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【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在に精を出す(後編: Amar Mahal Hotel - Orchha, Hari Niwas Palace - Jammu)

アイキャッチ画像(【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテルに滞在に精を出す。(後編))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

前回のつづき、インドのヘリテージホテルに泊まってきたよという話。

前編では①インドのヘリテージホテルについての基本情報、②カシミール・シュリーナガルのハウスボート、③コルカタのオベロイグランドホテルについて紹介した。

▼前編はこちら www.chankome.com

後編では、オルチャとジャンムーのヘリテージホテルを紹介する。

▼目次はこちら (クリックして表示)

【オルチャ】アマル・マハル(Amar Mahal)

2022年6月上旬、MP州にある古都オルチャを訪れた。

▼オルチャの場所

オルチャは人口1万人にも満たない小さな町であるが、ラージプートのブンデラ一族がかつて統治していた地域(ブンデルカンド、と呼ばれる)の中心地であり、ブンデラ王国(後のオルチャ藩王国)が存在した。今も当時の宮殿や王族の墓、寺院などが町の中心部に残っており非常に見ごたえがある。

ラージプートとは、ラジャスターンをはじめとす、る北インドのクシャトリヤ階級(戦士階級)の支配者層。

ブンデラ一族はムガル帝国と友好な関係を築いて繁栄したそうで、ブンデルカンドの建築はムガル帝国の影響を強く受けており、ヒンドゥー×ムスリムが融合したデザインが特徴的である。

ラージマハルジャハンギールマハル
オルチャの宮殿群(左:ラージマハル、右:ジャハンギールマハル)

オルチャのヘリテージホテル

オルチャにはヘリテージホテルが2軒ある。

一つ目は、州政府が運営している「MPT Sheesh Mahal」で、これは宮殿コンプレックス内にある宮殿ホテル。

宮殿の一部をホテルとして使用しているのだが(以下写真赤枠)、私が求めているのとはちょっと違ったので見送った。

MPT Sheesh Mahal
宮殿のおまけ感がすごい。

二つ目は、私が宿泊した「Amar Mahal」。ここは「萌え」の宝庫で大当たり。というわけで、ヒアウィゴー👇👇👇

アマル・マハル滞在

アマル・マハルは1895年に建てられたブンデラ一族のお屋敷を改装したホテル。オルチャの町で一番豪華なホテルでもある。

ブンデルカンド建築は上述の通りムガル帝国の影響を強く受けており、エントランスのドームはムガル感に溢れている。

メインエントランス
メインエントランス

その一方でコートヤードはラージプートスタイルの作りで、まるでラジャスタンの宮殿にいるかのような雰囲気が漂う。

中庭
中庭

▼コートヤードではおじさんが笛を吹いていて平和🕊🕊🕊

廊下一面に素敵なミラーワークが施されていたり、天井や壁に植物モチーフのペイントが施されていたり、細部まで徹底的に美しさを追求しているように感じた。

回廊
回廊

ミラーワーク1ミラーワーク2
ミラーワーク

ペイント1ペイント2 ペイント3
天井と壁のペイント

ペイントは客室にも施されており、テンションは爆上がりだ。

客室
客室

ホテルでの食事

夕食はホテルのレストランでいただいた。ご当地メニューをお願いしたところ、パクチーの効いたトマトベースのチキンカレーが提供された(名前は失念)。

ディナー
チキンカレーとナン

このホテルで多分一番お金がかかってるんじゃないのかと思ったのがこのレストラン。というのも、この天井を見よ!!!

天井1天井2天井3

天井にぎっしりとミニアチュール!!私はこんなにも「萌え」が詰まった天井をこれまでに見たことがない!なんという萌えの境地!料理よりも天井の緻密画でお腹と心が満たされたのであった。

遺跡ビュー

このホテルは遺跡ビューで、客室からも遺跡を眺めることができた。

チャトルブージ寺院王家の墓
遺跡ビュー(左:チャトルブージ寺院、右:王家の墓)

私の客室から見えたのは王家の墓の遺跡で(ちなみに、王家はヒンドゥー教徒なのにどうしてお墓があるの?という話だが、正確にはお墓というよりも「記念碑」的なモニュメントである)、遺跡を眺めながら美しいお部屋でチャーイを飲んでいると、とてつもないほどの非日常を感じた。非日常を求めて旅をする者としてはこれ以上ない至福の時間であった。

私が宿泊した宮殿ホテル
Amar Mahal
1泊約5,000ルピー(2022年6月上旬)

【ジャンムー】ハリ・ニワス・パレス(Hari Niwas Palace)

6月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領(JK)の冬の首都、ジャンムーを訪れた。

▼ジャンムーの場所

ジャンムー・カシミールと一括りにされているが、ジャンムーとカシミールは全く異なる歴史や文化を持つ。ジャンムーは住民の多くがヒンドゥー教徒でドーグラー語を話すのに対し、カシミールは住民の大半がムスリムでカシミール語を話す。

ジャンムーはドグラ―・ラージプートが治めていたのに対し(ドーグラー王朝)、カシミールはたびたび支配者が変わり、ムガル帝国やアフガニスタン、シーク王国に支配されてきた。

ジャンムー・カシミール藩王国と宮殿ホテルの歴史

歴史も文化も異なる「ジャンムー」と「カシミール」、二つの地域が一つになったのは、1845年に勃発した第一次シーク戦争(イギリスVSシーク王国)でドーグラー王朝がイギリス軍の味方をしたことに因る。

当時ドーグラー王朝はシーク王国の封臣であったが、シーク軍を裏切ってイギリス側についた。そのおかげでイギリス側は勝利、負けたシーク王国は慰謝料としてジャンムーやカシミール等の多くの領土割譲を余儀なくされた。ドーグラー王朝のグラーブ・シンはイギリスへの協力の見返りとしてイギリスに割譲されたジャンムーとカシミールを与えられ、英領インド最大の領土を誇った巨大な藩王国「ジャンムー・カシミール藩王国」が誕生した。

今回宿泊したHari Niwas Palaceジャンムー・カシミール藩王国最後のマハラージャである「ハリ・シン」のために20世紀初頭に建てられたもので、隣接するAmar Mahal(1890年建造のJK藩王国マハラジャファミリーの豪華なお屋敷で現在は博物館として一般公開されている)の離れである。

アマル・マハル
Amar Mahal

1947年にインドとパキスタンが分離独立した際、J&K藩王国はインドとパキスタンどちらかへの帰属を決めかねており結論を先延ばしにしていたところ、パキスタンがカシミールのシュリーナガルに攻め込んできて無理やりカシミールをパキスタンに入れようとしてきた。

最後のJK藩王ハリ・シンは、インド軍から支援を受ける代わりにインド帰属を決め、自身はシュリーナガルからジャンムーに避難し、終生をハリ・ニワス・パレスで過ごしたと言われている。

そんな歴史があるお屋敷、ハリ・ニワス・パレスはこんな感じ👇👇👇

ハリ・ニワス・パレス滞在

ハリ・ニワス・パレスは20世紀初頭に流行したアールデコ様式で建てられている。隣接するアマル・マハルが荘厳な作りであるため、見劣りしてしまう感は正直否めない。

ハリ・ニワス・パレス
ハリ・ニワス・パレス2
外観

モダンな作りのエントランス
モダンな作りのエントランス

ホテル内に足を踏み入れると、歴代のマハラージャたちに迎え入れられる。右を見ても、左を見ても、あちこちにマハラージャの肖像画が飾られ「マハラージャのお屋敷」であることのアピールがすごかった。それもそのはず、このお屋敷は現在、最後のマハラージャ「ハリ・シン」の孫たちが管理している。

ロビー1ロビー2
マハラージャの肖像画で埋め尽くされたロビー

歴代のマハラージャ達の写真
歴代のマハラージャ達の写真

客室にももれなくマハラージャ達の写真が飾られている
客室にももれなくマハラージャ達の写真が飾られている

客室に飾られたマハラージャ達の写真
客室に飾られたマハラージャ達の写真

JK藩王国だけでなく、インド独立前(1920~47年頃)の主要藩王国のマハラージャ達の写真も飾られており、ついつい見入ってしまった。

主要藩王国のマハラージャ達の写真
主要藩王国のマハラージャ達の写真

鏡を用いた装飾が多く、なんとなくギラギラした印象を受けた。

装飾1

ミラー装飾1ミラー装飾2

ホテルでの食事

夕食と朝食はホテルでいただいた。夜になるとホテルの庭がオープンエアーのレストランに変わる。生演奏もあり、非常に雰囲気がよい。

オープンエアーのレストラン

外で夕食をいただきたかったのだが、テーブルチャージミニマム5,000ルピーとのことで、ソロトラベラーの私にとっては無理ゲーのためここで夕食をいただくことはできなかった。

じゃあ、夕食に5,000ルピーを支払えない貧乏人はどうすればいいのか!

「貧乏人はBARでお食事をお楽しみくださいませ」

というわけでBARへ。

BAR

Polo Bar1Polo Bar2

マハラージャのハリ・シンはポロの名手だったようで、ポロインスパイア―ドのBARだった。BARの名前も「Polo Bar」。

馬のはく製があったり、ポロ用具が飾られていたり、大理石のテーブルにポロのデザインが施されていたり、インテリアにはかなり凝っているようでBARとしては非常にいいと思うものの、ここでごはん食べるのかよ~という気持ちでいっぱい。

明らかにここはごはんを食べる場所じゃないんだよね。テーブルの高さとかさ、照明とかさ、色々違うの…

夜ご飯
赤いシャンデリアはご飯には合わない。

ちなみに、外のレストランで食べても、このBARで食べても、メニューは同じ。ソロトラベラーには優しくないホテルだわ。

翌朝の朝食は、素敵なレストランにて。ここで夕食がいただけたらよかったのだが、ディナー営業はしていないらしい。普通に考えてBARよりもこっちの方がいいだろ。

朝食会場のレストラン
朝食会場のレストラン

朝食
朝食

このホテルをまとめると、マハラージャを身近に感じられるアットホームな雰囲気のお屋敷で居心地が非常によかった。以上!

私が宿泊した宮殿ホテル
Hari Niwas Palace
1泊約5,500ルピー(2022年6月中旬)

まとめ

前編では、親子3世代続くシュリーナガルのハウスボート、植民地時代から営業しているコルカタのコロニアルホテル、後編では、100年以上前に建てられたマハラージャのお屋敷を改装した宮殿ホテルを紹介した。

一言で「ヘリテージホテル」と言っても多種多様だが、私が好きなのはマハラージャゴリ押しスタイルのホテルかな!

2022年後半も、ヘリテイジ萌えを求めて旅行計画を練るぞ~~!

最後までお読みいただき有難うございました♪ෆ(◕ㅂ◕)ෆ♪


【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在に精を出す(前編: Lily of Nageen - Shrinagar, The Oberoi Grand - Kolkata)

アイキャッチ画像(【インド旅行】2022年上半期、インドのヘリテージホテルに滞在に精を出す。(前編))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

北インドを離れることに決めたのでここ最近は北インド各地を旅行していた。「ヘリテージホテル」を旅の目的のひとつとし、①シュリーナガル、②コルカタ、③オルチャ、④ジャンムーを旅先に設定。思う存分ヘリテージ萌えを堪能してきた。

というわけで2022年上半期、インドのヘリテージホテル滞在記録。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:インドのヘリテージホテルについて

はじめにインドのヘリテージホテルについて簡単に説明しておく。ヘリテージホテルとはその名の通り歴史たっぷりなホテルで、インドにおいては以下の三つに大別される。

一つ目は宮殿ホテル

独立前のインドには、500を超える藩王国(イギリス植民地時代にマハラージャやニザーム(藩王)が統治していた領国で、イギリスと同盟を結び軍事・外交を握られる代わりに一定の自治権を認められていた。)が存在しており、藩王たちは豪華絢爛な宮殿に住み、派手な生活をしていたという。

そんなマハラージャの宮殿がホテルに改装されたものが宮殿ホテルだ。「これぞマハーラジャ」という超煌びやかでエレガントな大宮殿(マハラージャご本人のお家)からこじんまりとしたお屋敷(客人向けのお屋敷や地方の別荘など)まで、レンジはかなり広い。一泊数万ルピーするものもあれば、数千ルピーでお気軽に泊まれるところもある。

宮殿ホテルはインド各地に存在し、有名な宮殿ホテルにはだいたい「タージ」か「オベロイ」の冠がついているので、サービスも最高級。ロイヤルファミリー気分を味わえ、インドならではの宿泊体験ができるゾ!

タージ・ファラクヌマパレスホテルタージ・ウシャキランパレスホテル
(左)Taj Falaknuma Palace Hotel
ハイデラバードのニザームの住居として1893年に建てられた宮殿ホテル(1泊10万ルピー級!)
(右)Taj Usha Kiran Palace Hotel
マラタ―同盟、グワリヤルのシンディア一族がウェールズ公訪問時のゲストハウスとして1902年に建てたお屋敷(コロナ前で1泊約7,000ルピー)


二つ目はお屋敷ブティックホテル

独立前に金融や貿易で財を成した地元の豪商や藩王国の役人、地元の地主や有力者が建てたお屋敷がホテルに改装されたもので、宮殿ホテルのようなエレガントな華やかさはないが、すんげー可愛くてテンションが上がる。特にラジャスターン州の有力者たちが建てたお屋敷はインテリアがめちゃくちゃカワイイく気絶するレベルだ。

ゴリゴリの宮殿ホテルと違い家族経営のところも多く、アットホームでお手頃価格なのも魅力。1泊5,000~1万ルピー程度で泊まれるので私のようなバジェットトラベラーにも推せる。

個人的には、ゴア(ポルトガル領だったので建築が総じてカワイイ)や南インド(豪商が多かったチェッティナードゥ地方とか)、ラジャスターン(特にジャイプール周辺、上述の通り気絶レベルのホテルがウヨウヨ)に多い印象がある。

タンジャブールの豪商の屋敷を改装したブティックホテルチェッティナードゥの豪商の屋敷を改装したブティックホテル
(左)Tanjore Hi Heritage Boutique Hotel
タンジャブールの豪商の屋敷を改装したブティックホテル(コロナ前で1泊約5,000ルピー)
(右)Chola Heritage Hotel
チェッティナードゥの豪商の屋敷を改装したブティックホテル(コロナ前で1泊約3,000ルピー)


三つめは植民地時代のコロニアルホテル

イギリス植民地時代に建てられたコロニアル建築のホテルで、100年以上前からホテルとして活躍する激萌え物件だ。当時(19世紀末)最先端の建築様式が取り入れており、建築好きにはたまらない。

植民地時代の中心地であったムンバイ(経済の中心)やコルカタ(政治の中心)で見られ、その当時から高級ホテルとして君臨し続けている。

Taj Mahal Palace Hotel
Taj Mahal Palace Hotel
1903年にタタ財閥の創始者によって建てられたムンバイを代表する高級ヘリテージホテル(本館は1泊2~3万ルピー台、タワーは1万ルピー台)


と、一通り簡単に説明したところで、私のヘリテージホテル滞在記のはじまりはじまり。

【シュリーナガル】ハウスボート(Lily of Nageen)

一発目から上記三つに区分されない「例外」の登場である。(おいおい)

2022年4月中旬、ジャンムー・カシミール連邦直轄領の夏季の首都であるシュリーナガルに旅行し、ハウスボートに滞在した。

▼シュリーナガルの場所

シュリーナガルはかつてのイギリス人の避暑地で、町の中心にはダール湖・ナジーン湖、2つの湖が広がっている。それらの湖に浮かぶハウスボートは観光客向けの宿泊施設となっており、「シュリーナガルでハウスボートに泊まるのが憧れ」というような一種のアトラクションと化している。

ハウスボートの歴史

ハウスボートの歴史は19世紀のイギリス植民地時代にまで遡る。前述の通りシュリーナガルはイギリス人の避暑地だったので、この地に住みたい!別荘を持ちたい!と考えたイギリス人が多くいた。しかし当時この地を治めていたジャンムー・カシミール藩王は外国人に土地の購入や建物の建築を認めなかったのだ。それでどうなったか?

それなら湖の上に住んじゃえー!ということでイギリス人が湖の上に住み始め、それが今日のハウスボートの起源となっているらしい・・・めちゃくちゃだなwww

イギリス人が当時住んでいたハウスボートはもう残っていないようだが、今ホテルとして使われているハウスボートは比較的新しいものでも50年前、古いものだとインド独立前に作られたものだというから、こりゃーヘリテージである!!

ダール湖 or ナジーン湖、どちらに滞在する?

ハウスボートを予約するにあたって、インターネットやインスタでかなり下調べをした。というのも、ダール湖とナジーン湖には何百隻ものハウスボートが存在し、どのハウスボートに泊まればいいのか全く分からなかったのだ!

レビューを読み漁って分かったことは、ダール湖の観光客エリアは避けた方がいいということ。そこにはハウスボートがびっしりと隙間なく埋まっていて全く風情がないとのことだった。つまり窓から見えるのは湖の景色ではなく隣のハウスボートで、湖上の滞在を最大限に楽しめないわけだ。観光客エリアへのアクセスは良いので便利な立地であるが、それなら陸のホテルで十分じゃないかと個人的に感じた。

観光客エリアのハウスボート(ダール湖)
観光客エリアのハウスボート(ダール湖)

また、ハウスボートは「デラックス」「Aクラス」「Bクラス」「Cクラス」と観光局によってランク分けされており、観光客エリアには安いハウスボート(1泊1,000ルピー台)が多い印象を受けた。

せっかくハウスボートに泊まるならいいところに泊まりたい!というわけでナジーン湖のデラックスクラスのハウスボートを予約。これが大正解だった。周りは湖に囲まれ、静かでのんびりとした雰囲気。船が湖をこぐ音、木の葉がこすれる音、鳥の鳴き声、なんというリラックスチル空間!ただし、周りに観光客向けのレストランなどはないので不便かもしれない。

▼ハウスボートからの景色。すごくイイ…!

ハウスボート滞在

色々前置きが長くなったが、本題のハウスボートについて。

ハウスボートの一般的な間取りは、前方に甲板があり、その次に応接間(リビング)、ダイニング、そして客室が3部屋ほどある。

船の壁と床にはカシミール絨毯やラグが敷き詰められ、細かな彫刻が施された木製のアンティーク家具はとっても優雅な雰囲気。まるで祖父母の家に遊びに来たかのようなアットホームさ・ノスタルジックさを感じた。

ハウスボートの応接間
応接間

ハウスボートのダイニングルームハウスボートの廊下
ダイニングと廊下

ハウスボートの客室
客室

ハウスボートのインテリアは萌え要素があまりにも多すぎて鼻血が出そうだった。いや、もしかしたら出ていたのかもしれない。

▼窓や天井の手作業で施された装飾

ハウスボートの窓ハウスボートの天井

▼甲板のデコ具合にも萌える

ハウスボートのデッキの装飾ハウスボートのデッキ

▼インテリアだけでなく、外観にもこだわりが見られる。

シュリーナガルのハウスボートの外観
私が宿泊したハウスボートの外観

部屋の装飾とは打って変わり、バスルームはダサめ。水が染み込まないように、青色の防水シートが全面に貼ってあり、防水優先のつくりとなっていた。

ハウスボートのバスルーム
ハウスボートのバスルーム

ちなみにお湯がよく出て感動した。どこにギザ(電気湯沸し器)があるんだろう?それとも、、もしかして、、ガスっすか???

ハウスボートでの食事

カシミールと言えば「ワズワン」などの有名ご当地料理が存在する。しかしハウスボートで提供された食事は極めて一般的なインド料理だった。

朝食はトースト、卵、フルーツとカシミールのお茶「カワ」。「ローカルの朝食が食べたいです」と尋ねたところ「ローカルの人もこれ食べるで」と言われ撃沈。しかし湖を眺めながら食べる朝食は、その雰囲気だけでお腹がいっぱいになった。

夕食はダールとチキンカレー。辛さ控えめで非常に美味しかったのだが、せっかくなら郷土料理を食べたい!!!「ご当地料理が食べたいです」と相談すると、翌日以降は夕食時にワズワン屋さんに連れて行ってもらった😂

ハウスボートでの朝食ハウスボートでの夕食

ハウスボートで提供された食事

そうそう、ひとつ大変よい経験をしたことを思い出した。シカラと呼ばれる手漕ぎの小舟で昼食をいただいたのだ。後にも先にもこれが最初で最後の経験だろう。

シカラをチャーターシカラで昼食
シカラをチャーターし湖上で昼食を楽しんだ。

ハウスボートオーナーの話

私が宿泊したハウスボートは現オーナーが3代目で、船は祖父の時代から60年以上使われているという。何種類もの木材で作られていて、水に浸かる底の部分は数年に一度張り替え作業が必要だというが、木材の価格が年々高くなっているため割にあわないと本音をもらしていた。

信じられない話だが、私が宿泊した数日前、この近くでハウスボートの火事があり数隻のハウスボートが全焼したそうだ。原因は宿泊客の寝たばこで、木製のハウスボートはあっという間に火に包まれ、隣のハウスボートにも燃え移り膨大な被害をもたらした。いまハウスボートを新しくゼロから作ると1,000万ルピー以上かかるそうで、全焼した船のオーナーはどうすることもできず悲しんでいるという。

ハウスボートを今後も残していくためには、今あるものをメンテナンスして維持するしかない。が、メンテナンス費用は莫大にかかる。「何十年後にはもうシュリーナガルにハウスボートはないかもしれない」とオーナーが言っていたのが印象的であった。私はシュリーナガルの歴史の証人のひとりになるのかもしれない。

私が宿泊したハウスボート
Lily of Nageen
1泊約5,000ルピー(2022年4月中旬)

【コルカタ】ジ・オベロイ・グランド(The Oberoi Grand)

2022年5月中旬、ウエストベンガル州の州都であるコルカタに旅行し、オベロイグランドホテルに滞在した。

▼コルカタの場所

コルカタ(旧名カルカッタ)はイギリス東インド会社の商館が置かれ(1690年)、ベンガル総督が置かれ(1773年)、英領インドの首都が置かれ(1858年~1911年)、イギリスのインド支配の中心となった場所である。

市内中心地には植民地時代の新古典様式~アールデコ様式の建物があちこちに残っており、コルカタのカオスな街に溶け込んでいる。

植民地時代のコルカタとホテル

歴史あるコルカタには、かなり早い段階でイギリス人によってモダンなヨーロッパ調のホテルが作られた。もう現存しないが、1830年にコルカタにて開業したSpence's Hotelはインド最古、そしてアジア最古のホテルと言われている。

現存するインド最古のホテルはグレートイースタンホテルだ。1840年にAuckland Hotelという名でベーカリーとして開業し、のちにホテル営業を開始し、1859年にグレートイースタンホテルへ改名した。インド独立後も営業を続け、1970年代からは州政府がホテルとして運営、2005年に高級ホテルチェーンのLaliTに売却され、2013年にThe LaLiT Great Eastern Kolkataとして営業を再開した。数年間のリノベ期間を除き、150年以上営業を続けているというのだから驚きである。

Great Eastern HotelThe LaliT Great Eastern

(左)Great Eastern Hotel (1865)、(右)LaliT Great Eastern Kolkata (2022)

その次に古い現存するホテルは、私が宿泊したグランドホテル(現在はThe Oberoi Grand)だ。建物は19世紀末に建てられたもので、1911年からホテルとして営業している。1937年に当時のアメリカ人オーナーが亡くなりオベロイ氏が買収した。このオベロイ氏とは、そう、あのオベロイホテルの創始者だ。

Grand HotelThe Oberoi Grand

(左)Grand Hotel (年代不明)、(右)The Oberoi Grand Kolkata (2022)

オベロイとグランドホテル

オベロイ氏はもともとシムラー(植民地時代の夏の首都)でイギリス人が経営していたセシルホテルで働いていた従業員の一人にすぎなかったが、その勤勉ぶりを買われてクラークスホテルの運営を任され、最終的にこのホテルがオベロイ氏に譲渡されたことでオベロイホテルの歴史が始まった。

こうして始まったオベロイホテルが最初に買収した記念すべき?ホテルがグランドホテルなのだ。つまり、インド全土に展開するオベロイホテルの中で、グランドホテルは最も古いホテルの一つというわけだ。

オベロイは、TajやITC、LaliTといったインド系高級ホテルの中で最も評判がよく(特にサービス・ホスピタリティの面で)、そんなオベロイのDNAが80年以上も流れ続けるホテルに泊まってみたいと思いませんか?思いますよね?そうですよね?

ということで、長年ずっと宿泊してみたいと思い続け、やっとその夢がかなう日が来た。

ジ・オベロイ・グランド滞在

ジ・オベロイ・グランドは、エスプラネードと呼ばれるコロニアルな建物が多いエリア(=植民地時代のイギリス人たちの生活の中心地)にある。

かつては超洗練された外国人向けのエリアだったのだろうが、今は見事にインド化しており、ホテル前のアーケードには露店がひしめいている。ムンバイのコラバ地区みたいだな。

ホテル前のアーケード街
ホテル前のアーケード街

こんなカオスな中に、オベロイのエントランスゲートがある。一歩エントランスをくぐるとそこは別世界。あの喧騒は一体どこに行った。

The Oberoi Grand エントランス
エントランスゲートの先にある入口

建物はコルカタに多い新古典主義建築。柱萌え。

エレガントなロビー、古いエレベーター、コートヤードから陽が差し込む回廊、、、最高かよっ。

グランドホテルのロビー
ホテルロビー

グランドホテルのエレベーターホール
エレベーターホール

グランドホテルの回廊
回廊

グランドホテルの共用スペース
共用スペースのソファ

客室は大変心地よく快適に過ごせた。バスルームのミラーの周りに手描きのファインアートが施されており、非常に萌えた。

グランドホテルの客室グランドホテルのバスルーム
客室とバスルーム

二日目、街歩きから戻るとベッドの上に小物入れのプレゼント・・・。さすがオベロイ・・・わかっていらっしゃる・・・

コートヤードの真ん中にはプール、外にはカフェスペースもあり、いい雰囲気。ホテルの外に出ればカオスな世界が広がっているというのに、ここは天国なのかな?涅槃なのかな?

