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【インド地域別まとめ】西インドの州・連邦直轄領

タイトル画像(【インド地域別まとめ】西インドの州・連邦直轄領)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、西インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

西インド

アラビア海に面した3つの州2つの連邦直轄領を西インドとした。

古くから外国との交易が盛んで、ポルトガル植民地支配の中心地であり、イギリス植民地支配の中心地のひとつでもあったため、インドの他の地域と比較して「外のモノ」や「新しいモノ」に対しての抵抗感が少ない(ような気がする)。

1. グジャラート州

グジャラート州

州都アーメダバード
Ahmedabad
その他の
主要都市・観光地
バドーダラ
Vadodara
ブージ
Bhuj
州公用語グジャラーティー語
第二公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
グジャラーティー語86%
ヒンディー語7%

アラビア海に面しており、古来から西アジアや中東との重要な交易地として栄えた地。

ペルシャやアラブの商人が現地の女性と結婚し移住したり、10世紀ごろにはイランからパルシー(ゾロアスター教を信仰するペルシャ人)がやってきて住みついた。もともとヒンドゥー王朝がこの地を治めていたが、13世紀にはデリースルタン朝がこの地を征服、そこから独立する形で15世紀にグジャラート王国が成立した。16世紀にはムガル帝国の支配下に入り、イスラム王朝の時代が続いたが、17世紀にはマラタ王国が支配しガーイクワード家が統治した。

中世からポルトガルやオランダ、スペインとスパイスや金・銀の貿易をし、16世紀後半のこの地方の関税収入はポルトガル帝国全体の総収入の3倍に相当したとも言われるほど裕福な地域であった。イギリスの初めてのインド拠点もこの地域で、ムガル帝国との商業条約に基づいて1614年にスーラットに工場を作った。

マラタ戦争でイギリスが勝利すると、イギリスがグジャラート地域の実権を握るようになり、ガーイクワード一家のバドーダラ藩王国を除いてすべての地域がボンベイ州の一部となった。

州内のヒンドゥー教徒は厳格なベジタリアンであることが多い。サトウキビからつくられるキビ砂糖(ジャグリー)を料理に用いるため、この地方の料理は甘いという特徴がある。

米・英への移民者の多くはグジャラート出身で、TATAやリライアンスの創業者もグジャラート出身、マハトマ・ガンジーもグジャラート出身で、モディ首相もグジャラート出身。

パキスタンとの国境に近いブージ近郊のカッチ地方には塩湖があり、乾季限定で真っ白な塩砂漠(ホワイト・ラン)を見ることができる。毎年冬には、塩砂漠周辺にグランピング(ラグジュアリーなテント)が設置され、宿泊することができる。ここは「インドのウユニ塩湖」とも言われるのだが、日本人が想像する鏡張りのウユニ塩湖ではなく、乾いたウユニ塩湖に例えているので、鏡張りを想像していくと全然違うじゃ~んという事態に陥る。

世界で一番高い像である「統一の像(Statue of Unity)」がある。

※禁酒州

世界遺産にも登録されているアーメダバード旧市街の街並み
世界遺産にも登録されているアーメダバード旧市街はムスリムの町。(2017年3月撮影)

アーメダバードのガンジー博物館
州都アーメダバードのガンジー博物館にはガンジーが住んでいたアシュラムが残っている。(2017年3月撮影)

バドーダラにあるガーイクワード家の宮殿、ラクシュミーヴィラスパレス
バドーダラにある藩王ガーイクワード家(マハラジャ)の宮殿、ラクシュミーヴィラスパレスの面積は東京ドーム約3個分の広さ!(2019年6月撮影)

グジャラート州カッチ地方にある塩湖・カッチ砂漠:title
カッチ地方にある塩湖はまるで白い砂漠のようであることから、白い砂漠を意味する「ホワイト・ラン」と呼ばれている。乾季のみ塩が乾いて一面真っ白になる。(2017年2月撮影)

インドのグジャラートにある世界で一番高い像「Statue of Unity(統一の像)
世界で一番高い像「Statue of Unity(統一の像)」は、高さ182メートル。自由の女神が93メートルなので約2倍の高さ。(2019年6月撮影)

2. ダマン・アンド・ディーウ連邦直轄領

ダマン・アンド・ディーウ連邦直轄領

州都ダマン
Daman
その他の
主要都市・観光地
Diu
ディーウ
州公用語グジャラーティー語
州公用語ヒンディー語
英語
州内で母国語として
話されている言語
グジャラーティー語51%
ヒンディー語36%
マラティー語5%

グジャラート州とマハラーシュトラ州の境目にあるダマンと、カティヤワール半島(グジャラート州の大半が属する半島)の南の先端にあるディーウの2か所からなる直轄領。

旧ポルトガル領で、16世紀半ば、ポルトガルはこの地を支配していたイスラム王朝のグジャラート王国を打ち破りダマン、ディーウを手に入れた。1961年にポルトガル領がインドに返還されると、ゴア・ダマン・アンド・ディーウ連邦直轄領となり、1987年にゴア州が分離してダマン・アンド・ディーウ連邦直轄領が成立した。

ポルトガル植民地時代はポルトガル語が公用語であったため、今でも域内で1~2万人はポルトガル語を話すことができると言われている。

禁酒州のグジャラート州に隣接しており、連邦直轄領で酒税がかからないことから、週末は酒を求めて多くの男性がグジャラート州からやってくる。海に面しているため、インド人リゾート地としても開発されているがゴアほどのにぎわいはない。

旧ポルトガル植民地ダマン中心部の行政機関が集まるエリアはゴアのような雰囲気
ダマン中心部の行政機関が集まるエリアはゴアのような雰囲気がある。(2016年8月撮影)

旧ポルトガル植民地ダマンにある教会
ダマンはポルトガル植民地だったため、あちこちに教会がある。(2016年8月撮影)

旧ポルトガル植民地、ダマンのビーチの様子
ダマンのビーチでは、海に面して左側に海の家的な飲み屋が連なっている。(2016年8月撮影)

※2020年1月26日にダドラ・アンド・ナガル・ハヴェリと合併して「ダマン・アンド・ディウ・アンド・ダドラ・アンド・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領」となりました!

3. ダドラ・アンド・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領

ダドラ・アンド・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領

州都シルヴァッサ
Silvassa
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語グジャラーティー語
第二公用語ヒンディー語
英語
州内で母国語として
話されている言語
ビリ語37%
ヒンディー語26%
グジャラーティー語21%
マラティー語7%

グジャラート州とマハラシュトラ州の間に位置し、ダマンとは30km程度しか離れておらず、車で約1時間の距離。 

旧ポルトガル領で、18世紀にポルトガルの植民地となり、ゴアやダマン・アンド・ディーウと同タイミングでインドに返還された。ダマン・アンド・ディーウと同じく、禁酒州のグジャラート州に隣接しており、連邦直轄領で酒税がかからないことから、グジャラート州から男たちが酒を飲みにやってくる場所。しかし、ダマン・アンド・ディーウのように海に面していないため解放感はあまりなく、賑わいには欠ける。観光するところも特になく、地球の歩き方はもちろんのこと、ロンリープラネットにさえも掲載されていない。

この地には伝統部族が多く住んでおり、ワ(ウォ)ルリー族やドディア族の故郷である。ポルトガル植民地時代の名残で、首都のシルヴァッサにはクリスチャンが多く、ポルトガル語話者も存在する。

シルヴァッサ動物園の人気アトラクションであるライオン・サファリ
シルヴァッサ動物園の人気アトラクションであるライオン・サファリに参加。半野生のライオンに遭遇することができた。(2018年10月撮影)

シルヴァッサの民族博物館の展示
シルヴァッサの民族博物館にて。(2018年10月撮影)
(左・中)伝統部族が使用していたお面
(右)ワ(ウォ)ルリー族の伝統的なペイントアート

2020年1月26日にダマン・アンド・ディーウと合併して「ダマン・アンド・ディウ・アンド・ダドラ・アンド・ナガル・ハヴェリー連邦直轄領」となりました!

4. マハラーシュトラ州

マハラーシュトラ州

州都ムンバイ
Mumbai
その他の
主要都市・観光地
プネー
Pune
ナグプール
Nagpur
オーランガバード
Aurangabad
州公用語マラティー語
州内で母国語として
話されている言語
マラティー語68%
ヒンディー語13%
ウルドゥー語7%

インドで最も経済が発展した州のひとつ。州都のムンバイは金融・経済の中心地で、証券や商品の取引所がある。ムンバイはインドのヒンディー語の映画産業の中心地で、ムンバイの旧名ボンベイとハリウッドを掛けてボリウッドと呼ばれる。ムンバイ市内では、ボリウッドセレブや大企業社長の豪邸をあちこちで見ることができる。

現在のムンバイはもともとグジャラート王国の一部の小さな島で、16世紀にポルトガル領となったが、1661年にポルトガル王女が英国チャールズ2世に嫁いだ際の持参金の一部として、イギリスに譲渡された。グジャラート州の説明で述べたとおり、イギリスの初めてのインド拠点はスーラトに置かれていたが、1687年に国王がこの地をイギリス東インド会社に貸与したことによって、イギリスの西インド拠点はボンベイに移され、カルカッタ(現コルカタ)、マドラス(現チェンナイ)とならぶ三管区のひとつとなった。

マラーター王国が興った地であり、王国を建国した「チャトラパティー・シバージ」の名は、ムンバイ空港や鉄道駅の名前にも使われるほど、同州では英雄とみなされている。

マラーター王国の支配地は現在のマハラシュトラ州を中心に広がっており、プネーに行政の中心地が置かれていた。この時代マラーター王国と対立していたムガル帝国も現在のマハラーシュトラ州の一部を支配しており、世界遺産に登録されているアジャンター・エローラ石窟寺院で有名な「オーランガバード」はムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブの名前に由来しており、ミニ・タージマハルもある。

19世紀にマラーター戦争でマラーター王国がイギリスに敗れると、マラーター王国およびマラーター同盟の広大な領土は実質イギリス領となり、ボンベイはイギリスのインド植民地支配の一大中心地として栄えた。

独立後1960年までは、植民地時代のボンベイ管区のエリアを引き継ぐ形で、現在のグジャラート州とマハラシュトラ州にまたがってボンベイ州が存在した。独立語に言語による州の再編があり、1956年にマディヤ・プラデーシュ州のうちマラティー語を話す地域がボンベイ州に併合された。1960年には、ボンベイ州のうちグジャラーティー語を話す地域がグジャラート州に併合され、マラティー語を話す地域がマハラーシュトラ州と成った。

ムンバイにある世界遺産のCSMT駅
ムンバイにあるCSMT(チャトラパティ・シバ―ジ・マハラジ・テルミナス)駅は英国植民地時代に建てられたインドゴシック様式の美しい建物で世界遺産に登録されている。かつてはビクトリア・テルミナス駅と呼ばれた。今も現役バリバリで、ムンバイの東京駅(丸の内側)的なポジションである。(2016年3月撮影)

オーランガバードにあるミニ・タージマハル
オーランガバードにあるミニ・タージマハルは、第6代ムガル帝国皇帝のアウラングゼーブによって建てられた。モデルは、アウラングゼーブの父である第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てた、あの有名なアーグラのタージマハルである。アウラングゼーブの時代には父の代ほど豊かではなく、タージマハルのように総大理石にする余裕がなかったため、材料代をケチっているのが特徴。(2016年5月撮影)

世界遺産のアジャンター石窟寺院
オーランガバードにあるアジャンター石窟寺院は古代インドの仏教遺跡。1500年以上前の壁画がよい保存状態で残っている。(2016年5月撮影)

マラーター王国のペシュワであったバージ・ラオが建てた宮殿「Shaniwar Wada」
マラーター王国のペシュワ(総理大臣であり事実上の王)であったバージ・ラオがプネに建てた宮殿「シャニワール・ワダ」は火事で燃えてしまい立派な門しか残っていない。(2019年6月撮影)

4. ゴア州

ゴア州

州都パナジ
Panaji
その他の
主要都市・観光地
マプサ
Mapsa
マルガオ
Madgaon
州公用語コンカニ語
第二公用語マラティー語
州内で母国語として
話されている言語
コンカニ語66%
マラティー語11%
ヒンディー語10%
カンナダ語5%

マハラーシュトラ州とカルナータカ州に挟まれた小さな州。マハラーシュトラ州南部からゴア州かけての沿岸部はコンカン地域と呼ばれ、ゴアはコンカン文化の中心地である。

旧ポルトガル領で、1510年、ポルトガルはこの地を支配していたイスラム王朝のビジャープル王国を破りゴアを手に入れた。1530年にはポルトガルインド領の首都がコーチンからゴアに移され、最盛期にはリスボン⇔ゴア間定期航路が開かれ、多くの教会が建設された。海上におけるポルトガルの覇権が衰えた後も、オランダやフランス、イギリスから守り抜き、インド独立後もポルトガルの飛び地として存続しつづけた。

インド政府は非暴力的運動を通じてポルトガルに領土返還を求めたものの、ポルトガルがこれ応じず武力を行使したため、1961年にインド政府が武力侵攻、ポルトガルのインドにおける植民地支配は終結し、ゴア・ダマン・アンド・ディーウ連邦直轄地が成立した。しかしポルトガルが公式に主権を放棄したのは1974年で、それまではポルトガル本国の独裁政権はゴアはポルトガル領であると訴えていた。

1987年に、ダマン・アンド・ディーウと切り離されてゴア州となった。インド併合後もゴアの住民はポルトガル市民権を持っていたが、2006年以降はポルトガル統治時代に生まれた人に限定された。今でも植民地時代の公用語であったポルトガル語を話せる住民が3万人程度存在する。

1970年代はヒッピーの聖地と呼ばれ、ゴアトランスという音楽ジャンルも生まれたが現在はヒッピーの姿を見ることはない(現代ヒッピーたちは南下してカルナータカ州の方へ流れ込んだ)。

連邦直轄領ではないが、かつて連邦直轄領であったことの名残なのかなんなのか知らないが、酒税がかからずアルコールが非常に安価。植民地時代の印洋折衷な食事や建物は異国感漂い、遠浅のビーチが広がっているため、インド内外から観光客が押し寄せている。冬にはロシアからの定期チャーター便が飛ぶほどロシア・東欧人に人気の観光地のひとつとなっている。ゴアのビーチ周辺ではキリル文字で書かれた看板があちこちで発見できる。このようにゴアは観光産業に恵まれており、インドで最も裕福な州に数えられる。

ゴア北部のビーチ
ゴア北部はインド人パリピ系観光客が多い。(2018年2月撮影)

世界遺産に登録されているオールドゴアのボム・ジェズ教会にはフランシスコ・ザビエルの遺体が眠っている
ゴア中央部に位置する世界遺産、オールドゴアにあるボム・ジェズ教会にはフランシスコ・ザビエルの遺体が眠っている。(2019年5月撮影)

ゴア南部の中心地マルガオの街並み
ゴア南部の中心地、マルガオにはポルトガル植民地時代に建てられた古い洋館がいまも残っている。(2018年12月撮影)

ゴア南部のビーチ
ゴア南部のビーチは、北部と比べてゆったりしており、インド人富裕層や欧米人の割合が高い。(2019年4月撮影)

他の地域についても読んでみる

別の記事では他地域の州・連邦直轄領についてもまとめているので、あわせて読んでみてね!

北インド

北インド編を読む

北東インド

北東インド編を読む

東インド

東インド編を読む

中央インド

中央インド編を読む

南インド

南インド編を読む


【インド地域別まとめ】南インドの州・連邦直轄領

タイトル画像(【インド地域別まとめ】南インドの州・連邦直轄領)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、南インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

南インド

ドラヴィダ文化の影響を受けている5つの州3つの連邦直轄領を南インドとした。

ドラヴィダ人とは、紀元前3世紀ごろにインダス文明を形成したとされる民族で、アーリア人が北部から侵入してきたためにだんだんと南に移動していき、南インドに定着したと言われている。他の地域のインド人と見た目が異なり、肌は黒く、髪はくるくる、背は低いといった特徴がある。

また、南インドで話される言語はドラヴィダ語族に属し、ヒンディー語やベンガル語、パンジャブ語、オリヤ語、グジャラーティー語、マラティー語といったインドの主要言語(インド・ヨーロッパ語族)と異なる。字体も丸っこくてかわいらしい。

南インドにはおおらかな人が多く、南国特有ののんびりとした雰囲気は、北インドとの混沌とした雰囲気と対称的でおもしろい。

1. アンドラ・プラデーシュ州

アンドラ・プラデーシュ州

州都ハイデラバード
Hyderabad

アマラーヴァティー
Amaravati
その他の
主要都市・観光地
ビシャカパトナム(バイザッグ)
Vasakhapatnam (Vizag)
州公用語テルグ語
州内で母国語として
話されている言語
テルグ語84%
ウルドゥー語9%

現テランガナ州のデータも含む)

インド独立後、アンドラ州とハイデラバード州が存在したが、1950年代に言語によって州を区切ろうという動きがあり、テルグ語を話す地域であるアンドラ州都ハイデラバード州は合併してアンドラ・プラデーシュ州となった。

両地域でテルグ語が話されるものの、歴史や文化が大きく異なるために州の分離を望む運動が続き、2014年に州都のハイデラバードを含むテランガナ地域がテランガナ州として分割された。州都は2024年までにアマラーヴァティへ移転予定。

アンドラ・プラデーシュ州はお米と赤唐辛子の名産地であり、この地方で食べられる料理は「テルグ料理」と呼ばれる。テルグ料理はお米を主食とし、スパイスと唐辛子をふんだんに使うのだが「激辛料理」として名高く、まさに中国の四川料理のようなポジション。

ビシャカパトナム(バイザッグ)のビーチ
ベンガル湾に面するビシャカパトナムはベンガル人に人気のビーチリゾートとなっている。(shutterstockより)

インド有数の貿易港があるビシャカパトナム
ビシャカパトナムはインド有数の貿易港でもある。(shutterstockより)

アンドラ・プラデーシュの郷土料理
辛いけどクセになるアンドラのテルグ料理 (Instagramより)
左:アンドラ風チキンカレー(Kodi pulusu)
中:アンドラ風マトンカレー(Mamsam Pulusu)
右:アンドラ風なすびのカレー(Gutti Vankaya Kura)

2. テランガナ州

テランガナ州

州都ハイデラバード
Hyderabad
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語テルグ語
第二公用語ウルドゥー語
州内で母国語として
話されている言語
テルグ語84%
ウルドゥー語9%

アンドラ・プラデーシュ州のデータも含む)

旧アンドラ・プラデーシュ州のうち、おもにニザーム王国の支配に置かれていた地域が、アンドラ・プラデーシュ州から分離したもの。

現在のテランガナ州部分を支配していたニザーム王国(ハイデラバード藩王国)は、インド独立前に存在した王国のうち、領土も権力も最大規模を誇っていた大国であった。1947年のインド独立時、各藩王国はインドとパキスタンのどちらに属するか選択する必要があったのだが、ニザム王国の藩王はイスラム教徒であったのに対して住民の大半がヒンドゥー教徒であったため、どちらに属するべきかを決めかねた藩王は、ハイデラバード王国として独立することを選んだ。

