ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。
北インドを離れることに決めたのでここ最近は北インド各地を旅行していた。「ヘリテージホテル」を旅の目的のひとつとし、①シュリーナガル、②コルカタ、③オルチャ、④ジャンムーを旅先に設定。思う存分ヘリテージ萌えを堪能してきた。
というわけで2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在記録。
▼目次はこちら (クリックして表示)
はじめに:インドのヘリテージホテルについて
はじめにインドのヘリテージホテルについて簡単に説明しておく。ヘリテージホテルとはその名の通り歴史たっぷりなホテルで、インドにおいては以下の三つに大別される。
一つ目は宮殿ホテル。
独立前のインドには、500を超える藩王国(イギリス植民地時代にマハラージャやニザーム(藩王)が統治していた領国で、イギリスと同盟を結び軍事・外交を握られる代わりに一定の自治権を認められていた。)が存在しており、藩王たちは豪華絢爛な宮殿に住み、派手な生活をしていたという。
そんなマハラージャの宮殿がホテルに改装されたものが宮殿ホテルだ。「これぞマハーラジャ」という超煌びやかでエレガントな大宮殿(マハラージャご本人のお家)からこじんまりとしたお屋敷(客人向けのお屋敷や地方の別荘など)まで、レンジはかなり広い。一泊数万ルピーするものもあれば、数千ルピーでお気軽に泊まれるところもある。
宮殿ホテルはインド各地に存在し、有名な宮殿ホテルにはだいたい「タージ」か「オベロイ」の冠がついているので、サービスも最高級。ロイヤルファミリー気分を味わえ、インドならではの宿泊体験ができるゾ!
二つ目はお屋敷ブティックホテル。
独立前に金融や貿易で財を成した地元の豪商や藩王国の役人、地元の地主や有力者が建てたお屋敷がホテルに改装されたもので、宮殿ホテルのようなエレガントな華やかさはないが、すんげー可愛くてテンションが上がる。特にラジャスターン州の有力者たちが建てたお屋敷はインテリアがめちゃくちゃカワイイく気絶するレベルだ。
ゴリゴリの宮殿ホテルと違い家族経営のところも多く、アットホームでお手頃価格なのも魅力。1泊5,000~1万ルピー程度で泊まれるので私のようなバジェットトラベラーにも推せる。
個人的には、ゴア(ポルトガル領だったので建築が総じてカワイイ)や南インド(豪商が多かったチェッティナードゥ地方とか)、ラジャスターン(特にジャイプール周辺、上述の通り気絶レベルのホテルがウヨウヨ)に多い印象がある。
三つめは植民地時代のコロニアルホテル。
イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築のホテルで、100年以上前からホテルとして活躍する激萌え物件だ。当時(19世紀末)最先端の建築様式が取り入れており、建築好きにはたまらない。
植民地時代の中心地であったムンバイ(経済の中心)やコルカタ(政治の中心)で見られ、その当時から高級ホテルとして君臨し続けている。
と、一通り簡単に説明したところで、私のヘリテージホテル滞在記のはじまりはじまり。
【シュリーナガル】ハウスボート(Lily of Nageen)
一発目から上記三つに区分されない「例外」の登場である。(おいおい)
2022年4月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領の夏季の首都であるシュリーナガルに旅行し、ハウスボートに滞在した。
▼シュリーナガルの場所
シュリーナガルはかつてのイギリス人の避暑地で、町の中心にはダール湖・ナジーン湖、2つの湖が広がっている。それらの湖に浮かぶハウスボートは観光客向けの宿泊施設となっており、「シュリーナガルでハウスボートに泊まるのが憧れ」というような一種のアトラクションと化している。
ハウスボートの歴史
ハウスボートの歴史は19世紀のイギリス植民地時代にまで遡る。前述の通りシュリーナガルはイギリス人の避暑地だったので、この地に住みたい!別荘を持ちたい!と考えたイギリス人が多くいた。しかし当時この地を治めていたジャンムー・カシミール藩王は外国人に土地の購入や建物の建築を認めなかったのだ。それでどうなったか?
それなら湖の上に住んじゃえー!ということでイギリス人が湖の上に住み始め、それが今日のハウスボートの起源となっているらしい・・・めちゃくちゃだなwww
イギリス人が当時住んでいたハウスボートはもう残っていないようだが、今ホテルとして使われているハウスボートは比較的新しいものでも50年前、古いものだとインド独立前に作られたものだというから、こりゃーヘリテージである!!
ダール湖 or ナジーン湖、どちらに滞在する?
ハウスボートを予約するにあたって、インターネットやインスタでかなり下調べをした。というのも、ダール湖とナジーン湖には何百隻ものハウスボートが存在し、どのハウスボートに泊まればいいのか全く分からなかったのだ!