グランドホテルのコートヤード
コートヤード

ホテルでの食事

朝食になにかベンガル料理でてくるかと期待したが、一般的なインドのホテルの朝食メニューだった。ただ、デザートにミシュティードイ(ベンガル地方の甘いヨーグルト)があったのでしっかりと頂いた。濃厚でおいしうございました。

ミシュティードイ
ベンガルデザートの定番、ミシュティードイ

また、卵の調理方法に「エッグベネディクト」があり、若干興奮した。若干ね。

朝食のエッグベネディクト
インドで初めてのエッグベネディクトかもしれない。

朝食ブッフェのレストラン
朝食ブッフェのレストラン

ホテルの建築や歴史だけでなく、オベロイのホスピタリティにも大満足の滞在となった。次回コルカタに旅行時は、ラリットの方(グレートイースタンホテル)に泊まるぞー!!!(義務)

私が宿泊したコロニアルホテル
The Oberoi Grand
1泊約7,000ルピー(2022年5月中旬)

後編につづく

全て一つの記事にまとめて書くつもりだったが、それぞれのホテルに対する想いが強すぎて長くなってしまったので、前編と後編に分けることにした。

というわけで、後編はオルチャとジャンムーのヘリテージホテルについて!

▼後編につづく www.chankome.com


インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(2年目編)~

アイキャッチ画像(インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(2年目編)~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド生活7年目に突入したので、私が私のために自分のインド生活を振り返るシリーズ。

今回は2年目編です~!(2017年3月~2018年2月)

▼前回の記事:インド生活1年目(2016年2月~2017年2月) www.chankome.com

▼目次はこちら (クリックして表示)

2017年3月

トリバンドラム旅行

ケーララ州はトリバンドラムにサーフィンしに来ますたよ~🏄 前年7月に訪れ(前の記事参照)、とてもよかったのでサーフィン仲間と再訪。

トリバンドラム空港から車で30分のところにある、Kovalam Beachというところで、私はゴア北部によく見られるにぎやかでギラギラしたビーチよりもこちらの方が落ち着いていて好き。水質もゴアよりも良い。

Kovalam Beach
Kovalam Beach

Kovalam Beachの夕焼け
Kovalam Beachの夕焼け

ビーチの端では漁師さんたちが地引網漁をしていた。

レストランではその日獲れた新鮮な魚介類を頂くことができる。調理方法も指定できるので「グリル、ノーマサラ」でお願いすると美味しい魚の塩焼きが出てくるよ。醤油を持参すると良い。

ケーララのレストラン1(魚)

ケーララのレストラン2(甲殻類)ケーララのレストラン3(イカ)
ケーララの海で取れた新鮮な魚介類

ナシーク日帰り旅行(ワイナリー)

ムンバイから車で3~4時間の場所にあるナーシク(ナシック)。ここはインドワインの有名な産地であり、多くのワイナリー(ワインが作られる場所)やヴィンヤード(ぶどう畑)がある。

インドを代表するワイン、太陽のマークでおなじみの「Sula(スーラ)」のヴィンヤードもナーシクにあり、ナーシク最大の観光地となっている。スーラをはじめ、他のヴィンヤードやワイナリーも商業施設化しているので観光しやすい。(観光客を受け入れず真剣にワイン造りに取り組んでいるところもある)

この時はムンバイから日帰りで友人と訪れた。時間的な都合で、訪問できたのはSula(スーラ)とSoma(ソマ)。

ムンバイ在住時は酒屋でよく「Soma」を購入していたが、グルガオンの酒屋では全くみかけない。Somaのような北インドでは全然メジャーではないワインが、ナシークでは数多く生産されている。

Sula Vineyards
Sula Vineyards

スーラのワイナリーツアー1スーラのワイナリーツアー2
スーラのワイナリーツアー

スーラのワイナリーツアーの試飲1スーラのワイナリーツアーの試飲2
スーラのワイナリーツアーの試飲

スーラのワイン畑
スーラのワイン畑

Soma Vineyards
Soma Vineyards

ソマのワイナリーツアーソマのワイナリーツアー試飲
ソマのワイナリーツアーと試飲

アーメダバード&ジュナーガル旅行

ムンバイからグジャラートは近い。前月にブージを旅行し(前回の記事参照)、グジャラートをもっと旅行したいと思い、グジャラートに再びやって来た。

まずはグジャラート州最大の都市アーメダバード。この当時はまだ世界遺産に登録されていなかったが、この年2017年の9月に旧市街や階段井戸が世界遺産として登録された。

アーメダバードの旧市街
アーメダバードの旧市街

ダーダーハリ階段井戸アーメダバードのジャマーマスジット
(左)ダーダーハリ階段井戸
(右)ジャマーマスジット

サーバルマティーアシュラム
マハトマ・ガンディーの住まい、塩の行進のスタート地点でもある「サーバルマティーアシュラム」

▼ガンディーのアシュラムについてはこちらの記事もどうぞ www.chankome.com

夜行バスでジュナーガルへ
夜行バスでジュナーガルへ

ジュナーガル。ジュナー(古い)ガル(城砦)という名の通り、古都。街にはかつて栄えていた時代の砦が残っている。

町の中心地にはあちこちに門があり、城下町感がある。

ジュナーガルの街並み1ジュナーガルの街並み2
ジュナーガルの街並み

ジュナーガルの見どころ一つ目は玉ねぎのような形の屋根と螺旋階段が巻き付いたミナレットが特徴的な霊廟、マハーバトマクバラー。

マハーバトマクバラー
マハーバトマクバラー

見どころ二つ目のウバルコート・フォート(砦)には、大自然が生み出した岩壁を利用した階段井戸があり、インド版のアンテロープキャニオンといったところでしょうか(全然違う😂)

ウバルコート・フォートの階段井戸
ウバルコート・フォートの階段井戸

色々と寄り道して、この旅行最大の目的がギルナール山巡礼。頂上まで9999段あるという石段をのぼった。この山には小さいものも含めると1000を超える寺院があるそうだ。

当時20代の私で、頂上まで登るのに5時間を要し翌日にはひどい筋肉痛に見舞われた。なかなか大変な巡礼コースにも関わらず、途中すれ違った人の多くは年配の方で、その熱心さに感服した。

ギルナール山巡礼コース
ギルナール山巡礼コース

f:id:chankome:20220305200528j:plain:alt=ギルナール山頂上からの景色:title=
山頂からの景色。手前に見えるのはジャイナ教寺院

2017年4月

リシケシ旅行

ヨガの聖地として非常に有名なリシケシに元ヨガインストラクターの友人と一緒に訪れた。ちなみに、この時私はまだヨガを本格的に始めておらず、超似非ヨギ時代

デリーNCRからであればサクッと訪れられるリシケシであるが、ムンバイからは遠い。そして飛行機も高い。往復で1万4000ルピーもかかったことを私は今でも忘れない。

リシケシのラクシュマンジュラ
ラクシュマンジュラ

似非ヨギはなにかとミーハーである。ということでパーマスニケタンに宿泊した。

2017年4月当時のパーマスニケタンのTariff
2017年4月当時のパーマスニケタンのTariff。私たちはガーデンNon-ACの部屋に宿泊した。

パーマスニケタンアシュラムの夕方のセレモニー(Ganga Aarti)
パーマスニケタンアシュラムの夕方のセレモニー(Ganga Aarti)

リシケシでやることといえば、「ヨーガ」。

我々はパーマスニケタンの朝のクラス、他のアシュラムのドロップインクラスに参加した。当時は1クラス300ルピー程度だったかな?

ヨガのドロップインクラス
ヨガのドロップインクラス

もう一つの人気アクティビティが「ガンジス川でラフティング」。

リシケシのガンガーは上流のため、バラナシなどのガンガーと比べ物にならないほど水が綺麗で、川の中に躊躇なく飛び込むことができる。

リシケシのガンジス川(透明~!!!)
リシケシのガンジス川(透明~!!!)

リシケシでラフティング1リシケシでラフティング2
綺麗なガンガーでラフティングを楽しめる。

私はリシケシ旅行で初めて、「TTC200」「TTC500」というワードを目にした。TTCとはTeacher Training Courseの略で、200や500は200時間、500時間を表す。

TTC200=ヨガインストラクターに必要な座学・実技を200時間学べるコースであり、いつか私も受けてみたいと似非ヨギながらに思うのであった。
(その3年後、2020年に受講したぜ!)

▼TTC200受講の話。 www.chankome.com

一時帰国(1回目)

友人の結婚式があり一時帰国。

赤坂のまつじん
札幌に帰る時間はなかったので、都内のまつじん(松尾ジンギスカン)で北海道気分をチャージした。

2017年5月

特にどこにも旅行せず、ムンバイにとどまる。

ムンバイ観光(Khotachiwadi)

ムンバイは歴史のある町で、「The★観光地」以外の見どころが実はたくさんある。

ムンバイ南部に、インド・ポルトガル様式の建物が残るエリア(Khotachiwadi)がある。

もともと現在のムンバイはポルトガルの領地だったこともあり、このエリアにはポルトガル様式のカラフルな建物が密集している。英領インド時代の建物群とは違った雰囲気でヘリテージウォークを楽しめる、穴場観光スポットである。

Kotachiwadi1
このベランダが、インド・ポルトガル様式感強め~★

Kotachiwadi2
カトリックのクリスチャンが多く住んでおり、小さな教会もある。

Kotachiwadi3
カラフルな建物

ちなみに、↓これが当時私の最寄駅「Bandra(バンドラ)駅」。1869年築、ゴリゴリの英て本当にワクワクする町だね。

ムンバイ郊外鉄道バンドラ駅舎
ムンバイ郊外鉄道バンドラ駅舎

2017年6月

ポンディシェリー&クンバコーナム旅行

インドのサーフスポットを検索していると、ポンディシェリーの近くビーチにフランス人が営むサーフショップがあると知った。

そう、ポンディシェリーはかつてフランスの植民地だった町。有名ボリウッド女優「カルキ・ケクラン」もポンディシェリーで生まれ育ったフランス人。ポンディシェリーはインドの中のおフランスなのである。

せっかくなので、サーフィンついでにポンディシェリー、さらにそのついでにクンバコーナムとタンジャヴ―ルにも訪れることにした。

チェンナイからバスで4時間程度でポンディシェリーに到着。

ポンディシェリーのフランス領事館
ポンディシェリーにはフランス領事館がある。

ポンディシェリーのフランス風の建物
おフランス感あふれる街並み

おおぉ~!なんかフランス感あるぞ!(フランスに行ったことないけど)

と見せかけ、このようなエリアはごく一部。

フランス感溢れる地域の外にでると、そこには典型的なインドの町が広がっていた。

ポンディシェリー中心地
ポンディシェリー中心地

ポンディシェリー近郊にはフランス人女性がつくったエコヴィレッジ「オーロヴィル」があり、ミーハーな私は漏れなく訪問。

オーロヴィル
オーロヴィルにある瞑想ホール、別名「黄金のゴルフボール」

ポンディシェリーの少し北、スクーターで30分程度のところに、サーフィンができるビーチがある。

ポンディシェリー近郊のサーフスポット ポンディシェリー近郊のサーフスポット2
ポンディシェリー近郊のサーフスポット

サーフショップで板をレンタルしてサーフィン🏄✨

ポンディシェリーのサーフショップ
レンタル用のサーフボード。ソフトボード以外もある。

が、ここで事件!!!!!!!!!!

サーフィン中に腕にクラゲが絡まった。

触れただけではなく絡まっていた。
それも一匹ではなく、5匹くらい。

何事~~~!

クラゲに刺された直後の腕
クラゲに刺された直後。痛々しい。

すぐにサーフショップに戻って大正解。アナフィラキシーショック。。。サーフショップの地べたで1時間くらい横になっていた。長袖のラッシュガードを着用しなかったことを激しく後悔した。

クラゲに刺された翌日、バスでクンバコーナムへ。

世界遺産大チョーラ朝の寺院群のひとつであるブリハディーシュワラ寺院を訪れるためである。

ブリハディーシュワラ寺院1ブリハディーシュワラ寺院2
ブリハディーシュワラ寺院

この翌日にタンジャヴ―ルに移動し、タンジャヴ―ルの本家ブリハディーシュワラ寺院を見る予定だったのだが、、、

クラゲに刺されて腫れた腕
クラゲに巻き付かれたところが腫れてきた。

クラゲに刺されたところがパンパンに腫れ、生命の危機を感じた

腕が腫れていることで血管が圧迫され、指の先端まで十分な血が流れていないようで指先が冷たく紫色に変色。「指 壊死」とググり、宿で一人おびえていたことを覚えている。

今すぐムンバイに帰りたい!!!

旅行を中断することを決意し翌朝バスでチェンナイに戻り、空港の窓口でムンバイ行の航空券を購入。ムンバイ到着後すぐに病院へ向かった。

入院

病院で診てもらい検査をしたところ、

すぐに入院してください

!!!!!

「コンパ―メント症候群」の可能性があるという。症状が進んだ場合は手術が必要になると脅された。

入院中のベッド

まずは「腫れを抑えましょう」ということで投薬治療。左腕を上げたまま病院で寝泊まりすること3泊4日。腕の腫れが引いたので退院となる。

ちなみにコンパートメント症候群ではなかったらしい。誤診だったのか?

入院中の食事
入院中の食事。インディアンとコンチネンタルの選択肢があり、コンチネンタルを選択。

クラゲに刺されて腫れた腕3
退院時の腕。だいぶ腫れが引いた。

2017年7月

一時帰国(2回目)

クラゲ事件後、一応日本の病院でも診てもらいたいと思い一時帰国。当時は何かあったらすぐに一時帰国する癖があったナ!

一時帰国(2回目)
札幌に帰りますた。

クラゲに刺されて腫れた腕4
腫れは引いても、痛々しい見た目。

1か月ほどで赤味は引いたが、回復後も後遺症が残った。

後遺症その1
クラゲに巻き付かれた場所に「鳥肌」が立たなくなってしまった。

後遺症その2
クラゲに巻き付かれた場所の脂肪がなくなり皮だけになった。

左腕細くなったぜ~!ウェ~~イ!(違う)

ちなみに、後遺症その1は今もまだ残っており、未だに鳥肌がたたない。多分今後も一生左腕に鳥肌が立たないような気がしている。

後遺症その2はその後2~3年かけて元通りの太さになりましたとさ!

2017年8月

ムンバイのレストラン

今はなき、ムンバイ民の心の拠り所であったレストランがある。

その名も「Boteco(ボテコ)」。この当時ムンバイに住んでいた外国人で、このレストランを知らぬ者はいなかっただろう。

BKC(Bandra Kurla Complex)という銀行や大企業のオフィスが集まるビジネス街にあり、アメリカ領事館のすぐ近くにあったのでアメリカ人はじめ多くのガイコクジンで連日賑わっていた。

みんなのお目当てはコレ👇
ボテコボテコ

Beef🐮
(バッファローではなく本物の牛肉)

コロナ第一波時にムンバイ店は閉店、いまはプネーに店舗があるそうです。プネ民の癒しの場になっているに違いない。

一時帰国(3回目)

何回一時帰国するの~という話であるが、これは当初から計画していたもの。日本の友人らと旅行をするために帰国した。

伊豆の白浜海岸伊豆の白浜海岸旅行
伊豆下田の白浜海岸で若い遊びをした。

上海旅行

一時帰国中、家族と3泊4日上海旅行。

ほぼ日本やんけ!

なんて住みやすそうな場所なんだと感動した。

上海旅行1 上海旅行2

モンスーンで大洪水!

この時期のムンバイはまだモンスーン真っただ中。一般的に、ムンバイでは6月後半~9月半ばまでがモンスーン時期だと言われる。

ムンバイのモンスーン期間中は常にバケツをひっくり返したような雨が朝から晩まで降っており、数年に一度は町中がプールになるほどの大雨が降る。実はその降水量は日本の大雨時よりも少ない。排水システムが十分に整備されていないためこうってしまうのよね~。

▼私の家の前。比較的道路が広いのでまだマシ

▼狭い道路だとプール状態に。

22017年のモンスーン時の洪水(ムンバイ) 2017年のモンスーン時の洪水(ムンバイ)2
ドライバル氏もついつい写真撮っちゃうほどでした。

こういう時、日本車はマジで強い

特にフォーチュナーが最強。私は上司のフォーチュナーに便乗させてもらったおかげで無事濡れることなく帰宅できた。

お金持ちのムンバイ人たちがよく乗っているドイツ車は電気系統が弱めで故障するのか、道路に何台か放置されているのを見た。(その日は雨に濡れながら歩いて帰り後日取りに戻ってくるのか??)

2017年9月

アムリトサル旅行

北インド全然旅行できてないな、、、ということで、土日を使ってパンジャブ州のアムリトサルへ友人と旅行。

アムリトサルは、シーク教徒の総本山ともいえるゴールデンテンプルや、パキスタンとの国境(アターリー・ワガボーダー)で行われるセレモニーが有名だね。

アターリー・ワガボーダーへ
セレモニーが行われる国境へ。乾杯~🍻
ムンバイでは見たことのないビールだった。

インド側のセレモニー会場
インド側のセレモニー会場。(兼イミグレでもあるのかな?)

パキスタン側に「インドにはこんなに外国人がいるんだぞ!」ということを見せつけるために(インド人の友人談。真偽は不明)、外国人はVIP席をあてがってもらえる

アターリー・ワガボーダーのセレモニー会場
屋根付き&国境に近い特等席

▼セレモニーの様子。脚を高く上げ合う謎の儀式。

今は改善しているかもしれないが、人が多すぎて会場近辺では携帯の電波が非常に悪かった。私はセレモニー後友人とはぐれてしまい、連絡がとれず大変な目に遭った。(乗合ジープ100ルピーで市街地にひとりで帰還する羽目に)

国境セレモニー後、夜のゴールデンテンプルを訪れ、翌朝またゴールデンテンプルを訪れ、土日旅行は終了。土日に観光で訪れるのにちょうどよい街、アムリトサル!

夜のゴールデンテンプル
夜のゴールデンテンプル

朝のゴールデンテンプル
朝のゴールデンテンプル

ゴールデンテンプル周辺地域
ゴールデンテンプル周辺は観光地として非常によく整備されており、景観形成にも取り組んでいた。

ゴア旅行①

2017年に運行開始した、ムンバイーゴア間を結ぶ準高速鉄道「Tejas Express」に乗るべく、週末ゴア旅行。

滞在時間の都合でビーチの方には行かずパナジ周辺のみ。

Tejas Express
Tejas Express

Tejas Express車内1Tejas Express車内2
運航開始した数か月後なので車内はまだキレイね。快適度は飛行機のプレエコくらい。CAさん的な役割の人もいる。

Tejas Expressの車内食
約8時間の鉄道の旅。朝食と昼食も運賃に含まれている。

お魚エビとカニの料理
ゴア到着後の夕食はシーフード祭り。🐟~🦐~🦀~

ゴアの有名観光地を巡った。

ボムジェズ教会
ボムジェズ教会。ザビエルのミイラが眠っている。

パナジ教会
パナジ教会

ゴアで食べたハンバーガー
非常に肉々しいハンバーガーを頂き、帰路。

マイソール旅行

9月末のダシェラ(ダサラ)休暇、マイソールに訪れた。

ダシェラ×マイソール… ピーンと来た方もいるかもしれない。

ダシェラ最終日、マイソールでは大規模なパレードを行う。このパレードは非常に歴史があり、2017年は「第407回目」だった。

何十匹ものゴージャスに着飾った象が街を練り歩く、、、それはまさにマハラジャの時代のようだ。それを見ようとはるばるやってきますた、マイソール。

(※マイソールは、最も有力な藩王国のひとつ「マイソール王国」があった場所)

バンガロールからシャタブディエクスプレスでマイソールへ。
バンガロールから鉄道でマイソールへ。

インドでは「一眼レフカメラ」が強い。

何が強いって?一眼レフカメラを首から下げてうろうろしてたら、なぜか報道関係者と勘違いされ「ジャーナリストパス」を支給された。

これはつまり、会場を自由に歩ける権利を手に入れたことになる。

お目当てのマイソールのダシェラパレード
お目当て、マイソールのダシェラパレード。

このパレードにおいて、この権利を手に入れた私は最強だ。まるでスターを手に入れたマリオ。

なぜなら・・・

マイソールのダシェラパレードの観客 マイソールのダシェラパレードの観客2 マイソールのダシェラパレードの観客3

一般観客席はこんなことになっているためである。

歩く隙間もない。

祭りでテンション爆上がりの観客たち。ガイコクジンの私にも興奮するという謎自体が発生した。スーパースターってのはこういう感じなんだろうか😂

マイソールのダシェラパレード

象さんパレードのほか、地元の団体や有志による出し物もあり、非常に楽しいパレードで大満足した。

マイソールのダシェラパレード2マイソールのダシェラパレード3

マイソールのダシェラパレード4

この観客にもみくちゃにされずにマイソールのパレードを観る方法は二つある。

一つ目は私のようにたまたまジャーナリストパスを手に入れること。一眼レフカメラ必須(多分)。これは運が必要で確実ではない。

二つ目はパレードが行われる通りにある高級ホテルに宿泊すること。ホテル名は忘れてしまったが、そこのホテルでは宿泊者向けに特別席を設けていた。これは確実だろう。

祭りの期間中、マイソール宮殿はライトアップされる。ブダペストにある国会議事堂のようで非常に美しい。

美しくライトアップされたマイソール宮殿美しくライトアップされたマイソール宮殿
美しくライトアップされたマイソール宮殿

翌日もマイソール宮殿を訪れた。祭り期間中マイソール宮殿は無料開放されるため、おびただしい数の人が押し寄せていた。

マイソール宮殿
ディズニーランドにありそうな外観

マイソール宮殿
すんげー人wwwww

マイソール宮殿
人が映らないように写真を撮ることができた唯一の場所w

宮殿をじっくりと見て回りたいなら、ダシェラの時期は外した方がいいと心の底から強く思う。

2017年10月

ジョグジャカルタ旅行

ディワリ休みを利用してインドネシアへ。

当初バリ島に行く予定だったが、出発数週間前にバリ島噴火の警戒レベルが高まり、ニュースでも報道されていた。噴火した場合空港が閉鎖され予定通りに帰国できなくなる。

前年のダッカでのテロ事件(私が訪れた2週間後にテロが起き日本人が死亡)や数か月前のクラゲ事件があり、「旅行時の危機管理」を強く言われていていた私はサラリーマンとして、目的地を変更せざるを得ず、ジョグジャカルタに行くことにした。

仏教寺院を訪れ、

ボロブドゥール遺跡1ボロブドゥール遺跡2
ボロブドゥール遺跡のサンライズツアーに参加

ヒンドゥー教寺院を訪れ、

プランバナン寺院
プランバナン寺院

プランバナン寺院のガネーシャ像
プランバナン寺院のガネーシャ氏。

スルタンの宮殿を訪れ、

タマンサリ
タマンサリ

宗教や歴史に触れる旅。。。

普段のインド旅行と全然変わらねぇwww

ほんとはビーチでのんびり常夏気分を味わう予定だったのにな😂

インド旅行と大きく違う点は、「バックパッカーやヒッピーではない若い欧米人旅行者が多い」「観光地が整備されている」「料理が辛くない(日本人の口によく合う)」

以上!!!

ジョグジャカルタのレストランでいただいたランチ
ジョグジャカルタのいい感じのレストランでランチ

2017年11月

一時帰国(4回目)

出張で日本へ行くついでに一時帰国。

香港&マカオ旅行

一時帰国中に、3泊4日で友人と一緒に香港・マカオへ旅行。

香港蟹
大蟹の辛みそ炒め(橋底辣蟹にて)。その他飲茶など、香港では主に食を楽しんだ。

マカオマカオのエッグタルト
マカオでは女子旅感最大限にw

2017年12月

ハードウェル来印!

