ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。
仏教を通じて日本に伝わったインド哲学の思想は数多い。その中で有名なもののひとつに「輪廻(りんね)」がある。
「いいことをしたら天国に行ける」
「悪いことをしたら地獄に落ちる」
「天国」と「地獄」は輪廻思想からきており、日本人にとっても輪廻はなじみ深い(?)単語だ。
しかし輪廻は、わかっているようで実はよくわからない。私もインドに来る前はよく理解できてなかった。
そこで、今回は輪廻についてまとめてみた。
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輪廻ってなに?
「輪廻」とは古代インドのバラモン教で生まれた思想で、
命あるものは何度でも生まれ変わり、生前の行いによって次に生まれる世界が決まる
というものだ。
当時のインドでは、人間は「肉体」と「霊魂」でできていると信じられていた。
物質である「肉体」はいつか滅びるが、物質ではない「霊魂」は永久不滅で、肉体が滅びるまでの行い(=業 / カルマ)によって、次に宿る肉体、次に生きる世界、来世(=輪界 / サンサーラ)が決まる。
輪廻思想が生まれたきっかけは古代インドの大地と自然?
古代インド文化の中心地はガンジス川流域。アーリヤ人たちがインド北西部に移住してきて、 徐々にガンジス川流域に居住地を拡大した。
ガンジス川流域では、原住民から稲作を教えてもらい農耕が発展し栄えた。
しかし、そんな彼らを悩ましたのが、毎年力強く繰り返される雨季と乾季の循環だ。
その自然環境から、終わりなく何度も何度も繰り返される輪廻は苦しいことである という思想が生まれたと言われている。(諸説あり)
輪廻は苦行!
輪廻の世界では、何度も何度も生まれ変わることができるが、何に生まれ変わるのかを選ぶことができない。人間に生まれ変われるとは限らない。動物に生まれ変わるかもしれないし、虫に生まれ変わるかもしれないし、植物に生まれ変わるかもしれない。
そのため、輪廻は苦行と考えられた。
輪廻の世界から抜け出し(=
輪廻から脱するためには?
では、どうすれば境地ニルヴァーナに到達できるのか?どうすれば解脱できるのか?
解脱するための唯一の方法は、宇宙の源であり外界の全てを司る「ブラフマン(梵)」と自分自身「アートマン(我)」が一体となること(=
梵我一如の状態に至る手段として、主に瞑想が行われた。
瞑想では聖音であり、ブラフマンを象徴する「ॐ(AUM / オーム)」が唱えられた。
これが現代のヨガのルーツにもなっている。
梵外一如
梵我一如を理解するために、水の循環を例に挙げてみよう。
「海」から生まれた「水蒸気」は「雲」をつくり「雨」を降せる。 そしてその「雨」は「川」をつくり、「海」に流れてまた「水蒸気」となり 「雲」をつくり「雨」を降らせ…(エンドレスリピート…)
つまり、海は水蒸気であり、水蒸気は雲であり、雲は雨であり、雨は川である。
それぞれは一見異なるもののように見えるが、どれも同じ水であり、それぞれはつながり合っている。
これは水の循環の例のみならず、全ての物事に当てはまる。
この世界(宇宙)にある全てのものは宇宙の一部であり、全てがつながり合っていて同一の存在なのだ。これを悟った状態が、梵外一如である。
サンスクリット語ではतत्त्वमसि(Tat Tvam Asi / タットヴァマシー)という。
直訳すると、「Tat Tvam Asi」=「That are you(それはあなた)」
「それ」とはブラフマン(宇宙・神様)のこと、つまり宇宙=あなた、あなたは宇宙の一部ということだ。
「梵我一如」よりも「That are you」の方が理解しやすいかもしれないね。
各宗教における特徴
古代インドの宗教は、バラモン教→仏教→ヒンドゥー教の順で成立した。
【紀元前15世紀ごろ】
バラモン教が成立
【紀元前5世紀ごろ】
バラモン教を批判する形で仏教が成立
仏教の勢力拡大によって衰退したバラモン教が土着信仰を吸収して大衆化していく
【4世紀頃】
大衆化したバラモン教が体系化されて現代のヒンドゥー教の基本ができる