レビューを読み漁って分かったことは、ダール湖の観光客エリアは避けた方がいいということ。そこにはハウスボートがびっしりと隙間なく埋まっていて全く風情がないとのことだった。つまり窓から見えるのは湖の景色ではなく隣のハウスボートで、湖上の滞在を最大限に楽しめないわけだ。観光客エリアへのアクセスは良いので便利な立地であるが、それなら陸のホテルで十分じゃないかと個人的に感じた。
また、ハウスボートは「デラックス」「Aクラス」「Bクラス」「Cクラス」と観光局によってランク分けされており、観光客エリアには安いハウスボート(1泊1,000ルピー台)が多い印象を受けた。
せっかくハウスボートに泊まるならいいところに泊まりたい!というわけでナジーン湖のデラックスクラスのハウスボートを予約。これが大正解だった。周りは湖に囲まれ、静かでのんびりとした雰囲気。船が湖をこぐ音、木の葉がこすれる音、鳥の鳴き声、なんというリラックスチル空間!ただし、周りに観光客向けのレストランなどはないので不便かもしれない。
▼ハウスボートからの景色。すごくイイ…!
ハウスボート滞在
色々前置きが長くなったが、本題のハウスボートについて。
ハウスボートの一般的な間取りは、前方に甲板があり、その次に応接間(リビング)、ダイニング、そして客室が3部屋ほどある。
船の壁と床にはカシミール絨毯やラグが敷き詰められ、細かな彫刻が施された木製のアンティーク家具はとっても優雅な雰囲気。まるで祖父母の家に遊びに来たかのようなアットホームさ・ノスタルジックさを感じた。
ハウスボートのインテリアは萌え要素があまりにも多すぎて鼻血が出そうだった。いや、もしかしたら出ていたのかもしれない。
▼窓や天井の手作業で施された装飾
▼甲板のデコ具合にも萌える
▼インテリアだけでなく、外観にもこだわりが見られる。
部屋の装飾とは打って変わり、バスルームはダサめ。水が染み込まないように、青色の防水シートが全面に貼ってあり、防水優先のつくりとなっていた。
ちなみにお湯がよく出て感動した。どこにギザ(電気湯沸し器)があるんだろう?それとも、、もしかして、、ガスっすか???
ハウスボートでの食事
カシミールと言えば「ワズワン」などの有名ご当地料理が存在する。しかしハウスボートで提供された食事は極めて一般的なインド料理だった。
朝食はトースト、卵、フルーツとカシミールのお茶「カワ」。「ローカルの朝食が食べたいです」と尋ねたところ「ローカルの人もこれ食べるで」と言われ撃沈。しかし湖を眺めながら食べる朝食は、その雰囲気だけでお腹がいっぱいになった。
夕食はダールとチキンカレー。辛さ控えめで非常に美味しかったのだが、せっかくなら郷土料理を食べたい!!!「ご当地料理が食べたいです」と相談すると、翌日以降は夕食時にワズワン屋さんに連れて行ってもらった😂
そうそう、ひとつ大変よい経験をしたことを思い出した。シカラと呼ばれる手漕ぎの小舟で昼食をいただいたのだ。後にも先にもこれが最初で最後の経験だろう。
ハウスボートオーナーの話
私が宿泊したハウスボートは現オーナーが3代目で、船は祖父の時代から60年以上使われているという。何種類もの木材で作られていて、水に浸かる底の部分は数年に一度張り替え作業が必要だというが、木材の価格が年々高くなっているため割にあわないと本音をもらしていた。
信じられない話だが、私が宿泊した数日前、この近くでハウスボートの火事があり数隻のハウスボートが全焼したそうだ。原因は宿泊客の寝たばこで、木製のハウスボートはあっという間に火に包まれ、隣のハウスボートにも燃え移り膨大な被害をもたらした。いまハウスボートを新しくゼロから作ると1,000万ルピー以上かかるそうで、全焼した船のオーナーはどうすることもできず悲しんでいるという。
ハウスボートを今後も残していくためには、今あるものをメンテナンスして維持するしかない。が、メンテナンス費用は莫大にかかる。「何十年後にはもうシュリーナガルにハウスボートはないかもしれない」とオーナーが言っていたのが印象的であった。私はシュリーナガルの歴史の証人のひとりになるのかもしれない。
私が宿泊したハウスボート
Lily of Nageen
1泊約5,000ルピー(2022年4月中旬)
【コルカタ】ジ・オベロイ・グランド(The Oberoi Grand)
2022年5月中旬、ウエストベンガル州の州都であるコルカタに旅行し、オベロイグランドホテルに滞在した。
▼コルカタの場所
コルカタ(旧名カルカッタ)はイギリス東インド会社の商館が置かれ(1690年)、ベンガル総督が置かれ(1773年)、英領インドの首都が置かれ(1858年~1911年)、イギリスのインド支配の中心となった場所である。
市内中心地には植民地時代の新古典様式~アールデコ様式の建物があちこちに残っており、コルカタのカオスな街に溶け込んでいる。