パリピ大国インド。前回の記事では、ディミトリベガス&ライクマイクとマシュメロがムンバイにやって来たことを紹介した。

2017年はハードウェル~~~

ムンバイ近郊の新興都市「ナビムンバイ」のスタジアムで開催、ディミトリの時とは違い酒は出ない。チケット代は非常にお手頃でなんと1000ルピー弱。

ハードウェルのチケット

酒なしでここまで盛り上がれるインド人たちはすごいと思う。

コインバトール&ニルギリ旅行

インドには世界遺産に登録されている山岳鉄道が3つある。一つ目がダージリン(コルカタ駐在のイギリス人たちの避暑地だった場所で、有名なお茶の産地)、二つ目がシムラー(デリー駐在のイギリス人たちの避暑地かつ「夏の首都」だった場所)、そして三つ目がこの旅の目的地、ニルギリ(ウーティー)である。

ニルギリは南インド駐在のイギリス人たちの避暑地として開発された場所で、お紅茶好きな人なら一度はその名前を聞いたことがあるだろう。紅茶の有名な産地の一つでもある。南インド版のダージリン的なところだ(そうだけど違う)。

目指せ山岳鉄道全制覇!まずはニルギリから攻めるでござる。拠点となる街はタミルナードゥ州第二の都市コインバトール。ついでにここも観光。

私が訪れた年、2017年にできたてホヤホヤのコインバトール名物「アディヨギ像」は、当時似非ヨギだった私が最も好むタイプのモニュメントである。

コインバトール名物「アディヨギ」像
コインバトール名物「アディヨギ」像

アディヨギがある宗教施設内
アディヨギがある宗教施設内。

山岳鉄道の始発駅はコインバトールから北に40キロほど離れた「メットゥパーラヤム駅」。駅に着くと、なんとその日はメンテナンスの問題で始発駅からではなく途中の「クーヌール駅」から運行すると告げられた。こういうトラブルはインドではよく起きる。特に山岳鉄道は点検による遅延や運休が多いんですって。

クーヌール駅
結局クーヌール駅までローカルバスで行った。

クーヌール駅の駅員さんの荷物入れ
何とも萌えポイントが高い駅員さんの荷物入れ。

ニルギリ山岳鉄道
はじめての山岳鉄道

山岳鉄道の車窓からウーティー駅
ゆっくりと山を登り、ウーティー駅に到着。

ウーティー近郊の動物保護区、ムドゥマライ・ワイルドライフ・サンクチュアリ―内にある宿に宿泊し、到着日の夕方と翌朝2回、サファリに参加した。お目当てはベンガルタイガー🐅

しかし、見ることができたのは鹿だけであった。

鹿しかみれなかったため、サファリのガイドは「2日前にトラがいたんだ!ほら、写真見てくれよ!」とトラが生息していることを必死にアピール。「君は運が悪かった」「普段は見れる」風の雰囲気に持ち込もうとするが、そもそも、マハラジャたちがトラを狩りすぎたのでトラは少ない。遭遇できたらラッキーなんだよね。

サファリバス。サファリで見た鹿
インドのサファリあるある「鹿しかいない」

ムンバイのクリスマス

インドの宗教といえばヒンドゥー教という印象が強いだろう。実際国民の7~8割はヒンドゥー教徒である。

しかし、私が住んでいたムンバイにはクリスチャンも多く、クリスマス時期になると「宗教として祝うクリスマス」が身近にあった。(デリーNCRのような「イベント行事としてのクリスマス」とは明らかに違う)

ディワリ後もクリスマスまでは窓やベランダに電飾・イルミネーションを残し、クリスチャンが特に多く住む地域の道はクリスマス仕様にデコレーションされる。

ムンバイのクリスマスのデコレーション
クリスマスのデコレーション

2018年1月

新年はインドで迎えた。

ジュフービーチ

年末年始になると日本人はほぼみんな一時帰国してしまうため、新年をインドで迎えるということは「暇」を意味する。あまりにもやることがなさ過ぎたのか、ムンバイ郊外のジュフービーチへ行っていたようだ。

ジュフーは閑静な住宅街で、アミターブバッチャンなどのスターも住む地域。私のように新年早々特に何もすることがない人達がジュフーのビーチに集結していた。

ジュフービーチ
ジュフービーチ

ムンバイマラソン(ハーフ)

前年フルマラソンで非常に辛い思いをしたため、ハーフマラソンに参加した。(前回の記事

2017年までは「スタチャー」がスポンサーであったが、この年からインド最大財閥の「TATA」がスポンサーに。

ムンバイマラソン(ハーフ)スタート地点
ムンバイマラソン(ハーフ)スタート地点

ムンバイマラソンでシーリンクがコースに組み込まれているのはフルとハーフだけ。
ムンバイマラソンでシーリンクがコースに組み込まれているのはフルとハーフだけ。

ムンバイマラソン(ハーフ)の結果
前年のフルマラソンはひどい結果であったが、ハーフはぼちぼち。

イマジカ

ムンバイから車で2時間程度の場所に「イマジカ」というテーマパークがある。

どんなもんなのか、友人たちと一緒に日帰りで訪れた。イマジカには宿泊施設もあり、変なローカルホテルかと思いきや意外にもノボテルだったりする。

イマジカ
イマジカの入り口前には写真撮影に適したモニュメントがある。

イマジカのアトラクション
どこかで見たことがあるようなアトラクションが多い。

イマジカのお土産
お土産屋さんにも、どこかで見たことがあるような物が多い。

イマジカのアトラクションの待ち時間
週末でも全然混んでおらず、めちゃくちゃスムーズにアトラクションに乗れる点は高評価。

イマジカの絶叫系アトラクション
絶叫系のアトラクションもある。多分メンテナンスはちゃんとされているので大丈夫、多分ね。

ディズニーとユニバーサルと富士急の3つを足して5で割ったような感じで、”超”満足はしないものの、満足度はなかなか高い。入場も1500ルピーくらいだった記憶があり、この値段でこれだけ楽しめるなら良い。ま、基本的にパクリなんだけどね★

2018年2月

ゴア旅行②

2泊3日、ゴアのカラングートビーチに遊びに来た。

ここら辺はもともとヒッピーが多い地域だったそうだが、現代版ヒッピーらはさらに北上または南下した場所に生息しており、現在のカラングートはインド人観光客で賑わっている。

賑やかなカラングートビーチ
賑やかなカラングートビーチ。女性は服のまま海に入りがち。水着になるのに抵抗がある人がまだまだ多い。

カラングートビーチの夕焼け
カラングートビーチの夕焼け

夜のカラングートビーチ
夜になると海沿いのレストランは胡散臭い派手なライトまみれになる。

今はなき、ゴアの地ビール「KINGS」!!!
今はなき、ゴアの地ビール「KINGS」!!!

浜辺ではニンゲンだけでなくワンコたちものんびりしている。
浜辺ではニンゲンだけでなくワンコたちものんびりしている。

一時帰国(5回目)

年末年始に一時帰国しなかった代わりに、2月にお休みをいただいて帰国した。

目的その①、ルナシーのコンサート。
ルナシーのコンサート

目的その②、さっぽろ雪まつり
さっぽろ雪まつり

その他、インドでは食べられないものを胃袋にため込む修行。

肉寿司生牡蠣

インド2年目は、1年目以上に充実していた!

国内旅行9回、海外旅行3回、一時帰国5回。合計旅行回数は17回。やはり若いって素晴らしい。体力があるからこそ、こんなにプライベートで旅行できるんだよね。

インド国内旅行
  1. トリバンドラム
  2. ナシーク
  3. アーメダバード&ジュナーガル
  4. リシケシ
  5. ポンディシェリー&クンバコーナム
  6. アムリトサル
  7. ゴア①
  8. コインバトール&ニルギリ
  9. ゴア②
海外旅行
  1. 上海(中国)
  2. ジョグジャカルタ(インドネシア)
  3. 香港&マカオ

1年目、2年目と毎月旅行していたのでお金は全然貯まらず貧乏であった。しかし我ながら本当にいいテンポで旅行していたと思うし、いまでは全ていい経験!

当時はこれでも「旅行し足りない」と思っていたのだが、それはおそらく周りの友人が毎月のように海外旅行していたからだと思うぞ。駐在員は祝日があるとすぐ海外に逃亡する。(←ひどい固定概念www)

次回、インド3年目を振り返ります!私の自己満投稿にまだまだお付き合い下さ~い!


インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(1年目編)~

アイキャッチ画像(インド生活7年目に突入しました!~これまでのインド生活を振り返る(1年目編)~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

2016年2月27日にインドにやって来た私。

今日からインド生活7年目に突入~!

ということで、この6年間を振り返ってみるぞ!誰得でもない、完全に自己満。グーグルフォトに保存されている写真を見返して年月順に振り返る。

▼目次はこちら (クリックして表示)

2016年2月

ムンバイへ渡航!

ムンバイ行NH829便

忘れもしない2016年2月27日、この日私は全日空NH829便でムンバイに旅立った。当時の成田→ムンバイ便はビジネスジェット(ボーイング737-700ER)。機体が小さいため冬場はノンストップでムンバイまで飛べず、燃料給油のために福岡空港に立ち寄るというルートだった。

このビジネスジェットは2016年3月に退役となり、その後同路線はボーイング787ドリームライナーが運航。退役前に滑り込みでビジネスジェットに乗ることができたのはいい思い出だね!

www.aviationwire.jp

2016年3月

ムンバイ観光

週末を使ってムンバイ市内の観光に精を出していた。

ムンバイは「THE★観光地」と呼べるような場所が少ないため、有名観光地はすぐに制覇できる。

CST駅(現CSTM駅)
CST駅(現CSTM駅)。南ムンバイにある立派な現役駅舎!

インド門タージマハルホテル
インド門とその向かいにあるタージマハルホテル

ドビーガートと呼ばれる洗濯屋さんのスラム
ドビーガートと呼ばれる洗濯屋さんのスラム

▼ドビーガートについての記事 www.chankome.com

海に浮かぶハジアリ霊廟
海に浮かぶハジアリ霊廟、別名「ムンバイのモンサンミッシェル」笑。

▼ハジアリ霊廟についての記事 www.chankome.com

ムンバイ北部の国立公園内にあるカンヘーリー石窟寺院
ムンバイ北部の国立公園内にあるカンヘーリー石窟寺院

有名どころの観光地はざぁ~とこんな感じ。

ムンバイといえばシーフードが有名で、特にバターガーリッククラブはみんなが大好きな一品!TorishnaやMaheshが有名だよ。

有名レストラン「Mahesh」のバターガーリッククラブ
有名レストラン「Mahesh」のバターガーリッククラブ

ホーリー

3月といえばホーリー!!色粉をかけ合う基地外のお祭り春の訪れを祝うお祭りで、とても楽しいと聞いたので参加した。

ホーリー(2016年)

お祭りはとても激しく、色粉が肌に染み込んでしまって2~3日取れなかった。これ以降、激しいホーリーには参加していない。楽しかったが、1回でいいかなと思った次第である。もうお腹いっぱい。

2016年4月

私がインドにやってきた最大の目的は「インド国内をたくさん旅行すること」であった。というわけでインド旅行を開始。

チェンナイに友人が日本から長期出張に来ていたので、まずはチェンナイ&マハーバリプラムを初めてのインド国内旅行の目的地とした。

チェンナイ&マハーバリプラム旅行

マハーバリプラム

▼詳しくは以下の記事にまとめている。

www.chankome.com

www.chankome.com

一時帰国(1回目)

インドに来て2か月で早速一時帰国した😂

代々木公園でお花見したよ。

代々木公園でお花見

2016年5月

アジャンター&エローラ旅行

ムンバイから訪れやすい観光地のひとつに、アジャンター・エローラ遺跡がある。拠点となるのはアウランガーバードで、ムンバイからは飛行機で1時間弱。

アウランガーバードは名前からも想像できる通り、ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブが拠点としていた街である。ムガル帝国はデカン高原まで進出していた。

アウランガーバードにはタージマハルに似たお墓がある。これはアウラングゼーブの息子が、自身のお母さん(アウラングゼーブの妻)のために作ったもので、財政があまりよくなかったためにタージマハルと比べるとずいぶん質素な作りとなった。それがコレ↓

ビービーカマクバラー、別名「ミニ・タージ」
ビービーカマクバラー、別名「ミニ・タージ」

アウランガーバードには砦もある。たいへんインドらしい砦。砦の頂上からは一面に広がるデカン高原を望むことができる。

ダウラターバードと砦からみたデカン高原
ダウラターバードと砦からみたデカン高原

アウランガーバードから車で1時間ほどの場所にエローラ遺跡がある。ここで一番の見どころはなんといってもこの石彫寺院「カイラーサナータ寺院」かね~。

カイラーサナータ寺院
カイラーサナータ寺院

アウランガーバードから車で3時間ほどの場所にあるのがアジャンター遺跡。この石窟寺院群は19世紀にイギリス人が発見するまで1000年以上もの間ジャングルの中に埋もれていたというのだから驚きだ。

アジャンター石窟寺院群
アジャンター石窟寺院群

アジャンター遺跡の仏教壁画
アジャンター遺跡の仏教壁画は見ごたえがある。こんな状態で今も残っているのは、1000年以上も放置されていたおかげ?なのかな?

マハーバリプラムで「石窟寺院」「石彫寺院」「石造寺院」を観光した次の目的地がアジャンター・エローラというのは、今思えば、私結構センスあると思うんだ。うん、ほんとにセンスある😂(自画自賛)

一時帰国(2回目)

親友の結婚式があり、また一時帰国した😂

友人の結婚式

2016年6月

バングラデシュ旅行

友人の結婚式に参加するため、バングラデシュのダッカへ旅行。ムンバイからダッカへの直行便はないのでコルカタで乗り継ぎ。

ビーマンバングラデシュ航空を利用。
ビーマンバングラデシュ航空を利用。

コルカタ⇔ダッカ間の飛行時間はわずか1時間。この当時は特に何も考えずに訪れたが、ここはかつて英領インドベンガル州だったのだ、近くて当然。なのに時差は30分ある。

ダッカ

ダッカの街並み

ダッカの街を歩いて思ったのは、インドはずいぶん発展しているんだなぁと(語彙力)。私が住んでいたムンバイがとてつもなく都会に感じた。

2016年6月にダッカといえば、ピンとくる方もいるでしょう。そう、テロが起きた。日本人も巻き込まれたよね。私が訪れた2週間後にテロが起きて、私が訪れた場所でテロが起きて、、、自分も巻き込まれていた可能性が大いにあったのだと思うとぞくぞくしたし、それ以降外務省が出している渡航情報の危険レベルを考慮して旅行するようになった

2016年7月

コーチン&トリバンドラム旅行

日本在住時はほぼ毎週サーフィンをしていた私(冬以外)。インドでサーフィンというイメージはなかったので、板も何も持ってこなかったのだが、なんとインドでもサーフィンができるという。言われてみればスリランカも近いし、サーフスポットがあっても全然おかしくないんだよね。

トリバンドラムのコバラムビーチにあるサーフショップで板をレンタルできるという情報を入手したので早速訪れることに。せっかくケーララに行くなら近くの有名どころも訪れたいと思い、コーチンとセットで旅行。

コーチンの町(エルナクラム)の方は典型的なインド!という雰囲気が漂っていたが、フォートコーチンの方は異国情緒ただよう別世界だった記憶がある。

フォートコーチンの街並み
フォートコーチン

チャイニーズフィッシングネット
チャイニーズフィッシングネット。ネットで魚を釣っているところ。

「ケーララはカタカリダンス」が有名だよと同僚に教えてもらったので、カタカリダンスも漏れなく鑑賞した。これはインド版歌舞伎のようなもので(説明ざっくりすぎるかw)、お化粧しているところも見ることができて非常に面白かった。

カタカリダンスの化粧中。
ケーララの伝統芸能、カタカリダンスのお化粧をしているところ

カタカリダンス。
お化粧の派手さに目を奪われてしまいそうになるが、役者さんたちの目・指の動きが非常に細かく繊細だった。

夜行列車でコーチン→トリバンドラム。
夜行列車でコーチン→トリバンドラム。

トリバンドラムのコバラムビーチ。ここでサーフィンをすることがこの旅最大の目的。ここのビーチ、なんか江の島に似ているような気がして。灯台なんかも江の島感ありません?よく鵠沼に行っていたのでとても懐かしい気持ちになったのを覚えている。

トリバンドラムのコバラムビーチ
トリバンドラムのコバラムビーチ

サーフィン集合写真

友人、そしてサーフショップの兄さんたちと一緒にサーフィン。ここで受け入れがたい出来事が起きた。インドでは物をみんなで共有する文化がある。「私」が「私のため」にホテルから持って来たタオルをインド人の兄さんたちに使われているのを目撃、しかも体を拭いているだけではなく耳の穴にも突っ込んでいた!他のタオルはないので、私もそのタオルで体を拭かざるを得ない!

自分でタオル持参しろよな!!!!!😂

一時帰国(3回目)

一時帰国というわけではないが、出張でまた日本に帰国した😂

一時帰国中に食べたお刺身

2016年8月

ハンピ旅行

土日を使ってムンバイから弾丸でハンピへ旅行した。

金曜夜 :ムンバイ→バンガロール(飛行機)
土曜早朝:バンガロール→ハンピ(車)
土曜午後:ハンピ観光
日曜午前:ハンピ→バンガロール(車)
日曜夕方:バンガロール→ムンバイ(飛行機)

頭がおかしい旅程である。日本人はこういう弾丸旅行しがちだよね(私だけじゃないよね?!)

ヴィルパークシャー寺院
ヴィルパークシャー寺院

ヴィルパークシャー寺院と奇岩
ヴィルパークシャー寺院と奇岩

ハンピを観光したのは数時間だけで、正直なにを見たのかあまり覚えていない。「ハンピに旅行した」という事実を作るためだけに旅行した感がある。また訪れることがあればゆっくりと滞在したいが、アクセスがよくはないため再訪するかどうかは微妙なところである。アクセスが悪いからこそ「秘境」と呼ばれているんだろうけどネ。

マンドゥ&インドール旅行

不便な旅行をしたいと思い、MP州のマンドゥを訪れた。州都のインドールからバスに揺られ、途中バスの乗り換えもあり、3~4時間かけてマンドゥに到着。こういうバックパッカーっぽい旅行をどうしてもしたかったらしい(笑)若いって素晴らしい👏

ローカル長距離バス
ローカル長距離バス

マンドゥの宿
2016年8月時点においてマンドゥで最も新しく綺麗で清潔だった宿(ソースはワイ)。ここに2泊した。

マンドゥはイスラム系王朝によって征服されてきた歴史があり、宮殿などの遺跡がのこる。今はどうなっているのか知らないが、当時は外国人旅行者は全くおらず、だいぶローカル感強めの観光地だった。

マンドゥの宮殿エリアに残る遺跡
マンドゥの宮殿エリアに残る遺跡。この建物はハーレムとして使われていた。

マンドゥ―の展望台
モンスーン期に訪れたので緑ゆたかだった。標高がやや高いところに位置しているのでよい景色。

インドールも少しだけ観光。あまり見るところがなく、うろうろして終了。やることがなさすぎて変更料を払って帰りの飛行機の時間を早めたほどである。

インドール中心地の様子
インドール中心地の様子

ちなみに携帯の電波が悪かったので、いまはなき「サイバーカフェ(ネットカフェのこと)」に駆け込み飛行機の変更手続きを行った。この当時はまだスマホも今ほど普及してなかったからサイバーカフェも存在していたんだねぇ。しみじみ。

2016年9月

アレッピー旅行

7月にケーララ旅行でケーララに完全に魅了されたため、ケーララ再訪。目的はケーララのバックウォーター(水郷地帯)とハウスボート滞在。

ケーララのハウスボート
水郷地帯の観光&滞在用のプライベートハウスボート

船頭さん付。コックさん付。お手伝いさん付。優雅な船の旅でございます。
船頭さん付。コックさん付。お手伝いさん付。優雅な船の旅でございます。

水郷地帯にて写真撮影
水郷地帯にて写真撮影

ハウスボート船内のベッドルーム
ハウスボート船内のベッドルーム。蚊がすごかった。

夜になるとハウスボート内に蚊が大量発生し、蚊帳を使っても防ぎ切れないほどの襲撃に遭った。

旅行後、その話をインド人マダム友達にしたところ「Komeちゃん、ハウスボートは滞在するものじゃないのよ。日中ハウスボートで観光を楽しんだあとは、近くのリゾートホテルに泊まる、これが常識よ」

確かにマダムの言う通り、わざわざ泊まる必要があるかどうかは微妙なライン。プライベートハウスボートを借りるとそこそこいい値段するしね。

↓最初からこういうホテルに泊まった方が間違いなく快適ではある。体験としてはハウスボート滞在もあり。

ハウスボート泊の翌日に宿泊したホテル
ハウスボート泊の翌日に宿泊したホテル

プシュカル&ジャイプル旅行

ラジャスターン州に行ってみたい!と思い、プシュカルとジャイプルを目的地とした。プシュカルは「ホワイトシティ」、ジャイプルは「ピンクシティ」と呼ばれており、外国人旅行者にも人気の旅行先である。

まずはプシュカル。ここはヒンドゥー教三大神のひとり「ブラフマー神」を祀る寺院があり、巡礼者が多く訪れる聖地でもある。

プシュカルの湖で沐浴する巡礼者
プシュカルの湖で沐浴する巡礼者。女性のサリーカラフルで鮮やか。

ブラフマー神を祀る寺院
ブラフマー神を祀る寺院。インドでブラフマー神をご本尊としている唯一の寺院だそうな??

欧米人バックパッカーが多く、路地は旅行者が好みそうなペイントで溢れていた
欧米人バックパッカーが多く、路地は旅行者が好みそうなペイントで溢れていた。

プシュカルのお隣、アジメールにもサクッと訪問。活気あふれる街だった。

アジメールにある有名な聖廟
アジメールにある有名な聖廟。インドムスリムの聖地のひとつらしい。

夜行列車でアジメール→ジャイプル
夜行列車でアジメール→ジャイプル

ジャイプルは有名どころを一通り観光して終了。ケチってシティパレスのロイヤルパレスには行かなかった(正確には行けなかった)。入場料高すぎなんですよ😂

風の宮殿ハワマハル
風の宮殿、ハワマハル

天文台、ジャンタルマンタル
天文台、ジャンタルマンタル

アンベール城
アンベール城

2016年10月

世界的に有名なDJがムンバイにやって来た!

インドはパリピが多い国である。幼少時から音楽にノって踊り狂うというパリピの英才教育を受けているようである。そんなパリピ国家インド、世界のDJたちも注目するわけであります。世界的に名の知れたDJたちがインドでよくパフォーマンスしていると知り、私はチャンスを待っていた。

キター!
キターー!!
キターーー!!!

当時わたしが大好きだったディミトリベガス&ライクマイクが ムンバイに来るぞ~~~~~!

ということでパリピ友と一緒に参戦。

チケットは2500ルピー。良心的な価格設定。
チケットは2500ルピー。良心的な価格設定。

ディミトリマシュメロ
ディミトリとマシュメロ。ウェイウェイウェーイ!

エレファンタ島

友人が日本から遊びにきたので、改めてムンバイ観光をば。初めてエレファンタ島も訪れた。

インド門の裏側からフェリーに乗ってエレファンタ島へ。
インド門の裏側からフェリーに乗ってエレファンタ島へ。

フェリーから見たインド門とタージマハルホテル
フェリーから見たインド門とタージマハルホテル

▼エレファンタ島についてはこちらの記事にまとめているので、あわせてど~ぞ。
www.chankome.com
www.chankome.com

シーリンク(橋)の近く、バンドラにあるこの「ラブムンバイ」モニュメントは記念撮影に持ってこいよね。海の向こう側に見える、南ムンバイの高層ビル群がまたいい味をだしている。

この辺には漁師のスラムがあり、フィッシュスメルと様々なものが混ざった独特の匂いがただよっている。撮影をしたらすぐに退散すると体調を崩さずに済むゾ!

ラブムンバイモニュメント
ラブムンバイモニュメント

2016年11月

高額紙幣廃止

高額紙幣廃止

インド1年目、最大の事件である。

www.nikkei.com

2016年11月8日20時。モディ首相が「高額紙幣を4時間後に紙切れにするぞ!」と発表した。

発表時、私は友人と飲んでおり23時頃にそのニュースを知った。1時間後に1000ルピー札と500ルピー札が紙切れになるとな!極めてインクレディブルインディアな事案である。

旧紙幣は銀行で新紙幣に交換可能で、銀行には連日長蛇の列ができていた。私も2時間並んで旧紙幣を新紙幣に交換。

実のところ、私自身は特に大きなダメージを受けなかった。デビットカードを持っていたし、すでにPaytmのヘビーユーザーでもあったため、現金がなくても全てオンライン払いで対応可能だったのだ。

ニコニコ現金払いをモットーとしている人達はかなり影響を受けていたね。新紙幣の供給が追い付かず、街中のATMはすっからかん、「あそこのATMは現金おろせるよ!」という情報がラインやワッツアップで出回った。

これを機に、一気にPaytmなどの電子マネーがインド全土に広まることとなった。その後銀行が「アーダールと銀行口座を紐づけないと銀行口座凍結しちゃうぞ!」とか言い出したもんだから、一気にアーダールも普及した。現地の駐在員たちもオフィスにアーダール代行業者を呼んで一斉にアーダール取得してたわね。

アーダール:生体認証付きのマイナンバーのようなもの。読み方はアドハーではない(←重要

ものもらいの手術

インドに来てからというものの、ものもらいを高頻度で患っていた。目を触るクセがあったのだが、手が汚れやすい国じゃないですか。ははは。

ものもらいになる度に眼科で点眼薬を処方してもらていたが、この時は点眼薬をさしても全然治らずしこりと化してしまった。右目の上と下、二か所にしこりがあった。

というわけでものもらい除去の日帰り手術を受けることに。インドで初めての手術である。ドキドキ、ドキドキ。

目に局所麻酔を刺され、手術開始。目に鋭利な刃物が入ってくると考えただけでとても怖くなり、しくしくと涙を流してしまった。そんな私に対して「マーム、大丈夫、マーム大丈夫」と手術台の左右から看護婦たちの声援。手術が終わるまで彼女たちは私の右手と左手をぎゅっと握りしめ続けた。

手術後、「目にほこりが入るといけないからね~」と包帯を巻かれたのだが

ものもらいの手術後
ものもらいの手術後

一体これ何重になってるのw
あまりにも立体的すぎてwww

日本の場合、おそらく普通の眼帯のみだと思うんだけど、ここまで厳重にガードされるとはなwww

さすがでーす!!

2016年12月

一時帰国(4回目)

年末年始に一時帰国。実家の北海道に帰省し、北海道神宮で初詣🙏

これまで初詣は季節のイベントごとのひとつにすぎなかったのだが、インド生活を通じて「宗教」を意識することが多くなったからかな、「自分の宗教は神道だ」と感じながらお祈りをした。

北海道神宮で初詣
北海道神宮で初詣

2017年1月

ムンバイマラソン(42.195キロ)

ムンバイの冬の一大イベント、ムンバイマラソン。毎年1月半ば頃に盛大に開催される。

会社の人たちがみんな参加するというので、私も参加することにした。エントリーしたのはフルマラソン

当時のスタート地点は世界遺産CST駅。

2017年1月のムンバイマラソン(42.195キロ)スタート地点
2017年1月のムンバイマラソン(42.195キロ)スタート地点

ムンバイマラソンの最大の魅力は、ムンバイ南部とバンドラを結ぶシーリンク(有料高速道路、普段は車以外通行不可)を走れることである。

シーリンクではいチーズ
シーリンクではいチーズ

初めてのフルマラソン、時間配分を完全に間違えヘロヘロになりながらもなんとか42.195キロを完歩した。

記録は6時間29分30秒。公式記録として認められるのは6時間30分までなので、ぎりぎりセーフ!こんなに辛い思いをしたのに「記録なし」になったら泣くよね。フルマラソンの公式記録を一応保持することができて本当によかった。

実は最後の15キロ「炎天下のなか、なぜ私はこんなに辛い思いをして歩いているのだろう」と半べそをかいていた。そんな中でも諦めずになんとかゴールできたのは沿道の人たちが応援してくれたおかげだろう。

沿道から「頑張れ~」「止まるな~」「泣くな~」と声援を送ってくれたり(ほんとに半泣きだった)、「水飲め~」とペットボトルの水を差しだしてくれたり、「これ食べろ~」と果物やビスケットなどをくれたりするんです。ここまで遅いともう給水所の水も全部撤去されているので、こういうサポートが本当に有難かったなぁ。ムンバイの人たちの優しさを感じることができる素敵なイベントだよね。

ちなみに、あまりにもフルマラソンが辛すぎたため、これが最初で最後のフルマラソンとなった。(翌年からはハーフに参加しているよ)

▼ムンバイマラソンについての記事もあわせてどうぞ。
www.chankome.com

一時帰国(5回目)

年末年始に一時帰国したのに、また1月末に一時帰国した😂

一時帰国時にはインドで食べられなさそうなものを中心に食べる。
一時帰国時にはインドで食べられなさそうなものを中心に食べる。

2017年2月

カッチ地方(ブージ・ホワイトラン・マンダヴィ)旅行

グジャラートのパキスタン国境近くに広がる大湿地、カッチ湿地。ここは雨季に訪れると「ウユニ湖」的な、乾季に訪れると「白い砂漠」的な、二つの違った顔がある。

観光地としては「白い砂漠」の方が有名で、毎年11月から2月頃にかけて「Rann Utsav」というイベントが行われている(Rann=砂漠、Utsav=お祭りを意味する)。

期間限定という言葉に弱い私は、一面に広がる白い砂漠をみるべく、いざカッチへ!