しかし、1948年に強制的にインドに併合されてハイデラバード州となり、同じテルグ語を話すという理由でアンドラ州と併合されてアンドラ・プラデーシュ州となったが、異なる文化圏であるため、住民からは分離の声が挙っていた。

2014年にアンドラ・プラデーシュ州から分離してテランガナ州が成立した。インドで最も新しい州であるテランガナ州は企業誘致にも積極的で、インド初のIKEAは州都ハイデラバードに2018年にオープン。ハイデラバードはIT都市としてバンガロールにつぐ勢いがあり、Googleなどの外資系企業もインド拠点を置いている。

テランガナ(ハイデラバード)の料理は美味しいと評判で、レストランでも「Hyderabadi ○○(ハイデラバードの○○)」というメニューをよく見かける。上述のアンドラ・プラデーシュ州土着民族伝統の「テルグ料理」に、ニザーム王国下でイスラム要素が加わり、ペルシャやムガル帝国の影響を受けた味付けとなっている。特に有名なメニューはハイデラバーディ・ビリヤニ。しかし、忘れるなかれ。テルグ料理が激辛であるのと同様、ハイデラバード料理も基本的に激辛である。

ハイデラバード旧市街に残るイスラム・モニュメント
州都ハイデラバード旧市街に残るイスラム・モニュメント(2018年9月撮影)
左:イスラム感あふれる病院(らしい)
中:ハイデラバードのシンボルにもなっているチャル・ミナール
右:メッカマスジッド

かつてハイデラバード一帯をおさめたニザム王国の王族が住んでいたチョウマハラ宮殿
かつてこの地をおさめたニザム王国の王族が住んでいたチョウマハラ宮殿(2018年9月撮影)

ハイデラバードにある宮殿ホテル(タージ・ファラクヌマ・パレス・ホテル)
ハイデラバードの町を一望できる丘の上にはニザムが外国からのゲストをもてなすために建てられた宮殿があり、現在は宮殿ホテル(タージ・ファラクヌマ・パレス)として利用されている。ハイティーで優雅なひとときを。(2018年9月撮影)

3. カルナータカ州

カルナータカ州

州都ベンガルール
Bengaluru
その他の
主要都市・観光地
マイソール
Mysore
マンガロール
Mangalore
ハンピ
Hampi
州公用語カンナダ語
第二公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
カンナダ語67%
ウルドゥー語11%
テルグ語6%

ムガル帝国から独立したカルナータカ地方政権と、マイソール王国が存在した地域が現在のカルナータカ州の原形となっている。

17世紀、南インドにまで勢力を拡大したムガル帝国は、カルナータカ地域の統治のため、カルナータカ太守(ナワーブ)を設置し、南インド地域の統治をさせた。カルナータカ太守は南インドの広大な領土を保有していたため、マイソール王国をはじめとする南インドの大国と争い、ムガル帝国が弱体化すると、地方政権としてムガル帝国から独立した。

インド独立前に存在した王国のうち、マイソール王国は、ニザム王国やジャンムー・カシミール王国と並んで最も大きな王国のひとつ。

18世紀、イギリスとマイソール王国はしばしば争っていたのだが、カルナータカ太守がイギリス側に味方したことにマイソール王国は激怒し、カルナータカ地方政権の領土を破壊。カルナータカ太守はイギリスに助けを求めざるを得ない状況となり、これを機にイギリスに従属するようになり、マイソール戦争の戦費の支払いができないことを理由に徴税権を取り上げられ、外交権も放棄させられた。

その後カルナータカ太守はひそかにマイソールと通じてマイソールに物資支援をしたりするも、4度の戦争の末マイソール王国はイギリスに敗北しマイソール藩王国となり、カルナータカ太守はマイソール王国への協力を理由に全権をはく奪されてイギリスの保護下に置かれることとなった。マイソール王国の首都はマイソールであったが、この地を支配したイギリス人たちは高地で涼しいバンガロールを好み、バンガロール(ベンガルール)を行政の中心とした。

インド独立後、大国のマイソール藩王国はマイソール州となり、その後カンナダ語を話す地域を編入して、1973年にカルナータカ州に改称された。州名は、カルナータカ州位置する東ガーツ山脈と西ガーツ山脈の間にある地域がカルナティック地方(Carnatic Region)と呼ばれていることに由来する。

州都のベンガルールはインドIT企業の中心地であり、またさまざまなスタートップ企業が集うことから「インドのシリコンバレー」と呼ばれる。また、ベンガルールにはマイクロブリュワリーと呼ばれる小規模なビール醸造所がたくさんあり、クラフトビールを楽しむことができる。インドでは珍しく牛ステーキが食べることができたり、高地にあるため涼しい気候であったりと、インドの他地域と比べて外国人が生活しやすい環境が整っている。

州内には秘境として有名な「ハンピ」がある。のほほんとした雰囲気が流れており、昔話の世界へタイムスリップしたような気分に浸ることができる不思議な場所。州都バンガロールから鉄道やバスで行くことができる(が、10時間近くかかる)。

カルナータカの名産はマイソールのサンダルウッド(和名:白檀 / びゃくだん)。マイソールのサンダルウッドの香りの右に出るものはないと言われるほどいい匂いで、マイソールのサンダルウッドを使った石鹸やお香、精油は、インド土産にもよい。

マイソール王国のマハラジャの住居であったマイソール宮殿
マイソール王国のマハラジャの住居であったマイソール宮殿。ライトアップされると、まるでブダペストの国会議事堂かのような美しさ。(2017年9月撮影)

バンガロール宮殿
バンガロールにあるバンガロール宮殿も、マイソール王国のマハラジャによって使用されていた。(2019年11月撮影)

バンガロールのマイクロブルワリー
バンガロールではマイクロブルワリーでクラフトビールを楽しめる。(2019年11月撮影)

ハンピ最古の寺院ヴィルーパークシャー寺院とその周辺の景色
ハンピ最古の寺院ヴィルーパークシャー寺院とその周辺の景色(2016年8月撮影)

4. タミル・ナードゥ州

タミル・ナードゥ州

州都チェンナイ
Chennai
その他の
主要都市・観光地
コインバトール
Coimbatore
ウーティー
Ooty
州公用語タミル語
第二公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
タミル語88%
テルグ語6%

タミル・ナドゥとは「タミル人の土地」という意味。タミルにはドラヴィダの意味も含んでいると考えられており、タミル人=ドラヴィダ人の代表という意識が強い。教育水準が高いことで知られ、インド初のノーベル化学賞受賞者や、数字のゼロの概念を生み出した数学者は同州出身だ。

この地の歴史はインダス文明まで遡るほどに古い。古代から中世にかけてパッラヴァ朝がカーンチプラムとマハーバリプラムを中心に栄え、中世にはチョーラ朝が栄えた。これらの時代の寺院は世界遺産に登録されており、非常に見ごたえがあるのだが北インドと比較すると観光客は少なく穴場。そののち、各地に「聖地」と呼ばれるような大規模なヒンドゥー教寺院が「ドラヴィダ様式」で建てられ、現在も巡礼者があとを絶たない(チダムバラムやマドゥライなど)。

17世紀、イギリス東インド会社はマドラス(現チェンナイ)の村を土着の領主から購入し、商館およびセント―ジョージ要塞を築いた。マドラス近郊は一大綿花生産地であったためにマドラスは重要な拠点とされ、ボンベイ、カルカッタと並んで、イギリスのインド統治における中心地となった。

19世紀初頭、西ガーツ山脈南部のニルギリ丘陵が熱帯地方でありながらも過ごしやすい気候であることがわかると、ニルギリは急速に開発され、1827年にはマドラス管区の夏の首都となり、世界遺産にも登録されている「ニルギリ山岳鉄道」敷かれた。イギリス人達はダージリンで中国種の紅茶の栽培に成功すると、高地のニルギリでも紅茶を作りはじめ、現在は主要産業となっている。ニルギリは「青い山」を意味することから、ニルギリのお茶は「紅茶のブルーマウンテン」と称されるようになった。

インド独立後、マドラス管区はマドラス州となり、アンドラ州やケララ、マイソール州と併合して現在の形となって、1969年にタミル・ナードゥ州に改称した。

かつてはインドの公用語にヒンディー語が採用されていることに対して強い反発があったようだが、最近ではインターネットやスマートフォンの普及によってヒンディー語に触れる機会が多くなってきており、片言でもヒンディー語を話せる人はじわじわと増加中。

チェンナイにある植民地時代の建造物(チェンナイエグモア駅・サントメ教会)
チェンナイの町にはイギリス植民地時代に建てられた建造物が溶け込んでいる。
左:チェンナイエグモア駅(2019年12月撮影)
右:サントメ教会(2016年4月撮影)

マハーバリプラムの海岸寺院
マハーバリプラムの海岸寺院。マハーバリプラムの建造物群は世界遺産にも登録されている。(2016年4月撮影)

マドゥライのミーナークシー寺院
マドゥライにあるミーナークシー寺院は12基の立派なゴープラムで有名。(2020年1月撮影)

ニルギリの茶畑と登山鉄道
ニルギリの茶畑と登山鉄道(2017年12月撮影)

5. ポンディシェリー連邦直轄領

ポンディシェリー連邦直轄領

州都ポンディシェリー(プドゥチェリー)
Pondicherry (Puducherry)
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語タミル語
第二公用語英語
【マヘ地域限定】
マラヤラム語
【ヤナム地域限定】
テルグ語
州内で母国語として
話されている言語
タミル語88%
テルグ語6%

旧フランス領。プドゥチェリーとはタミル語で「新しい町」を意味する。これがフランス語訛りでポンディシェリーと発音されるようになった。現地ではポンディの名で呼ばれる。

17世紀にフランス東インド会社がこの地に貿易の拠点を置いたのが始まり。18世紀には南インドのマヘ、ヤナム、カライカルをフランス領とし、今もポンディシェリーの飛び地として扱われている。インドがイギリスから独立した際に、この地もフランスからの独立を認められ、1954年に正式にインドに併合された。

ポンディシェリーの海沿いのプロムナードには植民地時代の建物が並び、フランス領事館もある。古くから食にうるさいフランス人?たちが指導してきたからなのかなんなのかは知らないが、レストランのレベルはインドの地方の町とは思えないクオリティーで、パンも美味しい。

ローカル向けのインドのパンはベジタリアン向けに卵を使用しないためにパサパサしていて、口の中の水分を奪われがちであり、お世辞にも美味しいとは言い難いものがほとんどだが、ポンディシェリーのパン、特にクロワッサンは美味しい。

ゴアのポルトガル要素や、ムンバイのイギリス要素とは違った、フランス要素があり、「インドのおフランス」と呼ばれるのも納得するが、植民地時代の建物が並ぶ地域以外は「普通のインドの地方都市」なので、過度な期待は禁物である。

ポンディシェリーのフランス感あふれるエリア
ポンディシェリーのフランス感あふれるエリア(2017年6月撮影)
左:フランス領事館にはフランス国旗が掲げられている。
右:落ち着いた色合いの建物が並ぶ。

家族連れで賑わうポンディシェリーのビーチ
家族連れで賑わうポンディシェリーのビーチ。(2017年6月撮影)

インド間満載のポンディシェリー中心部
ポンディシェリー中心部はご覧の通りインド感満載。(2017年6月撮影)

6. ケララ州

ケララ州

州都ティルバナンタプラム(トリバンドラム)
Thiruvananthapuram (Trivandrum)
その他の
主要都市・観光地
コチ(コーチン)
Kochi (Cochin)
州公用語マラヤラム語
第二公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
マラヤラム語97%

インドでもっとも早い時期に「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」がもたらされた地域であり、インドで最初の教会、モスク、シナゴーグが建てられた。現在もヒンドゥー教徒(約5割)、イスラム教徒(約3割)、キリスト教徒(約2割)が争いもなく調和を保ちながら共存している。

この地の歴史は古く、メソポタミア文明の時代(紀元前約3000年)から香辛料貿易の中心地であったと記録されている。香辛料貿易を通じ、アラブの商人によって、イスラム教などの宗教が伝えられたと言われている。

ケララにはかつて3つの大きな国・地域が存在した。一つ目は、12世紀に現在のケララ州北部に興ったヒンドゥー王朝のコーチン王国。二つ目は、17世紀にオランダ東インド会社が拠点としたオランダ領マラバール。三つ目は、18世紀に現在のケララ南部に建国したトラヴァンコール王国。

19世紀までに、これら3つの国・地域はイギリスの保護下に置かれることとなり、コーチン王国とトラヴァンコール王国は藩王国として存続を許された。インド独立後は、コーチン・トラヴァンコール州となり、一部がタミル・ナドゥ州に編入されるなどして、1956年に現在のケララ州が成立した。

ケララと言えば、「インド有数のリゾート地」としてインド人に人気が高く、州北部にあるアレッピーのバックウォーター(水郷地帯)でハウスボートに宿泊するのはハネムーンの定番のひとつ。州南部のトリバンドラム近郊にあるコバラムビーチはインド亜大陸で最も綺麗な海水浴場として評判が高く、ヨーロッパ人老夫婦が長期滞在していたりする。フォートコーチンには、かつてポルトガルとオランダ東インド会社が拠点を置いていたため、コロニアル感あふれる町並みが広がっており、不思議な感覚にとらわれる。アーユルヴェーダ発祥の地としても有名で、国内外から治療のために多くの患者が訪れる。【世界遺産!!】のようなインパクトはないが、他の州にはない魅力が詰まっている。

ケララにまつわる興味深い話が、中東湾岸諸国への移民の大半がケララ出身であるということ。UAEインド大使館のホームページによると、2019年時点でUAEには342万人のインド人が在住しており、UAE全人口の約3割を占めているのだが、その約4割がケララ出身だ。つまり、UAEの全人口の1割強はケララ出身ということになる。上述の通りケララにはイスラム教徒(マーピラ)が多く、彼らは湾岸諸国の宗教や食文化に抵抗がない。1960~70年代に多くのマーピラが石油関連の仕事を求めて移住したのがはじまりと言われている。

マーピラ(Mappila / Moplah)とは、ケララ州でマラヤラム語を母国語とするイスラム教徒のこと。英国植民地時代にアラブからやって来た宗教指導者らによってイスラム教に改宗したヒンドゥー教の下位カースト出身者が大半とされている。

食文化で特徴的なのが「牛肉」が食べられること。かつてケララでは、キリスト教徒も、イスラム教徒(マーピラ)も、ヒンドゥー教徒に配慮して牛肉は食べていなかった。ところが16~17世紀頃、牛肉食べたい欲に満ちたポルトガル人が我慢できずに牛肉を食べたことによって、ケララの牛肉食文化がスタート。今では、一部のヒンドゥー教徒も牛肉を食べるそうだが、厳格なヒンドゥー教徒は口にしない。どうやら、牛肉は他のお肉よりも安いそうなので、金銭的問題で牛肉を食べている人もいそう。

南インドのフォート・コーチにある教会やシナゴーグ
フォート・コーチには教会やシナゴーグがあり、古くからこの地の宗教が多様であったことが分かる。(2016年7月撮影)

フォート・コチのコロニアルな町並み
フォート・コチのコロニアルな町並み。(2016年7月撮影)
※GIFです。読み込みに時間がかかるかもしれません。

南インド・アレッピー名物のハウスボート
アレッピー名物、ハウスボートでバックウォーター(水郷地帯)をぐいぐい進む。(2016年9月撮影)

南インド・トリバンドラムのコバラムビーチで地引き網漁をする漁師の男性たち
コバラムビーチで地引き網漁をする漁師の男性たち。ビーチ沿いのレストランではその日に獲れた新鮮な魚介類を堪能できる。(2017年3月撮影)

(GIF)コバラムビーチで地引き網漁をする漁師の男性たち。
GIFでもどーぞ。

7. ラクシャドウィープ連邦直轄領

ラクシャドウィープ連邦直轄領

州都カバラティ
Kavarati
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語マラヤラム語
第二公用語マール語(モルジブ語)
英語
州内で母国語として
話されている言語
マラヤラム語84%

モルジブの近くにあるインド南西に浮かぶ島々で、南インドのケララ州やスリランカから移住したイスラム教徒が生活している。住民の9割以上はイスラム教徒。

18世紀にマイソール王国がイスラム王朝だった時代、ティプスルタンがこの島々を治めていたが、マイソール戦争に敗北するとマドラス(現チェンナイ)管轄でイギリスが支配することになった。

マイソール王国はもともとヒンドゥー王朝だが、2代だけイスラム王朝の時代があった。マイソール戦争でイギリスに敗れるとイギリスの支配下でマイソール藩王国となり、もともとマイソール王国をおさめていたヒンドゥー教の一族が再び藩王として統治することとなった。

モルジブに近い立地であることから想像できるように、海の透明度が非常に高く、インド有数のダイビングスポットである。

南インドのラクシャドウィープ
海の透明度はモルジブと同程度、インド国内におけるダイビングの聖地。(shutterstockより)

8. アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄領

アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄領

州都ポートブレア
Port Blair
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
第二公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ベンガル語28%
ヒンディー語19%
タミル語15%
テルグ語13%

インド洋のベンガル湾南部に位置する島々でインド本土よりも東南アジアに近い。北部のアンダマン諸島と南部のニコバル諸島から構成される。現在も昔ながらの生活を送る先住民族が暮らしており、彼らの生活を守るために外国人の立ち入りが制限されていたが、現在は一部地域はパーミッションなしで訪れることができる。

インドで植民地といえばイギリス、フランス、ポルトガルを想像するが、デンマークも200年以上もの間、インドの地を植民地支配しており、18世紀にアンダマンニコバル諸島を支配し、胡椒やシナモン、サトウキビ、コーヒーや綿を栽培し、本国に輸出した。18世紀末にイギリス支配下に入ると、反イギリス活動を行った政治犯などを送り込む流刑地として使用され、英領インドのシベリアと呼ばれた。第二次世界大戦に入ると、日本軍が首都ポートブレアに上陸した。アンダマンニコバル旧刑務所には、当時の写真が展示されている。

インド独立によってインドとパキスタン分裂した際に、東パキスタン(現バングラデシュ)から多くのベンガル人がインドに流入したが、その際にアンダマン・ニコバル諸島にも大量のベンガル人が流入したため、現在では領内の約3割がベンガル語を母国語とするほど、ベンガル地方にルーツを持つ人が多い。

一部の島々は観光地として注目され始めており、インド国内の秘境や大自然を求めるインド人富裕層がツアーで訪れるのが一般的(=観光地の物価はそこそこ高い)。

ラクシャドウィープと並ぶインド有数のダイビングスポットで、水質抜群。ハブロック島(スワラジ・ドウィープ)のラダナガールビーチは、2017年にトリップアドバイザーが実施した世界のビーチランキングにおいてアジアNo.1に選出された。ちなみに、ラダナガールビーチ(Radhanagar Beach)は、インド英語をよく知らない人によって「ラドハンガービーチ」などとカタカナ訳されることがあるが、ラダナガールビーチが本来の発音に近い読み方。

海はマングローブが生い茂るほどに綺麗なのだが、リゾート地として十分に開発されていないため、個人旅行だとややハードかもしれない。日本語での情報も極めて少ない。現地ではインターネットが通じない、または非常に遅いので注意。最大の都市であるポートブレアでもインターネットスピードは2G~3G程度。

現在も、同諸島の小さな島では複数の先住民族が原始的な暮らしをしており、外部との接触を拒否している。独自の生活様式の保護、および疫病対策の観点から、外部からの立ち入りは禁止されているが、2018年に自称宣教師のアメリカ人観光客がこれらの島々のひとつ、北センチネンタル諸島に上陸し、先住民に弓矢で殺害されたことは記憶に新しい。島々にはこのような部族も存在するが、都市部はベンガル地方や南インドからの移住者が多いため、だいぶインド感が強い。

アジアNo.1ビーチに選ばれたハブロック島のラダナガールビーチ
アジアNo.1ビーチに選ばれたハブロック島のラダナガールビーチ(2019年5月撮影)

手つかずの自然(ジャングル)が残るハブロック島
ハブロック島には手つかずの自然(ジャングル)が残っている。(2019年5月撮影)

北センチネンタル島に住むセンチネンタル族を上空からとらえた写真
北センチネンタル島に住むセンチネンタル族を上空からとらえた写真

他の地域についても読んでみる

別の記事では他地域の州・連邦直轄領についてもまとめているので、あわせて読んでみてね!