バラモン教の時代(ヴェーダ時代)に生まれた「輪廻」の思想は、バラモン教仏教(とジャイナ教)ヒンドゥー教の順に、年代をおうごとに、また宗教が目指すものによって変化していった。
それぞれの特徴について、簡単にまとめたので見てみよう。
バラモン教における輪廻の特徴
五道・五趣
バラモン教では、上述()の通り、「人間は肉体と霊魂の二つから成る」と考えられ、滅びた肉体は大地に還り、永久不滅の霊魂は天界にのぼっていくとされた。
天界にのぼった霊魂は、生前の行いによって5段階のレベル(霊位)に分類された。
これを
- 天界
…神様の世界。憂いや悩みのない快楽の世界ではあるものの、悲しみや寿命もあり、さらに都市を取るとそれまで楽しかった分、地獄以上の苦しみを受けるとされる。 - 人間
…人間の世界。苦しみも楽しみもある。 - 畜生
動物や鳥、昆虫の世界。弱肉強食なので自分より強い生き物に食べられてしまう恐怖に常におびえなければいけない。 - 餓鬼
…飢餓の世界。餓えと渇きでがりがりにやせ細って、骨と皮になって苦しむ。 - 地獄
最も苦しみの激しい世界。この世で一番の苦しみが一滴の水だとすると、地獄の苦しみは海の水に匹敵するほどだと言われる。
カーストと輪廻
バラモン教では五道・五趣の考えが現世の社会階級にも当てはめられた。
これがカースト制(ヴァルナ制)だ。 人々を4つのヴァルナ(階級)に色づけしたもので、上位から順に白→赤→黄色→黒とされた。
バラモン教はインドの北西(イランの方)から移住してきたアーリヤ人を中心とする宗教だ。
上位3階級は肌の白いアーリヤ人で構成され、宗教上の儀式を行うことで生まれ変わること(輪廻)ができたので「再生族」と呼ばれた。
現世で階級が低いのは前世での行いが悪かったため
現世で良い行いをすれば来世ではより上の階級で生まれ変わる
上位3階級のアーリヤ人たちにとって、現世の階級での不条理は受けれて我慢して人生を全うすることが 「現世での良い行い」とされたので、死ぬまで階級を変えることはできないという考えが生まれた。
これに対し、下位のシュードラはアーリヤ人に制服された先住民族で、肌の黒いドラヴィダ人で構成された。彼らは上位3階級に仕えることが役割で、アーリヤ人が嫌がる仕事を引き受けさせられた。また、儀式に参加するための教育を受けられず、生まれ変わることができなかったため、一度しか生まれない「
1世紀頃になると、シュードラにさえも属すことのできない「不可触民」が登場した。彼らの登場によりシュードラへの差別は軽減するが、不可触民への差別は強化されていったそうだ。
ちなみに、これら4つのヴァルナは男性のみに適用され、女性は全員シュードラと同じ身分であるとマヌ法典に書かれている。
マヌ法典とは、紀元前2~後2世紀にまとめられた当時のバラモン教(=古代ヒンドゥー教ともいえる)の法典で、法律をはじめ、宗教・道徳・習慣にわたる規範が記されている。ヴァルナに関する婚姻の規則や財産の相続について細かく定められているのだが、マヌ法典は男尊女卑がえぐい。
女性は不浄だ、邪悪だ、といいたい放題。結婚するまでは父の言うことに従い、結婚すれば夫に従い、夫が死ねば子に従えという「三従」や、アーリヤ人の夫と一緒に食事をすることができない、等々。今でも農村部ではマヌ法典に書かれているような男尊女卑が存在する。2000年以上も前からインドの土地に根付いている文化なので簡単にはなくならない。 (話がとびました。)
輪廻が永遠に続く
バラモン教の輪廻思想では、輪廻は永遠に続くものだとされた。
輪廻の世界の中で、究極の願いは「天界」に再生すること。しかし、天界で永遠に生きていられるわけではない。儀式の効力が切れると天界で死んでしまい、次に地獄に落ちることもある。
梵我一如によって天界で不死身になれるともされたが、死なずに天界にとどまることができるに過ぎず、輪廻の世界にとどまっているのだ。それに、そもそも天界に転生できるのかどうかも定かではない。
バラモン教では、苦しみとされる輪廻が永遠に続くのだ。シュードラにいたっては輪廻さえもできないし。
ちょうどその頃、巷ではバラモンばかりが権力を持つことに不満を抱く人たちが出てきた。
この階級社会おかしいって!バラモンに権力偏りすぎ!