夜行列車で、拠点となる街ブージへ。
夜行列車で、拠点となる街ブージへ。

ブージはカッチ王国の首都だった場所。

ブージ観光。宮殿からブージの町を望む。
ブージ観光。宮殿からブージの町を望む。

意味不明に交通費をケチり、ブージ⇔カッチ砂漠はリキシャ―。途中で故障したり転倒しかけたりして大変な目に遭った。何時間もリキシャに揺られるとお尻と腰もやられるので、ケチらずにイノバをチャーターするのが無難。

ブージ⇔カッチ砂漠の移動はリキシャ―をチャーター。
ブージ⇔カッチ砂漠の移動はリキシャ―をチャーター。

パキスタンとの国境が近いため、外国人は途中でパーミッションを取得する必要がある。

入境パーミッションの手続き。
入境パーミッションの手続き。

カッチ砂漠入口
カッチ砂漠入口

カッチ砂漠でラクダに乗るのがポピュラーらしい。
カッチ砂漠でラクダに乗るのがポピュラーらしい。

この地方には、ユニークな伝統手工芸が有名な村々が点在している。そのあたりも訪問したいと思っていたのだが、リキシャ―トラブルで時間を食ってしまったがゆえに1か所しか訪れられなかった。交通費をケチった挙句このザマである。ドンマイ、私!!

ブージから日帰りでマンダヴィという町にも訪れた。ここはカッチ王国のマハラジャたちの避暑地だった場所で、王族たちの別荘として使用されていた宮殿が非常によい状態で残っている。

マンダヴィの宮殿
マンダヴィの宮殿

ビーチでは乗馬も楽しめる。
ビーチでは乗馬も楽しめる。

ブージに戻ってくると、何かのパレードが開催されており、色鮮やかな伝統衣装に身を包んだ女性たちが街を練り歩いていた。

伝統衣装萌え
伝統衣装萌え。

インド1年目、とても充実していた!

国内旅行8回、海外旅行1回、一時帰国5回

インド国内旅行
  1. チェンナイ&マハーバリプラム
  2. アジャンター&エローラ
  3. コーチン&トリバンドラム
  4. ハンピ
  5. マンドゥ&インドール
  6. アレッピー
  7. プシュカル&ジャイプル
  8. カッチ地方
海外旅行
  1. ダッカ(バングラデシュ)

一時帰国しまくったこともあり、日本を恋しいと思うこともなく、インド生活を楽しむことに全力を注いでいたと思われる。今となっては考えられないほどアクティブに旅行していたんだな~。

次回、インド2年目を振り返ります!私の自己満投稿にしばしお付き合い下さ~い!

To be continued.....

▼次の記事(インド2年目) www.chankome.com


【インド旅行記#001】チェンナイ&マハーバリプラム|Day2 マハーバリプラムの寺院巡り(世界遺産)

アイキャッチ画像(【インド旅行記#001】チェンナイ&マハーバリプラム|Day2 マハーバリプラムの寺院巡り(世界遺産)))

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

コロナでインド国内旅行ができないので、過去の思い出に浸ることにした。

インド国内旅行の記録

旅行時期: 2016年4月

▼目次はこちら (クリックして表示)

旅程

Day予定宿泊
Day 1午前ムンバイ→チェンナイ
チェンナイ南部
(Kovalam)
午後チェンナイ観光
夕方サーフィン
夕食
Day 2午前サーフィン
朝食
---
午後マハーバリプラム観光
夕方チェンナイ→ムンバイ

▼1日目の旅行記はこちら
www.chankome.com

マハーバリプラム観光

2日目も再びサーフィンをし、朝食後にマハーバリプラムへ移動!

マハーバリプラムは、3世紀から9世紀にかけて南インドの東海岸を支配していたパッラヴァ朝(ヒンドゥー教の王朝)の首都であったカーンチプラムの近くにある小さな港町。海外交易の拠点として発展し人が集まるようになり、数多くの寺院が作られた。

マハーバリプラムの見どころ

マハーバリプラムの見どころは世界遺産に登録されている寺院や建造物。

ヒンドゥー教の古いお寺は、お寺が建てられた時代に応じて以下の3つの建築様式で建てられている。

  1. 石窟寺院(古代~7世紀ごろ)
    岩山を掘った洞窟のような寺院。
    ジャイナ教や仏教では「修行の場所」として使われていたが、ヒンドゥー教では「神様へお祈りする場所」として使われるようになった。修行のための薄暗くて隔離された空間よりも、もっと外部に露出した寺院の方が好都合であると気づき…

    大きな岩をまるごと彫刻して寺院を作ろう!
  2. 石彫寺院(7世紀~8世紀ごろ)
    岩を削ったり彫ったりしてつくった寺院。
    寺院が岩山の中から外に出て参拝しやすいようになったが、大きな岩があるところにしかお寺が作れなくて不便ということに気づき…

    石を小さく切り出し、積み上げて寺院を作ろう!
  3. 石造寺院(7世紀後半ごろ~中世)
    小さなサイズに切り出した石を積み上げてつくった寺院。
    初期の石造寺院はシンプルなつくりだが、だんだんと内外を多くの彫像で飾るようになり、南インドではピラミッドのような三角の高い塔を持つ「ドラヴィダ様式」、北インドでは砲弾のような縦長の塔を持つ「ナーガラ様式」へと発展していった。

マハーバリプラムにはこれら3タイプの寺院が全てあり、石窟寺院➡石彫寺院➡石造寺院という建築様式の移り変わりを連続的に見ることができるという、非常に貴重な場所なのである。

マハーバリプラムにある石窟寺院と石彫寺院は未完成のものも多い。

というのも、石造寺院がつくられるようになったために石窟寺院や石彫寺院が未完成のまま放置されたようで、これは「古代の岩のお寺」から「中世の石のお寺」への転換点であるとみなされているそうだ。なるほどね~

石窟寺院

マハーバリプラムには石窟寺院が点在している。

▼マハーバリプラムの主な石窟寺院

  1. 未完成の石窟寺院と岩壁彫刻
  2. クリシュナ石窟寺院
  3. バラハ石窟寺院
  4. マヒシャースラマルディニー石窟寺院

未完成の石窟寺院と岩壁彫刻(アルジュナの苦行・ガンガーの降下)

マハーバリプラム最大の石窟・パンチャパーンダバ石窟寺院

マハーバリプラムで最も大きい石窟。ライオンはパッラヴァ朝のシンボルなので、柱にライオンの彫刻がほどこされているんだって。

画像ではよく見えないが、石窟寺院の内部に彫刻はない。つまり未完成であるので、Unfinished Cave Temple(未完成の石窟寺院)と呼ばれている。一応「パンチャパーンダバ石窟寺院」という名前はあるそうなのだが、未完成の石窟寺院という名前のほうがメジャーであるとのこと。

岩壁彫刻(アルジュナの苦行・ガンガーの降下)

石窟の右隣には巨大な岩壁彫刻が施されている。これは「アルジュナの苦行」または「ガンガーの降下」と呼ばれており、石窟寺院よりもこちらの方がメインなのかな。地球の歩き方によると、高さ約10m・幅約30mの大きな岩に彫られており、世界最大級のレリーフ

この彫刻はヒンドゥー教のお話をもとにしている。

アルジュナの苦行

「マハーバラタ」というヒンドゥー教の神聖なむかし話の本に書かれているお話で、クル族の王子アルジュナが、シヴァ様のご加護を得るべく、神さまや動物たちに囲まれながら一本足で立ち続けて修行するというお話。

ガンガーの降下

ヒンドゥー神話のお話で、天空を流れる聖なるガンガー(ガンジス川の)を、シヴァ様の髪の毛を通じてなんとか下界(地球)に降ろそうとバギーラタ王が苦行するというお話。岩壁の真ん中のくぼみは、天界から地上に落下するガンガーを表しているとされる。

どちらのお話がもとになっているのか、両方のお話をミックスさせているのか、1000年以上前のことは今となってはもう誰もわからないが、動物たちもまじえてかなりポップなかんじで彫られているので、細部まで観察すると楽しかった。

特に何かあるわけではないが、レリーフの上にも上ってみた。露店がびっしりと並んでいた。

岩壁彫刻(アルジュナの苦行・ガンガーの降下)の上から見た景色
レリーフの上から見た景色

クリシュナ石窟寺院

クリシュナ石窟寺院内部のヴィシュヌ神の彫刻

レリーフの向かいには、7世紀半ばにつくられたとされるクリシュナ石窟寺院。

内部にはクリシュナ神の彫刻が綺麗な状態で残っていた。

クリシュナ神が片手で軽々と空を持ち上げて大雨から村人を守る様子が描かれている。

バラハ石窟寺院

正面から撮影したバラハ石窟寺院

有名なクリシュナのバターボールがある公園にも石窟寺院がある。

公園内の坂を上っていくと、左手に見えるのが、7世紀につくられたバラハ寺院。

ここにもライオンの彫刻をはっけ~ん🦁

内部の彫刻は保存状態良好!

▼ヴィシュヌ神が怒り、足を振り上げている様子
マハーバリプラムのバラハ石窟寺院の彫刻

▼ヴィシュヌ様の奥さん、ラクシュミー神が生まれたシーン(ガジャ・ラクシュミー)
マハーバリプラムのバラハ石窟寺院の彫刻

周辺には巨大な岩がごろごろと転がっていた。

パッラヴァ朝の繁栄が続いていれば、これらの岩も寺院になっていたのかなぁ~と思ったり。

マハーバリプラムの公園にある巨岩
公園内にごろごろと転がっている巨岩

マヒシャースラマルディニー石窟寺院

マハーバリプラムの石窟寺院(マヒシャースラマルディニー石窟寺院)

さらに坂道を進んでいくと、マハーバリプラムにある石窟寺院の中で最も重要と言われているマヒシャースラマルディニー石窟寺院にたどり着く。

この石窟寺院のみどころは、寺院の名前にもなっている「マヒシャースラマルディニー」を描いた彫刻である。

マヒシャースラマルディニーとは

シヴァ神の奥さんパールヴァーティー様の化身「ドゥルガー神」の有名な神話。

魔族であるアスラ(阿修羅)神族の魔王・マヒシャースラが天界を征服し、天界に住んでいたデーヴァ神族(シヴァ神やヴィシュヌ神が属する神様グループ)の神々を追放してしまった。

マヒシャースラは「いかなる男や神にも負けない能力」を持っており無敵状態。困った神様たちはシヴァ神とヴィシュヌ神に泣きついた。

マヒシャースラが好き勝手やっていると聞いたシヴァ様とヴィシュヌ様は大激怒しスーパーサイヤ人の如く光を放ち、それに追随するように他の神様たちも光を放った。その光から生まれたのがドゥルガー神である。デーヴァ神族の神たちの力を集結し、ドゥルガー神、ここに誕生。男だとマヒシャースラに太刀打ちできないため、ドゥルガー神は若くて美しい女性の姿をしている。

神たちはドゥルガー神に様々な武器を与え、戦闘の準備は万全!ドゥルガー様はその美しい姿とは裏腹にめちゃくちゃ強く、マヒシャースラの子分たちを次々と抹殺し、マヒシャースラとの一騎打ちに。自らの置かれている状況が不利と見たマヒシャースラは自らを動物や人間の姿に変えた。

水牛やライオン、人間、象などに化けることでドゥルガー神を困惑させるマヒシャースラ。マヒシャースラが水牛の口からちょっと顔を出して様子うかがっていたところ、ドゥルガーがこれを発見。

ドゥルガー神はシヴァ神から与えられた三叉戟(三つの穂を有する槍のこと)でマヒシャースラにとどめを刺したのだが、この様子を描いたものが「マヒシャースラマルディニー」である。

▼マヒシャースラマルディニーの彫刻。ドゥルガー神が水牛に槍を刺すシーン
マハーバリプラムのマヒシャースラマルディニー石窟寺院内部の彫刻

石彫寺院

マハーバリプラムには、7世紀半ばにつくられたとされる「ファイブ・ラタ」という石彫寺院がある。ヒンディー語で「パーンチ・ラタ」とも呼ばれる。(パーンチ=数字の5)

▼ファイブ・ラタの場所

ファイブ・ラタ

ファイブ・ラタ

ラタはもともと「車輪」を意味していたが、「神様の乗り物」全般を指すようになり、さらに転じて「寺院」を意味するようになった。

ファイブ・ラタはその名の通り5つの寺院で構成されており、それぞれの寺院にインド神話の昔話「マハーバーラタ」の登場人物の名前がつけられている。

  1. ドラウパディー・ラタ
  2. アルジュナ・ラタ
  3. ビーマ・ラタ
  4. ダルマラ―ジャ・ラタ
  5. ナクラ・サハデーヴァ・ラタ

この5つの寺院は、お祈りのためにつくられたのではなく、「お手本・参考書」的な意味合いでつくられたという説が濃厚だ。というのも、これらの寺院は当時に南インドに存在した木造建築の寺院を模したものだと言われており、今はなき7世紀の木造建築の様相を伝える貴重な遺跡といえる。

7世紀半ば、マハーバリプラムは寺院建設ラッシュ。そんな中、石工職人さんたちが自らの技を見せつける場でもあったのかな。これらは一枚のめちゃくちゃ固い岩を削って作られているというから驚きだ。てゆーか、岩大きすぎん!?

さらに驚くのが、19世紀末にイギリス人が見つけるまで砂に埋もれていたという事実。1000年以上も忘れ去られていた遺跡なのね。砂に埋もれていなければ今頃はもう風化していたのだろうか。

ファイブ・ラタ
左(手前)から順に、ドラウパディー・ラタ、アルジュナ・ラタ、ビーマ・ラタ

ドラウパディー・ラタは当時の民家の様子を再現しているらしい。藁ぶき屋根のおうちだったのかしら。

アルジュナ・ラタは階段状の屋根、そしてテッペンには冠石(シカラ)が乗せてある。THE☆南インドの寺院って感じ!

▼ドラウパディー・ラタの中には、ドゥルガー神の彫刻。
ドラウパディーラタ内部のドゥルガー神の彫刻

ビーマ・ラタ
ビーマ・ラタ

ビーマ・ラタは5つの寺院の中で最も大きい。屋根の部分はゴープラム(南インドの寺院にみられる塔門)の原型だと言われているのだそう。

左側の柱はライオンの彫刻が施されているが、右側は途中でライオンを彫っている途中で中断してしまったらしい。角の部分も全く削られていない=未完成であることがわかる。

ダルマラージャ・ラタ
ダルマラージャ・ラタ

ビーマ・ラタの奥にあるのがダルマラージャ・ラタ。アルジュナ・ラタ同様の典型的南インド寺院。こちらの方が屋根が一層分高い。

これまた、階段らしき部分が未完成。

ダルマラージャ・ラタ

ダルマラージャ・ラタのまわりには手つかずの岩がむき出しになっている。これも削られる予定だったのかな。

ナクラ・サハデーヴァ・ラタ
ナクラ・サハデーヴァ・ラタと動物の彫刻

5つ目の寺院はナクラ・サハデーヴァ・ラタ。ほかの4つの寺院は一列に並んでいるのに対し、この寺院はその列から少し離れている。

象の彫刻の裏側にあるため「ガジャプリシュタカラ(サンスクリット語で象の裏側)」との別名を持つそうだ。

ナクラ・サハデーヴァ・ラタ
動物の彫刻とナクラ・サハデーヴァ・ラタ(裏側)

▼象の彫刻が一番人気のフォトスポットだったよ
ファイブラタの象の彫刻

10メートル級の巨岩を、人間が削って彫ってこれらを作ったのかと思うと、ここまで仕上げるのに一体何年かかったのか…

そしてここまで作っておいて未完成のまま放置されて砂に埋もれただなんて、なんか少し切ない。

アジャンタ石窟寺院にしろ、このファイブラタにしろ、19世紀にイギリス人が見つけていなかったらどうなっていたのだろう?インドには今もまだ見つけられてない遺跡がいくつもありそうだ。

石造寺院

マハーバリプラムには、8世紀前半につくられたとされる石造寺院があり、ベンガル湾を見下ろす場所にあることから「海岸寺院(ショアテンプル)」と呼ばれている。

▼海岸寺院の場所

海岸寺院(ショアテンプル)

海岸寺院

伝説によると、かつてマハーバリプラムの海岸沿いには7つの寺院が並んでいたとされるが、ベンガル湾の波に飲み込まれて姿を消し、現存する寺院は1つだけである。

2004年のスマトラ沖地震の際にこの地域も津波に襲われたが、この津波がいったん引き、500メートルほど後退した。このときに崩壊した寺院らしきものが姿を現し、観光客や住民らがこれを目撃したことから、6つの寺院、もしくは寺院コンプレックスが海に沈んでいる可能性が高いとされている。

唯一現存するこの寺院は、1000年以上も津波に耐え、侵食に耐え、生き抜いているのだ。すごいなぁ~

寺院は3つの神社で構成されている。階段状の屋根がある2つの神社はシヴァ神を祀っており、無数のナンディー像(シヴァ神の乗り物)に囲まれている。2つの神社の間に、ヴィシュヌ神を祀る神社がある。

海岸寺院を取り囲むナンディー 海岸寺院のナンディー像
寺院を取り囲むナンディー

潮風などによる侵食から守るために防風林が植えられているが、長い間雨風にさらされてきたため表面の侵食はかなり進んでおり、彫刻はぼやけている。

海岸寺院と防風林
海岸寺院と防風林

海岸寺院
潮風によって浸食される寺院側面の装飾
潮風による浸食

「インドには今もまだ見つけられてない遺跡がいくつもありそうだ」と先ほど書いたばかりであるが、まさにこの海岸寺院は「海底に沈む古代寺院」の一部…(である可能性)

砂に埋まってたり、海に沈んでいたり、たまりませんのー!

まるで映画の中のような話だ!

クリシュナのバターボール

マハーバリプラムにある「クリシュナのバターボール」

寺院のほかにマハーバリプラムで外せないのが、謎の巨大な石、クリシュナのバターボール

クリシュナとはインドで人気の高いヒンドゥー教のイケメンの神様のこと。クリシュナ神の大好物はバターや乳製品で、それが入った壺のことをバターボールという。

この巨石はバターボールに似ている形をしているということから「クリシュナのバターボール」と呼ばれるようになったというが、日本にそういう壺が存在しないのでなかなかイメージが沸きづらいのが正直なところ。

▼幼少期のクリシュナくんが嬉しそうに抱えているのがバターボール。
幼少時代のクリシュナ神がバターボールを抱えている様子

絶妙なバランスで斜面にとまっており、いまにも転げ落ちそうなのに転げ落ちないという、とても不思議な巨石。

石の影でインド人家族が涼んでいたり、石の周りで子供たちが遊んでいたりして、見ているだけでほっこりした気持ちになる。

クリシュナのバターボールの横で遊ぶ子供たち
石の横の斜面が摩擦でつるつるになって滑り台と化している。

ミールス

マハーバリプラム観光後、チェンナイに戻り、遅めの昼食にミールスをいただいた。2日目にして初ミールス。

チェンナイで食べたミールス

私は手でお米を食べられなかったので、ガイコクジンらしくスプーンを使ったよ。

ちなみに5年経った今でも、未だに手でお米を食べられない。

慣れだな、慣れ。ムンバイに住んでいると米を手で食べる機会がそこまでないのだよ。お米が主食ではないし…(と言い訳してみる)

まとめ

チェンナイはほとんど観光していないのでなんとも言えないが、サーフィンができることは非常に素晴らしいと思った。市内中心部から車を1時間ほど走らせただけでサーフィンができるだなんて、なんて素晴らしい環境なのだろうか!

マハーバリプラムは遺跡や神話好きには堪らない場所だね。のんびりとした雰囲気も田舎出身の私にとっては非常に心地よかった。町が小さくて見どころが集約されているのもGood。

今回は1泊2日のショートトリップであったが、バックパッカーだったら何日も滞在してしまいそうな場所だね。また訪れたいな~と思ったので、希望通り2019年に再訪したのでしたෆ(◕ㅂ◕)ෆ

マハーバリプラムで古い寺院に魅了されたので、次の目的地はアジャンターとエローラの寺院群に決定。私の住むムンバイからも近いし、まずは近場から攻略していきたいなぁと思ったのよね。

最後までお読みいただき有難うございました♪



インド旅行記#001
1日目 チェンナイ観光&サーフィン www.chankome.com 2日目 マハーバリプラム観光(世界遺産) www.chankome.com

【インド旅行記#001】チェンナイ&マハーバリプラム|Day1 チェンナイ観光&サーフィン

アイキャッチ画像(【インド旅行記#001】チェンナイ&マハーバリプラム|Day1 チェンナイ観光&サーフィン)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

コロナでインド国内旅行ができないので、過去の思い出に浸ることにした。

インド国内旅行の記録

旅行時期: 2016年4月

▼目次はこちら (クリックして表示)

旅程

Day予定宿泊
Day 1午前ムンバイ→チェンナイ
チェンナイ南部
(Kovalam)
午後チェンナイ観光
夕方サーフィン
夕食
Day 2午前サーフィン
朝食
---
午後マハーバリプラム観光
夕方チェンナイ→ムンバイ

出発前のトラブル?

友人が長期出張でチェンナイに来ており、これは遊びに行かねば!と思い、インドに引越してから初めてのインド旅行。

土日を最大限に使おうと思い、張り切って朝早い飛行機を予約したものの、前日に飲みすぎて寝坊するというトラブルに見舞われた😂

起きたら出発30分前。ショックを受けつつも、飛行機を取り直し(約7,500ルピーの追加出費…)、チェンナイへいざ行かん。

Indigo 6E431便
Indigo 6E431便でチェンナイに向かう。

チェンナイ観光

13時ごろにチェンナイ着。当初の予定よりも4時間遅れである。

旅の目的のひとつである「サーフィン」をするためには、夕方までに宿に到着しないといけない。宿はチェンナイ中心部から車で1時間弱のところにあるため、15時までにはチェンナイ観光を終わらせて宿に向かいたい。

チェンナイ観光はほぼできないことが確定。近場でサクッと2か所だけ連れていってもらった。

マリーナ・ビーチ

マリーナビーチ1

まずは、チェンナイっ子たちの憩いの場と地球の歩き方で紹介されているマリーナ・ビーチへ。

真夏の午後の一番暑い時間帯に訪れてしまったため、気温は40度近くという灼熱砂浜地獄であった。

この灼熱ビーチで憩う人なんているのかと思ったが、きゃぴきゃぴと楽しむ人たちがいた。

服を着たまま海水浴を楽しむインド人ファミリー。

今となってはこれについて何も思うことはないが、当時はちょっぴり衝撃的だったよ。

水着は着ないの?」「海水に濡れた服を着たまま家に帰るの?」等々。

マリーナビーチ2
マリーナビーチでわいわい楽しむインド人ファミリー

特にやることもなく帰ろうと思ったとき、写真を撮影してその場で印刷してくれるお兄さんに声をかけられ、友人がのりのりで対応。

ポージング指導あり。

マリーナビーチでたくさん写真を撮ってもらう友人
マリーナビーチでたくさん写真を撮ってもらう友人

写真は1枚30ルピー、ポータブルプリンターを使ってその場で印刷してくれる。友人は口車に乗せられて20枚くらい買っていたぞw

こういうカメラマンは観光地によくいるが、安いし面白いので旅の思い出によいよね。さすがに20枚はいらないが😂

写真をその場で印刷
ポータブルプリンターで印刷中

サン・トメ聖堂

サントメ聖堂

次に訪れたのは、ローマカトリックの教会、サン・トメ聖堂

見た目はまるでお城のようである。

この地に布教に訪れたキリスト12使徒(イエス・キリストの弟子たち)のひとり、聖トマスはここインドで殉職したと言われており、彼のお墓がここにあるとして、16世紀にポルトガル人が教会を建て、19世紀にイギリス人が現在の教会を建て直したもの。

キリスト教の弟子たちを祀る教会は世界で3か所だけで、この教会はそのひとつ。

ザビエルやローマ教皇ヨハネパウロ2世も訪れた、キリスト教の聖地であるとドライバーさんが教えてくれた。

サリーをきた母子像が「インド感あふれている!!」と感じたのを覚えている。

サントメ聖堂の母子像
サリーを身に付けた母子像

これにてチェンナイ観光は終了!

本当はもっとあちこち観光したかったが、こればかりは仕方がない。自分が悪い。

時間も限られているので、日が暮れる前に宿へ。

ホテルにチェックイン

Vivanta by Taj Fisherman’s Cove

チェンナイ南部のKovalamというエリアにはリゾートホテルがたくさんある。

それまでインドでは安宿にしか泊まったことがなかったので少々背伸びをしたい気持ち&サーフショップがすぐ近くにあるというロケーションの良さから、Vivanta by Taj Fisherman’s Coveに宿泊。

(現在のホテル名はTaj Fisherman's Cove Resort & Spa Chennai

Vivanta by Taj Fisherman’s Coveの部屋
ホテルの部屋
Vivanta by Taj Fisherman’s Coveの部屋からの眺め
部屋からの眺め

サーフィン

ホテルにチェックインして少し休憩した後、ホテルの真向かいにあるサーフショップ「Ocean Delight Surf School」へ。

▼サーフショップの場所

ファンボードを2時間500ルピーでレンタルし、インドで初めてのサーフィン!