植民地時代のコルカタとホテル
歴史あるコルカタには、かなり早い段階でイギリス人によってモダンなヨーロッパ調のホテルが作られた。もう現存しないが、1830年にコルカタにて開業したSpence's Hotelはインド最古、そしてアジア最古のホテルと言われている。
現存するインド最古のホテルはグレートイースタンホテルだ。1840年にAuckland Hotelという名でベーカリーとして開業し、のちにホテル営業を開始し、1859年にグレートイースタンホテルへ改名した。インド独立後も営業を続け、1970年代からは州政府がホテルとして運営、2005年に高級ホテルチェーンのLaliTに売却され、2013年にThe LaLiT Great Eastern Kolkataとして営業を再開した。数年間のリノベ期間を除き、150年以上営業を続けているというのだから驚きである。
その次に古い現存するホテルは、私が宿泊したグランドホテル(現在はThe Oberoi Grand)だ。建物は19世紀末に建てられたもので、1911年からホテルとして営業している。1937年に当時のアメリカ人オーナーが亡くなりオベロイ氏が買収した。このオベロイ氏とは、そう、あのオベロイホテルの創始者だ。
オベロイとグランドホテル
オベロイ氏はもともとシムラー(植民地時代の夏の首都)でイギリス人が経営していたセシルホテルで働いていた従業員の一人にすぎなかったが、その勤勉ぶりを買われてクラークスホテルの運営を任され、最終的にこのホテルがオベロイ氏に譲渡されたことでオベロイホテルの歴史が始まった。
こうして始まったオベロイホテルが最初に買収した記念すべき?ホテルがグランドホテルなのだ。つまり、インド全土に展開するオベロイホテルの中で、グランドホテルは最も古いホテルの一つというわけだ。
オベロイは、TajやITC、LaliTといったインド系高級ホテルの中で最も評判がよく(特にサービス・ホスピタリティの面で)、そんなオベロイのDNAが80年以上も流れ続けるホテルに泊まってみたいと思いませんか?思いますよね?そうですよね?
ということで、長年ずっと宿泊してみたいと思い続け、やっとその夢がかなう日が来た。
ジ・オベロイ・グランド滞在
ジ・オベロイ・グランドは、エスプラネードと呼ばれるコロニアルな建物が多いエリア(=植民地時代のイギリス人たちの生活の中心地)にある。
かつては超洗練された外国人向けのエリアだったのだろうが、今は見事にインド化しており、ホテル前のアーケードには露店がひしめいている。ムンバイのコラバ地区みたいだな。
こんなカオスな中に、オベロイのエントランスゲートがある。一歩エントランスをくぐるとそこは別世界。あの喧騒は一体どこに行った。
建物はコルカタに多い新古典主義建築。柱萌え。
エレガントなロビー、古いエレベーター、コートヤードから陽が差し込む回廊、、、最高かよっ。
客室は大変心地よく快適に過ごせた。バスルームのミラーの周りに手描きのファインアートが施されており、非常に萌えた。
備忘録。 pic.twitter.com/mQgtFDNMnh
— ऀँऀँऀँ चांकोमे ऀँऀँऀँ (@chankomeppy) May 14, 2022
二日目、街歩きから戻るとベッドの上に小物入れのプレゼント・・・。さすがオベロイ・・・わかっていらっしゃる・・・
抜け目ない………
— ऀँऀँऀँ चांकोमे ऀँऀँऀँ (@chankomeppy) May 14, 2022
I like itです。 pic.twitter.com/SLEw4gk1C2
コートヤードの真ん中にはプール、外にはカフェスペースもあり、いい雰囲気。ホテルの外に出ればカオスな世界が広がっているというのに、ここは天国なのかな?涅槃なのかな?
ホテルでの食事
朝食になにかベンガル料理でてくるかと期待したが、一般的なインドのホテルの朝食メニューだった。ただ、デザートにミシュティードイ(ベンガル地方の甘いヨーグルト)があったのでしっかりと頂いた。濃厚でおいしうございました。
また、卵の調理方法に「エッグベネディクト」があり、若干興奮した。若干ね。
ホテルの建築や歴史だけでなく、オベロイのホスピタリティにも大満足の滞在となった。次回コルカタに旅行時は、ラリットの方(グレートイースタンホテル)に泊まるぞー!!!(義務)
私が宿泊したコロニアルホテル
The Oberoi Grand
1泊約7,000ルピー(2022年5月中旬)
後編につづく
全て一つの記事にまとめて書くつもりだったが、それぞれのホテルに対する想いが強すぎて長くなってしまったので、前編と後編に分けることにした。
というわけで、後編はオルチャとジャンムーのヘリテージホテルについて!
▼後編につづく www.chankome.com