わいも再生したい。
そんな時、だいたい紀元前5世紀ごろの話だが、シッダールタが現在のブッダガヤーにある菩提樹の下で悟りをひらき、仏教が成立した。
悟りをひらいた後のシッダールタはブッダとして知られるが、ブッダはクシャトリヤ階級の王家のお坊ちゃま。バラモンたちに権力が集中することに反発する王族を中心に仏教は広まり、バラモン教を衰退させるほどに勢力を伸ばした。
仏教における輪廻の特徴
仏教は、バラモン教を批判する形で成立したが、バラモン教に大きく影響を受けており、輪廻思想はバラモン教との共通点である。
しかし、根本の考え方が異なるため、輪廻思想もバラモン教とは異なる。
バラモン教との違い
仏教における輪廻思想を理解するために、バラモン教と仏教の違いを大まかに以下にまとめた。
相違点 | バラモン教 | 仏教 |
---|---|---|
信仰の変化 | 時代や地域によって変化。 | ブッダが発見した心理であり、 いつの時代も不変。 |
信仰の地域 | インド文化と強く絡み合う 民族宗教 | 世界中の誰もが信仰できる 世界宗教 |
世界観 | 宇宙や世界・生命は 神様によって創られた。 | 世界も生命も無始無終 (始まりのない始まりから 終わりのない終わりに向かう) |
差別 | カースト制(ヴァルナ性)、 男尊女卑など、 激しい差別あり | すべての人は平等 |
神様の存在 | 多神教。たくさんの神様がおり、 幸せのために神様に祈る | 神様はわき役で、主役は自分。 自分が修行することで 幸せを手に入れる。 |
輪廻 | 梵我一如によって 天界での不死身をめざす。 | 解脱して輪廻から抜け出す。 |
仏教では、輪廻から抜け出すことが可能となり、ボーナスステージとして「極楽浄土」が追加された。
六道輪廻
仏教では、バラモン教の五道に「修羅」(争いの絶えない世界)が追加され「六道」とされた。
天界・人間・修羅が比較的楽しみの多い「三善道」、畜生・餓鬼・地獄が苦しみが激しい「三悪道」という。
車輪が止まることなく回りつづけるように、人間はこの六道の上を周って、死ぬ・生きるを繰り返してきたという。
輪廻から抜け出す方法
輪廻から抜け出す(解脱)するためには、まず仏法を聞かなければいけない。
六道のなかで唯一仏法を聞くことができるのが人間界なので、仏法を聞いて絶対の幸福になるのが人間に生まれた目的であると、仏教では説いている。
解脱するためには、修行を積んで、六道輪廻の根本原因である
煩悩とは、欲やねたみ、怒りなどのことで、煩悩を取り除くことで現生への執着をなくすことができるとされた。
「煩悩に縛られた状態」=「輪廻の世界」であるので、煩悩から解放されて輪廻の苦を断ち切ることで霊魂が自由の境地に達し、解脱できると考えられた。
四諦と八正道
煩悩を取り除くためには「
四諦の「諦」は諦めるという意味ではなく、「物事の本質を明らかにすること」「心理」であり、四諦を理解して以下の八正道に従うことで輪廻から解脱できる。
これらを実践し、
自分の見ているものは、自分が作り出した幻にすぎなかったんだ!
と悟ることができれば、解脱できる。生前にそんなに修行ができていなくても、死の瞬間の状態でコントロールすれば解脱できる。
さらに、このチャンスを逃しても、死後に新たな肉体を持つまでの中間状態(
極楽浄土ってどんなところ?