波は小さめだったが、ファンボードだったので問題なく楽しめたよ。

私は板だけレンタルしたが、お店の名前に「School」とある通りレッスンもやってくれる。この日もヨーロッパ人女性がレッスンを受けていた。

レンタル代は2016年当時の料金。現在は変更となっている可能性あり)

ホテル周辺のビーチ

夕食

夜はホテルの屋外レストランにてシーフード料理を堪能🐟💕

夜ご飯

👆当時iPhone6で撮影したものであるが、暗くて全然見えない問題。

キャンドルが唯一の光なので、当時のスマホカメラではこれが限界だっった模様。そりゃ~そうだよね、もう5年も前なんだもんね… 携帯のカメラの進化はすごいなぁ。

写真によると、この日はロブスターとシーフードパスタと、パラタ、あとは何かのカレーを食べたらしい。

夜のプール

食後は外を少しお散歩。

夜のプールの写真も撮影していたが、これまた映え度ゼロであるw

当時のスマホは夜に弱かったね…

2日目に続く

寝坊という自業自得のトラブルに見舞われたものの、1日目はエンジョイ~!

2日目に続きます!!!

▼2日目の旅行記はこちら www.chankome.com



インド旅行記#001
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インドで「2代目おがさわら丸」に乗った話。Angriya Cruise ゴア→ムンバイ乗船記(前編)

タイトル画像(インドで「2代目おがさわら丸」に出会う。Angriya Cruise ゴア→ムンバイ乗船記(前編))

ナマステ、インドのムンバイ在住(現在一時帰国中)のKome(@chankomeppy)です。

2019年4月にゴアへ旅行した際、ゴアからムンバイまで船で移動したところ、なんとおがさわら丸でした~!

いつか記事にしようと思ってずっと放置していたのですが、時間ができたのでまとめます。

前編(この記事)ではゴアの簡単な紹介とゴアームンバイ間の移動方法、乗船の経緯、チケット予約について、後編で船内の様子について詳しくまとめます。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:ムンバイとゴアについて

はじめに、インドについてあまりご存じない方のために、クルーズ客船の出発地・目的地であるムンバイとゴアについて簡単にご説明。

ムンバイはインドの経済の中心地で、インド中央銀行や金融商品等の取引所がある大都市。多くの大企業が本社を構え、映画産業(ボリウッド映画)の中心地でもある。

富裕層や大企業努めの人も多く、余暇に旅行する余裕がある人も多い(それ以上に最低限のぎりぎりの生活、またはそれ以下の生活を強いられている人も多いのだが…)

ゴアは旧ポルトガル植民地で、かつては「ヒッピーの聖地」とも言われた場所。インド有数の観光地であり、インド国内からはもちろん、海外からも多くの旅行者が訪れる。

インド有数の観光地ゴア

なぜゴアが観光地として人気なのかというと、旅行者にとって魅力的な要素が満載だからだ。

第一に、ゴア州では酒税がかからないため、お酒が激安で、酒飲みにとってはパラダイスである。パリピの若者たち、卒業旅行の学生たち、呑兵衛のオッサンたち、等々… 酒を浴びたい大人たちがゴアに集まる。

ゴアのお酒
(左)飲み屋さんのメニュー表。特にビールが安い。
(中)海を見ながらお酒を楽しめる。
(右)現在は生産停止しているゴアの地ビール「KINGS」

誰が言い出したのかは不明だが、スペインのイビザ島、タイのパンガン島と並んで「世界三大レイブ・パリピ聖地」にも数えられており、パリピが多く集うゴア北部のビーチ沿いのクラブは明け方まで大賑わい。

特に、年末に開催されるSunburn Festivalにはインド中からパリピが集結し、最大の盛り上がりを見せる。(Sunburn Festivalは2007年から開催されているインドのトランス・EDMのフェスで、世界的に超有名なDJを毎回招いている)

▼Sunburn Festival 2019 (Martin Garrix)

第二に、インドでは宗教的に食事に制約がある人が多いが、ゴアにはキリスト教徒が多く、お肉料理のバリエーションが豊富だ。牛肉、豚肉、鶏肉、山羊肉(マトン)、なんでもある。

また、海に面しているためシーフードも新鮮でおいしい。ゴアの郷土料理はポルトガル料理とインド料理が融合した印洋折衷のスタイルなので、外国人にとっても受け入れやすいものが多い。

ゴアのシーフードとビーフ
(左)新鮮なシーフードを堪能できる。
(右)ビーフステーキもあるよ(※インドでは宗教的な観点から牛肉を食べない地域が多い)

第三に、インドには海水浴場と呼べるような場所が非常に少ないが、ゴアのビーチは日本人がイメージする海水浴場に近い。

マリンスポーツを楽しんだり、砂浜やビーチ沿いの海の家的なレストランでのんびりしたりすることができて、ライフガードのお兄さんたちもいるので安心だ。海の水質は綺麗とは言い難いが、汚いわけでもない。(個人的には湘南の海と同じくらいの水質)

ゴア南部のビーチ
ゴア南部のビーチはのんびりとした雰囲気で外国人や家族連れが多い。

第四に、ゴアにはポルトガル植民地時代の建物も数多く残っており、オールドゴアの教会群は世界遺産に登録されている。

植民地時代に建てられた洋風の建物(ポルトガルマンション)が連なるその町並みは異国感たっぷりで、ホテルやレストランに改装されているところも多いので歴史を感じながらゴアに滞在することができる。

ゴアに残るポルトガル植民地時代の建築
(左)世界遺産のボン・ジェズ教会
(右)コロニアルな街並み

最後に、ゴアは古くから世界中の旅行者を受け入れてきたので、宿のタイプは安宿から高級宿まで、ドミトリー、ホテル、ヴィラ、別荘等々… 選択肢が豊富で、自分のレベルに合わせた滞在ができる。

ゴアを一言で表すならば、まさに「インドの楽園」🥰🍻😇💓🐟🍖✨

ゴアとムンバイは距離が近いので移動手段にいくつかの選択肢があり、飛行機だけではなく、鉄道やバス、自家用車で訪れることもできる。

そのため、ムンバイ在住者にとっては「」がつくほど定番の国内旅行先だ。

ムンバイ-ゴア間の色々な移動方法

ムンバイとゴアの位置関係

ムンバイ-ゴア間の距離は約580km、東京-神戸間の距離と同じくらい。

空路:飛行機

飛行機の場合、片道1時間弱で、航空券は片道2000ルピー代(≒3500円)から。直前になると運賃は片道1万ルピー(≒1万5000円)近くまで高騰する。

利用者層は主に富裕層~アッパーミドル。

Jet Airways(ジェットエアウェイズ)の機体
今はなきJet Airways(経営破綻した)。FSCからLCCまで、多くのキャリアがムンバイ-ゴア間を朝から真夜中まで運航している。便数はかなり多い。

陸路:鉄道

鉄道の場合、最上位クラスの特急列車Tejas Expressを利用すると、所要時間は約8時間、片道運賃はエグゼクティブクラスが約2500ルピー(≒4000円)、一般クラスが約1300ルピー(≒2000円)

利用者層はアッパーミドルのファミリー(子連れ)が多い。

Tejas Expressのエグゼクティブクラス車両
Tejas Expressのエグゼクティブクラス車両。写真の中の乗客はたまたまオジサン1名だけだが、本当はもっとファミリー(子連れ)が多いのよ…!!

Tejas Express以外にも多くの列車がムンバイ-ゴア間を走っている。寝台列車が人気で、所要時間は10~12時間程度。運賃は2等寝台が約1300ルピー(≒2000円)、3等寝台が1000ルピー弱(≒1500円)。ハイシーズンだと予約開始直後にすぐに満席となり、キャンセル待ちとなる。

利用者層は若者やミドル層が中心。

ムンバイ-ゴア間の夜行列車:title
ムンバイ発ゴア行き夜行列車3等寝台(Mao Ganpati Express)。寝台列車はそこまで大きな遅延がないのも人気のポイント。

陸路:バス

個人的にはあまりオススメできないが。寝台バスという手段もある。

道路状況が悪いことに加えて途中に山道があるため、所要時間は13~15時間、場合によってはもっとかかることもあり到着時間は全然当てにならない。道路の凸凹の衝撃をモロに受けるために揺れも激しく、タイヤの真上席の場合、お尻と腰へのダメージもある。

運賃は1000ルピー弱(≒1500円)で、夜行列車の3等寝台とほとんど変わらない。同じ金額を支払うなら寝台列車の方がいいに決まっているので、寝台バスはあまり人気がなく、直前でも予約可能だ。寝台列車の予約が取れず、やむなく利用したことが一度だけあるが、私はもう二度と使いたくない。

利用者層はミドル層~ロウアーミドルが多い。エアコンがついていないバスの場合は、運賃はもっと安く、利用者層ももっと低くなる。

ムンバイ-ゴア間の夜行バス
寝台バスはフラットシートで寝転がることができるが振動がお尻や腰を直撃する。タイヤの真上の席だとかなり辛い。また、バスによってシートの清潔さに当たりはずれがあり、臭かったり埃っぽかったりすることもある。

海路:クルーズ客船

前置きが長くなったが、ここからがようやく本題。

2018年秋、「インドで初めての国内クルーズ客船」として、Angriya Cruise(アングリヤクルーズ)がムンバイ-ゴア間でクルーズ客船の運航を開始した。

午後にムンバイ又はゴアを出航して翌日の午前に目的地(ゴア又はムンバイ)に到着するというスケジュール(所要時間14時間)で、ルートはムンバイ⇔ゴアのみ。

クルーズ客船というと、長期間(最低でも数日間)の船旅で、最終目的地に到着するまでにいくつかの港に立ち寄るようなイメージがある。そのため、これはフェリーではないのか?と個人的には感じたのだが、きっと何かしらのエンターテイメント設備が備わっていて、単なる移動手段ではないのだろう。運航会社がクルーズ客船と言っているのだから、フェリーではなくクルーズ客船なのだ。

それに、私にとっては、クルーズ客船であろうとフェリーであろうと、別にどちらでも構わない。

私にとってのポイントは、ムンバイーゴア間の移動手段に、海路という新たなオプションが加わったことだ。

私は謎のオタク精神により「ムンバイ-ゴア間の移動を陸・空・海、全て制覇したい」という思いに駆られ、次にゴアへ旅行するときは必ずこの船に乗ろうと決めた。

そして2019年4月、ゴアへ旅行する際、ゴア→ムンバイの移動にクルーズ客船を利用することに。

ようやくその機会がやってきたよ~ ウェイウェイ!

クルーズ客船の予約

予約は、Angriya Cruiseの公式サイトから直接行った。

客室タイプ

客室タイプはいろいろある。

カップルルーム(2人用)、ファミリールーム(4人用)、バディールーム(2人用)、ラグジュアリーポッド(1人用又は2人用)、ドミトリー(1人用)。

Angriya Cruiseの客室タイプ
出典:Angriya Cruise公式サイトより

個室で最もリーズナブルなのはバディールームで一室1万5400ルピー、当時のレートで約2万5000円。

これは私の予算をかなりオーバーする。2万5000円もあればムンバイから海外に行けてしまう。中東やスリランカといった近隣の国々への往復航空券が買えてしまうくらいに高いので迷う暇もなく却下。

一人旅の私にぴったりな客室タイプは「ラグジュアリーポッド」だ。

写真を見るとカプセルホテルのような感じ。予約時はこの船がかつて「おがさわら丸」であったなんて想像もしなかったため、インドのクルーズ客船に日本風の客室(カプセルホテル風のベッド+和室感漂う扉)があるだなんて不思議だなぁと感じたのを覚えている。

Angriya Cruiseの客室タイプ(Luxury pods)

説明文にはこう書いてある。

Angriyaはインドで初めて高級志向のポッドを導入しました。お客様に最大のプライバシーを与えることを目指し、最高の体験を提供いたします。このタイプの客室は数に限りがあります。一人旅やカップルでのご利用に最適です。
ベッドサイズ:シングル、またはキング
利用人数:1人、または2人
運賃:おひとり様6650ルピー(≒1万円ちょい)

予約を進めようとすると、支払い金額が1万3300ルピー(約2万2000円)と表示された。

どうやらシングルベッドのラグジュアリーポッドが満室で、2人用のキングサイズのベッドしか空いていないらしい。キングサイズのベッドを使用するためには利用者が1人だとしても2名分の料金が必要で1万3300ルピーかかってしまうとのこと。

インド人にとってはこのカプセルホテル風のベッドは新しいタイプの最先端でラグジュアリーなベッドに見えるのかもしれないが、日本人の私にとってはカプセルホテルのベッドにしか見えず、2万円も支払う価値を見出すことができない。

・・・となると、残された選択肢はこれだけ。

Angriya Cruiseの客室タイプ(Bunk beds)

このベッドは、現在は団体予約しかできないようなのだが、2019年4月の時点では「ドミトリー」扱いで2段ベッドの1つだけを予約することができた。

ドミトリーの2段ベッドだなんて、やっぱりどう考えてもフェリー、しかもただよう2等寝台感、、、

・・・と、改めて思うも、思い出せ私。目的は船を楽しむことではなく「陸・空・海」を制覇することなのだ。クルーズ客船でもフェリーでもどちらでもいいのだ。

というわけで、6300ルピー、約1万円で予約完了。運賃もフェリーの2等寝台の料金みたいだ。

予約後すぐに、予約確定メールとEチケットが届いた。

Angriya CruiseのEチケット

運賃の内訳をみると、ベッド代が4300ルピー、船内での食事代が2000ルピー、合計で6300ルピーとなっている。

食事は夕食と朝食の2食付き。どんな食事がでるのかな、ゴアの食材を生かした食事が提供されることを期待。

ゴア旅行

そんなこんなで、ゴア旅行。ゴア南部のパロレムビーチ(Palolem Beach)で数日間の滞在を楽しむ。

ビーチハッツ(ゴア南部のビーチに多くある浜辺のコテージ)に泊まって、
ゴアのビーチハッツ(Goan Beach Huts)

海辺でゴロゴロしたり
ゴアのパロレムビーチ

ヨガしたり、
ゴアのパロレムビーチにあるヨガスタジオ

アーユルヴェーダスタイルのマッサージ受けたり、
ゴアのパロレムビーチにあるアーユルヴェーダのマッサージ店

カフェでまったりしたり、
ゴアのパロレムビーチにあるカフェ

うろうろ散歩したり、
ゴアのパロレムビーチ周辺の土産屋

インド飯食べたり、
ゴアパロレムビーチ滞在時に食べたインド料理

ゴアはいつ来ても楽しいね。

クルーズ客船乗り場へ!

そして、いよいよムンバイに帰る日。

いつもは、旅行から(特にゴアのようにダラダラできるところから)ムンバイに帰るのは現実に引き戻されるのが辛くて、少し憂鬱な気持ちになるのだが、この時だけは違った。

ついに船に乗るよ~~~!

船で、海からムンバイに帰るよ~~~!

インド旅行では、ケララでハウスボートに乗って以来の船、そして初めての海路だ。

クルーズ船乗り場までは路線バスとリキシャ―で😂
ゴアのパロレムビーチからマルガオンまでの路線バス

そして出航ターミナルに到着!
Angriya Cruiseの乗り場

乗船手続きや船内の様子については次回!

後半につづきます。


【インド旅行】ホテルを事前に予約をしたのに泊まれない問題と対処策(体験談まとめ)

タイトル画像(【インド旅行】ホテルを事前に予約をしたのに泊まれない問題(体験談まとめ))

ナマステ、インド在住(現在一時帰国中)のKome(@chankomeppy)です。

私はインド旅行が大好きなので、最低でも月イチでどこかに旅行していた(早くインドに戻ってまた旅行したい)

高級ホテルに泊まればトラブルはほとんどないのだろうが、私が主に利用するのはインドの3つ星ホテル(価格帯は地域にもよるがだいたい1泊2000ルピー~3000ルピー)。この価格帯の宿は、シンプルで水回りやシーツは清潔、部屋の掃除も行き届いていて快適に過ごせるのだが、トラブルに遭遇することもある。

例えば、予約して代金も支払っているのに、いざ宿に着いてみたら予約がないとか言われて泊まれなかった!

予約したのに泊まれない問題。これは結構あるあるなのではないだろうか。

事前に予約しているのに、宿泊代金をすでにオンラインで支払い済みなのに、泊まることができず、宿で返金してもらうこともできない。私はここ1~2年で予約した宿に泊まれない事件に4回遭遇した。全部返金してもらえたので金銭的なダメージはなかったが、大事な旅行の時間を無駄にしてしまった。

泊まれない理由もいろいろあって面白いので、その体験談をまとめたいと思います😂

この記事はこんな人にオススメ
  1. インド旅行者

▼ 目次はこちら

① 外国人お断り(2018年9月 チャンディガール)

2018年9月、チャンディガールへ旅行した。チャンディガールとは北インドにある連邦直轄領で、ル・コルビュジエとその弟子がデザインした計画都市。2017年にル・コルビュジェの建造物が世界遺産に登録されたことによって観光客が増えたものの、外国人観光客は少ない。

チャンディガールの地図
チャンディガールはこの地図におさまるほどの小さな町。町が整然としているのが地図からも分かるでしょう!(2018年9月撮影)

この時に予約したのが、OYOホテル (1) 。今となっては悪名高き(?) OYOだが、この当時はそこまでネガティブな印象を抱いていておらず、可もなく不可もなくといったところ。コーポレートカラー(赤)の主張が強すぎるなぁくらいにしか思っていなかった。

1:OYO(オヨ)とは、インドの若いお兄さんが牛耳るホテルグループ。個人が営む小さめの宿泊施設を中心にフランチャイズ契約を結びまくり、わずか数年でマリオットに次いで世界で2番目に「客室数」が多いホテルグループとなった。提携ホテルは、OYOの赤い看板、赤いクッションカバー、赤いベッドスロー、アメニティを使い、従業員も赤いポロシャツを着ているのが特徴。AIを駆使しており、ホテルチェーンというよりはテクノロジーカンパニーで、最近は迷走気味。

OYOホテルというだけで3つ星ホテル扱いとなるのだが、モーテルみたいなところから3つ星以上のクオリティの宿まで様々。

2019年に日本にも進出して一時話題となったが、日本市場をよく理解しないまま勢いで突っ込んでいった結果、うまくいっていないご様子。

そんなOYOと提携している宿に着き、チェックインの手続きをするためにフロントでパスポートを提出すると、私のパスポートを見たフロントのお兄さんが「マーム、少々お待ちを」と言って奥の方に消えていく。すると、宿のオーナーのおじいちゃんが奥から出てきて、残念そうに私にこう告げた。

外国人を泊めることができないんです。

学生時代を含め、どんな安宿でも外国人だからということで断られたことはない。「さては私を騙そうとしているのでは?」と疑うも、おじいちゃんは「インド人しか泊められない」「申し訳ない」「何とかするからちょっと待って」と、問題解決に協力的な姿勢を見せる。

私が宿を予約したのは、「MakeMyTrip(メイクマイトリップ)」というインド版エクスペディアとも言える大手オンライン旅行代理店のアプリ。ブッキングドットコムやエクスペディアなんかと違って、メイクマイトリップのユーザーはほとんどがインド人。そのため宿側は外国人の予約を想定しておらず、私の予約も「インド人」のものだと思い込んでいたそうだ。「外国人の予約だと認識していたら宿からキャンセルの連絡を入れたのに」と言われたが、認識してもらえなかったのでどうしようもない。

「私、アダールカード (2) を持っているので、インド人扱いにしてもらえませんか?」とお願いするも、「バレたらやばいから…」ということで取り合ってもらえなかった。真面目か ('ω')ノ

2:アダールカード(Aadhaar card)とは、インド国民の識別番号を示したカードのこと。社会保障番号的なものに指紋・虹彩・顔写真が関連付けられており、顔写真付きの身分証明書として使うことができる。外国人も申請すれば登録可能だが、登録している外国人は少なく、外国人が登録できるということを知らない人も多い。そのため、アダールを持っている人=インド人というイメージが強め。

日本のニュースではなぜか「アドハー」と言われており、非常に謎。

おじいちゃんはOYOの地域統括担当者に連絡して近隣のOYO系列の宿の空室を確認し、追加料金なしで他のOYOホテルに泊まれるように手配してくれた。おじいちゃんの落ち着き具合や対応に慣れている様子から、外国人がやって来てしまったのはこれが初めてではなさそうだ。

外国人がインドの宿に泊まる場合、宿側は「Form C」を国に提出しなければいけない。宿泊する外国人の名前や母国の住所、電話番号、どこから来たか、次の目的地はどこか、滞在予定日数などの細かな情報に加え、顔写真とIDのコピーをオンラインでアップロードして手続きをする。オンライン提出の設備が整っていないから外国人を泊められないのだろうか?それとも他に何か理由があるのだろうか?おじいちゃんによると、OYOでは外国人が泊まれない宿は珍しくないとのこと。私がこれまでOYOで難なく宿泊できていたのは、もしかしたらラッキーだったのかもしれない。

外国人を泊めることができない理由は結局最後までよく分からなかったが、「こんなこともあるんだな」くらいに軽く受け流すことにした。今回はきっと運が悪かっただけ、きっとそうだ!次からはOYOを使わないように気をつければいいだけの話である。

教訓①

OYOは外国人不可のところがあるので避けるべし。

② 外国人お断り(2019年6月 プネ)

2019年6月末、週末を使って電車でプネに遊びに行った。プネは西インドにあるインド有数の学術都市。ムガル帝国がブイブイ言わせていた時代に、ムガル帝国に対抗する一大勢力であったマラーター王国の本拠地として栄えた場所でもあり、ガネーシャ祭り発祥の地でもある。

プネジャンクション駅
プネ・ジャンクション駅にて(2019年6月撮影)

ムンバイから電車で3~4時間で行ける距離にあるので、週末にサクっと旅行するのにぴったり。土曜日の午前中、ムンバイから電車に乗り、お昼過ぎにはプネに到着。予約していたそこそこ綺麗なローカル3つ星ホテル(OYOではない)に行くと、フロントでこう告げられた。

マーム、あいにくうちは外国人は泊まれません

なにーーーー!こんなに綺麗なのに、いかにも外国人泊まれそうなかんじなのに、ダメなのー?!