北インド

北インド編を読む

北東インド

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東インド

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中央インド

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西インド

西インド編を読む


世界最大級のマングローブ林!インドのピチャワラムマングローブ林で手漕ぎボートに乗ってきた

タイトル画像(世界最大級のマングローブ林!インドのピチャワラムマングローブ林で手漕ぎボートに乗ってきた)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インドは大きな国なので、ガイドブックに載っていない観光名所がたくさんある。

タミル・ナードゥ州にある世界で2番目に大きなマングローブ林、ピチャワラムマングローブ林(Pichavaram Mangrove Forest)もそのひとつ。

ネットで調べても、日本語はもちろん、英語の旅行記さえも全然見当たらず、謎だらけ・・・。

実際に行ってきたので、行き方や現地の様子について記録に残しておきます。

おそらく日本語で唯一のピチャワラムマングローブ林についての記事(だと思う~~)

この記事はこんな人にオススメ
  1. 南インド旅行者
  2. インドバックパッカー
  3. ガイドブックに載っていないインドの観光地を知りたい人

インドにマングローブ林?

インドにマングローブ林?と意外に思うかもしれないが、インドはマングローブの一大生息地のひとつ。

インドのマングローブ林マップ
インドのマングローブ林マップ

世界で1番大きなマングローブ林は、バングラディシュからインドのウエストベンガル州にかけて広がるシュンドルボン(The Sundarbans )で、1997年に世界遺産に登録されている。

ヒンディー語ではスンダルバンと発音)

ベンガルの南のオリッサ州にはビタルカニカマングローブ林(Bhitarkanika Mangroves)、オリッサの南のアンドラ・プラデーシュ州にはゴダワリ-クリシュナマングローブ林(Godavari-Krishna Mangroves)が広がっており、これは世界で5番目に大きい

さらにその南、タミル・ナードゥ州には、この記事で紹介するピチャワラムマングローブ(Pichavaram Mangrove Forest)がある。

上の画像だと小規模に見えるが、シュンドルボンに次いで世界で2番目に大きい

このように、インド東海岸のベンガル湾に面した地域はマングローブが生い茂っている。

「インド」=「カオス」「汚い」というようなイメージが先行してしまっているのただろうか、インドの豊かな大自然について、我々外国人にはあまり知られていない。

かくいう私も、2019年末にタミル・ナードゥ州南部を旅行するまで、ピチャワラムマングローブ林について全く知らなかったわけだが・・・。

行き方

ピチャワラムマングローブ林の場所
ピチャワラムマングローブ林の場所

チダムバラムから

チダムバラムからピチャワラムまでの行き方

起点となる町は、南インドのヒンドゥー教の聖地のひとつ、チダムバラム(Chidambaram)

チダムバラムからローカルバスでキライ(Killlai)という村まで行き、オートリキシャーに乗り換える。

マングローブ林のボート乗り場への直行バスもあるそうだが、本数が3~4時間に1本しかなく限られているため、キライ経由で行くのがオススメ。キライに停車するバスは1時間に何本あるのかは不明だが、バス停にいたインド人曰く「many many」とのことなので、それなりにあるのだろう。

▼乗車場所はこちら

チダムバラムからキライへは約13km、所要時間約30分。バス運賃は片道13ルピー。

チダムバラムからキライへのバスチケット
バスの切符。1300は運賃13ルピーを意味する。

ローカルバス車内の様子
ローカルバス車内の様子

バスの車窓からの自然豊かな景色
バスの車窓からの景色が自然豊かで、マングローブ林への期待値を高める。

キライのオートリキシャースタンド付近で降車。

▼降車場所はこちら

ちなみに、ここは正式なバス停ではないようなので、バスの車掌さんに「ピチャワラムのマングローブ林に行きたい」と事前に伝えておくのがベター。

オートリキシャーに乗り換えて、ピチャワラムマングローブ林へ向かう。リキシャードライバーには「マングローブ・フォレスト」と言えばOK◎

リキシャースタンドからボート乗り場へは、約3km、リキシャーで5分程度の距離。運賃は交渉しなければいけないが、80ルピーが相場のようだ(地元のタミル語を話せる人たちが80ルピーを支払っているのを目撃したので、多分ね)。 片道200ルピー支払ったという人もいたので、そこは要交渉力。

キライ村のオートリキシャースタンド
キライ村のオートリキシャースタンド

チェンナイから

チェンナイからピチャワラムまでの行き方

チェンナイからは南に約200km離れた場所にあり、車で片道5時間前後。

公共交通機関を使う場合は、鉄道やバスでチダムバラムまで行き、そこからローカルバスで向かう。

車を借りない限り日帰りは不可。車で日帰りしたとしても移動時間が長いのでしんどい。

ポンディシェリーから

ポンディシェリーからピチャワラムまでの行き方

ポンディシェリーからは南に約80km離れた場所にあり、車で片道2時間前後。

公共交通機関を使う場合は、バスでチダムバラムまで行き、そこからローカルバスで向かう。

車の場合も、公共交通機関の場合も、日帰りが可能

ボート乗り場に到着

ピチャワラムマングローブ林ボート乗り場
ボート乗り場の様子

バックパッカーのバイブルと言われている地球の歩き方にやロンリープラネットにも載っていないので秘境なのかと思いきや、タミル・ナードゥ州観光局もエコツーリズムに力を入れているようで、ボート乗り場はきちんと整備されていた。船着き場みたいなのを想像していたので、ちょっとビックリ。

州内はもちろん、隣接しているケララ州やカルナータカ州から車で わ ざ わ ざ 10時間もかけて来たというファミリーや、ポンディシェリから日帰りで来たという外国人もいた。私が訪れたのが週末だったということもあり、大賑わい。

ピチャワラムマングローブ林ボート乗り場の建物
ボート乗り場の建物

敷地内をうろうろしていると、なにやら見覚えのあるロゴが…!

JICAのロゴ

JICA~!

こんなところで、日本とインドのつながりを発見。

ボートを予約(ボート料金も紹介)

ボート料金は州観光局が定めた定額運賃が適用される。距離と時間とボートの種類によって運賃が異なる。

ボート漕ぎのおっさんと交渉することを予想していたので、ホッとしたような、少し寂しいような、そんな気持ちになった。

ピチャワラムマングローブ林ボート料金表
定額ボート料金表

RAW BOAT手漕ぎのボートで、MOTOR BOATはその名の通りモーターがついた高速ボート

モーターボートは快適だが、横幅が広いため、狭い水路を進むことができない。それに対し、手漕ぎのボートは狭い水路も問題なく通過できるので、マングローブのトンネルをくぐったりとアトラクション満載。ここで選択すべきは手漕ぎボート一択だ。

にしても、30分って短くない…??? 新聞紙で下の方隠されてるし…

と思ったら、別のボート料金表を発見。どうやら、週末の大混雑により乗客をさばききれないと判断した職員が、乗船時間を短縮して2時間コースをなくしたようだ。時間は半分なのに運賃は同額ってところが悔しい。

ピチャワラムマングローブ林ボート料金表(通常)
通常時のボート料金表

2時間乗りたかったな…。マングローブ林を最大限に楽しむためには、できることならば週末や祝日は避けた方が無難だ。私と同じ目に遭うかもしれない。

ピチャワラムマングローブ林のボート予約カウンターの行列

ボートの予約カウンターは行列ができていて、炎天下の下待たなければいけなかった。

30分ほど並んで、ボートを予約。料金を支払うと整理番号が書かれたレシートをもらえる。

待合室で番号が呼ばれるまで待機
待合室で番号が呼ばれるまで待機

乗りたい人に対してボートの台数が足りないため、待合室で整理番号が呼ばれるまで待機することになった。

1時間ほど待って、ようやく番号が呼ばれた。

30分のボート乗船のために、ボートを予約するのに30分、ボートを待つのに1時間、合計1時間半も費やした。

朝イチはこんなに混雑していないよ、とボート乗り場の職員が教えてくれた。でしょうな。何をするにも早起きは三文の徳である。

ボートに乗る

番号を呼ばれたら、ライフジャケットを受け取ってボート乗り場へ。

ピチャワラムボート乗り場のライフジャケット
サリーを着た職員からライフジャケットを受け取る。色んなものが染み込んでいそう!汗とか汗とか汗とか!

ピチャワラムマングローブ林ボート乗り場
手漕ぎボートに乗りマース!

ボートライド、スタート!
ここからは写真と動画でお楽しみください。

▼まずは写真をどうぞ

ピチャワラムマングローブ林でボートを漕ぐおじさん
ボートを漕ぐおじさん

ピンチャワラムマングローブ林の写真(ベンガル湾に出たところ)
ベンガル湾に出たところ。モーターボートの場合はこのような開けた場所しか通ることができない。

ピンチャワラムマングローブ林の写真(狭い水路へ)
だんだんと狭い水路へ。モンスーン明けでもないのに、水は泥水のような色をしている。

ピチャワラムマングローブ林の写真(マングローブのトンネル①)
水路はさらに狭くなっていき、マングローブのトンネルが現れる。ピチャワラムマングローブ林には、このような細い水路が4000以上もあるそうだ。(誰が数えたのかは不明)

ピチャワラムマングローブ林の写真(マングローブのトンネル②)
まだまだマングローブのトンネルは続く。ところで、先に何艘もボートがあるのが気になりません?

ピチャワラムマングローブ林の写真(ボート渋滞①)
もしやとは思っていたが、ボート渋滞が起きた\(ᐢoᐢ)/

ピチャワラムマングローブ林の写真(ボート渋滞②)
本格的にぎゅうぎゅうで、ボートが動けなくなる事態に陥る。混雑しない平日や、休日の朝イチに訪れた方がよいと改めて感じた。

ピチャワラムマングローブ林の写真(マングローブ林で修行する男性)
マングローブ林で修行?している男性もいた。さすがです、インド。

▼動画でもどうぞ

あっという間の30分。(そりゃそうだ)

最後に、敷地内の塔から広大なマングローブ林を撮影した。

広大なピチャワラムマングローブ林①
広大なピチャワラムマングローブ林②

この広大なマングローブ林のほんの一部分の細い水路をボートで通ったわけだが、できることなら3時間くらい彷徨って奥の方まで行ってみたかったね。

ちなみに、塔への入場料は5ルピー。マングローブ林を見渡せてとてもキモチイイので、ぜひ登ってみてください。

さいごに

週末の大混雑により30分だけしかボートに乗れないのは想定外ではあったが、それでも十分楽しめた。

ピチャワラムマングローブ林への起点となる町であるチダムバラムに行くという人はなかなか少ないとは思うが、ポンディシェリーに行くという人はそこそこいると思うので日帰りで立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

南インドを旅行される方の参考になれば幸いです。

チダムバラムに帰る前に、キライ村を少し探索していると…

キライ村の子供①
キライ村の子供②
キライ村の子供③
キライ村の子供④
キライ村の子供⑤
キライ村の子供⑥

クリケットをしていた子供たちが走ってきたよ~!癒し系。


【インド地域別まとめ】中央インドの州・連邦直轄領

タイトル画像(【インド地域別まとめ】中央インドの州・連邦直轄地)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、中央インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

中央インド

植民地時代に「中央州」とされていた、インドの真ん中に位置する2州を中央インドとした。

インド中央部は古代インド時代からの歴史があり、北インド・東インド・西インドの文化に加えて伝統少数民族の文化が入り混じる地域だ。

1. マディヤ・プラデーシュ州

マディヤ・プラデーシュ州

州都ボパール
Bhopal
その他の
主要都市・観光地
サーンチ
Sanchi
グワリオール
Gwalior
インドール
Indore
カジュラホ
Khajuraho
ウッジャイン
Ujjayin
州公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語89%

2000年にチャッティスガール州が分離するまでは、最も面積の広い州だった。マディヤ=中央、プラデーシュ=州、つまり中央の州を意味する。通称MP(エムピー)州。

植民地時代にはCentral Provinceと呼ばれた地域で、独立後にこれを単純にヒンディー語に訳してマディヤ・プラデーシュとした。

この地の歴史は古く、石器時代にまでさかのぼる。古代インド仏陀の時代に存在したといわれる四大国のひとつ、アヴァンティ国の首都ウッジャインはヒンドゥー教の聖地で、クンブ・メーラとよばれる1億人規模の集団沐浴開催地にもなっている。また、紀元前インド初の統一王マウリヤ朝のアショカ王によって建てられたインド最古の仏教遺跡(ストゥーパ / 卒塔婆)が、現在もサーンチに当時のままの形で残っているなど、古代から宗教・文化が繁栄していた。

中世になるとチャンデラ朝が成立、カジュラホのロマンティック(エロ?)な彫刻で有名なヒンドゥー教寺院が建てられた。その後イスラム系王朝がいくつか成立したのち、16世紀にはムガル帝国支配下となる。

18世紀に入ると、ムガル帝国と対立していたマラーター王国(現在のマハラシュトラ州を中心にインドが勢力を拡大して北部へ遠征するようになり、グワリオール周辺地域をシンディア家、インドール周辺地域をホールカール家が治めた。マラーター王国がマラーター戦争でイギリスに敗れると、これらの有力な一族が支配した地は藩王国として存続した。現在もマラーター王国(同盟)が支配した地ではマラティー語(マハラシュトラ州の公用語)が通じることがある。

インド独立後、Central Provinceは、①マディヤ・プラデーシュ州 、②マディヤ・バラト州(インドールを中心とする地域)、③ビンディヤ・プラデーシュ州(現在のMP州北東部)、④ボパール州の4つに分割された。独立直後のマディヤ・プラデーシュ州の州都は、現在はマハラシュトラ州に属するナグプールだった。1956年に州は再編され、4州のなかでヒンディー語を話す地域をマディヤ・プラデーシュ州に統合、マラティー語を話すエリアをボンベイ州(現マハラシュトラ州)に統合することで、現在のかたちとなった。

(上)インドールのホルカール家のお屋敷(下)グワリオールのシンディア家の宮殿
マラーター同盟の一族が治めていた地域にある当時のお屋敷は博物館として公開されている。
(上)インドールのホルカール家のお屋敷(2016年8月撮影)
(下)グワリオールのシンディア家の宮殿(2019年9月撮影)

世界遺産に登録されているカジュラホの寺院群
世界遺産に登録されているカジュラホの寺院群は官能的な彫刻で有名。(shutterstockより)

世界遺産に登録されているサーンチのアショーカ王のストゥーパ
世界遺産に登録されているサーンチのアショーカ王のストゥーパは紀元前3世紀に造られたもの。(shutterstockより)

聖地ウッジャインで行われたクンブ・メーラ(集団沐浴)の様子
聖地ウッジャインで行われたクンブ・メーラ(集団沐浴)の様子。3年に一度、4か所を持ちまわる形で開催される。(shutterstockより)

2. チャッティスガール州

チャッティスガール州

州都ライプール
Raipur
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語84%

2000年にマディヤ・プラデーシュのうちチャッティスガリ語を話す地域が分離して成立。チャッティスガリ語はヒンディー語の方言・訛りのひとつに分類されるが、先住民の文法や語彙が含まれており、方言・訛りの域を超えている(らしい)。

チャッティスガール州の名前の由来は2つの説がある。

1つ目は、この地域に36の古代の城砦があることに由来しているというもの。チャッティス=36、ガール=城砦(フォート)を意味する。

2つ目は、チェディス帝国を意味する「チェディスガル」が訛ってチャッティスガールとなったとするもの。古代インドの時代、同州の地域はカリンガ王国(現オリッサ州の地域に存在した王国)のチェディ王朝の一部で、1803年まで同州東部の大部分はオリッサ州の一部でもあった。したがって、東部ではオリッサ州の公用語であるオリヤ語がよく通じる。

同州西部を中心とする地域は、かつてマラーター王国の支配下にあり、マラーター同盟のボンスレー家がナグプール王国として治めたため、一部の地域ではマラティー語も話される。マラーター王国がマラタ戦争でイギリスに敗れ、1818年にナグプール藩王国となるが、1853年に失権の原理が適用され、イギリス領へと併合された。

失権の原理:植民地時代、イギリスは藩王国に養子による相続を認めず、後継者が途絶えた場合はイギリス領に併合するという政策を取った。これを失権の原理と言い、インド大反乱(セポイの反乱)時には失権の原理で失脚した元藩王らがイギリス人を虐殺した。反乱鎮静後は養子による相続も認められるようになった。

チャッティスガリ語圏の分離を望む声は英領インド帝国時代の1920年代からあったものの、分離運動がカオスだったりしてなかなか承認されなかった。1990年代の分離運動でようやく新たに州をつくることが認められた。

州内には滝が多く、特にチトラコットの滝はインド最大の水量を誇ると言われており、インドのナイアガラと呼ばれる。落差30m幅350mから豪快に崖を水が流れ落ちる。モンスーン後半の9月下旬に最も水量が多くなる。

インドのナイアガラと呼ばれるチトラコットの滝
インドのナイアガラと呼ばれるチトラコットの滝。(Wikipediaより)

雨季のチトラコットの滝
雨季のチトラコットの滝は迫力満点。(Wikipediaより)

他の地域についても読んでみる

別の記事では他地域の州・連邦直轄領についてもまとめているので、あわせて読んでみてね!

