ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。
前回のつづき、インドのヘリテージホテルに泊まってきたよという話。
前編では①インドのヘリテージホテルについての基本情報、②カシミール・シュリーナガルのハウスボート、③コルカタのオベロイグランドホテルについて紹介した。
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後編では、オルチャとジャンムーのヘリテージホテルを紹介する。
▼目次はこちら (クリックして表示)
【オルチャ】アマル・マハル(Amar Mahal)
2022年6月上旬、MP州にある古都オルチャを訪れた。
▼オルチャの場所
オルチャは人口1万人にも満たない小さな町であるが、ラージプート※のブンデラ一族がかつて統治していた地域(ブンデルカンド、と呼ばれる)の中心地であり、ブンデラ王国(後のオルチャ藩王国)が存在した。今も当時の宮殿や王族の墓、寺院などが町の中心部に残っており非常に見ごたえがある。
※ラージプートとは、ラジャスターンをはじめとす、る北インドのクシャトリヤ階級(戦士階級)の支配者層。
ブンデラ一族はムガル帝国と友好な関係を築いて繁栄したそうで、ブンデルカンドの建築はムガル帝国の影響を強く受けており、ヒンドゥー×ムスリムが融合したデザインが特徴的である。
オルチャのヘリテージホテル
オルチャにはヘリテージホテルが2軒ある。
一つ目は、州政府が運営している「MPT Sheesh Mahal」で、これは宮殿コンプレックス内にある宮殿ホテル。
宮殿の一部をホテルとして使用しているのだが(以下写真赤枠)、私が求めているのとはちょっと違ったので見送った。
二つ目は、私が宿泊した「Amar Mahal」。ここは「萌え」の宝庫で大当たり。というわけで、ヒアウィゴー👇👇👇
アマル・マハル滞在
アマル・マハルは1895年に建てられたブンデラ一族のお屋敷を改装したホテル。オルチャの町で一番豪華なホテルでもある。
ブンデルカンド建築は上述の通りムガル帝国の影響を強く受けており、エントランスのドームはムガル感に溢れている。
その一方でコートヤードはラージプートスタイルの作りで、まるでラジャスタンの宮殿にいるかのような雰囲気が漂う。
▼コートヤードではおじさんが笛を吹いていて平和🕊🕊🕊
廊下一面に素敵なミラーワークが施されていたり、天井や壁に植物モチーフのペイントが施されていたり、細部まで徹底的に美しさを追求しているように感じた。
ペイントは客室にも施されており、テンションは爆上がりだ。
ホテルでの食事
夕食はホテルのレストランでいただいた。ご当地メニューをお願いしたところ、パクチーの効いたトマトベースのチキンカレーが提供された(名前は失念)。
このホテルで多分一番お金がかかってるんじゃないのかと思ったのがこのレストラン。というのも、この天井を見よ!!!
天井にぎっしりとミニアチュール!!私はこんなにも「萌え」が詰まった天井をこれまでに見たことがない!なんという萌えの境地!料理よりも天井の緻密画でお腹と心が満たされたのであった。
遺跡ビュー
このホテルは遺跡ビューで、客室からも遺跡を眺めることができた。
私の客室から見えたのは王家の墓の遺跡で(ちなみに、王家はヒンドゥー教徒なのにどうしてお墓があるの?という話だが、正確にはお墓というよりも「記念碑」的なモニュメントである)、遺跡を眺めながら美しいお部屋でチャーイを飲んでいると、とてつもないほどの非日常を感じた。非日常を求めて旅をする者としてはこれ以上ない至福の時間であった。
私が宿泊した宮殿ホテル
Amar Mahal
1泊約5,000ルピー(2022年6月上旬)
【ジャンムー】ハリ・ニワス・パレス(Hari Niwas Palace)
6月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領(JK)の冬の首都、ジャンムーを訪れた。
▼ジャンムーの場所
ジャンムー・カシミールと一括りにされているが、ジャンムーとカシミールは全く異なる歴史や文化を持つ。ジャンムーは住民の多くがヒンドゥー教徒でドーグラー語を話すのに対し、カシミールは住民の大半がムスリムでカシミール語を話す。
ジャンムーはドグラ―・ラージプートが治めていたのに対し(ドーグラー王朝)、カシミールはたびたび支配者が変わり、ムガル帝国やアフガニスタン、シーク王国に支配されてきた。
ジャンムー・カシミール藩王国と宮殿ホテルの歴史