これは前回のチャンディガールのときと同じパターン。

しかし一つ違うことが。ここはOYOなどのフランチャイズ提携ホテルではなく、個人経営のホテル。前回のOYOのように、近隣で空室があるホテルを手配してもらうことはできない(=自分で手配する必要がある)。

また、すでにオンラインで支払い済みの宿代に関しても「宿代はメイクマイトリップに支払われており、まだ我々の手元には届いていません。ですから、ここでキャッシュで返金することはできません」とのこと。まぁ言ってることは分かるけど、悔しい。

「メイクマイトリップのカスタマーサポートに連絡したらどうですか。」と言うのでその場で連絡。どうですかじゃなくて、フロントの人が電話してくれればよくない?「俺らは関係ない」「面倒なことには巻き込まれたくない」「外国人なのに予約したお前が悪い」という感じが伝わってくる。前回のおじいちゃんの対応とは天と地の差。

オペレーターに「宿の説明文ちゃんと読みましたか?外国人が泊まれないなら【Only Indian nationals are allowed】と明記されていますから」と言われドキッとする私。そんな項目があるだなんて知らなかった。前からあったっけ?というか、外国人が泊まれないなら「あなたはこの宿に泊まれません」的なエラーメッセ―ジが予約前に出るようにしてほしいんだが。ユーザーはインド人を想定しているからそういうニーズがほとんどないのは理解しているけど。

オペレーターに確認してもらうと、説明文には何も明記されておらず、宿のスタッフと直接話がしたいということで電話をかわる。話がついたようで、すでに支払い済みの宿代はメイクマイトリップから無事返金されることになった。

近くで空室がある宿を自分で手配し直して一件落着したものの、2時間くらい観光の時間をつぶす羽目になってしまった。

▼ちなみに、外国人不可の場合、メイクマイトリップのアプリではこんな風に表記される。

メイクマイトリップの説明文①

▼外国人OKの場合

メイクマイトリップの説明文②

▼ほかに、未婚のカップルも注意が必要。

メイクマイトリップの説明文③
メイクマイトリップの説明文④

外国人の宿泊可否に関して、なぜ「Guest Profile」ではなく「Society Rules」の欄に書かれているのかが不明。ゲスト欄に書いてくれないと見逃すリスクが高まるのではないか。

教訓②

個人経営も外国人不可のところがある。

予約前に宿の説明文は熟読すべし。

③ OYOグループから脱退した(2019年8月 デリー)

2019年8月の3連休、ふと思い立ってデリーに遊びに行くことにした。デリーはインドの首都で、知らない人はいないと思うので説明は割愛。

行きたいところがたくさんあったので、旅行1日目の朝から動けるように早朝のフライトを取ろうと思ったが、私は朝が弱い。寝坊したら元も子もないので、前日の夜に仕事が終わってからデリーへ向かうことにした。デリー到着後はできるだけ早く寝れるように空港近くの宿(外国人OKと明記されているOYO)に泊まり、翌朝に南デリーの宿に移動する予定でいた。宿の予約はぎりぎりになってしまい、出発前日に押さえた。

飛行機がディレイすることになり、出発ゲートはカオスに。

デリー行きの飛行機が遅延してカオス
ムンバイ空港の出発ゲートでは「おいどーなってんだよ?」「飛行機何時になったら飛ぶんだ?」と乗客が職員の周りに集まってカオス(2019年8月撮影)

予定よりも3時間ほど遅れ、デリーに到着した時には夜中の1時をまわっていた。

タクシーで宿の近辺に着くも、なかなか宿を見つけられない。住所が示す場所にOYOホテルがないのだ。タクシーを降りて周辺をぐるぐる歩いていると、私が予約したOYOホテルと思しき宿を発見。その宿はOYOホテル特有の赤い看板を掲げていなかったが、ホテル名は一致しているので、ここで間違いない (3)。

3:OYOと提携しているホテルは、「OYO」+「管理番号」+「各ホテルの元々の名前」という名前になる。例えば、OYO 123456 Hotel ABC、OYO 898989 India Royal Hotelという感じ。

▼OYOホテルは普通、こういう赤い看板をドーンと掲げているので目立つが、この宿には掲げられていなかった。
OYOホテル

フロントでメイクマイトリップの予約画面を見せてチェックインの手続きをしようとすると、フロントのお兄さんにこう告げられた。

マーム、あいにく僕たちはもうOYOホテルじゃないんです。1週間前にOYOとの契約を解除したので、OYOホテルとしての予約は受け付けていません。

言っている意味がわからない。私は出発前日にメイクマイトリップで予約をした。1週間前にOYOと契約解除したのに、なぜ出発前日にメイクマイトリップでOYOホテルとして予約できたのか。

「いや~、それはメイクマイトリップ側のエラーじゃないですか?僕たちにはわかりません🤷🏻‍♂️」

確かにOYOの看板はないし、フロント周辺にOYOアイテムが一切なく、フロントのお兄さんもOYOのポロシャツを着ていない。OYOホテルではない雰囲気が漂っている。

「空室はあるので、部屋代を払ってもらえれば、今すぐにお部屋で寝ていただいて構いません」という。私の予約は「OYOホテル」としての予約なので、すでに支払い済みの宿泊代金はOYOに振り込まれてしまい、このホテルには一銭も入ってこないため、宿泊するなら払い直す必要がある。こんなことになるなら空港のホリデーインに泊まるべきだったと後悔しながらも、この宿に泊まることに。

翌朝メイクマイトリップにのカスタマーサポートに電話して事情を話す。オペレーターも困惑しているご様子。宿の人と直接話したいというのでフロントのお兄さんに電話をかわると、ヒンディー語で「もうOYOではない」的なことを熱弁している。

オペレーターと再度話すと「返金できる」とのことで、結局詳細は分からないまま支払い済みの宿代は無事返金された。

チェックアウト時、宿のオーナーが出てきて、OYOの悪口を聞かせられた。オーナーによると、OYOの人工知能による価格設定やコミッションが不満だったとのこと。AIは便利だけど信頼できず、これまでに培った自分自身の経験のほうが信頼できるので、この度OYOとの提携を解除し、彼が保有する何軒かのホテルを小さなホテルグループとして運営していくのだそうだ。

OYOが出てきた当初は、個人経営のホテルオーナーはみんなOYOに飛びついたそうだ。こんな魅力的な契約があるのかと。しかし数年経った今、OYOとの提携を解除するホテルも増えてきているという。

旅行後に、メイクマイトリップでこの宿を検索してみたところ、OYOホテルではなく一般のホテルとして登録されていた。私はものすごい悪いタイミングでこの宿を予約してしまったようだね。いとアンラッキー。

教訓③

OYOホテルは避けるべし。

④【詐欺?】オンライン予約をやめた(2019年9月 ラクナウ)

2019年9月、旅行でラクナウを訪れた。ラクナウは北インドのウッタル・プラデーシュ州の州都で、ムガル帝国時代にアワド太守がおさめていた地域。ゴリゴリのムスリム都市で、インドでは珍しいシーア派の建物が残っている。ファブリック好きにはチカン刺繍で有名な街だ。

スケジュールの都合上、いい時間帯に飛行機がなく、夜遅くの便でラクナウに向かう。

ラクナウ行き飛行機に搭乗する旅客
搭乗時間になっても「搭乗開始」のアナウンスがないのでソワソワして出発ゲート付近に集まり出す人多数。(2019年9月撮影)

ラクナウに到着したのは2時過ぎ。ムンバイからだと結構遠いのよ。

空港からタクシーで宿に向かおうとするも、まずここでひと悶着。Uberで車を予約したのだがドライバーが空港からものすごい遠いところにいて、しかも電話にも出ず、キャンセル。

他にUberの車が走っていないようなのでOla(インド版Uber)で予約し直す。地方都市はUberよりもOlaの方が使っている人が多い傾向があるように個人的には思う。Olaの車はすぐにやって来たのでドライバーにOTP(One Time Password)を伝える(Olaは乗客がOTPを伝えないと乗車を開始できない)。するとドライバーが「支払い方法はオラマネー(電子マネー)か現金か」と聞いてきた。オラマネーだと答えるとなにやらヒンディー語(ウルドゥー語)でワーワー言いだす。残念ながら私のヒンディー語能力では聞き取ることはできず、ドライバーも全く英語を喋ることはできない。早くホテルに行ってくれと頼むも、ドライバーは私を後部座席に乗せたままどこかに消えた。

約10分後、ドライバーは英語が少し話せる人をどこからか連れてきた。彼によると、ドライバーは現金を一切持っていないため、現金で支払いをしてくれないと困るという。Olaのアプリによると空港からホテルまでの推定運賃が300ルピー弱。早くホテルで寝たいので、300ルピー現金で支払うから早くホテルに連れて行ってくれ、ということで話がつく。すると、その英語が少し話せる人が、俺の車なら250ルピーでいいぜ!さぁ乗ってけ!とか言い出す。ヒンディー語しか話せないドライバーも、ぼくは英語を話せないから、彼にお願いした方がいいとか言う。あぁ、そうですか、じゃあお願いします。白タクなので何かあったときのために一応車とドライバーの写真を撮って乗車。

そんなこんなでタイムロスしたが、夜中の3時過ぎにやっと宿に到着。ようやく寝れるぞ~と思うも、衝撃の一言。

もうオンライン予約をやめたので、あなたを泊めることはできません。

はい~???

このご時世に、電話と来店だけでやっていこうというんですか?

いやいや、話はそこではない。私はブッキングドットコムで予約し、すでに宿代も支払い済みなのだ。オンライン予約をやめたなら、なぜブッキングドットコムにお宅の宿の情報が表示されるんですか!なぜブッキングドットコムでお宅の宿が予約できるんですか!(このときは訳あってメイクマイトリップではなくブッキングドットコムで予約)

ブッキングドットコムのインドカスタマーサポートに連絡するも通じない。チーン・・・

早く寝たいので、ブッキングドットコムには明日クレームするとして、今ここで部屋を取るとしたらいくらなのかと聞くとブッキングドットコムで予約した宿代の2倍!足元みやがって!絶対に支払いたくない。

やむなく、隣のホテルに泊まることにした。この当時、宿のトラブルが相次いでいたので、プランB、プランCになり得るホテルが近隣にあるかを事前に確認していたのだ。そのおかげでスムーズに寝床を確保することに成功。

さ~て寝るぞ!と思ったら一通のSMSが届いた。何かと思って見てみると、Olaからの支払いの連絡。あれ?私、Olaに乗ってないよ?白タクで来たよ?

あーーーーー!OlaのドライバーにOTPを伝えたまま(乗車開始)、乗車をキャンセルせずに白タクに乗ってしまった!

Olaのドライバーはそのまま遠いところまで走り続けたらしく、オラマネーが1000ルピー分引かれていた。乗ってないのにね。

空港の近くで待機して、OTPを聞いて乗車をスタートさせ、他の車に乗せて現金で支払わせ、自分は適度に遠くまで乗車を終了させれば高額ゲット。支払い方法はオラマネーだからオンラインで支払われるしね。そういう手口なのかな。ムンバイに住んでいると平和ボケする…

乗車終了地点は旅行者が絶対に行くことのないような場所なので、オペレーターを納得させられる自信があり、すぐに返金クレームの電話をした。オペレーターによると、ドライバーに確認する必要があるとのことで、折り返し連絡をくれるとのこと。いざというときのために撮影しておいた白タク(Olaドライバーのグル)の写真も役に立つかもしれないので、メールでも送付

翌朝、ブッキングドットコムに再度連絡。昨晩繋がらなかった!と文句を言うと、インドのカスタマーサポートは24時間対応ではないらしい。メイクマイトリップは24時間通じるんだけどな…。私が問題の宿にもういないため、ブッキングドットコムから宿に直接連絡して調査するとのことで、その後はメールでやり取りをした。

Olaについては、数日後にオラマネーが無事返金された。悪いことしてもバレるんだからね~!

ホテルについては、ブッキングドットコムから宿に連絡しても全然繋がらず、2週間たっても連絡がつかない状況が続いた。宿側は完全にだんまりを決め込んだようである。「これ以上お客様をおまたせするわけに行きませんので無料キャンセルの手続きをいたしました。」とのことで、無事全額返金され、これに加えて「ご迷惑をおかけしました」ということで、予約代金の10%分がクーポンとして発行された。

めでたしめでたし?

教訓④

悪いやつはどこにでもいるが、ちゃんとした会社を通して予約すれば返金される。

インドの3つ星ホテルは、3つ星ホテルではない。

インドの3つ星ホテルは、モーテルのような「The★安宿」というところから、日本のビジネスホテル感覚で使えるようなところ(一般的な日本人にとって全く抵抗がない)まで、非常に差が激しい。

▼どちらも3つ星ホテルだなんて信じられるだろうか。

ジンジャーホテル
ジンジャーホテルグルガオン

OYOホテル
OYOホテルグルガオン

この二つが同じ「3つ星」に分類されてしまうだなんて、私は信じられない!インドでバジェットホテルを探すときは、予約サイトの星の数で選んでもあまりあてにならない。予約サイトが星の数を決めているのかと思いきや、Ministry of Tourismが決めているようだ。なおさら信用ならない。

もともとインドのホテルは「豪華」と「安宿」の二極で、その中間がすっぽりと抜けていた

それがここ20年で変化。幅広い層がインド国内を旅行するようになり、バジェットホテルへのニーズも高まる。2004年にインド最大財閥のタタグループのタージホテル(IHCL)がジンジャーホテルを開業し、それ以降じわじわと増え続け、2010年過ぎに市場がドカーンと爆発したようなイメージがある。

Ginger Hotel(ジンジャーホテル)はタージ系列ということで安心だし、日本のビジネスホテルと比べても遜色ないレベルだと個人的には思う。

Clarks Inn(クラークスイン)も宿泊したことがあるが、シンプルで清潔でとても快適だった。

バンガロール発のbloom rooms(ブルームルームズ)は内・外観ともにスタイリッシュ。若者に受け入れられている。

フランチャイズだとTreebo(トゥリーボ)がもっとも管理が行き届いているように思う。個人的な信頼度は、①Treebo>②Fab Hotel>③OYO。

上記のようなホテルチェーンでは、トラブルに遭遇したことは一度もない。

個人経営の小さなホテルだと、私がプネの宿で経験したように「外国人お断り」の可能性がある。OYOだと、明らかに「安宿」なのに「3つ星」ぶっていたり、その他もろもろ様々な問題が起きる可能性がある(あまりにもザックリ過ぎるが、とりあえずオススメできないということを伝えたい)

いろいろ泊まってみた結果、バジェットホテルに宿泊する場合は大きなチェーンがいい、と何周かまわって気づく。(遅い)

できることならば、タージ(又はそのレベルの宿)に泊まりたいものだが、予算的に厳しく、時々のご褒美でしか泊まることができない。これからもバジェットホテルにお世話になると思うので、業界の動きも気になるところ。

こちらの記事(英語)によると、インドにある宿泊施設のうち、まだ「ブランド化」されていない個人が経営するバジェットホテルは7万5000軒超もあるそうだ。インド全体で何軒の宿泊施設があるかは不明だが、日本の場合は5.2万施設だという(出典:日本全国ホテル展開状況(2020年1月現在)ので、とりあえずすごく多いらしい。フランチャイズ化するのかな。

まとめ(対処策)

私が経験したトラブルと教訓は・・・

地域ホテルトラブル教訓
地方都市
チャンディガール
OYOホテル外国人お断りOYOは外国人不可のところがあるので避けるべし。
地方都市
プネ
個人経営ホテル外国人お断り個人経営ホテルも外国人不可のところがある。
予約前に宿の説明文は熟読すべし。
大都市
デリー
元OYOホテルOYOホテルの予約拒否OYOホテルは避けるべし。
地方都市
ラクナウ
個人経営ホテルオンライン予約拒否人を騙す悪い奴はどこにでもいるが、
大手サイトを通じて予約していればその後の対応が安心

これらに加え、私は経験したことがないのだが、「予約するのがあまりにも直前すぎると、チェックインまでに宿に予約情報が届いてないこともある」とブッキングドットコムのカスタマーサポートのお姉さんが教えてくれた。

フランチャイズ(FC)の宿の場合だと、

顧客がチェックインブッキングドットコムで予約
➡ 予約情報がブッキングドットコムからFC本社の予約システムにリアルタイムで送られる
➡ FC本社から各提携ホテルへの予約情報送信は、リアルタイムではないこともある(システムによる)
➡ 予約情報がホテルに届く前に顧客が宿に到着してしまったら、「あなたの予約がありません」となる。

これまで私は出発前日・当日に宿を予約していたこともあったが、この話を聞いて、これからは直前の予約は避けようと思った。

この例のように理由があって「予約がない」ならば理解できるが、騙す目的で「予約がない」と言って二重に支払わせようという悪徳な輩も存在する。何が何でも絶対に騙されたくないという人は、事前に予約だけして、現地で直接支払う(事前にオンライン決済しない)のがいいのかもしれない。

ホテルの予約トラブルに巻き込まれないためには・・・

  • OYOに泊まらないようにする
  • 外国人が泊まれるか事前に確認する
  • 大手サイトを通じて予約する
  • トラブルに巻き込まれたらカスタマーサポートにすぐ連絡する
  • 宿で「直接払い」のオプションがあれば検討する
  • いざというときのために、プランB・Cも検討する
  • 直前の予約は避ける

OYOファンの方には申し訳ないが(if any)OYOに対する圧倒的不信感

どうしてもインドでOYOホテルに泊まりたい場合は、オンライン旅行代理店ではなく、OYOのサイトから直接予約しないと、トラブルが起きた際に非常に面倒。おそらく全てのOYOホテルが、インターネット上(旅行サイトを含む)に宿の個別の電話番号を掲載せず、OYOのカスタマーサポートの電話番号を掲載している。そのため、何かあった際に宿に直接連絡できず、カスタマーサポートに問い合わせなければいけない。

OYOのカスタマーサポートでは、「OYOの予約番号」がないと基本的に取り合ってもらえない。仮にメイクマイトリップでOYOホテルを予約すると、メイクマイトリップの予約番号しか発行されず、「OYOの予約番号」が分からない。メイクマイトリップのシステム上には記録されているのかもしれないが、ユーザーの目の見えるところには「OYOの予約番号」が表示されない。

OYOのカスタマーサポートに連絡しても、OYOの予約番号がわからないと、なかなか話が進まずかなりイライラする。宿に直接連絡できないだけでもイライラするのに、さらにOYOの予約番号も求めてくるだなんて。ここ最近のOYOには一切いい思い出がないよ…。

OYO関連のトラブルにもう巻き込まれたくないからね!とかいいつつ、トラブルも時間が経てばネタになるからおもしろいんだけどね!

おしまい。


【ムンバイ】世界遺産★エレファンタ島の石窟寺院(後編)~シヴァ神の様々な姿を描いた彫刻を楽しもう♪~

タイトル画像(【ムンバイ】世界遺産★エレファンタ島の石窟寺院(後編)~シヴァ神の様々な姿を描いた彫刻を楽しもう♪~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

ムンバイの近くに「エレファンタ島」という小さな島がある。

この島には世界遺産に登録されている「エレファンタ島石窟寺院群」があり、その歴史はいまも多くが謎に包まれている。

今回は前編と後編に分けてお届け。

前編の内容
  • エレファンタ島の歴史
  • エレファンタ島への行き方
  • エレファンタ島の見どころ
www.chankome.com
後編の内容
  • 石窟寺院(第1窟)にあるシヴァ神の彫刻

前編でお伝えした通り、エレファンタ島にある石窟寺院の第1窟にはシヴァ神が祀られており、様々な姿のシヴァ神や、シヴァ神にまつわる神話の場面を描く彫刻がほどこされている。

この記事では、第1窟で見ることができるシヴァ神の彫刻についてご紹介。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:シヴァ神とは?

シヴァ神

シヴァ神とは、ヒンドゥー教の最高神のうちの1人で、破壊と再生の神様

ヒンドゥー教の最高神とは、ブラフマー神ヴィシュヌ神シヴァ神の3人組。

  1. 創造神 ブラフマー神
  2. 維持神 ヴィシュヌ神
  3. 破壊神 シヴァ神

ブラフマー神が世界を創り、ヴィシュヌ神が世界を維持し、シヴァ神が世界を破壊し再生するという役割ではあるが、宗派によってバリエーションは様々。

これらの最高神が持つ①創造②維持③破壊・再生という3つの役割が一体となり神格化されたものは、三神一体(トリムールティ)といわれる。

シヴァ神は様々な形で偶像化され、その形によって呼び名も異なる。

エレファンタ島の色んなシヴァ神

第1窟には、以下の地図の通り、9つの彫刻(①~⑤、⑦~⑩)と1つの寺院(⑥)がある。

エレファンタ島第1窟の内部地図

エレファンタ島石窟寺院第1窟
エレファンタ島石窟寺院 第1窟を正面入り口から撮影

①マハヨギ(Mahayogi)

マハヨギ
マハヨギ

第1窟正面の入り口から石窟に入って左側に見えるのが「マハヨギ」としてのシヴァ神だ。

マハ(Maha)=偉大なる
ヨギ(Yogi)=ヨガの実践者

その名の通り、ヨガ修行者としてのシヴァ神の姿で、ヨギスワラ(Yogisvara)ともいう。

シヴァ神は蓮の花(ロータス)の上に座り、目を閉じてパドマーサナ(蓮の花のポーズ)をしながら深く瞑想する様子が描かれている。

損傷状態がひどいにも関わらず、力強い胸と沈黙を秘めた顔が、精神の強さと静寂さをよく表している。

蓮の花の茎は、海の守り神である2体のナガ(蛇)に支えられて太古の水から伸びている様子を示す。

シヴァ神の頭上では神々たちが美しく舞い、左側には白鳥に乗ったブラフマー神と象に乗ったインドラ神、右側にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神がいるのだが、損傷が激しいためによく見ることができない。

②ナタラジャ(Nataraja)

ナタラジャ
ナタラジャ

第1窟正面の入り口から石窟に入って右側に見えるのが「ナタラジャ」としてのシヴァ神だ。

ナタ(Nata)=踊り
ラジャ(Raja)=王様

その名の通り、踊りの王としてのシヴァ神の姿で、宇宙の舞いを踊りながら宇宙を破壊しては創造している様子が描かれている。

保存状態は良い方に入るが、彫刻の下半身は損失している。

シヴァ神は多くの神々に囲まれており、左側には、シヴァ神の息子であり象の顔を持つガネーシャとをはっきりと見ることができる。

ガネーシャの下には、ガネーシャの弟で戦いの神であるクマーラ、ガネーシャの右上には白鳥に乗ったブラフマー神が見える。

右側には、シヴァ神の妻であるパールヴァティー神、その上にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神がいるが、両方とも破損している。

③サダシヴァ(Sadashiva)

サダシヴァ
サダシヴァ

正面の入り口から入り、奥の壁に向かってまっすぐ進むと、その目の前に高さ6メートルの巨大な3つの頭が現れる。

これが最高神シヴァの本当の姿、「サダシヴァ」としてのシヴァ神だ。

サンスクリット語で、サダ(Sada)は「Always(いつも)」や「Forever(永遠に)」を意味し、サダシヴァ=永遠に純粋で縁起が良いものとして認識されている。別名はマヘシャムールティ(Maheshmurti)。

3つの頭は、シヴァ神の3つの重要な側面を表している。

  • 写真右側の顔
    右側の顔は、女性の姿をしている。手には蓮の花を持ち、髪は数珠つなぎになった真珠と草花で飾られ、生命と創造を描いている。これは美の神であり創造を司る「ヴァマデヴァ(Vamadeva)」を象徴しており、ブラフマー神に似た側面だ。

  • 写真中央の顔
    中央の顔は、穏やかで優しい表情をしており、幾重もの首飾りが近郊の取れた力強い体に据えられている。頭の上に高い山のごとく結われた髪には豪華絢爛な冠が置かれている。これは調和を維持する「タトゥプルシャ(Tatpurusha)」を象徴し、ヴィシュヌ神に似た側面だ。

  • 写真左側の顔
    左側の顔は、口ひげを生やした若い男性で、死の象徴である頭蓋骨や蛇が髪に絡まっており、手にも蛇を持っている。これは破壊神としてのシヴァ神を表している。

シヴァ神を最高神として崇拝するシヴァ派のヒンドゥー教徒にとって、この3つの顔はすべてシヴァ神の顔であり、サダシヴァであるとされるが、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が一体となったトリムールティ(Trimurti)とも言われる。

アルダナーリーシュヴァラ(左)、サダシヴァ(真ん中)ガンガダラー(右)
アルダナーリーシュヴァラ(左)、サダシヴァ(真ん中)ガンガダラー(右)

サダシヴァの左側には④アルダナーリーシュヴァラ、右側には⑤ガンガーダラの彫刻がある。

④アルダナーリーシュヴァラ(Ardhanarishvara)

アルダナーリーシュヴァラ
アルダナーリーシュヴァラ

サダシヴァの左側にあるのが「アルダナーリーシュヴァラ」としてのシヴァ神だ。

この彫刻は、右半身(写真左側)がシヴァ神、左半身(写真右側)がシヴァ神の妻のパールヴァーティーの姿をしている。

男性と女性の合体像は神の一体を表現し、全てのものは元は一つであるということを意味し、ヒンドゥー教のシャクティ信仰のシンボルである。

シャクティ信仰とは?

性的エネルギー、つまり性交によるパワーのことで、女性神が司る。

彫刻は比較的よく保存されているが、下半身は破損している。牛のナンディー(シヴァ神の乗り物)に寄りかかり、手には蛇と鏡を持っている。

左側には白鳥に乗るブラフマー神と象に乗るインドラ神、彼らの下にはシヴァ神の息子であるクマラ神が描かれている。

右側にはガルーダに乗ったヴィシュヌ神、その前には水の神ヴァルナ、下には破損しているが美しい婦人たちが見える。

他にも多くのものが刻まれており、石窟寺院の中で最も手の込んだ彫刻のひとつである。

⑤ガンガーダラ(Gangadhara)

ガンガーダラ
ガンガダラー

サダシヴァの右側にあるのが「ガンガーダラ」としてのシヴァ神だ。

この彫刻は、インド神話の場面で、天から落ちるガンガー(ガンジス川)をシヴァ神が自分の頭上で受け止めている様子を描いている。

ガンジス川の神話については、以下の記事でまとめています。

⑥シヴァ寺院とリンガ

中央のシヴァ寺院
中央のシヴァ寺院

第1窟の中央右側には、シヴァ神の寺院があり、東西南北4つの入り口には巨大な門番が立っている。

寺院内部には、シヴァ神の男根である「シヴァ・リンガ」が祀られている。

シヴァ寺院内のシヴァリンガ
シヴァ寺院内のシヴァリンガ

シヴァリンガの下にある台座は女性器(ヨーニ)を表しており、性交した状態を示している。

現在でもここで宗教行事が行われているそうで、真っ白のミルクでシヴァリンガを清め、これをシヴァの精液とパールヴァーティーの愛液として崇める。

これは「シヴァ神のリンガがパールヴァーティーのヨーニに挿入された状態をパールヴァーティーの子宮の中から見ている」ことになる。

⑦アンダカーンタカムールティ(Andhakantaka-murti)

アンダカーンタカムールティ
アンダカーンタカムールティ

第1窟の手前右角に見えるのが「アンダカーンタカムールティ」としてのシヴァ神だ。

この彫刻は、インド神話の場面で、魔王アンダカを退治しているシヴァ神の様子を描いている。

■ アンダカの神話

アンダカはもともと、シヴァ神とパールヴァーティー神の三番目の息子で、暗黒の闇から生まれた盲目の子供だ。その姿は大変恐ろしく、パールヴァティー神は息子を拒絶した。

魔族アスラの魔女ヒラニヤークシャは息子を授かることを祈って苦行に励み、シヴァ神は里子としてアンダカを預けることにした。

成長したアンダカは国王となった。彼のいとこが謀反を企てていることを知ると森にこもって厳しい修行に励み、苦行の末に母を結婚相手に選ばない限りは死なないという不死身の体をブラフマー神より与えられた。

数百万年後、アンダカの配下である3人の将軍は洞窟の中でシヴァ神とパールヴァーティー神に偶然出会った。将軍たちは彼らを神様だと気づかず、アンダカ王にふさわしい女性を発見したとしてアンダカに報告、アンダカはパールヴァーティー神を自分の母だと気づかず結婚を申し込んだ。

シヴァ神はこれを拒み、アンダカとの戦いが始まった。他の神々と魔王たちを巻き込み、戦いは何百年にも及んだ。シヴァ神は息子であるアンダカの胸に三叉矛(さんさそう)を突き刺して殺し、シヴァ神の勝利に終った。

シヴァ神が岩の中から現れ、恐ろしい形相で悪魔を突き刺しているところで、悪魔の体から流れ出る血を左手に持つ器で受け止めている。なぜならば、アンダカの血が地面に落ちると、そこからまた悪魔が生まれてしまうからだ。

シヴァ神は歯を剥き出し、髪の毛は頭蓋骨で飾られ、見開いた目は憤怒に満ち溢れている。

上方では神々が舞ってシヴァ神を称賛し、中心にはシヴァリンガが置かれている。下方は破損しており見ることができない。

⑧カルヤナースンドラムールティ(Kalyanasundara-murti)

カルヤナースンドラムールティ
カルヤナースンドラムールティ

第1窟の奥の右角、⑦アンダカーンタカムールティの反対側に見えるのが「カルヤナースンドラムールティ」としてのシヴァ神だ。

これは、シヴァ神と妻のパールヴァーティー神の結婚式の場面を描いている。

アンダカの場面とは対照的に、これは叙事詩のような穏やかさがあり、シヴァ神の顔は平穏と優しさに満ちた美男子に表現されている。

片方の手は腰に巻かれた厚い布の上に置かれ、もう片方の手はパールヴァーティー神を支えている。

パールヴァーティー神がシヴァ神の右側に立っているということは、結婚はまだしていないことを表す。新婦は結婚前には新郎の右側に立ち、妻になると主人の左側に立つ。

パールヴァーティー神の背後には彼女の父親がおり、恥ずかしがって伏し目がちのパールヴァーティーをシヴァ神の方に押している。

シヴァ神の足元(右下)にはブラフマー神が座っており、儀式を司る僧侶として表されている。

➈ラヴァナーヌグラハムールティ(Ravananugraha-murti)

ラーヴァナーヌグラハムールティ
ラーヴァナーヌグラハムールティ

第1窟の手前左角に見えるのが「ラーヴァナーヌグラハムールティ」としてのシヴァ神だ。

この彫刻は、インド神話(叙事詩ラーマヤナ)の場面で、魔王ラーヴァナがシヴァ神の座っているカイラサ山を持ち上げようと試みる様子を描いている。

ラーヴァナの神話

ラーヴァナはランカー島(現在のスリランカ)を本拠地としてラークシャサ族を治める魔王で、ラーマヤナに出てくる悪役だ。ラーマヤナとは、主人公ラーマがラーヴァナに誘拐された妻のシータを助け出すお話。

物語のなかで、ラーヴァナはシヴァ神の住むカイラス山を揺らして罰せられる。のちに許してもらい「チャンドラハース(月の刃)」という剣を授かる。

傲慢で怪力のラヴァーナは山を揺さぶり持ち上げようとするが、シヴァ神は彼の左足の親指で地面を落とすと、山はまた元の位置に戻り、ラヴァーナはその下敷きとなっている。

シヴァ神は片方の手でパールヴァーティーを支え、もう片方の手で人々の髪をつかんで山から落ちないようにしている。

⑩カイラサ山のシヴァ神とパールヴァーティー神

カイラサ山のシヴァ神のパールヴァーティー神
カイラサ山のシヴァ神のパールヴァーティー神

第1窟の奥の左角、➈ラヴァナーヌグラハムールティの反対側に見えるのが「カイラサ山で暮らすシヴァ神とパールヴァーティー神」の彫刻だ。

カイラサ山に暮らすシヴァ神とパールヴァーティー神がサイコロゲームをしている様子を描いている。

シヴァ神の顔は傷ついており表情を読み取ることはできないが、ゆったりと優雅な姿勢で座っている。

一方、パールヴァーティー神は、サイコロゲームに負けたために顔を横に向けて座っており、不機嫌で怒ったふりをして、シヴァ神がズルをしていないか探そうとしている。

さいごに

エレファンタ島のシヴァ神の彫刻は、損傷が激しいものがあるものの、1500年以上も前に岩山を彫って作られたとは思えず、表現力あふれる彫刻は今にも動き出しそうな躍動感がある。

様々な姿のシヴァ神がいるので、インド神話にどっぷり浸かることができる。

インド神話を知らなくても、漠然と「すごいなぁ」と思うことはできるが、インド神話の知識があれば何十倍も楽しむことができる

エレファンタ島は現地でガイドを雇うことができる。ガイド料金は人それぞれ提示される金額は異なるだろうが、英語ガイドなら500ルピー以内。

インド神話を知れば、インド旅行が楽しくなる!