北インド

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【インド地域別まとめ】東インドの州・連邦直轄地

タイトル画像(【インド地域別まとめ】東インドの州・連邦直轄地)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、東インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

東インド

ベンガル太守が管轄していた地域とシッキム王国があった地域にある5州を東インドとした。

1. シッキム州

シッキム州

州都ガントック
Gabgtok
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
ネパール語
シッキム語
レプチャ語
第二公用語[各地方の言語]
グルング語
リンブ語
マガル語
ムキア語
ネワリ語
ライ語
シェルバ語
タマング語
州内で母国語として
話されている言語
ネパール語63%
ヒンディー語8%
シッキム語8%
レプチャ語6%
リンブ語6%

17世紀に亡命チベット人が建国したシッキム王国があった場所。ヒマラヤを望める高地にあり、美しい手付かずの大自然がある。

シッキム王国は独立国家であったが、チベットに属国とみなされ、チベットを属国としていた清にも属国とみなされるという複雑な状況だった。1815年にイギリスの保護国となると、イギリスが事実上の国権を握り、シッキムの経済基盤を安定させるべく、隣国ネパールから大量の移民を移住させて農地を開拓させた。その結果、シッキム王国の住民の半数以上はネパール人となり、現在もその構成は変わらない。

インド独立後もインドの保護下でシッキム王国として王朝は存続し、親インド姿勢をとっていたが、1963年に即位した王がシッキム王国としてインドからの完全な独立を目指し、これまでの親インド路線を180度転換した。住民の半数以上を占めるネパール系住民はこれ反対し、武装してデモを起こすなど各地で混乱が起きた。この混乱はインド軍によって鎮められたが、結果としてシッキム王国はインドに編入されることとなり、1975年にシッキム王国は滅亡、シッキム州が誕生した。

シッキム王国は亡命チベット人が建国したことからも分かる通り、この地域ではチベット仏教が信仰されている。チベット仏教国教とするブータンへは車で10時間程度の距離なので、ブータンからの巡礼旅行者も多い。

中国との国境にも近いため、外国人は許可証がないと入域できない(入域時に10分程度で取得可能)。外国人が行ける地域は限られており、特に個人旅行では州都ガントック近郊くらいしか訪れることができない。

シッキム州都ガントック近郊の景色
奥に広がるのは州都ガントック。山の斜面に町が広がっている。(2019年3月撮影)

シッキム州都ガントックの街並み
ガントックの街並み。整然としており、公共の場にお花を飾る余裕があるほど。(2019年3月撮影)

2. ウエスト・ベンガル州

ウエスト・ベンガル州

州都コルカタ
Kolkata
その他の
主要都市・観光地
ダージリン
Darjeeling
州公用語ベンガル語
英語
第二公用語[ダージリン地域のみ]
ネパール語

[地域で話者が10%を超える場合のみ]
ヒンディー語
ウルドゥー語
オリヤ語
サンタリ語
パンジャビ語
カンタプリ語
ラジバンシ語
クルマリ語
クルック語
州内で母国語として
話されている言語
ベンガル語86%
ヒンディー語7%

独立前のベンガル州のうち、西ベンガルにあたる地域。東ベンガルは東パキスタンとして分離し、のちにバングラデシュとして独立した。

ムガル帝国時代は、帝国の州のひとつであるベンガル州をを統治する地方長官としてベンガル太守(ナワーブ)が置かれ、現バングラデシュのダッカを首府としていた。18世紀初頭にムガル帝国が衰退すると、ベンガル太守は地方政権化し事実上独立、ムルシダーバードに遷都した。

当時のベンガル地方はヨーロッパ諸国の貿易活動の拠点で、英仏が勢力を増していた。ベンガル太守はこれ以上要塞を建設しないことを条件に貿易活動を認めていたが、イギリスがそれを無視したため戦争に発展(1756年プラッシーの戦い)。名目上はイギリス対ベンガルの戦いだが、実際は英仏の植民地戦争の一つだった。ベンガル側に密告者がいたためベンガルとフランスは敗戦し、フランスはベンガル地方から撤退した。この時密告したミール・ジャルファは非常に無能かつ愚かな人物で、イギリスに「次の太守にしてあげるよ~」とそそのかされて密告。約束通り太守となるも、自分自身がイギリスと結んだ条約(戦争の賠償金や土地の所有権の譲渡)や東インド会社職員への巨額のわいろに苦しめられて酒・薬・女漬けとなり、即位から10年もしないうちに廃位。

密告者の娘婿、ミール・カシームが後任として太守となると、彼はイギリスのやり方に疑問を覚え、密告者ジャルファによるイギリス人優遇の政策等をを廃止しようとしたため、イギリスと衝突。イギリスにとって都合が悪い太守であったため、わずか3年で廃位し、密告者ジャルファが再び太守となる事態が発生した。

カシームはイギリスと戦うことを決めるも、自分の利益しか考えない低能な部下たちに裏切られ続けた。戦意を喪失したカシームはアワド太守のもとに逃げ込み、アワド・ムガルの連合軍とともにイギリスと対決する(1764年ブクサールの戦い)が惨敗。結果として、ベンガル太守はベンガル・オリッサ・ビハール3州のディーワーニー(徴税権、司法権)を東インド会社に譲渡。イギリスはこれを自分たちに都合がいいように拡大解釈して行政権までも行使し、事実上3州を完全な植民地とした。イギリスのインド植民地化の始まりの場所である。

1858年に英領インド帝国が成立すると、カルカッタ(現コルカタ)に首都がおかれた(~1911年)。

イギリス人の避暑地として、ヒマラヤが見渡せる高地・ダージリンへの山岳鉄道(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)が敷かれた。これは今も運行しており、世界遺産に登録されている。この時代、イギリスはネパール人をダージリンに大量に移民させ、茶畑で働かせた。そのため、現在もダージリンにはネパール系住民が多く住む。もともとダージリン一帯はシッキム王国(現シッキム州)の一部であったが、イギリスに割譲されてベンガル州に併合された。つまり、ダージリン地方はウエスト・ベンガル州に属すものの、人種・言語・宗教・食事など、州内のほかの地域と大きく異なる。

同州で食べられているベンガル料理は、インド人にも人気の郷土料理のひとつ。ベンガル湾でとれる魚介を使った料理が多く、マスタードオイルや「パンチ・フォロン」と呼ばれるブレンドスパイスを使った繊細な風味が特徴。またベンガル地方のスイーツ(ベンガリ・スイーツ)は非常に有名で、特に「ラスグラ」と呼ばれるカッテージチーズボールの砂糖シロップ漬けが名産品。

コルカタのビクトリアメモリアルと夕焼け
英領インドの首都であったコルカタには、植民地時代の建物がいまも残る。写真はタージマハルを参考に作られたビクトリア・メモリアル・ホール。(2011年3月撮影)

ダージリンに広がる茶畑
ダージリン及びその周辺には多くの茶畑がある。(2019年3月撮影)

3. オリッサ州

オリッサ州

州都ブバネシュワール
Bhubaneswar
その他の
主要都市・観光地
プリー
Puri
コナーラク
Konarak
州公用語オリヤ語
州内で母国語として
話されている言語
オリヤ語83%

インドの有名な叙事詩マハーバーラタにも登場する歴史がある地域。古代インドの時代、この地方にはカリンガ国が存在し、答辞使用されていたドラヴィダ語族のカリンガ文字とブラフミー文字が融合し、デヴァーナガリ系でもない、ドラヴィダ系でもない、独特なオリヤ文字が生まれた。

中世にはヒンドゥー教王朝の東ガンガ朝がこの地域を支配し、コナーラクには世界遺産に登録されているスーリヤ寺院(太陽寺院)がつくられ、プリーにはキャラクターのように可愛いオリッサの土着神「ジャガンナート」を祭る寺院が作られた。プリーはヒンドゥー教の四大聖地のひとつ。

ちなみにジャガンナート紙はその後ヒンドゥー教に取り込まれ、ヴィシュヌ神信者からはヴィシュヌ神の化身であるクリシュナ、シヴァ神信者からはシヴァ神の化身であるバイラヴァと同一視されている。

ムガル帝国支配下ではベンガル太守の管轄となり、独立後にオリッサ州が成立した。この際、首都がカタックからブバネシュワールに移された。

サイクロンなどの自然災害が多いため、かつては貧困地域であった。しかし州内に鉱物資源が豊富に存在することが判明して大手製鉄企業が同州に進出、鉱物に関連する産業が急速に発展した。

同州はウエスト・ベンガル州の南側にあり、ウエスト・ベンガル州と同様ベンガル湾に面しているため、ウエスト・ベンガル州に近い食文化を持つ。ベンガル料理のほうが圧倒的に有名で知名度が高いが、実のところそれはオリッサ地方から伝えられた料理だったりもする。スイーツに関しても似たりよったりで、先ほどウエスト・ベンガル州で説明した「ラスグラ」をめぐり「どちらが ラスグラの発祥地か」と最近まで争っていた。

ヒンドゥー教寺院のまちと言われるブバネシュワールにあるリンガラージ寺院。:title
ヒンドゥー教寺院のまちと言われるブバネシュワールにあるリンガラージ寺院。典型的なナガラ様式で作られている。(2018年3月撮影)

コナーラクのスーリヤ寺院(太陽寺院)
コナーラクのスーリヤ寺院。新50ルピー札の裏面に描かれている。この寺院の彫刻はエロス。(2018年3月撮影)

5. ビハール州

ビハール州

州都パトナー
Patna
その他の
主要都市 ・観光地
ブッダガヤー
Buddha Gaya
州公用語ヒンディー語
第二公用語ウルドゥー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語78%
マイティリ語13%
ウルドゥー語8%

ビハールはサンスクリット語で「住まい」を意味する。現ブッダガヤーの菩提樹(ぼだいじゅ)の下で釈迦は悟りを開き、各地に仏教僧の寺院、住居、修道院があることに由来する。

古代インドの時代にはこの地に「ミティラー王国」があったとされ、ミティラー地方とも呼ばれる。

ムガル帝国時代はベンガル太守の支配地域で、ダルバンガーのマハラジャ一族が領主としてミティラー地方を取り仕切った。ダルバンガーの一族は、ムガル帝国有数の大ザミーンダールで広大な土地を保有していた。

ミティラー地方に古代、ラーマーヤナの時代から伝わる「ミティラー画」は非常に有名で、植民地時代にミティラーがに感銘を受けたイギリス人行政官がヨーロッパに持ち帰り、ピカソにも影響を与えたと言われている。

インドで最も貧しい州のひとつで、ムンバイやデリーといった大都市に出稼ぎにいく男性が多い。

ザミーンダールとは、インドの土地保有者の呼称で、ペルシャ語のザミーン=土地とダール=所有者の合成語。

ムガル帝国時代のザミーンダールは、地税をを帝国に納める権利者のことを指し、農民や地主が土地の所有権を有していた。イギリス支配下では、土地のすべての権利が旧来のザミーンダールに集約され、農民や地主はその所有権を失い小作農になり下がった。また農民たちの支払い能力を上回る高額な税がかけられ、サミーンダールが税を滞納するとその土地は競売にかけられたため、農民・地主・ザミーンダールの多くが没落した。イギリスがインドで実施した最もエグイ政策の一つである。

パトナー駅前の様子
パトナー駅前の様子。州都の駅にしてはやや地味かも。(2011年3月撮影)

仏教が生まれた地ブッダガヤ―にある寺院と菩提樹
仏教が生まれた地、ブッダガヤ―。釈迦はこの地の菩提樹の下(写真右)で悟りをひらいた。(shutterstockより)

6. ジャールカンド州

ジャールカンド州

州都ラーンチ
Ranchi
その他の
都市・観光地
---
州公用語ヒンディー語
第二公用語ベンガル語
ボジプリ語
ホ語
カリア語
コルタ語
クルマリ語
クルック語
マガーイ語
マイティリ語
ムンダリ語
ナグプリ語
オリヤ語
サンタリ語
ウルドゥー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語62%
サンタリ語10%

ベンガリ語10%
ウルドゥー語6%

ジャールカンドは「森林に覆われた国」を意味し、州の約30%は森林地帯である。

この地の歴史は古くまでさかのぼり、石器時代にはすでに人類が生活しており、実際に銅器時代のアイテムも出土している。17世紀にムガル帝国の支配下に置かれるまでは、チェロ族がこの地を統治しており、ムガル帝国から逃れるために深いジャングルの山奥に首都を置いていた。現在、チェロ族は同州とビハール州において指定部族、UP州では指定カーストとされている。

山奥にで先住部族(アディヴァシ)が今も昔ながらの生活を営んでおり、アディヴァシからの強い要望により、2000年にビハール州から分離して成立した。州内のアディヴァシの人口は約3割を占め、先住民の人権や土地権などの様々な問題に対してアディヴァシたち自身が強力な運動を推進している。

ビハール州と同様、最貧州のひとつとされており、山奥では未だに山賊が出るという噂がある。

山に囲まれているジャールカンド州
山に囲まれているジャールカンド州。(shutterstockより)

アディヴァシの女性たち
アディヴァシの女性たち。(shutterstockより)

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【南インド】2020年新年の素敵なランゴリ(コーラム)写真40枚

タイトル画像(【南インド】2020年新年の素敵なランゴリ(写真40枚))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

もう1月7日…遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!

2019年~2020年の年末年始は南インドのタミルナードゥ州南部を旅行した。

1月1日元旦はカライクディ(Karaikudi)という、19世紀にチェッティナード文化が栄えていたところにいたのだが、素敵なランゴリをたくさん見かけたのでご紹介。

▼カライクディの場所



ランゴリ(コーラム)とは

ディワリに描かれるランゴリ

ランゴリ(Rangoli)とは、建物の入り口に描かれる幾何学的な線の模様のことで、お花や動植物、天体・宇宙をモチーフにして描かれることが多い。

インド全土でランゴリという名で通じるが、南インドではコラーム(Kolam)、アンドラ・プラデーシュ州やテランガナ州ではムッグル(Muggulu)、ビハール州のミティラー地方ではアリパン(Aripan)とも呼ばれる。

主にお祭りやお祝い事があるときに描かれ、ヒンドゥー教暦の新年「ディワリ(Diwali)」に描かれるカラフルで美しいランゴリは特に有名。ヒンドゥー教の繁栄の神様であるラクシュミー神を家に招き入れるため、家の入り口をランゴリで綺麗に飾り付けるのだが、実に芸術的でうっとりする…(ᐡωᐡ)

南インドでランゴリを描く目的

ランゴリはその美しいデザインにばかりに注目してしまうが、南インド(特にタミル圏)においては、ランゴリを描く本来の目的は家の入り口を綺麗に飾るためではない。

南インドのランゴリ(コーラム)は、伝統的には米粉を使って描かれ、特別な時だけではなく毎日描かれている。

米粉は、蟻などの小さな虫や、鳥や小動物の餌になる。毎日毎日、虫や鳥、小動物にランゴリの米粉を餌として与えることは、人類と動植物の調和のとれた共存に日々貢献しているということであり、「神様だけでなく、すべてのものを歓迎しますよ」というサインとして、ランゴリが描かれているそうだ。とても素敵な話である✨

ランゴリ(コーラム)の描き方

ヒンドゥー教徒の家庭では、女性はランゴリを上手に書けるように小さい時から練習するそうだ。デザインは母から娘へ、代々受け継がれる。デザインひとつひとつには意味があり、下向きの三角は女性、上向きの三角は男性、丸は自然、四角は文化を意味する。他にも、ロータス(蓮の花)は子宮、ペンタグラム(星形)はビーナス(金星)、孔雀は不死の象徴などなど…非常に奥が深い。

ただし、これは地方部の話で、都市部の若い女性はランゴリを描く機会がないため、器用に描ける人はごくごく一部のみ。

ランゴリの描き方は、粉を手ですくい、指の隙間から少しずつ粉をこぼして描いていくのが伝統的なやり方。都市部ではチョークで下書きしたり、型を使ったりして描くのが一般的。

▼伝統的なランゴリの描き方。大晦日の夕暮れ前にホテルのスタッフが描いていたものを撮影した。

スラスラと描いているので簡単そうに見えるが、それは彼ら・彼女らの日々の積み重ねの結果である。

ホテルスタッフが書いたランゴリは、動画からも分かるように巨大で、数人で一時間近くかけて仕上げていた。
ホテルの巨大カラフルランゴリ

2020年新年のランゴリ

ホテルのスタッフと話していると、「明日(元旦)は町中にカラフルなランゴリが描かれると思うよ!」とのこと。翌日わくわくして町に繰り出すと、シンプルなものから立派なものまで、たくさんのランゴリが町を彩っていた。

シンプルなランゴリ(コーラム)

この地方では、伝統に則って、いまでも毎日ランゴリが描かれている。そのため、簡単なデザインで、白一色でパパっと描かれる。

そんなデイリー用ランゴリに「あけおめ~」のメッセージを添えただけの、シンプルなランゴリたち。

(1) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
1枚目:シンプルに2020のみ。

(2) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
2枚目:宇宙を感じるデザイン。

(3) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
3枚目:蓮の花とディヤ(ランプ)モチーフのデザイン。

(4) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
4枚目:これも蓮の花とディヤ(ランプ)モチーフ。

(5) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
5枚目:奥の扉の前にはカラフルなランゴリも描かれている。

(6) 2020年新年のランゴリ(シンプル)
6枚目:宇宙と蓮の花のデザイン。

Komeのアイコン
Kome

特別感はなし。6枚目はちょっと凝っているかな?

カラフルなランゴリ(コーラム)

ランゴリに色粉を加えてひと手間かけたもの。少し手間をかけるだけでカラフルで美しいランゴリになる。

ランゴリを彩るために使われる色とりどりの色粉
カラフルで美しいランゴリを描くために使われる色とりどりの色粉は、町のいたるところで売られていた。

いくつものモチーフを組み合わせて作るデザインも見物(みもの)な、彩り豊かなランゴリたち。

(7) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
7枚目:めちゃシンプルwww

(8) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
8枚目:花瓶とお花のデザイン。シンプルだけど可愛い。

(9) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
9枚目:これも花瓶とお花のデザイン。

(10) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
10枚目:蓮の花6つを組み合わせたヘキサゴン(六角形)のデザイン。

(11) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
11枚目:小さな蓮の花7つとディヤ(ランプ)をバランスよく組み合わせてヘキサゴンにしたもの。カメラ目線のイッヌがキュート。

(12) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
12枚目:少しはげているが中心には蓮の花、その周りに6つのバラが配置されたヘキサゴンのデザイン。

(13) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
13枚目:12枚目と同じモチーフで、蓮の花とバラを組み合わせて円形に配置。

(14) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
14枚目:これも蓮の花とバラをモチーフにしたヘキサゴン。12~13枚目と似ているが、バラが外側を向いている。

(15) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
15枚目:またまた蓮の花とバラのヘキサゴン。モチーフや構成が同じでも色使いや描き方によってデザインが全く異なるのが面白い。

(16) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
16枚目:蓮の花を組み合わせて四角に配置したデザイン。

(17) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
17枚目:四角やら丸やらを組み合わせて蓮の花っぽくしたデザイン。奥が深め。

(18) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
18枚目:四角と三角から構成される蓮の花の周りに、蓮の花8つを加えたもの。

(19) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
19枚目:三角と丸から構成される蓮の花の周りに、蓮の花3つを加えたもの。

(20) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
20枚目:非常にシンプルながらも美しい蓮の花。タミル語であけおめ~って描いてあるのかな?