歴史も文化も異なる「ジャンムー」と「カシミール」、二つの地域が一つになったのは、1845年に勃発した第一次シーク戦争(イギリスVSシーク王国)でドーグラー王朝がイギリス軍の味方をしたことに因る。
当時ドーグラー王朝はシーク王国の封臣であったが、シーク軍を裏切ってイギリス側についた。そのおかげでイギリス側は勝利、負けたシーク王国は慰謝料としてジャンムーやカシミール等の多くの領土割譲を余儀なくされた。ドーグラー王朝のグラーブ・シンはイギリスへの協力の見返りとしてイギリスに割譲されたジャンムーとカシミールを与えられ、英領インド最大の領土を誇った巨大な藩王国「ジャンムー・カシミール藩王国」が誕生した。
今回宿泊したHari Niwas Palaceはジャンムー・カシミール藩王国最後のマハラージャである「ハリ・シン」のために20世紀初頭に建てられたもので、隣接するAmar Mahal(1890年建造のJK藩王国マハラジャファミリーの豪華なお屋敷で現在は博物館として一般公開されている)の離れである。
1947年にインドとパキスタンが分離独立した際、J&K藩王国はインドとパキスタンどちらかへの帰属を決めかねており結論を先延ばしにしていたところ、パキスタンがカシミールのシュリーナガルに攻め込んできて無理やりカシミールをパキスタンに入れようとしてきた。
最後のJK藩王ハリ・シンは、インド軍から支援を受ける代わりにインド帰属を決め、自身はシュリーナガルからジャンムーに避難し、終生をハリ・ニワス・パレスで過ごしたと言われている。
そんな歴史があるお屋敷、ハリ・ニワス・パレスはこんな感じ👇👇👇
ハリ・ニワス・パレス滞在
ハリ・ニワス・パレスは20世紀初頭に流行したアールデコ様式で建てられている。隣接するアマル・マハルが荘厳な作りであるため、見劣りしてしまう感は正直否めない。
ホテル内に足を踏み入れると、歴代のマハラージャたちに迎え入れられる。右を見ても、左を見ても、あちこちにマハラージャの肖像画が飾られ「マハラージャのお屋敷」であることのアピールがすごかった。それもそのはず、このお屋敷は現在、最後のマハラージャ「ハリ・シン」の孫たちが管理している。
JK藩王国だけでなく、インド独立前(1920~47年頃)の主要藩王国のマハラージャ達の写真も飾られており、ついつい見入ってしまった。
鏡を用いた装飾が多く、なんとなくギラギラした印象を受けた。
ホテルでの食事
夕食と朝食はホテルでいただいた。夜になるとホテルの庭がオープンエアーのレストランに変わる。生演奏もあり、非常に雰囲気がよい。
外で夕食をいただきたかったのだが、テーブルチャージミニマム5,000ルピーとのことで、ソロトラベラーの私にとっては無理ゲーのためここで夕食をいただくことはできなかった。
じゃあ、夕食に5,000ルピーを支払えない貧乏人はどうすればいいのか!
「貧乏人はBARでお食事をお楽しみくださいませ」
というわけでBARへ。
マハラージャのハリ・シンはポロの名手だったようで、ポロインスパイア―ドのBARだった。BARの名前も「Polo Bar」。
馬のはく製があったり、ポロ用具が飾られていたり、大理石のテーブルにポロのデザインが施されていたり、インテリアにはかなり凝っているようでBARとしては非常にいいと思うものの、ここでごはん食べるのかよ~という気持ちでいっぱい。
明らかにここはごはんを食べる場所じゃないんだよね。テーブルの高さとかさ、照明とかさ、色々違うの…
ちなみに、外のレストランで食べても、このBARで食べても、メニューは同じ。ソロトラベラーには優しくないホテルだわ。
翌朝の朝食は、素敵なレストランにて。ここで夕食がいただけたらよかったのだが、ディナー営業はしていないらしい。普通に考えてBARよりもこっちの方がいいだろ。
このホテルをまとめると、マハラージャを身近に感じられるアットホームな雰囲気のお屋敷で居心地が非常によかった。以上!
私が宿泊した宮殿ホテル
Hari Niwas Palace
1泊約5,500ルピー(2022年6月中旬)
まとめ
前編では、親子3世代続くシュリーナガルのハウスボート、植民地時代から営業しているコルカタのコロニアルホテル、後編では、100年以上前に建てられたマハラージャのお屋敷を改装した宮殿ホテルを紹介した。
一言で「ヘリテージホテル」と言っても多種多様だが、私が好きなのはマハラージャゴリ押しスタイルのホテルかな!
2022年後半も、ヘリテイジ萌えを求めて旅行計画を練るぞ~~!
最後までお読みいただき有難うございました♪ෆ(◕ㅂ◕)ෆ♪