この記事が、インドを旅行する方のお役に立てばうれしい限りです。

前編(エレファンタ島の行き方・見どころまとめ)も一緒に読んでね。

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【ムンバイ】世界遺産★エレファンタ島の石窟寺院(前編)~歴史・行き方・見どころまとめ~

タイトル画像(【ムンバイ】世界遺産★エレファンタ島の石窟寺院(前編)~歴史・行き方・見どころまとめ~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

ムンバイの近くに「エレファンタ島」という小さな島がある。

この島には世界遺産に登録されている「エレファンタ島石窟寺院群」があり、その歴史はいまも多くが謎に包まれている。

今回は前編と後編に分けてお届け!

前編の内容
  • エレファンタ島の歴史
  • エレファンタ島への行き方
  • エレファンタ島の見どころ
後編の内容
  • 石窟寺院(第1窟)にあるシヴァ神の彫刻
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まずは前編からどうぞ~!

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:エレファンタ島の歴史

エレファンタ島の歴史は・・・

謎だ。

第一に、エレファンタ島の石窟寺院には、碑文がほとんど残されていないため、いつ頃作られたのか特定するのが難しい。

第二に、ムンバイを占領していたポルトガル人が16世紀に島を発見、基地を作るために多くの寺院・彫刻が破壊された。

そのためエレファンタ島の歴史について詳細は未だにわかっていない。

いつ頃つくられたの?

彫刻にみられる山や雲、服装、装身具の描写方法などから見て、グプタ朝時代の特徴があると言われており、5世紀から8世紀の間につくられたと推定される。

グプタ朝

4世紀から6世紀にかけて栄えたヒンドゥー教を国教とする王朝で、北インドを統一し古代インドの黄金時代を築いた。

グプタ朝3代目のチャンドラグプタ2世は、デカン高原一帯を支配していたヴァーカータカ朝に娘を嫁がせたことにより、グプタ朝の文化が西インドにも流入。デカン高原にあるアジャンター石窟寺院には、5世紀頃に作られたグプタ様式の壁画や彫刻が残っている。

島の名前の由来

地元の人達は、「洞窟の町」を意味する「ガラプリ(Gharapuri)」と呼んでいるが、外国人にはエレファンタ島という名前の方が有名。

エレファンタ島という名前は、この島で見つかった巨大な石造の象に由来する。16世紀にムンバイを占領していたポルトガル人がこの島を見つけ、象の石像をがあったことから「エレファンタ島」と呼ぶようになった。

しかし、象の石像は現在エレファンタ島にはなく、ムンバイのドクター・バウ・ダージ・ラッド博物館(旧名:ヴィクトリア&アルバート博物館)の外に置かれている。

なぜ島にあった象の石像がムンバイにあるのかというと、19世紀にイギリス人が象の石像を分解して船でイギリスへ持ち帰ろうと試みたためだ。イギリス人はムンバイまで運んだところで挫折。象はなんとか元の姿に組み立てなおされ、博物館の外に展示されることとなった。

ヴィクトリア・ガーデンにあるエレファンタ島の象の石像
ヴィクトリア・ガーデンにあるエレファンタ島の象の石像

エレファンタ島への行き方

エレファンタ島はムンバイから10キロほど離れたところにある小さな島だ。

▼エレファンタ島の場所はこちら

ムンバイからエレファンタ島へは、インド門の裏側から出ているフェリーに乗船して向かい、所要時間は1時間~1時間半程度

モンスーンシーズン(6月末~9月上旬頃)は海の水位がUPして危険であるため、フェリーは運休となる。

モンスーン期間中でも、序盤(6月後半)や天気がよい日は運航していることもあるが、行ってみないとわからないし、ムンバイからエレファンタ島に行けたとしても天気が変わって帰りの船が出ないという可能性も否めないので、モンスーン期間中には行かない方が無難であろう。

エレファンタ島行きのフェリー乗り場は、タージマハルホテルの向かいにあるインド門の裏側にある。

インド門
ムンバイ南部にあるインド門

裏側に行くと、フェリーに乗るための列ができているので「エレファンタアイランド?」と行先を確認して列に並ぼう。フェリー運賃は往復で150ルピー(インフレで値上げしているかもしれない)。

ムンバイからエレファンタ島へのフェリーは朝8時~9時頃からお昼すぎまで30分ごとに出ており、エレファンタ島からムンバイへ戻るフェリーは夕方18時ごろまで。

午後にエレファンタ島に向かう場合は復路最終便の出発時間はきちんと確認しておくこと

エレファンタ島行きのフェリーに乗船
エレファンタ島行きのフェリーに乗船

フェリーは2階建て構造になっている。2階席は曇りで風があるときは涼しくて気持ちよいのだが、日差しが強い時は暑くて厳しい。フェリー2階には日よけとなる屋根があるが、フェリーによって屋根が大きいもの・小さいものがあり、どれになるかはその時のタイミング次第。

海から見たインド門とタージマハルホテル」を綺麗に撮影するためには2階席がマスト。

セルフィーが大好きなインド人の皆さんは、船セルフィー・海セルフィーをするために2階席で撮影会を始めるため、出発してから初めのうちは2階席が人気。暑くなってくると徐々に1階席に移動する人が出てき始め、最終的に1階席は満席となるので、いい写真が撮れたらすぐに1階席に移動するのがオススメ。

海から見たインド門とタージマハルホテル
海から見たインド門とタージマハルホテル

エレファンタ島の主な見どころ

エレファンタ島の見どころは3つ。

  1. トイトレイン
  2. お買い物ロード
  3. 石窟寺院

①トイトレイン

フェリー乗り場から参道までは徒歩(10~15分程度)、またはトイトレイン(運賃10ルピー)で向かう。

良心的な運賃で人気アトラクションなので、混雑不可避。

エレファンタ島のトイトレイン
エレファンタ島のトイトレイン

トイトレインは人気でインド人客でぎゅうぎゅう
トイトレインは人気でインド人客でぎゅうぎゅう

トイトレインは参道の入口まで。入口には屋台が数軒あるので、ここで軽くお腹を満たすのもいいね♪

参道入り口の屋台
参道入り口の屋台

②お買い物ロード

石窟寺院までの参道は、長い登り階段が続く。

石窟寺院までの長い参道
石窟寺院までの長い参道

階段の両脇にはお土産屋さんがズラーっと並んでいる。

その中でも、「tantra」というムンバイ発のインドデザインのTシャツ屋さんはおすすめ~👏

ユニークなインドデザインのTシャツブランド「tantra」
ユニークなインドデザインのTシャツブランド「tantra」

オンラインでは、tantraのオフィシャルサイトまたはAmazon Indiaで取り扱いあり。

なぜエレファンタ島で販売しているのかは謎だが、見つけたらぜひ足を止めてみてほしい。インド感あふれるおしゃれなTシャツが500ルピー前後で手に入る。

③世界遺産の石窟寺院

参道を登りきり、エレファンタ島石窟寺院群の看板が見えたら石窟寺院はすぐそこ!

エレファンタ島石窟寺院群の看板

エレファンタ島には、キャノン・ヒル(Cannon Hill)ストゥーパ・ヒル(Stupa Hill)という2つの丘があり、これらの丘に合計7つの石窟寺院がある。

キャノン・ヒル

5つの石窟寺院(第1~5窟)

ストゥーパ・ヒル

2つの石窟寺院(第6~7窟)

エレファンタ島の地図
エレファンタ島の地図(出典:elephanta.co.in)

第1~5窟

エレファンタ島の石窟寺院群で最も有名なのが、シヴァ神を祀る第1窟だ。

第1窟内部には様々な姿のシヴァ神の彫刻がほどこされており、エレファンタ島最大のみどころだ。

シヴァ神の彫刻については、後編で詳しく解説している。

エレファンタ島石窟寺院 第1窟
エレファンタ島石窟寺院 第1窟

整備された道を進むと、第2~5窟がある。

エレファンタ島の第2~5窟へつながる整備された道

第1窟が見ごたえ抜群であるため、それと比較してしまうと、正直なところ第2~5窟は物足りない感あり。柱は修復されているが、彫刻の損傷が激しかったり、未完成だったりするので、じっくり足を止めて見るものは特になく、ササーっと見て終了という感じ。

エレファンタ島石窟寺院 第2窟
第2窟の柱はほぼ全て破壊されていたため、1970年代に4つの柱が修復された。内部は未完成。

エレファンタ島石窟寺院 第3窟エレファンタ島石窟寺院 第4窟
第3窟(上)と第4窟(下)は損傷が激しい。

エレファンタ島石窟寺院 第5窟
第5窟は未完成で、寺院というよりも洞窟感が強い。

第1~5窟があるキャノン・ヒルは、その名の通り「大砲」が残っている。ポルトガルが島を基地として使用していた時代に使われていたもので、インド人青年たちが大砲に跨ってセルフィーを楽しんでいる。

キャノン・ヒルにある大砲
キャノン・ヒルにある大砲

第6~7窟

第6~7窟があるストゥーパ・ヒルへ行く人はほとんどいないため、道はあまり整備されておらず険しい。

第6窟、第7窟への道:titile=
ほぼ未整備のストゥーパ・ヒルへの道

エレファンタ島石窟寺院 第6窟(左)、第7窟(右)
第6窟(左)、第7窟(右)

第6窟は、ポルトガル占領下の時代に「教会」として使われていたそうだ。

第7窟をさらに進んでいくとストゥーパ(卒塔婆)があることから、エレファンタ島の最初の住人は仏教徒であったことがわかる。

さいごに

第1窟と、それに隣接する第2~5窟を観光して、所要時間は2時間~2時間半程度。早い人だと2時間もかからない。

  • 往路フェリー:1時間半
  • 観光    :2時間
  • 復路フェリー:1時間半
  • 合計 5時間

ムンバイを出発してからムンバイに戻ってくるまで、半日あれば十分だろう。

第6~7窟や大砲もしっかりと見たい場合は、時間に余裕を持って午前中に訪れること。

この記事が、インドを旅行する方のお役に立てばうれしい限りです。

後編(第1窟にある様々なシヴァ神の彫刻)につづく。

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【ムンバイ】洗濯屋のスラム、ドービーガート(Dhobi Ghat)~ダリット(不可触民)のお仕事~

タイトル画像(【ムンバイ】洗濯屋のスラム、ドービーガート(Dhobi Ghat)~ダリット(不可触民)のお仕事~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

ムンバイはインドの中でも貧富の差が激しい街だ。

大企業のお偉いさんやボリウッド映画界のセレブリティをはじめとする上流階級の人々が華やかな世界を形成する一方で、多くの人が最低賃金(またはそれ以下)で働き、極めて原始的な家に住んでいる。家があればまだいい方で、路上生活者も多い。

ムンバイの「ドービーガート」と呼ばれる洗濯屋スラムでは、貧富の差をまじまじと見せつけられる。

そんなわけで今回は、ドービーガートへの行き方スラムに入る際の注意点と内部の 様子洗濯屋カーストの仕事内容についてまとめた。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:ドービーガートとは?

ムンバイのマハラクシュミにあるドービーガート
ムンバイのマハラクシュミにあるドービーガート(2016年3月撮影)

ドービーガートとは「洗濯屋の仕事場(兼住居)」のことだ。

用語解説

■ドービーとは?
洗濯屋」の職業集団(ジャーティ)のこと。

■ガートとは?
一般的に川沿いに作られた階段状のスペースのことを指すが、そこで炊事や洗濯も行われるので、ここでは「洗濯をする場所」というような意味で用いられる。

インド各地にドービーガートはあるが、この記事ではムンバイのマハラクシュミにあるドービーガートを紹介する。

上の画像では、手前に広がるドービーガート(スラム)と奥の高層ビル群の対比が「ムンバイの貧富の差」を象徴しており、ドービーガートで働き、ドービーガートで生活するドービー達は社会的身分がとても低いことが分かる。

では、一体どれくらい低い身分なのだろうか?

ドービーガートとカースト制度

カースト制度の図

インドのカースト制度では、全ての人々は4つのヴァルナ(①バラモン・②クシャトリヤ・③ヴァイシャ・④シュードラ)とヴァルナに属すことができないダリット(不可触民)に分けられる。

カースト制度(ヴァルナ制)

人間はヴァルナという以下の4つの基本種姓に区分される。

  1. バラモン
    宗教的な支配者階級(司祭)
  2. クシャトリヤ
    政治的・軍事的支配者階級(王族・武士)
  3. ヴァイシャ
    庶民階級(商人)
  4. シュードラ
    被支配者階級(奴隷)

---カースト外---

不可触民
これら4階級(ヴァルナ)に属さない人々

「死」や「血」、「体からの分泌物」といった❝ 穢れ ❞に触れる職業は、身分の低い不可触民の職業だ。

人間の汗や体液が付着した洗濯物は❝ 穢れ ❞とみなされ、不可触民のドービーがこれに従事した。

ただし、動物の血に触れる皮革製品の労働者(チャルマール)や街路のゴミや動物の糞尿の清掃人(バンギ―)、火葬に携わる死体の世話係(ドム)等と比較すると穢れの度合いが少ないことから、不可触民の中では上位グループに属している

アクセス

ドービーガートはムンバイ南部エリアに位置する。

最寄駅はムンバイ郊外鉄道ウエスタンラインのマハラクシュミ駅(Mahalakshmi St.)で、 駅からドービーガートまでは歩いてすぐ。

▼ドービーガートの場所はこちら

詳細情報

Dhobi Ghat
住所:1, Anandilal P Marg, Dhobi Ghat, Shanti Nagar, Lower Parel, Mumbai, Maharashtra 400011
Website:なし

ドービーガートの近くには、ムンバイのモンサンミッシェルと呼ばれる、海に浮かぶお墓「ハジアリ霊廟」があり、タクシーで10分弱、徒歩だと20分程度で行けるので、一緒に訪れると楽ちん♪

▼ハジアリ霊廟についてはこちらの記事で詳しくまとめているよ!

ドービーガートへ!

マハラクシュミ駅を降りて陸橋の方へ歩いていくと、左手にドービーガートが広がっている。

ドービーガートはイギリス植民地時代の1890年に設立された、歴史ある洗濯場だ。洗濯乾燥機の普及により規模は縮小しているそうだが、現在でもムンバイ中から毎日数十万着の衣類がここに集まり、その年間売上高は10億ルピー(約15億円)超にのぼるという。スラム経済は侮れない

2011年には「一か所で同時に手洗いで洗濯する人数が世界最多(496人)」としてギネスブックに掲載されたこともあり、世界最大級の屋外洗濯場としてムンバイの観光名所の一つとなっている。

▼ギネス認定時のFacebookの投稿

展望デッキから見物

ドービーガートの展望台
ドービーガートの展望台(出典: mid-day.comより)

2019年4月に橋の上に展望デッキができ、ドービーガートの中に入らなくても、のぞき込めば内部の様子が見えるようになった。

内部の様子が外から丸見えだなんて、プライバシーがないじゃない!

と思ったのだが、こちらの記事のインタビューで、この道38年のベテラン洗濯屋さんのおじさんは「展望台からのライトが夜間の作業時に助かっている」と、満足しているご様子。

外国人の私の心配は、余計なお世話だった。


さて、展望デッキからドービーガートの内部を見渡せるので、十分満足だろう。



今の私なら満足できるが、若かりし頃の私は満足できず(当時は展望デッキなかったし)

スラムの中に入ってみたい!」と思った。

ドービーガートに侵入

ドビーガートに進入する際の注意点

というわけで、ドービーガートに侵入するのだが、これは危険を伴う行動であるということを十分に理解する必要がある。

なぜドービーガートが危険なの?
  1. 不潔で至る所で蚊が繁殖しており、マラリアやデング熱に感染する恐れがある。
  2. 違法建築だらけなので、それが崩壊して怪我をする恐れがある。
  3. 教養のないスラムの住民とトラブルを起こす恐れがある。

洗濯場なのであちこちに水場があるが、そこにボウフラが大量発生する。モンスーン(雨季)の時期になると、ドービーガートではマラリヤやデング熱が毎年流行、多くの人が近くの病院に運ばれるという。

自己責任です。

ドービーガート内部への行き方

ドービーガート内部への行き方

ドービーガート内部へ行くためには、展望デッキ横にある階段を下っていく。

▼階段下はこんな感じ。
ドービーガートへの行き方

ドービーガートは人々の仕事・生活の場だ。遺跡でもなんでもないので入場料はかからない。しかし99%の確率で、入り口で「ガイドをするよ」と声をかけられたり、「入場料を払わないとダメだ」と言われるだろう。

実際に内部は迷路のようなので(スラムあるある)ガイドをお願いするべき(と個人的には思う)

ガイド料や入場料の相場は100ルピー~500ルピー

なぜこんなに差があるのかというと・・・どれだけなめられているかによりけり。

階段を下りてすぐの個人商店の前にあるメインの入り口は、吹っ掛けられる可能性が高いのでスルーし、角を曲がって肉屋・ゴミ集積場の前のドービーガートの住人用の入り口から入ると、トラブルが少ない気がする。(気がするだけ。)

というのも、私はこれまでゴミ集積場側の入り口から入って、一度もお金を要求されたことがない。たまたま運がよかっただけなのかもしれないが、多くの観光客がメインの入り口を目指すため、そこに自称ガイドや自称ボスがたむろしてるのかも。

Point

ゴミ集積場側の入り口は穴場

ではいざ中へ!

ドービーガート内部の様子

7000人超のドービーによる分業

ドービーガートでは、毎日18~20時間、7000人を超えるドービーが洗濯、漂白、染色、脱水、乾燥、アイロンがけ、折り畳み、配送、といった業務を分業で行っている。

その光景を間近で見ると圧巻で、まるで大人の社会科見学。

衣類の手洗い

少年が洗濯場の案内をしてくれた。

手洗い作業は基本的に午前中に行われる。

私が訪問したのは午後だったので、手洗い作業はすでに終了していたが、少年はわざわざデモンストレーションしてくれた。

ドービーガートの手洗い洗濯場の様子①
(2016年3月撮影)

コンクリートの囲いの中に水と洗剤を入れてバシャバシャと衣類を洗い、コンクリートに強く打ち付けることで脱水する。

ドービーガートの手洗い洗濯場の様子②
(2016年3月撮影)

地面を流れる水はすごい色をしている。聞くところによると、かなり強力な洗剤を使っているようだ。

ドービーガートの手洗い洗濯場の様子③
(2016年3月撮影)

別日の午前中に伺ってみると、洗濯物を手洗いしていたが、どさくさに紛れて入浴している人もいた(写真奥)。洗濯して濡れたからついでに自分も入浴する、というのは合理的ではある。

ドービーガートの手洗い洗濯場の様子④
(2018年1月撮影)

日本で「衣類の手洗い」といえば、デリケートな素材のものを丁寧に洗うイメージがあるが、ここドービーガートでは、 大胆に効率よく衣類へのダメージは考慮しないごしごしバンバン力強く洗う

全自動洗濯機・乾燥機もある

一部の裕福なドービーは大型の業務用洗濯機・乾燥機を使用している。全て手作業で行われていると思われがちだが、ここにも機械化の波はきている。

少年が「このボタンを押すんだよ!」と使い方を教えてくれた。

ドービーガートの全自動洗濯乾燥機
(2016年3月撮影)

ドービーガートの主要顧客は、近隣のローカルクリーニング店や衣料品ディーラー、結婚式のデコレーター・ケータリング、中規模のホテルなど。

衣類へのダメージを考えない大胆な手法で洗濯するにも関わらず、顧客が絶えない理由は、その安さだ。業者が注文する場合、サリー1枚あたり5ルピー(約8円)で洗濯してくれるという。それなりの枚数が必要にはなると思うが、1枚10円以下!激安だ。

一般の個人が洗濯物を直接持ち込むこともできるようだが、その場合はシャツやズボン1枚あたり50ルピー程度(約75円)、衣類のダメージを考慮すると高いような気もする。

柄、色ごとに分けて乾燥

手洗いされた衣類は、色や種類、依頼主ごとに分けて屋根の上で自然乾燥する。

▼チェックシャツのコーナー。

ドービーガートの洗濯物(チェックシャツ)
(2016年3月撮影)

制服でもなさそうだし、なぜこんなに同じ柄のシャツが・・・

どうやら、これは「新品」として世の中にでていく「中古品」らしい... (_)!!!

衣料品ディーラーが古着をまとめて仕入れて、ドービーガートで汚れを落として新品として販売しているそうだ。路上で格安で売られている衣服などは、もしかしたらこういうビジネスモデルなのかもしれない。。。

▼デニムのコーナー

ドービーガートの洗濯物(デニム)
(2016年3月撮影)

どれも似たようなデニムパンツだが、どこにも目印となるようなものがない。一体どうやって分別しているのだろう?配達ミスが起きないのかどうか、キニナル。

アイロンがけ

昼間でも薄暗い屋内で、もくもくとアイロンがけをするおじさん達。私をまるで空気のように扱う、仕事熱心な方々。

ドービーガートでアイロンがけをする様子①
ドービーガートでアイロンがけをする様子②
(2016年3月撮影)

その他いろいろな写真

▼近隣のクリーニング店から届いたサリーを仕分けしている様子
ドービーガートでサリーの仕分けをする様子

▼おしゃべりを楽しむ子供たち
ドービーガートでおしゃべりする子供たち

▼洗濯物の中を駆け抜ける子供
ドービーガート内を走り回る子供

▼ドービーガートで生活する家族
ドービーガートで生活する家族

さいごに

誰もやりたがらない、長時間の肉体労働。穢れたものに触れなければいけないお仕事。ドービーに生まれたら、一生ドービー。洗濯屋以外の選択肢がない。

そんな人生つらい・・・

と私なら思うが、ここで出会った人々はみんな仕事に一生懸命で、笑顔が素敵で、純粋だった。

人それぞれ幸せの基準は違うと強く感じた。

カーストによる差別は法律で禁止されているが、社会慣習として今でも根強く残っている。

ドービーガートにインド人観光客がおらず外国人ばかりなのは、そういうことなのよね。うんうん。

この記事が、インドを旅行する方のお役に立てばうれしい限りです。

参考にした記事:Did you know Mumbai's Dhobi Ghat still makes Rs 100 crore a year?