(21) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
21枚目:これもシンプルな蓮の花デザイン。ヘナタトゥー(メヘンディ)のデザインにもこういうのあるわ(=定番)。

(22) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
22枚目:曲線をうまく組み合わせてお花?星?のようなデザインにしたもの。外側のハート模様や、ベースに白ではなく黒色の粉を使うなど、伝統的な要素を残しつつも遊びのあるデザイン。

(23) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
23枚目:鳥と蓮の花を組み合わせて四角に配置したデザイン。鳥の下の三段のあれはなんだろう?

(24) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
24枚目:色粉屋さんの前に描かれていたランゴリ。多分蓮の花モチーフなんだけどハイビスカスにも見える。ギャル系ランゴリか。

(25) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
25枚目:カライクディのローカルファミリーとランゴリ。孔雀の羽をモチーフにしたデザインかな?

(26) 2020年新年のランゴリ(カラフル)
26枚目:子供が色粉でお絵かきしたもの。可愛くて癒し系。小さな子でも上手に描くもんだなぁとしみじみ。

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Kome

蓮の花をモチーフにしたデザインが多かったよ!

気合いが入ったガチなランゴリ(コーラム)

それなりの時間をかけて真剣にガチで描いたであろうランゴリもいくつかあった。

色使いが超鮮やかで、グラデーションになっていたり、細かいところまで抜け目がなかったり、芸術の域に達する作品たち。

(27) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
27枚目:四角と丸と蓮の花を組み合わせたデザイン。花びらの先端の色使いが細かい。

(28) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
28枚目:植物モチーフのデザイン。これも各模様の先端まで細かく彩られている。

(29) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
29枚目:孔雀の羽と蓮の花をモチーフにしたデザイン。孔雀の羽がの色使いがリアル。

(30) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
30枚目:孔雀と蓮の花をモチーフにしたデザイン。鮮やかでカラフル。手前部分がぐちゃぐちゃになってしまっているのが残念。

(31) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
31枚目:孔雀単体のデザイン。ガチランゴリになると孔雀がデザインに取り入れられがち。

(32) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
32枚目:写真では分かりづらいが円の直径が2メートル弱ある巨大ランゴリ。中心部には孔雀モチーフ、それをお花が円形に囲んでいるデザイン。

(33) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
33枚目:5羽の孔雀とカラフルなお花が描かれたランゴリ。ガチ系ランゴリは色粉を隙間なく敷き詰める(盛る)ので、シンプルなものよりも崩れやすい。

(34) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
34枚目:半円で描かれたお花モチーフの巨大なランゴリ。外側の緑色の部分に孔雀の羽を感じるような気がする。

(35)2020年新年のランゴリ(ガチ)
35枚目:細部まで繊細に描かれたお花のような魚のような宇宙のような不思議なデザインが魅力的。白い粉は使わず、色粉のみで描かれている。

(36) 2020年新年のランゴリ(ガチ)
36枚目:カライクディで見た中で、個人的にもっとも美しいと感じたランゴリ。カラフルな孔雀のデザインで、グラデーション満載。ここまでくるとプロの仕事である。

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Kome

孔雀をモチーフにしたきめ細かいデザインが多かったよ!

ホテルの巨大カラフルランゴリ(コーラム)

宿泊したホテルでスタッフのランゴリもガチ系だった。

ホテルのスタッフが、フリーハンドで思いつきのデザインでスラスラと器用に描く。

ちなみに、ランゴリを描くのは一般的には女性のお仕事。この動画のスタッフは男性なのにこんなに上手に描けてすごい

そして細かいところにも強いこだわりを持っている。インド人のこういうスペシャリストなところは好きだなぁ~。

(37)2020年新年のランゴリ(カライクディのホテルにて)
37枚目:ホテルの入り口の前に描かれた2020年あけおめランゴリはデザインはシンプルなのだが・・・

(38)2020年新年のランゴリ(カライクディのホテルにて)
38枚目:巨大な大作!!

スタッフたちの手つきは慣れたもんで、すごいなぁ~と思って見ていると、私の目線を感じたのか「マームも描いてみますか?」と言うので試してみた。
マーム=マダム

ランゴリを描くホテルのスタッフたち
39枚目:ランゴリを描くホテルのスタッフたち。

ランゴリに挑戦する筆者
40枚目:ランゴリに挑戦する筆者。

試してみると見た目以上に難しくて、まっすぐに線を描くこともできなかった。なかなかコツをつかめずに悪戦苦闘。

私が線を引いた上から描きなおされたり、「マームは簡単なところやってください」と言わて「2020」部分の色塗りしかやらせてもらえなかったりする事態が発生した。実力社会である。

おわりに

私の住むムンバイでは、ディワリ(ヒンドゥー教歴の新年)以外でランゴリを見かけることはまずない。インドの文化は、東西南北各地域、州で大きく異なるのを改めて感じた。

昔からの伝統に則って、米粉を使わない今もなお、毎日毎日新しいランゴリを描いているだなんて、南インドの古き良き文化。

個人的なヒットはこれ 美しすぎる・・・✨

美しいカラフルなランゴリ

ランゴリは、綺麗なコンクリートや大理石の上よりも、土の上に描いたほうがいいみたい。というのは、大理石などは表面が滑らかすぎるので、粉が風で吹き飛ばされたりするみたいで、デザインが崩れやすいとのこと。

土の上なら、表面の凸凹が摩擦となるので、デザインが崩れにくい。牛の糞を塗って乾燥させてからランゴリを描くとさらにいい感じの凸凹具合になるらしいのだが、頭では分かっていても家の玄関の入り口に牛糞があるのは、少し…いや、結構抵抗があるね~


【インド地域別まとめ】北東インドの州・連邦直轄領

タイトル画像(【インド地域別まとめ】北東インドの州・連邦直轄領)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、北東インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

北東インド

北東インドは7つの州から構成されており、セブン・シスターズ(7姉妹州)と呼ばれる。各州・地域の民族や宗教、文化は大きく異なるものの、社会構造は似ている。

インドの中の異国であり、地球の歩き方にも詳しい情報はほとんど載っていない。インターネット上にも情報は少なく、まさに知られざる秘境。

01. アッサム州

アッサム州

州都ディスプル
Dispur
その他の
主要都市・観光地
グワハティ
Guwahati
州公用語アッサム語
第二公用語(一部の地域のみ)
ベンガル語
ボド語
州内で母国語として
話されている言語
アッサム語48%
ベンガル語29%
ヒンディー語7%
ボド語5%

イギリス植民地時代、マニプル王国とトリプラ王国を除く北東の全地域がオリッサ州に含まれており、今よりも遥かに大きな州であった。現在も北東インドの中核をなしている。

13世紀にタイ族系のアホム族がこの地に移住しアホム王国を建国。19世紀初頭にビルマから侵略を受けて制服され、さらに第一次イギリス・ビルマ戦争でビルマが負けたことにより、イギリス東インド会社(のちに英領インド帝国)に併合された。その際、アホムがイギリス流に発音されて「アッサム」と呼ばれるようになった。

もともとの州都はシーロンであったが、1972年にメガラヤ州が分割した際にシーロンがメガラヤ州都となったため、新たにグワハティの衛星都市であるディスプルを州都とした。

世界的にアッサムティーが有名。アッサムの茶葉は濃い味を出すためミルクティーに向いている。

お茶で有名なアッサムの茶畑
お茶で有名なアッサムの茶畑(shutterstockより)

象に乗ってサイを見ることができるカズィランガ国立公園
カズィランガ国立公園では、象に乗ってサイを見るアトラクションが人気。(shutterstockより)

02. ナガランド州

ナガランド州

州都コヒマ
Kohima
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
コンヤック語12%
アオ語10%
ロタ語9%
スミ語9%
アンガミ語8%

現在も16部族もの異なるナガ族が昔ながらの風習を守って生活している。ナガ族はかつて首狩りの文化があり野蛮な部族とみなされていた。もともと山や森を崇拝対称としていたが、キリスト教の布教により、現在は住民の9割以上がキリスト教徒。

英領インド帝国からビルマ州が解体した際、ナガ族はイギリスから独立を認められ、1947年8月14日に独立宣言。しかし1日後にインドが独立、ナガ族の独立を認めずインドに併合、アッサム州に組み込み、1963年に州となった。現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗している。

※禁酒州

ナガランド州に住むナガ族の人々
ナガランドに住むナガ族の人々。(shutterstockより)

ナガランドのホーンビル祭りの様子
各部族の伝統文化を保護・継承する目的で毎年12月に開催されるホーンビル祭りには、すべての主要ナガ族が参加する。 (shutterstockより)

03. マニプール州

マニプール州

州都インパール
Imphal
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語メイテイ語
(マニプール語)
第二公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
メイテイ語53%
タドウ語8%
タンクル語6%
ポウラ語5%

主にメイテイ族が生活しているメイテイ族の多数はヒンドゥー教徒だが、19世紀のキリスト教の布教によりキリスト教を信仰する人も多い。

この地の歴史は古く、紀元前1世紀から10世紀まではメイテイ朝、それ以降は20世紀までカングレイパク朝が統治し、1891年にイギリスの藩王国となった(マニプール藩王国)。マニプールは立地的にも外部とほとんど繋がりのない静かな地域だったが、1942年に日本軍がビルマを支配すると、イギリスと日本の前線地帯となった。1944年には史上最悪の作戦といわれる「インパール作戦」の地となり、多くの人が亡くなった。

1947年のイギリス撤退後にマニプール王国として独立したが、1949年に当時のマハラジャがインド政府との合意書にサインした事でインドに併合され、王国は消滅した。

1956年に連邦直轄領、1972年にマニプール州となったが、現在でも一部の勢力はインド政府に抵抗しており、2019年11月には反体制派の指導者らが一方的にインドからの独立を宣言し英国に亡命政府を樹立すると発表した。

同州の女性はパワフルで、女性だけで切り盛りされている市場、イマー・マーケットがある。「イマー」はメイテイ語で「お母さん」を意味する。女性だけで切り盛りされている世界最大級の市場として有名。

ムンバイやデリーなどの大都市で出稼ぎ労働している人が多く、日本食・韓国レストランや、タイマッサージ店に多い。大都市で日本人のような顔立ちのインド人がいたら、マニプール出身であることがほとんど。

※禁酒州

マニプール州都インパールのイマー・マーケット
インパールのイマー・マーケットの様子。(shutterstockより)

マニプールの州都インパールのパカンバ寺院とインパール作戦墓地
(左)マニプールの守護神パカンバを祀る寺院(右)史上最悪の作戦と言われる「インパール作戦」で亡くなったインド人兵士が眠る墓地。(shutterstockより)

04. ミゾラム州

ミゾラム州

州都アイゾール
Aizawl
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ミゾ語
第二公用語英語
ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ミゾ語73%
チャクマ語9%

主にミゾ族が生活している。ミ=民族、ゾ=高地、ラム=土地、つまりミゾラムとは「高地民族の住む土地」を意味しする。首都アイゾールは標高1200mの山頂にあり、州のほとんどが丘陵地帯である。

19世紀半ばに初めてイギリス人がこの地に入るまで、ミゾ族は非常に原始的な暮らしをしていたとされる。1895年に正式に英領インドの一部に組み込まれ、ミゾ族はイギリス式の生活様式を取り入れた。イギリス人がキリスト教を布教したため住民の9割はキリスト教を信仰している。

インド独立とともにインドに併合されてアッサム州に組み込みまれるも、ミゾ族にとってインド式の社会制度が受け入れがたいものであるとして、1960年代に独立運動が起こり、1971年に連邦直轄地としてアッサム州から分割、さらに1987年にはミゾラム州となった。

他州の人はミゾラム州に土地を購入できないという法律があるため、住民の9割がミゾ族。そのため、ミゾラム州には一般的に想像されるようなインド人がほとんど生活しておらず、日本人に近い顔立ちの人ばかりだ。

ミゾラム州都アイゾールの風景
高地にあるミゾラム州の州都アイゾールの景色。住民のほとんどがキリスト教徒。(shutterstockより)

05. トリプラ州

トリプラ州

州都アガルタラ
Agartala
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語ベンガル語
コクバラ語
第二公用語英語
ヒンディー語
マニプール語
チャクマ語
州内で母国語として
話されている言語
ベンガル語70%
コクバラ語26%

紀元前からの古いれヒンドゥー教王朝のトリプラ王国が統治していた地域。バングラデシュと国境を接し、州のほとんどがバングラデシュに囲まれている。インドの他州とつながる陸路は1本のナショナルハイウェイのみで、事実上インドの飛び地とも言われている。

インド・パキスタン分裂後、東パキスタン(現バングラデシュ)から多くのベンガル人が流入し、現在では州人口の約7割はベンガル人が占める。州政府の主要な役職もベンガル人が就いている。トリプラ王国の時代から、トリプラ人は優秀なベンガル人を良い職に就かせたというが、今となってはトリプラ族が少数民族となり、立場が逆転する事態が起きている。

伝説によると、シヴァ様が他の神様と一緒に聖地バラナシに向かう途中にこの地のウナコティを通ったとされる。そこで、一夜を過ごし、シヴァ様は他の神様に「翌朝は日の出前に起きてね」と命じたにも関わらず、すべての神様はシヴァ様の命令を守らずに寝ていた…これに激怒したシヴァ様は神様たちを岩にしてしまったという。岩にされた神様たちは、ウナコティ遺跡で見ることができる。

紀元前から続いたトリプラ王国はイギリス植民地時代も藩王国として存続し、1949年にインドに併合した際の王は第168代目。1963年に連邦直轄地、1972年にトリプラ州となった。

トリプラ州のウナコティ遺跡
ウナコティ遺跡の岩にされた神様たち。シヴァ様自身も岩になっている。(shutterstockより)

トリプラ州都アガルタラのウッジャヤンタ宮殿
州都アガルタラにある白亜の美しい宮殿、ウッジャヤンタ宮殿はかつてのマハラジャの住居。(shutterstockより)

06. メガラヤ州

メガラヤ州

州都シーロン
Shillong
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
第二公用語カシ語
ガロ語
州内で母国語として
話されている言語
カシ語34%
ガロ語32%
ジャインティア語(Pnar)11%
ベンガル語6%

メガラヤはサンスクリット語で「雲のすみか」を意味し、小丘地帯に広がる州だ。この地の歴史は非常に興味深く、新石器時代(紀元前1万~4500年)から人類が生活していたとされる。

19世紀にイギリスの支配下になるまで、この地に住む伝統部族のカシ族、ガロ族、ジャインティア族はそれぞれ王国を築いており、1835年にアッサム州に統合されたが、半独立的な地位を与えられていた。第二次世界大戦が終了するまでに欧米から多くのキリスト教宣教師がこの地で布教活動を行ったため、住民の75%はキリスト教徒である。

インド独立時はアッサム州の一部であったが、1960年代に入ると、カシ丘、ガロ丘、ジャインテイア丘の部族たちからこれらの小丘地帯を州として分割せよと声があがり、1972年にメガラヤ州としてアッサム州から分割された。

ノングリアート村には、約100年前に住民が木の根っこをつなげて作った橋がいくつもあり、観光名所となっている。

「雲のすみか」の名にふさわしいメガラヤ州の景色
「雲のすみか」の名にふさわしい、小丘にあるメガラヤ州の景色。(shutterstockより)

ノングリアート村生きた吊り橋
ノングリアート村にある木の根っこをつなげて作った橋は「生きた吊り橋」と呼ばれる。(shutterstockより)

07. アルナーチャル・プラデーシュ州

アルナーチャル・プラデーシュ州

州都イタナガル
Itanagar
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
ニシ語29%
アディ語17%
ベンガル語7%
ヒンディー語7%
ネパール語7%

インド最北東に位置する州で、多数のチベット系少数民族が生活している。地元民以外土地の購入が禁止されているため、州外からの移住者はほぼいない。

1912年に清朝が滅亡すると、チベットは独立国家として国際社会からの承認を得ようと働きかけ、1914年に英領インドとチベットはシムラ条約を締結。シムラ条約では、英領インドとチベットの国境線を北上させ、これをチベットに認めさせた。この北上した国境線は、シムラ会議にイギリス代表として参加したヘンリー・マクマホンにちなんで「マクマホンライン」と呼ばれている。このときに北上して英領インドに組み込まれた地域が、現在のアルナーチャル・プラデーシュ州である。

この地は「北東の辺境の地」として管理されていたが、1960年には中国との武力衝突が勃発。この地の支配をより強固なものにするため、1972年に連邦直轄領、1987年に州とした。

入域が制限されており、外国人はもちろん、インド人も許可証を取得しなければ入域できない。

世界で二番目に大きいチベット仏教の修道院タワン修道院
タワン修道院はインド最大のチベット仏教修道院であり、ラサにあるポタラ宮殿に次いで世界で二番目に大きい修道院でもある。 (shutterstockより)

他の地域についても読んでみる

別の記事では他地域の州・連邦直轄領についてもまとめているので、あわせて読んでみてね!

北インド

北インド編を読む

東インド

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中央インド

中央インド編を読む

西インド

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南インド

南インド編を読む


【インド地域別まとめ】北インドの州・連邦直轄地領

タイトル画像(【インド地域別まとめ】北インドの州・連邦直轄領)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド各地への旅行を通じて、インドは「インド」とひとくくりにすることが非常に難しいなぁ~と個人的に感じる(現在進行形)。

インドは世界・州は国」と言われるように、インドは州や地域によって、歴史、人種、文化、言語、宗教などが異なり、同じ国とは思えないほどの違いに戸惑うこともある。

そんなインドには、2020年2月現在、28つの州と8つの連邦直轄領がある。私はインドの全ての州と連邦直轄領を制覇したいので、各地域について調べることがよくあるのだが、これらをまとめた記事がインターネット上のどこにも見当たらなかったので、備忘録としてまとめることにした。

連邦直轄領(Union Territory)とは、インド政府が直接統治する地域のこと。

この記事では、北インドの州・連邦直轄地についてまとめます!