極楽浄土とは、宇宙に数多く存在する仏の中でも最高の仏と拝められる
極楽浄土では阿弥陀仏と同じ仏の悟りを開くことができ、仏として永遠に幸せに生きることができるそうだ。
極楽浄土は、金銀、
極楽浄土に生まれた人たちは天人や天女を超える美貌を持ち、美しい服を着て宮殿に住み、美味しい食べ物を食べているそうだ。
食事の用意をしなくても、七宝の食器に盛り付けられた食事が自然と目の前に現れ、その見た目と香りを味わうだけでお腹いっぱいになってしまうそうだ。
仏教を聞くだけで極楽浄土に簡単にいけるにも関わらず、多くの人がそうしないため、ブッダは「極楽浄土には行き易くて人なし」と説いたといわれている。
ヒンドゥー教における輪廻の特徴
バラモン教に土着信仰が融合してできたヒンドゥー教にも輪廻思想は引き継がれている。バラモン教の部分で触れた内容をベースとし、他宗教や土着信仰の思想を加えながら、輪廻思想は発展していった。
では、ヒンドゥー教徒のインド人たちの輪廻・死生観はどのようになっているのだろうか。
輪廻とジャーティ
時代が進むにつれ、4つのヴァルナ(階級)がさらに細分化し、「ジャーティ」と呼ばれる職業や地域による社会集団に分かれていった。
上位のジャーティであればあるほど清く、下位のジャーティーであればあるほど穢れているとされる。現代のインドにおいて外国人が「カースト」と呼んでいるものはジャーティを指す。
- ジャーティーは生まれてから死ぬまで変わることがなく、一生変更することができない。
- 基本的には同一ジャーティ内で結婚する義務があり、異なるジャーティ間の結婚は認められない。インドでお見合い結婚が多いのはこのため。
- 農業を除いて、職業は親から子に引き継がれる。現代では、古い時代に存在しなかった新たな職業(キャビンアテンダントやIT関連の仕事など)がでてきたため、これに該当しないケースもみられる。
- 同じ職業でも地域によって上位・下位の階級が異なる場合もある。
- ジャーティ集団の数は数千にも及ぶとされ、先生、医者、地主、羊飼い、大工、革職人、洗濯屋、汚物処理など様々。
この社会構造は、特に下位ジャーティの人達にとっては、生まれてから死ぬまで「穢れたもの」として扱われるわけであり、非常に受け入れがたいものだ。
それでも、未だにこの社会構造がインドに根強く残る背景は輪廻の思想である。「前世での悪い行いを現世で償えば、来世はより良いジャーティに生まれ変われる」と信じられているというが、そう信じることで、苦しい生活をなんとか乗り切っているのであろう。そうでもしないとやっていけないよね。
輪廻と時間にゆるいインド人
ヒンドゥー教徒の思想によれば、現世は過去から未来に続く長い旅の途中に過ぎない。彼らは何度も輪廻して、何度も生まれ変わるので、まだたくさん時間があると考える。
現世でやりたいことを全てやり切らなくても、来世があるので焦る必要がない。
そういう考え方が背景にあると、数時間の遅刻は大したことがないのかもしれないし、輪廻の背景を無視して単純に時間に対する感覚がマヒしておかしいだけなのかもしれない。(←どっちだ)
ガンジス川(ガンガー)は輪廻の舞台!
ヒンドゥー教では、人が亡くなった時、火葬が聖なる儀礼だと考えられている。
仏教的な考え方だと、火によって遺体を速やかに毀損することで、死んだ直後の霊魂による自らの肉体への未練を断ち切ることができ、火葬の煙とともに霊魂が天にのぼり成仏できるとされている。
死後お墓に入ってしまうと霊魂がお墓から出られなくなってしまい、天に上ることができないので、ヒンドゥー教徒は一般的にお墓を持たない。
ヒンドゥー教において、輪廻は84万回(=永遠に)続くとされているが、遺灰をガンガーに流すと輪廻転生の苦しみから解放されて永遠の幸せになる(=解脱できる)と信じられており、
ガンガーは輪廻転生のシンボル である。
なぜ遺灰をガンガーに流すと解脱できるのか?
インドの叙事詩「ラーマーヤナ」には、ガンガーについての神話が収録されている。
ガンガーは天界を流れる川であったが、シヴァ神の体を伝って天界から地上に注がれた(ガンガーの降下)。
聖なる川であるガンガーを流れる水は特別な力を持っており、ガンガーの水一滴で全ての穢れを浄められ、ガンガーで沐浴すると全ての罪をリセットされ、ガンガーに遺灰を流すと輪廻から抜け出すことができると信じられている。
また、ガンガーは天界と地上をつなぐ唯一の存在。輪廻転生の舞台としてヒンドゥー教徒にとって重要な存在となっている。
まとめ
この記事の内容をまとめると以下の通り。インド哲学やインド神話は奥深い。
- 古代インドのバラモン教で生まれた思想で、命あるものは何度でも生まれ変わり、生前の行いによって次に生まれる世界が決まる。
- 輪廻の世界は終わりがなく、次に何に生まれるか自分で決めることができずに輪廻の上を永遠に周り続けることは、苦しみである。
- 梵外一如を悟ることができれば、天界で不死身になり、ずっと天界にとどまることができる。
- 仏教では輪廻から抜け出して極楽浄土に行く道が示された。
- 輪廻は身分・階級社会における差別を正当化させる役割もある。
- インド人の時間に対する感覚は輪廻思想が背景にある(かもしれない)。
- ガンジス川で火葬されると、輪廻から抜け出して永遠の幸せを手に入れることができる。
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