにおけるクリスマスはかなり小規模だと言われているが、その中ではムンバイは大きい方。

クリスマスマーケット

クリスマスマーケットというと、ドイツやオーストリアのイメージが強い。大きなツリーが設置されて、ホットワインやココアが売られ、クリスマスツリーに飾るオーナメントなどを扱う出店がズラーっと並んでいる様子を思い浮かべるが、インドのはも~~っと小さな規模。

これをクリスマスマーケットと呼んでいいのかどうかはわからないが、クリスマスが近くなると教会の近くにクリスマスグッズを扱う露店が出現する。星形の紙で作られたライトや、ツリーに飾るオーナメントなんかが売られていて、見ていて楽しいので、私は勝手に「クリスマスマーケット」と呼んでいる。

この時期になると、高級ショッピングモールや高級ホテルの中にも、クリスマスマーケット風の催し物が出される。

ムンバイのクリスマスマーケット①
ムンバイのクリスマスマーケット②
ムンバイのクリスマスマーケット風のお店(2019年12月)

星のランプ
星のライトを何個も飾って星空を作るのがデコレーションの定番。ゴアにて。(2018年12月撮影)

インド系5つ星ホテルのクリスマスデコレーション
インド系5つ星ホテルのクリスマスツリーとクリスマス期間限定のお菓子を取り扱うお店(2019年12月撮影)

クリスマスツリー

インドのような暑い地域でもみの木のクリスマスツリーを飾る家があれば、その人たちはお金持ちであること間違いなし。植生が異なるので作り物のクリスマスツリーを飾るのが一般的であるが、南インドの方ではバナナやマンゴーの木や葉っぱをクリスマスツリーとして使うらしい。

私は実際に見たことはないが、キリスト教徒が多い南・西インドの海岸沿いはマンゴーの有名な生産地でもあるので納得はできる。インディアン・ジュガード(ないものをあるもので代用する)なんだろうか、だいぶユニークなクリスマスツリーである。

マンゴーのクリスマスツリー
マンゴーの木を使ったクリスマスツリーの一例(拾い画)

ネタか?と思ったが、インスタに投稿している人もいるので、本当に使うんだなぁ・・・びっくり。

▼マンゴークリスマスツリー(Instagramより)

クリスマスの過ごし方

クリスチャンの人々がクリスマスを祝うのは当たり前だが、他の宗教の人はどうなんだろう? 日本人のようにクリスマスをイベントとして楽しむのか?子供はサンタさんからのプレゼントをもらえるのか?

疑問に思った私は複数のインド人に聞いてみたことがある。

  1. 「特に何もしない」
    (ヒンドゥー教徒男性/農村出身/ミドル)
  2. 「レストランのクリスマス限定メニューが楽しみ、家では何もしない」
    (ヒンドゥー教徒女性/ムンバイ出身/アッパー)
  3. 「何もしない」
    (ヒンドゥー教徒女性/ムンバイ出身/アッパーミドル)
  4. 「特に何もしない」
    (ムスリム女性/ムンバイ出身/ミドル)
  5. 「夜に教会のミサに参加して、家族と一緒に過ごす」
    (クリスチャン女性/ムンバイ出身/ミドル)

知人の意見だけを参考にすると、インドにおけるクリスマスはクリスチャンだけのもので、日本のように一種のイベントと化する日は来ないようにも思える。

しかし私がインドに住み始めた2016年から直近までの数年間だけで、クリスマスに便乗したイベントやマーケティング(主に富裕層向け)が増えているように なんとな~く感じるので(数字の根拠はない)、この流れが富裕層からミドル層へじわじわと浸透していくこともあり得るよね。

クリスマスに仮装する男性
クリスマスにサンタに扮する男性が・・・いたyo(2017年12月撮影)

Happy New Yearの星形ライト
クリスマスのデコレーションはあけおめ兼用。2月くらいまで飾っている場合もある。さすがにそれは長すぎるw(2017年12月撮影)

さいごに

キリスト教はインドではマイナーな宗教ではあるものの、特定の地域(北東インド、ゴア、ケララ、カニャクマリ、マンガロール・ムンバイなどのクリスチャン・コミュニティー)ではクリスチャン文化が他宗教よりも色濃く、インドっぽくない雰囲気に満ち溢れている。

教会の中は静かだし(外は騒音でうるさい)、靴を脱がなくてもいいし(ヒンドゥー教寺院は土足厳禁)、クリスチャン以外にも扉が開かれている(イスラム教モスクは基本的にムスリムのみ)ので、インドの喧騒から逃れたいナー、疲れたナー、と思ったら近所の教会で礼拝に参加してみたり、ただ座ってボーっとしてるだけでも、心が落ち着くだろう。

インドのクリスチャン文化を手軽に即座に味わうなら、ゴア(パナジ、マルガオンあたり)がオススメ。ゴアは1961年にインドに返還されるまで400年以上もポルトガル領だったので、ポルトガル文化がゴリッゴリに融合しており、「インドの中のヨーロッパ」、、、は言いすぎかもしれないがそれくらい言いたくなってしまうほど、インドの他地域と比べて、街並みや食文化が大きく異なる。

コロナが収束して国内旅行ができるようになったら、まずはゴアに行きたいな~

参考にしたページ:
インド・ケーララ州のキリスト教
Wikipedia-Christianity in India
Wikipedia-Christianity in Nagaland
Wikipedia-Christianity in Mizoram