▼目次はこちら (クリックして表示)

(各言語の州・連邦直轄領内における母国語話者の比率は直近の国勢調査(2011年)のデータを使用して算出しています。)

北インド

北インドに分類したのは、6つの州4つの連邦直轄領。北インドには以下の通り非常に多くの見どころがある。

  • ムガル帝国・アワド王国
    数々の遺跡とリッチな食文化
    英領併合後のイギリス建築

  • ラジャスタン地方のヒンドゥー教王朝
    マハラジャの宮殿など

  • 聖なるガンガー(ガンジス川)
    上流から下流まで・・・

  • シーク教とシーク王国
    豪華爛漫な寺院(グルドワラ)

  • チベット文化圏
    チベット自治区よりも伝統的なチベット

01. パンジャブ州

パンジャブ州

州都チャンディガール
Chandigarh
その他の
主要都市・観光地
アムリトサル
Amritsar
州公用語パンジャビ語
州内で母国語として
話されている言語
パンジャビ語90%
ヒンディー語9%

もともとのパンジャブ州はパキスタンも含む大きな州で、インド独立時にヒンドゥー・シク教徒のインド側(東パンジャブ)とイスラム教徒のパキスタン側(西パンジャブ)に分裂した。分裂前の州都はラホール。

グルナナックを開祖とするシク教の穏やかな宗教団体であったものが、ムガル帝国の圧力によって政治・軍事組織化していき、18世紀にシク王国が成立。パンジャブ地方のみならず、カシミール等も征服し、北西インド全体を支配した。インドで最後のイギリス支配を受けていない独立国であったが、1845年にシク戦争が勃発、1849年にシク王国は東インド会社(のちの英領インド帝国)に併合され、カシミール地域をはじめとする多くの領土が割譲された。

インド独立後、シク教徒たちはのシク教徒の州を創設するようを求めたがあまり支持されず、代わりに言語で州を区切ることとなり、パンジャブ語圏はパンジャブ州、ヒンディー語圏はハリヤナ州、両州の州ととしてチャンディガールは創設され、北部はヒマチャル・プラデーシュ州に組み込まれた。

アムリトサルのゴールデンテンプル
アムリトサルにあるシーク教の総本山、黄金寺院(Golden Temple)(2019年10月撮影)

毎日行われているワガ-アタリ国境合戦
ワガ=アタリ国境(インドとパキスタンの国境)では1959年から毎日、夕方にセレモニーが開催されている。左側がインドで、右側の門の向こうがパキスタン。インド側の参加者が圧倒的に多い。パンジャブ州内では、他2つの印パ国境で夕暮れ前に同様のセレモニーが行われる。(2017年9月撮影)

02. チャンディガール連邦直轄領

チャンディガール

州都チャンディガール
Chandigarh
その他の
主要都市・観光地
---
州公用語英語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語74%
パンジャビ語22%

パンジャブ州とハリヤナ州両州の州都。

インド独立時にパンジャブ州のかつての州都・中心地であったラホールがパキスタン側になってしまったため、新たに州とを建設する必要が生まれ、計画都市として設計された。

フランスの建築家ル・コルビュジェと彼の弟子によってデザインされた町並みは整然としており、インドで最もインドらしくない街のひとつ。

2016年にル・コルビュジェの作品群が世界遺産に登録された。そのほとんどがヨーロッパにあるものの、アジアでは東京の国立西洋美術館とチャンディガールの市庁舎群(キャピトル・コンプレックス)が登録されている。

チャンディガールのキャピトルコンプレックス(パンジャブ州・ハリヤナ州議会堂)
パンジャビ州・ハリヤナ州、両州のAssembly Hall(議事堂)(2018年10月撮影)

チャンディガールのキャピトルコンプレックス(Open Hand Monument)
チャンディガールの象徴、Open Hand Monument(2018年10月撮影)

03. ハリヤナ州

ハリヤナ州

州都チャンディガール
Chandigarh
その他の
主要都市・観光地
ファリーダーバード
Faridabad

グルガオン
Gurgaon
州公用語ヒンディー語
第二公用語英語
パンジャビ語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語88%
パンジャビ語9%

英領インド帝国時代はパンジャブ地方に属し、インド独立後もそのままパンジャブ州であったが、州内のヒンドゥー語圏・パンジャブ語圏両方から、言語や文化の違いを考慮して州を分割すべきだとの運動が起き、1966年にパンジャブ州から分離して成立した。

近年は、グルガオン(グルグラム)がデリーの衛星都市として急発展し、多くの外資系企業のインド本社が置かれている。インドで最も日本人が住んでいるエリア。

開発が進むグルガオン;title=
デリー首都圏(NCR)を構成し、開発が進むグルガオン(shutterstockより)

04. ヒマチャル・プラデーシュ州

ヒマチャル・プラデーシュ州

州都シムラー
Simla
その他の
主要都市・観光地
マナリ
Manali
州公用語ヒンディー語
第二公用語サンスクリット語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語86%
パンジャビ語9%

ヒマチャルとは「山の層」という意味で、州北部にはヒマラヤ山脈が連なる。

ヒマラヤ地域(スピティ渓谷)には古くからチベット人が住んであり、後述するラダックと同じ文化圏。また、ダラムサラにチベット亡命政府があるためにチベット難民も多く住む。

もともとは小さな王国が並立してパンジャブ地方の一部を構成していたが、18世紀にネパール王国に占領される。その後、グルカ戦争(イギリスVSネパール)でイギリスが勝利すると、この地は東インド会社(のちの英領インド帝国)に併合され、1864年からシムラーは夏の首都として、3月~10月の8か月間行政の中心地として栄えた。インド独立後は、1956年に連邦直轄領、1971年にヒマチャル・プラデーシュ州となった。

現在、夏は避暑地として、冬は山岳リゾート地としてインド人に人気の旅行先となっている。

イギリスが植民地時代に夏の首都シムラーに行くために敷いた山岳鉄道「カルカー・シムラーヒマラヤ鉄道」が今も運行しており、世界遺産に登録されている。これまた人気の観光アトラクションのひとつ。

ヒマチャル・プラデーシュ州の州都シムラーのコロニアルな町並み
ヒマチャル・プラデーシュ州の州都シムラーのコロニアルな町並み(2019年9月撮影)

チベット亡命政府があるダラムサラ近郊のノルブリンカ・インスティチュートにあるチベット仏教寺院
チベット亡命政府があるダラムサラ近郊のノルブリンカ・インスティチュートにあるチベット仏教寺院(2019年9月撮影)

05. デリー連邦直轄領

デリー連邦直轄領

州都ニューデリー
New Delhi
主要都市・観光地---
その他の
州公用語
ヒンディー語
第二公用語ウルドゥー語
パンジャブ語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語85%
パンジャビ語5%
ウルドゥー語5%

インド共和国の首都であり、ムガル帝国時代の首都でもある。もともとは現在のオールドデリー部分のみがデリーだった。

ムガル帝国滅亡後はパンジャブ州に属したが、1911年に英領インド帝国の新たな首都としてパンジャブ州から切り離された独立州となり、新たに計画都市「ニューデリー」が作られ、英領インド帝国の行政機関が置かれた。古くからあるデリーは「オールドデリー」と呼ばれる。クーラーがない時代、イギリス人にとってデリーの夏は暑すぎたようで、現ヒマチャル・プラデーシュ州のシムラーが、3月~10月の8か月間、夏の首都と定められた。そのため、他の大都市と比較してデリーには英領時代のコロニアルな建造物が少ない。

インド独立後は首都として政治の中心地となっており、ニューデリーには大統領官邸や国会議事堂、中央官庁が集まる。インド政府の公式サイトには、首都はニューデリーと記載されている。

ニューデリーの大統領官邸
ニューデリーの大統領官邸。事前予約すれば内部見学可能。(2019年8月撮影)

オールドデリーのジャマ・マスジット周辺
オールドデリーのジャマ・マスジット(金曜モスク)周辺はごちゃごちゃしており、日本人が思い描くインドのようだ。(2011年3月撮影)

06. ジャンムー・カシミール連邦直轄領

ジャンムー・カシミール連邦直轄領

州都夏:シュリナガル
Srinagar
冬:ジャンムー
Jammu
その他の
都市・観光地
---
州公用語ウルドゥー語
州内で母国語として
話されている言語
カシミール語53%
ヒンディー語21%
ドグリ語20%

パキスタンとの争いが絶えない地域。

イギリス植民地時代、シク王国の支配下となるも、シク王国とイギリスが争ったシク戦争でこの地の領主グラーブ・シングはイギリス側についた。シク戦争でイギリスが勝利すると、シク王国からイギリスにカシミール地方が割譲された。イギリスは、味方した領主にカシミール地方を与え、ヒンドゥー教王朝のジャンムー・カシミール藩王国が成立した。

藩王はヒンドゥー教徒であったが、住民の8割以上はイスラム教徒。インド独立時に、藩王はインドとパキスタンのどちらに帰属すべきか悩んでいたところ、パキスタンが武力介入してきたため、藩王はインドへの帰属を表明した。

それ以来、この地はインド・パキスタンの係争地となっており、2019年2月にはパキスタンの過激派組織によるテロが発生、40名のインド人警察隊員が死亡した。これを機にインド・パキスタンの緊張は高まり、2019年8月にはジャンムー・カシミールを連邦直轄領にすることが決定した。2019年10月31日付でジャンムー・カシミール州は廃止されラダック連邦直轄領とジャンムーカシミール連邦直轄領に分割された。

夏の首都シュリナガルから車で1時間半~2時間の距離にあるグルマルグ(Gulmarg)はスキーリゾートとして有名で、ヨーロッパや北海道のスキー場にも負けないほどの雪質で有名。道具のレンタルもでき、スキー場を訪れた在インド外国人たちがそこまで古くない板やブーツを寄付してくれているようで、思ったよりもレンタルアイテムの質はいいとのこと。しかしスキーウェアは臭そうだったと聞く。訪れる際にはウェアだけは持参した方がよさそう。

ジャンムーカシミールにあるグルマルグスキー場の様子
グルマルグのスキー場の様子。(shutterstockより)

ジャンムーカシミールの夏の州都シュリナガルのハウスボート
夏の州都シュリナガルはインド人に人気の新婚旅行先の一つ。ハウスボートで初めての夜を過ごす人は多そう。(shutterstockより)

07. ラダック連邦直轄領

ラダック連邦直轄領

州都レー
Leh
その他の
主要都市・観光地
ザンスカール
Zanskar
州公用語ウルドゥー語
英語
州内で母国語として
話されている言語
チベット語
ラダック語

もともとラダック王国だった地域(19世紀にジャンムー・カシミール藩王国に併合)で、小チベットと称される。8世紀からこの地に続く貴重なチベット宗教・文化が現在も残っている。チベット自治区では、数々の歴史的建造物が中国によって破壊されてしまったため、ラダックはチベット自治区よりも古い文化が良く残っていると言われており、チベット仏教の中心地とされる。

中国が実効支配するアクサイチン、パキスタンが実効支配するバルティスターンは、もともとラダック王国に属しており、インドは現在も領有権を主張している。

首都レーからデコボコの道を車で5~6時間、2009年公開のインド映画「3 Idiots(邦題:きっとうまくいく)」のラストシーンに登場した「パンゴンツォ」という美しい湖やチベット仏教の修道院、チベット文化が観光客に人気。3 Idiots公開以前は、絶景や秘境好きの外国人、バイクで旅行する人たちくらいしかこの地を訪れなかったという。映画がきっかけで多くのインド人が訪れるようになり、今でもその人気は凄まじい。

2019年10月31日付でジャンムー・カシミール州が廃止。ラダック連邦直轄領とジャンムーカシミール連邦直轄領に分割された。

インドの気軽?な秘境のひとつ、パンゴンツォ
インドの気軽?な秘境のひとつ、パンゴンツォ。拠点となるレーまでは飛行機で楽々行けてしまうので、高山病に気を付ければ弾丸旅行も可能だ。(shutterstockより)

ラダックに住むチベット系住民
ラダックに住むチベット系住民。ヒマチャル・プラデーシュ州のスピティ渓谷と同様、チベット文化が色濃い地域。(shutterstockより)

08. ウッタル・プラデーシュ州

ウッタル・プラデーシュ州

州都ラクナウ
Lucknow
その他の
主要都市・観光地
アグラ
Agra

バラナシ
Varanasi
州公用語ヒンディー語
第二公用語ウルドゥー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語94%
ウルドゥー語6%

インドで最も人口が多い州。

ウッタル=北、プラデーシュ=州、北の州を意味する。通称UP(ユーピー)州。このUPという呼び名は、植民地時代のUnited Provinces (of Agra and Oudh) / (アグラ・アワド)連合州の略称を引き継いでいる。英領インドに併合されたムガル帝国のアグラ周辺とアワド藩王国の地域にあたる。

ガンジス川が流れる聖地バラナシや、タージマハルをはじめとしたムガル帝国時代の遺跡、ムガル帝国からスピンオフしたイラン系宗主が率いたアワド、「祇園精舎の鐘の声」の舞台となった仏教聖地など、異なる宗教・文化が混ざり合う。州内の約8割はヒンドゥー教徒、2割はムスリム。

州都のラクナウは、アワド王国(太守)時代、弱体化したムガル帝国の首都デリーよりも栄えていたと言われており、ムガル宮廷舞踊やカタックダンスはこの地で全盛期を迎えたとされる。またこのアワド地方の食事は、ムガル宮廷料理と中央アジア(イラン)、現地のイスラム教の料理がミックスしたもので、インド料理の中でも非常に人気がある。レストランで「Awadhi ~~(アワドの~~)」とつく食事があればぜひともオーダーしたいところ。イスラム教なので、牛肉やヤギ肉を使用したものが多い。

インドの象徴、タージマハル
インドの象徴であるタージマハルは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛する妻のために建てた霊廟。(2018年5月撮影)

ラクナウ最大の観光スポット、バーラ・イマームバーラ
ラクナウ最大の見どころ、バーラ・イマームバーラ。ムガル帝国時代のアワド太守はイラン出身のため、インドでは珍しいシーア派の建物。イマームとはシーア派で重要な人物の霊廟を指し、聖地扱いされる。(2019年9月撮影)

09. ウッタラカンド州

ウッタラカンド州

州都デラドゥーン
Dheradun
その他の
主要都市・観光地
リシケシ
Rishkesh
州公用語ヒンディー語
第二公用語サンスクリット語
州内で母国語として
されている言語
ヒンディー語89%
ウルドゥー語4%

2001年にウッタル・プラデーシュ州のヒマラヤ地帯が分割して成立。分割当初はウッタランチャル州として設立したが、2006年に現在の州名に変更された。ヒンドゥー教寺院が多く「神の国」と呼ばれている。

9世紀からヒンドゥー王朝であるガルワール王国がこの一帯を統治していたが、18世紀末~19世紀初頭にかけてネパール王国に占領された。イギリスとネパールが争ったグルカ戦争ではイギリス側で参戦した。1815年にイギリスと軍事保護条約を締結し、ガルワール藩王国となり、インド独立まで存続した。

同州を流れているガンジス川は上流であるために透明で非常にきれい。ガンジス川でラフティングすることもできる。

ヨガの聖地と言われているリシケシ
ヨガの聖地として有名なリシケシ。ビートルズもヨガ修行に訪れた。(2017年4月撮影)

10. ラジャスターン州

ラジャスターン州

州都ジャイプール
Jaipur
その他の
主要都市・観光地
ウダイプール
Udaipur

ジョドプール
Jodhpur

ジャイサルメール
Jaisarmer
州公用語ヒンディー語
州内で母国語として
話されている言語
ヒンディー語89%
パンジャビ語3%

インドで最も面積が大きい州。

ラージ(ラジャ)=王様、スタン=土地、ラジャスタン=王様の土地を意味する。かつてこの地はラージプーターナーと呼ばれ、5~6世紀に中央アジアからやってきた異民族がこの地の支配者層と融合してクシャトリヤと自称したカースト集団であるラージプート族がいくつものヒンドゥー王朝を興した。

域内には数多くの王国がインド独立まで藩王国として存在した。代表的な王国は、メーワール王国(現ウダイプル)、アンベール王国(現ジャイプール)、マルワール王国(現ジョードプル)、ジャイサルメール王国など。これらの都市には、かつてのマハラジャ達の宮殿が今も残っており、改装されて「宮殿ホテル」「ヘリテイジホテル」として使用されている。

ジョドプール人(マルワリ)は世界有数のビジネスマンとして知られている。ビルラー財閥はマルワリの集団。

クシャトリヤとは、バラモン・ヒンドゥー教社会における身分制度(ヴァルナ)で、上から二番目の王族・武人階級のこと。上位からバラモン(祭司)で、クシャトリヤ(戦士)、ヴァイシャ(庶民)、シュードラ(労働者・奴隷)の身分が存在し、さらにこの階級に属すことのできない不可触民(ダリット)がいる。

ジャイプールの風の宮殿(Hawa Mahal)
アンベール王国(ジャイプール藩王国)のマハラジャの宮殿(シティパレス)の側面の一部には900以上の小窓が通りに面しており、風の宮殿(Hawa Mahal)と呼ばれる。(2016年9月撮影)

ジャイプールはブロックプリントが有名
ジャイプールはブロックプリント(木版)が有名。木で作ったハンコを数回重ねて模様を作る印刷技法。インドには10世紀ごろに伝わり、現在も昔ながらの技法で職人たちが布に印刷をしている。(2016年9月撮影)

他の地域についても読んでみる

別の記事では他地域の州・連邦直轄領についてもまとめているので、あわせて読んでみてね!

北東インド

北東インド編を読む

東インド

東インド編を読む

中央インド

中央インド編を読む

西インド

西インド編を読む

南インド

南インド編を読む


インド旅オタクが選ぶ!インド旅行・観光にオススメのガイドブック

タイトル画像(インド旅オタクが選ぶ!インド旅行・観光にオススメのガイドブック)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

私はインド旅行が大好き。インドに住み始めてからほぼ毎月インド国内を旅行している。2019年12月現在、41回インド国内旅行をして、66か所訪問。バックパッカー旅行から、大人なインド旅行まで、幅広くこなしてきたつもりだ。(インド旅行歴

インド旅行・観光をする上で、下調べは欠かせない。そして、下調べにガイドブックは必要不可欠。

しかし、世の中にはたくさんのガイドブックが溢れている。

色んなガイドブックがあってどれにすればいいのか迷っちゃう~」というあなたに、インド旅が大好きな私が、旅行タイプ別にオススメのガイドブック+αをご紹介

この記事はこんな人にオススメ
  1. インドを旅行しようかな~と考えている人
  2. インド旅行用にどのガイドブックを買おうか迷っている人

だれよりも正しいガイドブックをオススメできる自信あり!書籍の画像をクリックするとAmazonの商品ページにジャンプします

北インドを旅行する人向け(ツアーや現地に友人がいる場合)

北インドを旅行する人にオススメしたいガイドブックは、以下の2冊。

  • るるぶ
  • aruco

ただし、ツアーに参加する場合や、頼れる知り合いが現地にいる場合周遊しない場合に限る。

というのはこれらのガイドブックは「観光地」「買い物」「食事」の情報がメイン。

添乗員さんやガイド、友人等、現地で頼れる人がいるなら、「観光」「買い物」「食事」といった楽しいことだけを考えればよい。

しかし、個人でインドを周遊する場合は、都市間の移動、さまざまなクラスの宿や、食堂・レストランの情報、詐欺の手法などについても詳しく知る必要がある。

上の2冊にはこうした情報が十分に載っておらず、インドのキラキラした部分にのみ焦点を当てている傾向にあるので、個人で周遊をするという旅行者は、これら2冊のみで旅行をするのは避けるべきだ。

るるぶ

北インドツアー旅行者にるるぶ をオススメする理由は、以下の3つ。

  1. 北インドの主要観光地の情報のみを厳選して掲載
    旅行前に十分に予習する時間がなくても、インドに行くまでの機内やインド到着後のホテル、移動時間などに、必要な部分をサクッと読む(見る)ことができる。北インドの情報がぎゅ~っと凝縮されている。

  2. 写真が多くてわかりやすい
    綺麗な写真が多く掲載されているので、インド初心者さんでも観光地のイメージが湧きやすい。

  3. Kindle Unlimited / ブック放題の読み放題対象書籍
    アマゾンの「Kindle Unlimited」又は「ブック放題」を利用していれば、読み放題の対象なので無料で読むことができる。ガイドブックは買わなくてもいいや~という人も、無料なら読みたいと思いませんか☺?

Kindle Unlimited 公式ページへ

ブック放題 公式ページへ

どちらも初月無料、Kindle Unlimitedは月額980円、ブック放題は月額500円。るるぶ一冊を購入するよりもお得だと思いまーす(大きな声では言いづらいが、無料期間中に退会すればタダで読めるしね)

aruco

女性には、arucoもオススメ。

北インドツアー旅行者(女性)にaruco をオススメする理由は、以下の3つ。

  1. 北インドの主要観光地の情報を女性目線で掲載
    タージマハルでがきれいに見える(撮れる)スポットなど、他のガイドブックにはない、女性目線な情報が嬉しい。

  2. 女性向け雑貨・お土産の情報が豊富
    アユールヴェーダコスメや雑貨、ショッピングスポットの情報が可愛く紹介されており、お土産を買う際に非常に参考になる。

  3. Kindle版あり
    アマゾンのKindle版を購入してスマホに入れておけば、重たい本の持ち運びは不要。観光中はスマホから必要情報にアクセスできる(もちろんオフラインで)。

北インド以外を旅行する人向け(ツアー)

日本人に人気のデリー、アーグラ、ジャイプール、リシケシ、バラナシ以外をツアーで旅行する人は、るるぶやarucoは不要。るるぶには一応ムンバイやアジャンター・エローラ等の情報も載っているが、やはりメインは北インド。情報量が圧倒的に少ない。

ツアーで北インド以外を旅行する人にオススメしたいガイドブックは以下の通り。

  • 南インド(チェンナイ、ゴア、ケララ等)
    地球の歩き方 南インド

  • 西インド(ムンバイ、アジャンタ・エローラ)
    地球の歩き方 西インド分冊

  • その他観光地
    まちごとインド
    現地で売っている薄い日本語のガイドブック

地球の歩き方 南インド

南インドの情報に特化。「地球の歩き方インド」に載っていない情報、またはより詳しい情報が掲載されているので、南インド旅行には欠かせない一冊。

カバー範囲は、ゴア、タミルナードゥ(チェンナイ、マハーバリプラム等)、カルナータカ州(バンガロール、ハンピ等)、ケララ(コチ、アレッピー等)の4州+ラクシャディープ諸島。都市や観光地の情報に加え、南インドの宗教や食事、文化についても詳しく説明がある。

全日空(ANA)の成田=チェンナイ線(直行便)の就航により、南インドのツアーが一気に増えた印象がある。チェンナイを起点とした南インドツアーに参加するという方にオススメ!

最新版が少し古いのが気になるけど・・・。

ご注意

「地球の歩き方 南インド分冊」ではありません!南インド分冊は、地球の歩き方インドの「南インド」の部分のみを抜粋したもの。ここで紹介しているのは、「地球の歩き方 南インド」です。南インド分冊ではないので、ご注意ください。

地球の歩き方 西インド分冊

「地球の歩き方インド」のうち、「西インド」部分を抜粋したもの。西インドの情報を幅広く網羅しているが、ツアーに含まれないであろう都市の情報も含まれているので、実際に読むべきページは少ない。

アジャンター・エローラ遺跡の地図と説明がわかりやすいので、←完全にこれ目当て

インド全土の情報は必要ないので、分冊で必要な部分(西インド部分)のみ安く購入するのがオススメ

まちごとインド

マイナー都市系ツアーに参加する場合にオススメしたいのが、「まちごとインド」というKindle本。

インドの都市の詳しい情報が、州単位、または都市単位でまとめられている。

Kindle Unlimitedを利用していれば読み放題、つまり無料で読める。

Kindle Unlimited 公式ページへ

▼州別はこんな感じ(他にももっとあります)

▼都市別はこんな感じ(他にももっとあります)

Kindle Unlimitedユーザーになれば読み放題なので、これらは全てダウンロードし放題。旅行前にスマホやタブレットにダウンロードしておけば、観光中に見ることができて非常に便利。(私もよく読んでいます!)

Kindle Unlimited 公式ページへ

▼Amazonで「まちごとインド」で検索すればたくさん出てくるので、見てみてね!

現地で売っている薄い日本語のガイドブック

エレファンタ島のガイドブック①
エレファンタ島のガイドブック②

古くから世界遺産に登録されている場所で、「外国人ツアー観光客が来るけどちょっとマイナー」に分類されるようなところには、チケット売り場の近くで、薄い日本語のガイドブックが売られている。

怪しい…」と思って素通りするなかれ。地球の歩き方を上回る内容の濃さ、現地でガイドが必要ないくらい、詳しい情報が載っている。

お値段は交渉力次第だが、どんなに高くても100ルピー~200ルピーで購入できる。基本的に買う人が全然いないので色あせていたり汚れている。その場合は少し駄々をこねれば50ルピー~100ルピーで買えるだろう。

個人旅行者・バックパッカー向け

地球の歩き方 インド

インドを周遊する個人旅行者は、「地球の歩き方」一択でしょう。

バックパッカーのバイブル、と言われている(いた?)が、別にバックパッカーでなくとも必要な情報ばかり。

高級ホテル~安宿の情報、都市間の移動方法、市内中心地の情報、レストラン情報、買い物する場所の情報…基本的に個人旅行者目線で書かれているので、非常に参考になる。

世界遺産などの有名観光地は、見開きページに細かい説明があるので、観光地でガイドを雇わなくても、必要最低限、かつ十分な情報を得ることができる。

個人旅行で地球の歩き方を利用する際に注意したいポイントは以下の3点。

  1. 地球の歩き方の情報を100%信頼しないこと 地図や移動方法に間違った情報が載っていることがある。地球の歩き方の情報を鵜呑みにせず、念のため自分で事前にネットで調べた方がよい。個人旅行は自己責任なのだ。

  2. 最新版の地球の歩き方を使用すること インドは変化の激しい国。前年にあった宿やレストランが閉店しているだなんてことも珍しくない。ビザの情報も毎年変わっている。鉄道の情報も毎年変わっている。観光地の入場料も変わっている。変化だらけの国なのだ。有名な観光地の説明だけ見るなら古いものでも問題ないが、情報不足がトラブルを引き起こす。トラブルを回避するためにも、ケチらずにできるだけ最新版を使用することが望ましい
    私も三冊持っています!!(2010-11、2015-16、2017-18)。

  3. 地球の歩き方をもってウロウロしないこと
    「地球の歩き方を持っている=日本人」というのは詐欺師の間では当たり前。地球の歩き方をもってウロウロするということは、「騙してください」と言っているようなもんである(←さすがに言い過ぎかな?)。とは言っても、地図や観光地の情報を頭の中に完全にインプットするのは無理なので、必要なページをスマホのカメラで撮影してそれをスマホで見るとか、事前にGoogle Mapsに登録しておくとか、マイマップを作成しておくとか、方法はいろいろあると思うので、自分が一番やりやすいやり方で自分の身を守ってください

地球の歩き方に加えて、Kindle Unlimitedユーザは「まちごとインド」(↑上で紹介)も併用するとお勉強もできる。

マイナーなところに行きたい個人旅行者向け

ロンリープラネット

インド旅をしていると「インドには、地球の歩き方には載っていない素晴らしい場所がたくさんある」ということに気づいた。地球の歩き方だけが全てだと思っていたのだが、マイナーな「世界遺産」なんかは載っていないものもある(別に地球の歩き方を批判しているわけではない)。

それに対し、ロンリープラネット(以下、ロンプラ)は、旅行者が行く可能性のあるところはすべて網羅している…さすがとしか言いようがない。

一度ロンプラを見てしまうと、地球の歩き方がるるぶやまっぷる(=画像が多い)のように感じてしまうほど。ロンプラはインド旅行の辞書である。

ロンプラの何が素晴らしいかって、編集者の実名と顔写真が巻末で紹介されているのだ。「私がこの記事を担当しましたよ~」と実名顔出しで紹介してくれているので信頼度が高い。

しかしそんな無敵なロンプラにも問題点がある。

  • 英語版しかない
    ある程度英語のリーディング能力がないと全く役に立たない。
  • 文字ばっかり
    リアルに辞書。読みなれた地球の歩き方と構成も違うため、読みづらい。
  • 分厚くて重い
    本は分厚くて重くてとても持ち歩けるサイズ感ではない。にも拘わらず、若い欧米人バックパッカーは持ち歩いている😂

そこで、個人的にオススメしたいのは、「地球の歩き方」と「ロンプラ」の二刀流

  • 歩き方に載ってない情報のみ、ロンプラで見る。
  • 歩き方でインスピレーションを得て、ロンプラで掘り下げる。

インドのニッチなところに行く予定がある人は、二冊持っているとなにかと便利。

ロンプラは分厚くて重いので家用にするか、Kindle版・PDF版を購入するのがオススメ。

PDF版ははロンプラの公式サイト(英語)で購入できます。

India Travel Guide - Lonely Planet Online Shop

まとめ

タイプオススメガイドブック
北インドツアー
北インドの友人を訪ねる個人旅行
るるぶインド (るるぶ情報版)
北インドツアー(女性)
北インドの友人を訪ねる個人旅行(女性)
05 地球の歩き方 aruco インド (地球の歩き方aruco)
南インドツアーD36 地球の歩き方 南インド 2016~2017
アジャエロツアー地球の歩き方 D28 インド 2020-2021 【分冊】 2 西インド インド分冊版
その他ツアー①東インド012ブッダガヤ ~「悟り」と菩提樹 まちごとインド
その他ツアー②現地で売ってる薄い日本語のガイドブック
個人旅行・バックパッカーD28 地球の歩き方 インド 2020~2021
マイナーなところを含む個人旅行Lonely Planet India (Lonely Planet Travel Guide)
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自分にあった一冊で素敵なインド旅行を!


【振り返り】2019年デリーハーフマラソン | インドでランニングは人気?大気汚染は大丈夫?

画像タイトル(【振り返り】2019年デリーハーフマラソン | インドでランニングは人気?大気汚染は大丈夫?)

12月に突入したにも関わらず10月の話について書くのはどうかと思うが、記録用に残しておこうと思い、「Airtel Delhi Half Marathon 2019」について、振り返ってみる。

インド在住の日本人で、出たいって人がいるかもしれないし…😂 

デリーハーフマラソンとは?

Airtel Delhi Half Marathonのロゴ
(画像はWikipediaより拝借

デリーハーフマラソンは、インド最大規模のハーフマラソン大会

世界のメジャーハーフマラソン大会のひとつにも数えられる、大きな大会だ。
(参照元:14 Major Half Marathons

2005年から開催されており、今年2019年は15回目の開催。

スポンサーはAirtel。大企業がスポンサーなので安心して参加できる。

インドでなにかイベントごとに参加するときは、スポンサー企業がどこなのか確認するのはとても大事。大企業がスポンサーについていないと、お金はない、オペレーションは悪い、悲惨なイベントになる。

大会名は「ハーフマラソン」であるが、ハーフマラソン以外にも、10km5kmの設定もあるので、ランニング初心者でも気軽に参加することができる。多くの人が無理のない範囲内で頑張れるところが良い。

Airtel Delhi Half Marathon の情報

開催日 :2019年10月20日(毎年ディワリ前に開催)
カテゴリ:ハーフマラソン、10km、5km、3km(シニア・障害のある方向け)
参加費 :ハーフは2000ルピー

インドでランニングブーム!?

インドでは近年、健康意識の高まりからランニングがブームという記事をよく見かける。

本当にそうなの~?全然走ってるひと見かけないよ~?😂

そう思ったので、数字で確認してみることにした。


まず、全世界の国別マラソン統計(2019)を見てみる。
(参照元:Marathon Statistics 2019 Worldwide (Research)

▼マラソン大会の参加者の増減(2008年→2018年)
マラソン大会の参加者増減

インドは過去10年で、マラソン大会の参加者は230%増えたそう。

1人+230%(+2.3人)⇒3.3人。3倍以上になっているんだね。

国別でみると、インドは全世界No.1の増加率

これはフルマラソンのデータなので、フルよりも敷居が低いハーフや10km・5kmを含めるともっと増えているんだろうな~と推測します。


▼国別・フルマラソンの男女平均タイム
国別マラソンタイムランキング

フルマラソンのタイムを見てみると、インドはブービー。みんな自分のペースで走っているんだね。

インドでは日常的に運動する人は少なく、一部の意識高い系のみが本気で取り組んでいる印象。


次に、インドのランニングイベントを申し込む際の定番サイトであるToenscript が集計した、インドランニング市場レポート(2018年)を見てみる。
(参照元:India Running Events Industry Report

レポートによると、過去2~3年に開催されたランニングイベントのうち、参加者の65%は「10km」以下に参加していたという。

▼インドで近年開催されたランニングイベントの距離別参加者比率
ランニングイベントの距離別の参加比率

ハーフマラソン以上に参加する人、少なっ…。

ランニング人口は増えていても、本気のランナーはそこまで増えているわけではなさそう。

日常的にしっかりと練習しなければいけないフルマラソンやハーフマラソンはまだまだ避けられていて、10kmと5kmが人気

ちょっと頑張れば走り切れるくらいがいいのかな、たぶん。

まだまだ、「ランニング」=「ファッション・流行」の段階のようですね。

大気汚染は大丈夫?

大丈夫か、大丈夫ではないかで言うと、大丈夫ではないと思う。

AFP通信で、大気汚染のなかマスクをして参加する人たちが紹介されていたり。

デリーハーフマラソンで大気汚染の中マスクを着用して走る人たち
(参照元:大気汚染のインドでマラソン大会、マスク姿の参加者も

ここまでして走る執念がすごいわ。毒ガス用マスクをして走るくらいなら、参加しない方がいいんじゃないのかとも思うが、私には理解できない複雑な事情があるのだろう。。。

参加のきっかけ

私は走ることが好きなのだが、健康維持が主な目的。

しかし、心が弱い人間のため、「健康のため」という大きなふわんふわんした目的では続けることができない。

なにか「明確な目標」がないと、モチベーションを維持できないため、定期的にマラソン大会に参加している。お金を払ってしまったのだから、やるしかないぞ!と自分に言い聞かせるのだ。

これまでは、「わざわざデリーにまで行って走る必要ないよなぁ~」と思っていたのに、今年いきなり走ってみたくなった。「インド最大規模」という言葉に負けたのかもしれない。オタク精神でいろいろコンプリートしたいタイプの人間なのだ。

そんなわけで、申込をして、航空券をポチった。

Bibピックアップ

前日にデリー入りし、ビブ(ゼッケン)を取りに会場へ。

ビブピックアップの会場は、Jawaharlal Nehru Stadium(ジャワハーラール・ネルー・スタジアム)。

ジャワハーラール・ネルー・スタジアム入口
スタジアムの入り口

ゲートがたくさんあり、どこか迷いつつも人に聞きまくって会場にたどり着く。

ジャワハーラール・ネルー・スタジアムのセキュリティーの人たち
セキュリティーの人に道を聞いたら写真撮ってくれよと言われたのでパチリ。ご満悦です。
ビブ受取会場
ビブ受取会場の入り口

▼ビブ受取会場の内部はこんな感じ。スポンサー企業のAirtelのコーポレートカラーの赤色で統一。

ビブ受取会場の内部の様子①
ビブ受取会場の内部の様子②:titile=

▼「写真スポット」もあり、大賑わい。(わたしも撮りますた)
ビブ会場の写真スポット

▼会場の外にはフードワゴンが!いま、お昼どき…お腹減ったな…
ビブ会場外のフードワゴン

▼というわけで、マギーサンドイッチを購入。焼きそばパンみたいな感じです。
マギーサンドイッチ

ハーフマラソン当日

スタートは6時45分。寝坊したが何とか間に合った。

▼やる気に満ち溢れているであろう人たち
デリーハーフマラソン、スタート前の様子

この日のAQIは300越え

Air Quality Index ってなぁに?
大気汚染の程度を測る指数のこと
~ 50:良い
~100:普通
~150:敏感な人の健康に良くない
~200:不健康
~300:極めて不健康
300超:危険!

危険と言われるレベルの中、走っていたようだ。

遠くに見えるインド門らしきなにか
遠くに見えるインド門らしきなにか
インド門が鮮明に見てきたよ
インド門が見えてきたよ

毎年、インド北部(デリー周辺)では、冬が近づくにつれて大気汚染がひどくなる。野焼きや焚き木のほか、ヒンドゥー教のお正月にあたる「ディワリ」で花火や爆竹をバンバン使うことが主な原因。

よって、デリーハーフマラソンは毎年ディワリ前の「まだ空気がマシな時」に行われている。

にも関わらずAQIが300越えって、なかなかヤバみ。

ちなみに、ディワリ後はAQIは1000を超えることもあるそう。恐ろしい。

沿道で大気汚染を訴えかける人
沿道にはランナーに大気汚染を訴えかける人もいた。

ま、一応みんな大気汚染承知の上で走ってるんでね…。

そんなこんなで、無事完走。

▼ゴール後には「マッサージ&ストレッチコーナー」があるので、ここで体を休めることができる。
デリーハーフマラソンのマッサージコーナー

▼「写真スポット」もある。

写真スポットで撮影する人
写真スポットで撮影する人

「走ること」よりも、「完走したぜ Yeah★」的な写真をSNSにアップすることが目的なんじゃないかなぁ、と思うほどの必死さ。

人の写真を撮ってあげると、撮り直しを何度も要求されることもしばしばである。かっこよく写りたいよね。わかるわかる。

▼ちなみに、散々言っているが、自分もちゃっかり撮っている😂
写真スポットで撮影しました

▼協賛企業のプロモコーナー。楽しそう。

イベントを最大限に楽しむ大人たち
イベントを最大限に楽しむ大人たち

▼ちなみに超人気。

プロモコーナーには長蛇の列
プロモコーナーには長蛇の列

初めてデリーハーフマラソンに参加して感じたのが、「地元の人の応援が少ない」こと。少ないというか、「皆無」だ。

コース的な問題なのかもしれないし、大気汚染を避けて外に出たくないのかもしれないし、デリー人ではないので真相は不明だが、走ってる側としては少し寂しかった。

そんな中、ランナーを応援してくれたのが大会公式の応援隊。

沿道で、いい感じに着飾って、踊ったり、音楽を奏でてくれたりして、ランナーの気持ちを高めてくれる。AQIのボードを持ってランナーの士気を下げていた女性とは大違いだね。

沿道で応援してくた楽器隊
沿道で応援してくれた楽器隊

まとめ

わざわざ遠征してまで、また参加するかどうかは微妙なところだが、気温も涼しく、コースも走りやすくてよかった。

大気汚染は、キニナル人は参加しなければいいのでは。ディワリ前なので大丈夫だと思うけど、喉が弱い人は避けた方がいいのかもしれない…。

私の場合、ハーフマラソン後に喉の不調はなかったが、鼻の穴は真っ黒になった。敏感な人は喉をやられる危険性あり。

今回、10km・5kmに参加している人の大半は、健康のためというよりも

SNSでかっこいい自分をアピールしたい

というのが参加の大きな目的なんじゃないかなぁ…と思ってしまった。

完走後に写真スポットでメダルをかじって写真を撮る。

これは写真スポットであるあるの光景なのだが、観察していると、フルマラソンやハーフマラソン参加者よりも、10km・5km参加者の方がメダルかじりがち

SNSでアピールすることが入口だったとしても、それをきっかけに本気で取り組む方が多くなればいいですね!

インドでランニング楽しみましょう!

おしまい。


デリー観光の超穴場!チベット街(マジュヌカティラ)へ行ってみよう

タイトル画像( デリー観光の超穴場!チベット街へ行ってみよう)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

デリー観光をしていると、熱心な客引きや法外な値段をふっかけてくる輩にイライラ、連日のインド料理で慣れないスパイスと油に胃腸はムカムカ、という経験は誰もがしたことがあるはずだ(または、するに違いないだろう)。

そんなデリーのオアシスとも言える穴場スポットがチベット街だ。

チベットは中国に侵略・併合されたことにより、ダライ・ラマ法王の顔写真を家に飾り拝むこともできないほどの弾圧が今でも続いており、多くのチベット人がインドやネパールに亡命している。

デリーにも、亡命してきたチベット人とその子孫が集まって暮らしている地域があり、誰でも気軽にチベット文化に触れることができる。

この記事ではデリーにあるチベット街についてまとめてみたよ~!デリーに行く方は要Check!!

▼目次はこちら (クリックして表示)

行き方

▼チベット街と最寄り駅の場所

デリーメトロ・イエローラインヴィダン サハー駅Vidhan Sabha)まで行き、そこからオートリキシャーで10~15分程度。

駅を出て外に出るとオートリキシャーが客待ちをしているので「マジュヌカティラ(Majnu-ka-tilla)」または「チベタン・コロニー(Tibetan colony)」と言えばOK。

乗り合いの場合は10ルピー、ひとりの場合は30〜50ルピー程度と適正運賃。

外国人観光客が多くないため、リキシャードライバーがすれていない点が良い。チベット街にまだ到着していないが、この時点ですでにホっとする。

デリーのチベット街までリキシャーで移動

リキシャ―ライドは気持ちいい。
(が、大気汚染も気になる😂)

チベット街の入り口がある反対側の道路で降ろされるのだが、道路は車通りが多く、横断歩道なんてないので斜め横断をしなければいけない。危ないので、周りのチベット人やインド人が道路を渡るタイミングを見て一緒に渡るのがコツ。

道路を渡るとすでにチベット感がプンプンただよっている。

チベット用品を取り扱うお店
チベット用品を取り扱うお店
チベット人男性
チベット人男性

チベット街の歩き方

チベット街の入り口の門

チベット感ただよう門が見えたら入って行く。

進んでいくと狭い道が入り組んでいてまるで迷路のようだ。あえて迷ってみるのも楽しい。

デリーのチベット街の路地①
デリーのチベット街の路地②

迷いながらウロウロしていると、チベット寺院がある広場に出るはず。人々の憩いの場となっていてほのぼのとした雰囲気だ。

デリーのチベット街にあるチベット寺院
チベット寺院
チベット寺院にあるマニ車
チベット寺院にあるマニ車

さらに進んでいくと、メインストリートに出る。

通りにはチベタンカフェやチベタンレストラン、チベタン雑貨のお店、チベタン顔の人々、チベタンチベタンチベタン・・・

延々とチベットのお店が並び、インド感が急激に低下

デリーのチベット街のメインストリート
メインの通り
デリーのチベット街メインストリートに掲げられたタルチョー
メインの通りに掲げられたタルチョー

お店にはダライ・ラマ法王のポートレートが飾られ、通りにはタルチョー(チベット仏教の5色の旗)が掲げられ、「インド」が入る余地はどこにもない。地元のインド人の若者がチベット文化に触れるために探索に来ているほどだ。

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ホントにココはインド?

本格チベット料理でお腹を満たそう

チベット料理は優しいお味のものが多いので、スパイスで疲労困憊した胃腸を休めるのにもってこい

わたしは賑わっていたお店で牛タントゥクと牛モモをいただいた。薄味でおいしい。

チベット料理店・Dolma House
Dolma House
チベット料理・タントゥク
タントゥク

屋台ではピリ辛牛串。4串100ルピー。こちらも大繁盛。

地元民でにぎわう牛串屋台
地元民でにぎわう牛串屋台
デリーのチベット街の屋台ピリ辛牛串
ピリ辛の牛串

牛さまはヒンドゥー教の神様・シヴァ神の乗り物なので神聖であるとして、ヒンドゥー教では牛さまのお肉をいただくことは禁じられている

チベット人はゴリゴリのノンベジタリアン。禁じられたお肉がチベット街にはある

チベット雑貨・チベット食品を買おう

チベットのものが買える場所はなかなか限られている。せっかくの機会なので、お買い物も楽しむ。

雑貨屋さん

チベット雑貨は女子心をくすぐるアイテムが多い。

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オススメのお店を紹介するね!

Akama Handicrafts

デリーのチベット街にある雑貨屋(AKAMA)

お香や置物などがリーズナブルがお手頃価格で買えるお店。

細々したアイテムが多いので、お土産にぴったり◎

デリーのチベット街の雑貨屋さんで売られている商品①
デリーのチベット街の雑貨屋さんで売られている商品②
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ばらまき土産にちょうどいいね!

チベットのお香(左)は25ルピーからとリーズナブル。チベットのお香をたく専用の箱(右)も200ルピー。チベットの香りを日本に持ち帰ってみては?

デリーのチベット街の雑貨屋さんで売っているお香
チベットお香をたくための箱
お店の情報

Mapcha Himalayan Design Studio

住所:H no 6, Majnu Ka Tilla, New Aruna Nagar, New Delhi, Delhi 110054(Googleマップで確認

お店の公式Facebookページ

Mapcha Himalayan Design Studio

デリーのチベット街にある雑貨屋(MAPCHA)

モダンなヒマラヤ・チベットデザインの雑貨や衣類を取り扱うお店。値はやや張るが、質を考えれば妥当な価格帯。かわいすぎてホッコリ。

▼18金のアクセサリーは日本で買うよりもだいぶ安いのでは。1000ルピー前後。

18金のアクセサリー

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日本円換算で2000円しないよ!

▼チベット文字が書かれたマグカップや封筒もかわいい。

チベットのアルファベットが書かれたマグカップ
チベットのアルファベットが書かれた封筒
モダンなチベット服

かなりモダンなチベット服も売っていたよ!

私はインドのガチ・チベット文化圏にも行ったことがあるが、結構へんぴなところなので、モダンなチベット雑貨というのは見かけなかった。こういうのは都会ならではだな~と大興奮した。

衣類は質もかなりよく日本でも着れるデザイン。1着3000~4000ルピー(日本円で5000~7000円くらい)するが、その価値はあると感じた。

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女子必見のお店

お店の情報

Mapcha Himalayan Design Studio

住所:H.No.11, Ground floor, Majnu-ka-tilla, New Aruna Nagar, New Delhi, Delhi 110054(Googleマップで確認

お店の公式サイト

チベット食品

あちこちのお店でチベット食品が売っているので、渋いお土産になるかもしれない。

山羊ミルクのキャンディー
チベット文化圏やヒマラヤの地域でよく食べられている(舐められている)山羊のミルクから作ったとても固い飴

牛肉ガーリックチリペースト
牛さまガーリックチリペースト
チベット麺
チベット麺

わたしは、ビーフ入りガーリックチリペーストとチベット麺を購入。

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Kome

チリペーストは激辛すぎてファイヤーした(鎮火までに30分ほどかかった)ので要注意でっせ...

カフェでまったりしよう

デリーのチベット街にのカフェ(AMA CAFE)

歩き疲れたらおしゃれなカフェで休憩しよう。オススメはAMA Cafe。内装がチベット感満載!

チベット空間なのでインド感が薄いのかと思いきや、インド人の若者が大量におり、インド感はそこそこにある。インド人にとっても「チベット」は別世界。彼らもいつもと違う体験をしたくてここにきているのかな?

とは言え、居心地が非常によかったのでツイート

お店の情報

AMA Cafe

住所:New Camp, Street Number 6, New Aruna Colony, Majnu-ka-tilla, New Aruna Nagar, New Delhi, Delhi 110054(Googleマップで確認

さいごに

もうすでにお気づきかと思うが、チベット街には「これ!」といった見どころがあるわけでもなく、ガイドブックにも載っていない。

しかし、デリーの他エリアと雰囲気が全く異なり、この一帯だけがまるで別世界・・・。インド人さえも別世界を求めて訪れるほどだ。

チベット人のお顔立ちは我々日本人に似ているので、チベット街にいるだけでなぜか落ち着いた気持ちになるし、チベット料理は日本人のお口に合うので胃腸が落ち着く。

そう・・・落ち着く・・・ホーム感・・・。

気軽にチベット文化に触れることができ、本格チベット料理も楽しめるチベット街。デリー滞在中にぜひとも訪れてほしい場所のひとつです。

特に、アグレッシブなインド人やカオスな町並みに疲れた人にとってはまさに楽園、天国、オアシス。たまらない場所であること間違いナシ。

個人的に、チベット街は「インドに初めて来る若手の方」「バックパッカー」の方にオススメ。最初にチベット街に数日滞在すれば、一気にカオスでスパイシーな世界に引き込まれずに済むので、その後の旅行がやりやすくなりそうだな~と感じた。クッション的な存在というか、なんというか。

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インドは多文化の国でおもしろい!


初めてインドに来る方、トラブルに巻き込まれることなくスムーズに観光したいという方は、現地オプショナルツアーに参加したり、専用車+日本語ガイドをチャーターしたりするのもアリ。

というか、インドでは想像の斜め上のハプニングがよく起きるので、個人旅行で初インド(かつ新興国に慣れていない)という方は、現地ツアーに参加した方が効率よく楽しく観光できて、インドを好きになれると思う。

デリー市内観光 現地ツアーを探す


チェンナイからマハーバリプラムまでの行き方まとめ(タクシー・バス・車)

タイトル画像(チェンナイからマハーバリプラムまでの行き方まとめ(タクシー・バス・車))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

チェンナイを訪れたら絶対に外せない観光地がマハーバリプラム

チェンナイからマハーバリプラムへの移動方法をまとめてみたよ。気軽に行けるのでぜひぜひ!

▼目次はこちら (クリックして表示)

マハーバリプラムへの行き方

  1. 配車アプリを使って行く →Check
  2. ローカルバスで行く →Check
  3. 車を借りて行く →Check

配車アプリ

配車アプリで楽々アクセス。

チェンナイから日帰りする場合は、チェンナイに戻るときに車がつかまらない可能性もあるので往復パッケージにすると安心。

Ola

片道の場合

Dailyから予約。チェンナイ市外ではあるがOutstationではない(なぜかは知らない)。

Olaアプリの画面
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時間帯や混み具合によって運賃は変わるけど片道だいたい1000ルピー弱。1500円くらい。


往復の場合

Rental→Mahabalipuramパッケージを選択。

Olaアプリの画面
Olaアプリの画面
Olaアプリの画面

往復でもMiniなら3000円くらい。ドライバー付きの車を半日つかって3000円とは、ありがたい話である。

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マハーバリプラム内の移動にも車を使えるから、楽チン極まりないよね~!

Uber

片道の場合

インナーシティ、又はインターシティ。どちらか安い方で。

Uberアプリの画面
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Uberは使える国が多いから海外旅行をよくする人の必須アプリ。インドでも使えるよ!インドでは「ウーバー」ではなく「ウーベル」的な発音をする。


往復の場合

Intercity Round Tripを選択。

Uberアプリの画面

以前はなかったが、知らない間にUberでも往復サービスが始まっていた。私はまだ使ったことがない。Ola派なものでして。(それなのに知ったかぶって紹介する・・・)

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試した人は、どんな感じか教えてほしいです!

ローカルバス

チェンナイのCMBTバススタンド

Adyar Depot(アディヤール・デポット)からバスに乗車するのが圧倒的におすすめ。

CMBTバススタンドからも行くことができるが、アディヤールに比べるとバスの本数が少ないし、何よりもチェンナイ市内から少し離れているので、バス停に行くだけで時間がかかってしまう

アディヤールから

S568S588S599568Cのバスがマハーバリプラムに行く。

運賃は約30ルピー、所要時間は1時間半~2時間ほど。

▼Adyar Depotの場所

時刻表

インドにおいて、時刻表はあってないようなもの と私は認識しているが、だいたいの時間の目安にはなると思うのでご参考にどうぞ。

ルート番号S568のバス時刻表

S568の時刻表

ルート番号S588のバス時刻表

S588の時刻表

ルート番号S599のバス時刻表

S599の時刻表

ルート番号568Cのバス時刻表

568Cの時刻表

※568CはCMBTから出発しAdyarにも停車。これはAdyarではなくCMBTの出発時刻

これらの時刻表をまとめると以下の通り。

4時 4.50
5時 5.20 / 5.30 / 5.33 / 5.45
6時 6.35 / 6.40
7時 7.00 / 7.20 / 7.30
8時 8.00 / 8.45
9時 9.50
10時 10.05 / 10.45
11時 11.30
12時 12.05
13時 13.35
14時 14.35 / 14.40 / 14.50
16時 16.35
17時 17.30
18時 18.10 / 18.15
19時 19.35
20時 20.05 / 20.50

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15時を除いて1時間に1本以上バスがでてるよ。特に朝早い時間帯は頻繁にバスが出ているので、日帰りで行くひとにもありがたし!

これら時刻はMCTバス(チェンナイ市バス)の公式サイト2019年11月3日に確認したもの。変更となっている可能性もあるので、公式サイトやGoogle先生で最新の情報をご確認ください。

CMBTバススタンドから

▼CMBTバススタンドの場所

某ガイドブックに記載の情報

某ガイドブックにこのように書いているのでパッと見、CMBTから1時間おきにバスが出ているようにみえるが、1時間おきにバスがでているのは「カーンチプラム」からであるので注意。

市内中心地から少し離れたCMBTバススタンドにわざわざ行ったにもかかわらず、マハーバリプラム行きのバスがなかなか来ないのでバスを乗り継いで4時間くらいかけてマハーバリプラムにたどり着いた、という羽目に陥る可能性もなきにしもあらず。

(実際にそのような羽目に陥った方の旅行記もいくつか発見した)

マハーバリプラム行きのバスにちょうどよく乗れたとしても、CMBTはアディヤールも北にあるため、アディヤールからマハーバリプラムに向かうよりも時間がかかるし・・・。

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この辺りに宿泊している、とかでない限り、わざわざこのバススタンドに行く必要はないんじゃないかって個人的には思いますケド・・・どうなんですかねぇ・・・

バスに乗る

チェンナイの公共バスの車内

バス停に到着後、どのバスがマハーバリプラムへ行くのかわからなくてもノープロブレム

そこら辺にいる人に「マハーバリプラム?」と聞けば「あのバスだよ」と教えてくれる。

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南インドは優しい人が多いで~

マハーバリプラムに行くバスを見つけたら、車掌さんと乗客に「マハーバリプラム?」と念のため確認することを忘れずに。

車掌さんに「わたしはマハーバリプラムに行くのだ」というアピールをしておくと、マハーバリプラムに着いたら教えてくれるだろう。

マハーバリプラムからチェンナイへ

日帰りでマハーバリプラムへ行く場合は、戻りのバスの時間が気になるところであるが、夜遅くまで運行しているので、終バスを逃してチェンナイに帰れなくなるということは、まずないだろう。

▼マハーバリプラムのバス停の場所

ルート番号S588のバス時刻表

S588の時刻表


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マハーバリプラムの寺院群は、3~4時間あればしっかりと見て周れるので、終バスの時間を気にする必要は、ぶっちゃけナヒンですけどね。

バスで日帰り旅行する場合のスケジュール

早起きさん

7時前後:バスに乗車
9時前:マハーバリプラム到着
観光(3~4時間)
お昼ご飯(1時間弱)
お昼すぎのバスでチェンナイに戻る

朝寝坊さん

10時前後:バスに乗車
12時前:マハーバリプラム到着
お昼ご飯(1時間弱)
観光(3~4時間)
夕方のバスでチェンナイに戻る

ヒンドゥー教寺院をしっかりと見たいオタクさん

7時前後:バスに乗車
9時前:マハーバリプラム到着
観光①(3時間)
お昼ご飯(1時間弱)
観光②(3時間)
夕方のバスでチェンナイに戻る

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ヒンドゥー教寺院に興味がある人は、丸一日いても飽きないよ!

ここで言う「車」とは配車アプリで呼んだタクシーを除く車のことを指している。

宿泊しているホテルや現地の旅行代理店等でアレンジしてもらえる。いちばん安全・安心だけど、その分料金もお高め~。

出張でチェンナイに来られる方や、ラグジュアリーなインド旅をされる方たち向けなので、私には無縁であるが、以前出張者向けに現地代理店を通じて車を手配した際の料金はワゴン車(Toyota Innova)で1日5000ルピー程度であった。

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人数が多い場合だといいね!

出張者は駐在員の車を借りればタダである←😂

まとめ

あなたのタイプ移動手段
安さ重視のバックパッカーローカルバス
快適さ重視の旅行者配車アプリ
お金持ちの旅行者
快適さ重視のグループ旅行者(4人とか)
出張者駐在員の車

色々書いたが、自分で手配するのがダルい、安全・確実に行きたいという場合はチェンナイからの現地ツアーを利用する手もある。これが一番楽だよね、実際。

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自分に合った行き方で、チェンナイからマハーバリプラムへの小旅行を楽しんでね!