【ムンバイ】ムンバイのモンサンミッシェル?ハジアリ霊廟へ行こう♪

タイトル画像(【ムンバイ】ムンバイのモンサンミッシェル?ハジアリ霊廟へ行こう♪)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

ムンバイには「ムンバイのモンサンミッシェル」と呼ばれている建物がある。

モンサンミッシェル」といえば、フランスを代表する世界遺産だ。

カトリックの巡礼地のひとつで、満潮時は海に浮かんでいるように見える修道院である。

モンサンミッシェル
モンサンミッシェル(Explore Franceより)

ムンバイのモンサンミッシェルとは、イスラム教の聖人ハジアリのお墓、ハジアリ霊廟だ。

みんながモンサンミッシェルと言っているのを聞いたとき

ちょwww名前負けwww¥

と初めのうちはその呼び名をバカにしていた。

しかし実際に、アラビア海にポツン浮かぶその姿を見てみると「上手いこと例えるもんだなぁ」と感心したものである。

海に浮かぶハジアリ霊廟
海に浮かぶハジアリ霊廟(2016年3月撮影)

というわけで、今回はハジアリ霊廟についてまとめてみた。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:ハジアリ霊廟について

ハジアリ霊廟は、ムンバイがまだポルトガルに支配される以前、 グジャラートスルタン朝統治時代の1431年に聖人ハジアリのお墓として建てられた。

ハジアリはウズベキスタン出身のイスラム教徒。なぜ彼のお墓がムンバイにあるのか?

それを説明するために、 ❝ ハジアリの奇跡 ❞と呼ばれている伝説について紹介する。

ハジアリの奇跡

故郷ウズベキスタンの人里離れた場所で座っていたハジアリは、 空の器を手に持って道で泣いている貧しい女性を見た。 どうして泣いているのか尋ねると、彼女は空の器を指さしながら、 器の入っていた油をこぼしてしまい、油なしで家に帰ると夫に打たれると答えた。

ハジアリは彼女と一緒に油がこぼれた場所に行き、親指を地球(地面)に押し付けると、 噴水のように油が吹き出し、容器は油で満たされ、女性は大喜びで家に帰った。

その後、ハジアリは彼の行為によって地球を傷つけたという夢を見るようになり、 それから後悔と悲しみに満ちた深刻な状態となり、調子が悪くなった。

そのため、ハジアリは母の許可を得て兄弟と一緒にインド旅行をし、 ムンバイの海岸(現在の墓のちょうど反対側の場所)に到着した。 兄弟は故郷に戻ったが、ハジアリは母に手紙を送り、 健康を維持していること、そしてイスラム教を広めるためにムンバイに永住することを伝える。

ハジアリは死ぬまで祈り続け、彼を定期的に訪問する信者たちにイスラム教についての知識を広め続けた。

ハジアリは死ぬ前、彼の元を訪れた信者に 「遺体を墓地に埋葬(bury)しないでおくれ、人々に思い出されないようにする(bury)ために海に投げてくれ」と忠告した。

彼の願いは信者たちによって叶えられ、海の真ん中に霊廟が建てられた。

ハジアリ霊廟公式サイトに記載の内容を日本語訳しました。

「メッカ巡礼途中に亡くなって、その死体が漂流した場所にハジアリ霊廟が建てられた」という別の説も存在し、日本語のハジアリに関する記事(某大手旅行代理店のウェブサイトや旅行者のブログ記事等)ではメッカ説のみに言及している。

しかし、公式サイトWikipedia(英語版) には貧しい女性の油の話しか載っていない。メッカの話はどこから出てきたんだ~

メッカ巡礼途中に亡くなったという説も存在するのだろうが、現在はオフィシャルに「貧しい女性の油説」を推しているようだ。ただ500年以上も前の話なので、真相は誰にも分からない。

アクセス

ハジアリ霊廟はムンバイ南部エリアに位置する。

最寄駅はムンバイ郊外鉄道ウエスタンラインのマハラクシュミ駅(Mahalakshmi St.)で、駅からハジアリ霊廟の入り口まで徒歩20分程度。歩くのはつらいのでタクシーに乗るのが賢い選択。

ムンバイでは、タクシー代をぼったくられるれる心配は不要。運転手はメーターで走ってくれるので、駅から入り口までの運賃は50ルピーくらい。

(※挙動不審だったり、見るからに「旅慣れてない」感が満載だと、ぼったくられる可能性があります)

▼ハジアリ霊廟の場所はこちら

詳細情報

Haji Ali Dargah
住所:Dargah Rd, Haji Ali, Mumbai, Maharashtra
Website:http://www.hajialidargah.in/

ちなみに、マハラクシュミ駅のすぐそばには「ドービーガート」という洗濯業に従事する不可触民の仕事場兼住居(スラム)があるので、一緒に訪れるのがオススメ。

▼ドービーガートについてはこちらの記事で詳しくまとめているよ!

ハジアリ霊廟へ!

参道はいつも大混雑

ハジアリ霊廟の参道
ハジアリ霊廟の参道(2016年3月撮影)

遠くから見てもわかるほどの、すごい人数の参拝者が参道に~~~!

この参道を歩いてハジアリ霊廟に向かう。満潮時は参道が海に飲み込まれているため、 潮が引いている早朝、または日が落ち始めてからしか行きましょう。

ハジアリ霊廟の参道1
ハジアリ霊廟の参道2
ハジアリ霊廟の参道(2016年3月撮影)

参道沿いにはお店がズラ~っと並んでおり、ハジアリグッズなんかも売られている。

ほんとにすごい人の量~・・・。

参拝者はイスラム教徒が多いが、ヒンドゥー教徒もちらほら。結局は有名なところでイエーイ★ってしたいんだよね。

参道には体に障害を持った人たちが等間隔で座っており、小銭稼ぎをしている。 不自然なくらいに等間隔なので、バックに怖い人たちがついているのかもしれない。

モンスーン時は海水にご注意

モンスーン時(6月~9月頃)は海の水量が多くなっているため干潮時でも油断はできない。

こんな風にばっしゃーんと海水がかかる恐れもあるのでご注意を!!

ハジアリ霊廟に到着

長い参道を歩いてハジアリ霊廟がある島に到着。ゴミだらけで汚い。

ハジアリの入り口の門の前
ハジアリの入り口の門の前(2017年12月撮影)

手前にある発泡スチロールで作られたミニハジアリの残骸が見えるだろうか? 子供たちが工作したらしい。ずいぶん上手だよねw

入り口の門のところには出張写真屋さんがおり、記念写真を撮影してもらっている家族がちらほら。

■ 出張写真屋さんとは?

インドの観光地によく出没するカメラマン。一眼レフカメラとポータブルプリンターを持ち運ぶ。 撮影代は無料、印刷代は写真1枚30ルピーと良心的な価格設定であるため、一眼レフに憧れを抱くインド人の心をつかんでいる。

ハジアリ霊廟
ハジアリ霊廟(2016年3月撮影)

門をくぐって霊廟へ。霊廟の敷地内は誰でも入れる。霊廟の中に入らず、敷地内で霊廟の周りをうろうろするだけならノースリーブでも大丈夫。

霊廟の中には、イスラム教徒に限らず誰でも入れることができる。ただし、神聖な場所なので、男性も女性も頭を隠す必要があり、女性は肌の露出を控えなければいけない

私はこれまでに何度もハジアリ霊廟に行ったことがあるのだが、毎回スカーフを持参するのをついうっかり忘れてしまうため、未だに霊廟の中に入ったことはない。

というか、途中でスカーフを忘れたことに気づいたとしても「まぁいいや」ってなっちゃうんだよね。そこまでしてハジアリ霊廟の中に入りたいと思わないというか、なんというか。ムスリムじゃないしね・・・

初めてハジアリ霊廟を訪れた際は、一緒に行った友人の1人がイラン人だった。彼はかなり西洋ナイズされているものの心は厳格なムスリムで(生まれてから4回しかお酒は飲んだことないらしい・・・ってあるんかーい)、彼だけが霊廟の中に入ってお参りをした。霊廟から出てきた友人は感動している様子だった。

どうしても内部も見たい!という方は頭と肌を隠すものを持参するのを忘れないように

霊廟周辺の岩海岸

さて、ハジアリ霊廟に来たなら、せっかくなら霊廟のすぐ隣にある矢印のゾーンにも行ってみよう。

ハジアリ霊廟を遠くから撮影した写真
(2017年1月撮影)

・・・・・

人居すぎだろ~\(ᐢoᐢ)/

ハジアリ霊廟の裏の海岸
(2017年1月撮影)

ムンバイっ子たちは海が大好きだ。特に何をするわけでもなく、海で遊んでいる。千葉県民が「俺たちにはディズニーランドがあるぞ!」と誇りに思っているように、ムンバイ市民も「俺たちには海があるぞ!」と誇りに思っているのだ。

ちょw と思うかもしれないが、嘘のようなホントの話。インドでイケてる大都市(デリー、バンガロール、ハイデラバード)の中では唯一海があるからね!

夜はライトアップ

夜中のハジアリ霊廟
夜中のハジアリ霊廟(2020年1月撮影)

暗くなるとライトアップされてそれはそれできれい。雰囲気が違っていいよね!

帰りはハジアリジュースセンターにも立ち寄ってみて!

ハジアリジュースセンターのロゴ

ハジアリ霊廟の参道入口のすぐ隣に、異様ににぎわっているジュース屋さんがある。それがハジアリ・ジュースセンター(Haji Ali Juice Centre)だ。

1960年代に開業した歴史ある名店。ハジアリ霊廟に行ったらここに立ち寄る、というのが定番コースになっているためいつも大混雑している。

ハジアリ霊廟を訪れる層に対してメニューの単価が高いため、4人で4席占領してるのに1つしか頼んでいない(4人で1つのアイテムをシェア)という事態が発生しており、これも混雑の原因となっている。ローカルのお店にしては少々高いが、ハジアリの思い出にいかがですか?

ちなみに、ムンバイだけでなくバンガロールにも支店があるらしいw😂 たしか、ドバイにも支店があったはずww

▼トリップアドバイザーのレビューはこちら

さいごに

ムンバイ唯一のイスラム教の有名観光スポット!

モンサンミッシェル度は低いが、きっと楽しい思い出になるはず。

わたしも散々言いながら毎年1~2回は訪れていて、毎回それなりに楽しんでいますw

この記事が、インドを旅行する方のお役に立てばうれしい限りです。

▼インドのイスラム教についてはこちらをCheck!


【ムンバイ】ガンジーのムンバイでの住居、マニバワン(Mani Bhavan) ~ガンジーが糸車の使い方を覚えた場所~

タイトル画像(【ムンバイ】ガンジーのムンバイでの住居、マニバワン(Mani Bhavan) ~ガンジーが糸車の使い方を覚えた場所~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド独立の父として世界中で有名なマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)

ガンディーの住居として最も有名なのはグジャラート州アーメダバードにあるガンディー・アシュラムで、安倍首相やトランプ大統領も訪印時に訪れている。

基本的にはアーメダのガンディーアシュラムを活動の拠点としていたが、インド各地で活動する際は、ガンディーの友人や支持者が滞在先を提供してくれたそうだ。

ムンバイにも拠点を持っており、1917年から1934年までの17年間、ムンバイでの活動の際にはマニバワン(Mani Bhavan)に滞在していた。

ムンバイは反英闘争の中心地であったためマニバワンでは政策に関わる重要な決定がなされ、歴史的にも重要な場所だ。現在は国立記念館として一般に開放されている。

というわけで、今回はマニバワンについてまとめてみた。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:ガンディーとは?マニバワンとは?

マハトマ・ガンディーとは、非暴力・不服従(サティヤーグラハ)でインドを独立に導いた活動家のこと。

ガンディーといえば、粗末な布(カーディー)を身に纏って糸車(チャルカ)で糸を紡いでいる様子をイメージするのではないだろうか。

糸車で綿を紡ぐガンディー

ガンディーがチャルカ(糸車のこと)の使い方を覚えたのが、ここマニバワンだ。1917年、マニバワン滞在中に通りを歩いていた人に声をかけてい糸車の使い方とカーディー(綿糸の織物)の織り方のクラスを開いてもらったという。

ガンディーはマニバワンで、独立運動の象徴となるチャルカとカーディー習得した

第一次世界大戦時、イギリスは、「戦後インドに自治権を与える」といってインド人兵を戦争に参加させたが、実際にはかなり限定的な自治権にとどまったこと、1919年にローラット法(逮捕状なしにインド人を逮捕できたりする法律)が成立してインド人の人権がはく奪されたことを受けて、ガンディーは「非暴力・不服従でイギリスに抵抗しよう!」と掲げたのだが、ここマニバワンで提言された。

1922年にイギリス皇太子がインドを訪問するのに合わせてイギリスへのボイコットをした際は、非暴力の原則が守られずに死傷者を出してしまったことを反省するために、ここマニバワンで4日間の歴史的な断食を決行。

1931年にロンドンで開催される円卓会議に国民会議派の代表として参加することになった際は、ここマニバワンで仲間たちと完全独立への要望を詰め、イギリスからの帰国後もここマニバワンで「イギリスへの不服従運動」を開始することを決定。

ボンベイはビジネスの中心地であったため、反英運動も活発で、ガンディーがマニバワンに滞在中には、このような歴史的に重要な決定がマニバワンでなされた。

▼ガンディーと独立運動についてはこちらの記事で詳しくまとめているよ!

アクセス

マニバワンはムンバイ南部エリアにあり、ムンバイの主要な観光地とも近い。

最寄り駅はムンバイ郊外鉄道ウェスタンラインのグランドロード駅(Grand Road Station)。徒歩10分程度で行けるよ。

▼マニバワンの場所はこちら

詳細情報

Mani Bhavan Gandhi Sangrahalaya
住所:19, Laburnum Rd, near Police Station, Babulnath, Gamdevi, Mumbai, Maharashtra 400007
Website:http://www.gandhi-manibhavan.org/

マニバワンへ!

マニバワンの外観

マニバワンは、もともと普通の一軒家で、1959年に記念館として一般に公開された。そのため住宅街にある。この辺はムンバイでも有数の閑静な高級住宅街だ。

マニバワンの入り口にあるボード

入り口のボードには以下のように書いてある。

❝ 1917年から1934年までガンディーさんのボンベイの住居で、1919年にサティヤーグラハと1932年の不服従を始めました。❞

1階

中に入ると、ガンディーの像がお出迎えしてくれる。

マニバワン受付のガンジー像

受付の人がマニバワンの説明が書かれた紙をくれるのだが英語以外にも、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、中国語、韓国語、そして日本語版もあり、世界各国の人々がここを訪れるのだなぁとしみじみ。

1階は図書館で、ガンディーの著書のほか、ガンディーの生涯や思想に関する蔵書からなる図書館がある。

マニバワンの図書館

マニバワン受付のガンジー像
ガンディー像

日本語の本はないよ

2階

2階はこんな感じでいろいろ展示してある(←語彙力)。

マニバワンの展示1

マニバワンの展示2

マニバワン受付のガンジー像
ガンディー像

当時の写真などが展示してあるよ

3階

3階には、ガンディーが実際に滞在していた部屋がそのまま残っている。

マニバワンのガンジーの部屋

マニバワン受付のガンジー像
ガンディー像

ここで糸の紡ぎ方を覚えたんだよ

そして、部屋が可愛い。床タイルも窓の作りもヘリテイジ感あふれてて可愛い。建物の外観がすごいオシャレだなぁと思ってはいたが、内装もかなりイケてる。

マニバワンのガンジー像

この像の後ろには、ガンディーが使用していた身の回り品が展示されている。目の前にガンジーの私物があるのはなんとも不思議な気分である。

マニバワンのミニチュア展示

ガンディーの生涯を描いたミニチュアも展示されている。なかなか細部までこだわっていて緻密にできていたよ。

2010年にはオバマ大統領(当時)も訪れたそう。国賓はガンディー・アシュラムには行くんだけど、こちらには訪れる人少なく・・・。開館してから初めての国賓訪問だったそうだ。

オバマ元大統領のマニバワン訪問(Wikipediaより)
オバマ元大統領のマニバワン訪問(Wikipediaより)

さいごに

マニバワンは入場料無料。(寄付はOK)

この建物はガンディーが拠点とする1917年以前からあるはずで、築100年以上のヘリテージマンション。古い建物はメンテナンスに相当の費用がかかると思うのだが、それを寄付+(所有者の私費?)でやりくりできているのかと不思議に思った。

博物館に改装できてしまうほどの広さの個人宅で、内装のおしゃれ具合からも、所有者のRevashankar Jagjeevan Jhaveriさん一家はかなりの資産家なんだろう。

▼廊下もいちいち可愛い。

マニバワンの廊下

ガンディーの展示やガンディーが使用した部屋はもちろん、20世紀前半のボンベイの資産家のお家、という意味でも非常に見ごたえがあった。

この記事が、インドを旅行する方のお役に立てばうれしい限りです。

▼ガンディーに関する記事


【アーメダバード】サーバルマティー・アシュラム (ガンジー・アシュラム)~インド独立運動の転換点となった塩の行進はここから始まった!~

タイトル画像(【アーメダバード】サーバルマティー・アシュラム (ガンジー・アシュラム)~インド独立運動の転換点となった塩の行進はここから始まった!~)

ナマステ、インド在住のKome(@chankomeppy)です。

インド独立の父として有名なマハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)

ガンディーはグジャラート州の出身で、同州の州都アーメダバードにはガンディーが1917年から30年までの22年間、生活・活動の拠点としたアシュラム、サーバルマティー・アシュラム(別名ガンディー・アシュラム)があり、一般公開公開されている。

今回は、ガンディー・アシュラムへの行き方や様子についてまとめてみたよ。

▼目次はこちら (クリックして表示)

はじめに:ガンディーとは?塩の行進とは?

マハトマ・ガンディーとは、非暴力・不服従(サティヤーグラハ)でインドを独立に導いたカリスマ的な政治家であり、活動家であり、宗教家であり、思想家のこと。

イギリス植民地支配下では、塩は植民地政府によって専売制がしかれインド人は自由に塩を作ることができなかった。そこで、ガンディーはこの法律の不正に着目した。

塩は自然からの恵みで、暑いインドにおいて塩は絶対になくてはならないものであるにも関わらず、外国政府が高い税金をかけて専売するだなんておかしいんじゃないの?と主張し、サーバルマティー・アシュラムからムンバイ近郊まで弟子とともに行進し、海岸で「違法で」塩を作り、「みんなも違法で塩を造ろうぜ!」と呼びかけた。

これが、塩の行進だ。

塩の行進の影響はすさまじく、インド各地で違法な塩が作られ、イギリス製品の不買活動をはじめとする不服従運動が拡大。騒動収束のため、インド総督が直接ガンディーに交渉しなければいけなくなるほどだった。

本国イギリスは「ガンディー」を交渉の相手であると認め、ガンディは翌年1931年にロンドンで開催された「円卓会議」(イギリス本国とインドの指導者らがインドの自治について協議する会合)に参加し、イギリスに直接、完全独立を訴えたのであった。

▼ガンディーと独立運動についてはこちらの記事で詳しくまとめています。

アクセス

グジャラート州の州都、アーメダバードの中心から少し離れたサーバルマティー川のほとりにある。

私は市内中心部からリキシャーで向かった。ガンディー・アシュラムと言って通じたよ。

▼ガンディー・アシュラムの場所はこちら

詳細情報

Sabarmati Ashram
住所:Gandhi Smarak Sangrahalaya, Ashram Rd, Ahmedabad, Gujarat 380027
Website:https://www.gandhiashramsabarmati.org/en/

ガンディー・アシュラムへ!

ガンディーアシュラムの入り口

アシュラムに到着。ゲートをくぐって早速中へ。

敷地内には、アシュラム(修行や瞑想をするための場所)の他に、ガンディーや塩の行進について展示している博物館がある。

Gandhi Memorial Museum

まずは博物館へ。

▼糸車(チャルカ)の展示 手紡ぎ車(チャルカ)の展示

チャルカはガンディー、そしてインド独立のシンボル。

ガンディーが体に巻き付けているあの粗末な布はカーディといって、チャルカで紡いだ綿糸を織って作られている。

イギリス統治下では、インドで栽培された綿花がイギリスに安価で輸出され、イギリスの機械化された工場で布に加工されたものがインドに高値で輸入された。それまで綿織物を生業としていた人達は失業し、伝統的な手織り産業は破壊した。

ガンディーは、チャルカで紡いだ糸で作ったカーディーを身に着けることで、「イギリス製のものを使わず国産のものを使おう!」と自らの身をもって主張。言葉では伝わりにくい思想や理念を具現化したことで、民衆にも思想は受け入れられ反英運動は拡大した。

▼塩の行進の模型
塩の行進の模型

ガンディーは、塩の行進に参加する条件として、カーディ(手で紡いだ綿糸を織って作った布)の着用を必須とした。カーディーを作るのは地味で単調、時間のかかる作業である。これを作り上げることのできる忍耐力のある者は、塩の行進中にイギリスに弾圧されても抵抗しない我慢強さを持ち合わせていると考えたためだ。

▼ガンディーの若かりし頃の写真も…!
年代別のガンディーの写真

髪があって洋服を着ているガンディーはなかなかお目にかかれないぞ!(今の時代ネットですぐ見れる😂)

▼博物館の外にはガンディーの像もあったよ。
博物館の外にあるガンディーの像

▼社会科見学で学生さんも勉強しにきていた。
社会科見学中の学生たち

Hriday Kunj(ガンディー住居)

ガンディーと彼の奥さんのカストゥールバーイーは、1918年から1930年までこのアシュラムに住んでいた。

▼住居の外観
ガンディーの住居

▼コートヤードから住居内部を撮影
ガンディーの住居内部の様子

住居内には6つの部屋(①ガンディーの部屋、②カストゥールバーイの部屋、③客室、④キッチン、⑤物置、⑥仕事部屋)がある。

▼ガンディーの部屋
ガンディーの部屋

ガンディーの部屋には、当時の様子が再現されており、チャルカと机は当時使わていた実物である。

ガンディーは塩の行進にでかけた1930年3月12日、インド独立を果たすまでアシュラムには戻らないと言って出て行ったのだが、インド独立の翌年に暗殺されたため、その言葉を最後に二度とアシュラムには戻らなかった

このほかに、ゲスト滞在用の建物や、弟子たちの宿舎も残っている。

また、こんなものも、敷地内にある・・・!

▼見ざる🙈 言わざる🙊 聞かざる🙉
ガンディーアシュラムにある見ざる言わざる聞かざる

どうやら、日本人からもらったものらしい。まさか、インドで、しかもガンディーのアシュラムで遭遇するとは思ってもみなかった。

外国からの来賓の定番観光スポット

ガンディーアシュラムは国賓の視察ルートに組み込まれることが多い。

2017年に安倍首相も訪問している。
安倍総理大臣のサバルマティ・アシュラム訪問|外務省

(↑ 著名人の訪問はアシュラムのウェブサイトに掲載されるのに、安倍さんはなぜかアップされてないので外務省のページを埋め込んでます😂)

先月、トランプ大統領も訪問した。
Video Gallery - Donald Trump (45th U.S. President)

(↑ 動画が掲載されているのだが、当日の警備の様子などもわかって面白い😂)

さいごに

ガンジーアシュラム

敷地内でこんなボードを発見。(ガンディーは宗教や身分による隔たりを取り払うことを目指していた)

これ、すごく上手に表現しているなぁ!と思いました。

ガンディーが推し進めた非暴力・不服従運動によってインドは独立を勝ち得たけど、宗教による分裂は避けることができず、インドとパキスタン間での争いはなくなるどころか、むしろ悪化・・・。

ガンディーはムスリムに譲歩しすぎだという理由でヒンドゥー至上主義者に暗殺されたが、もし暗殺されていなかったら今の印パ問題はどうなっていたのだろう?イギリスに分割統治されていなければ、分裂しなかったのかなぁ、等々・・・延々と考えてしまうのでした。

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【日本人のインドビザ無効】インド入国に関する情報を随時更新(最終更新日:2020/3/28)

タイトル画像(【日本人のインドビザ無効】インド入国に関する情報を随時更新(最終更新日:2020/3/28))

コロナウイルスの拡大を受け、インド政府は外国人に対しビザの発給を制限しており、日本人はインドに入国できません!!

2020/3/28追記: インド全土21日間の封鎖中(~4/14まで)

2020/3/17追記: 2020/3/3以前に発給された就労ビザは有効になりました。

公表されている情報を以下にまとめてみましたので、ご参考になれば幸いです。

当記事では、信憑性が高いと思われる情報を、出所を明記してまとめておりますが、状況は日々変化しておりますので参考程度に留めていただき、実際にインドにご入国予定の場合は最寄の大使館・領事館にご相談くださいますよう、お願いいたします。当記事の内容によって生じた損害等の一切の責任を負いかねますので、ご了承ください。

▼目次はこちら (クリックして表示)

(2020/3/27時点) 国内線運休期間延長(~4/14)

3月27日、インド政府は「国内線の運休を4月14日まで延長する」ことを発表しました。

4月14日の何時までなのかは記載されておらず、分かりませんでした。

(参考記事:livemint Coronavirus: DGCA extends suspension of domestic flights till 14 April

(2020/3/26時点) 国際線運休期間延長(~4/14)

3月26日、インド政府は「国際線の運休を4月14日まで延長する」ことを発表しました。

これは3月24日のモディ首相のスピーチで発表された21日間のロックダウンを受けたもの。

4月14日の18時30分まで、商用の国際線旅客機は運休となります。

(参考記事:livemint DGCA extends suspension of international flights till 14 April

(2020/3/25時点) e-VISAを含む観光ビザはオンラインで更新可能

3月24日のモディ首相のスピーチ21日間のロックダウンが発表されました。

これによりインドに取り残されてしまう外国人旅行者は、e-FRROからビザ更新ができます。これはe-VISAにも適用されるとのことです。

(参考記事:livemint India extends e-visa for foreigners stuck in the country due to lockdown

(2020/3/25時点) 陸・空・海路107か所全てのイミグレが閉鎖

インド移民局が2020/3/24に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/3/24に発表したトラベルアドバイザリー

In addition to the Visa restrictions already in place, the following travel restriction shall also come into effect from 1200 GMT on March 18, 2020:

1. All incoming passenger traffic, on all 107 Immigration Check Posts which includes all Airport ICPs, all Seaport ICPs all Land Port ICPs, all Rail Port ICPs and all River Port ICPs, is prohibited, in the view of the spread of COVID-19.

Vehicles/Trains carrying goods for the trade or essential goods and supplies are exempted from this prohibition along with their crew, driver, helper, cleaner etc. subject to their thorough screening by the medical staff for COVID-19.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

3月24日夜8時のモディ首相のスピーチによりインド全土が21日間封鎖されることになり、必需品を運ぶ車や鉄道以外は国境を越えてインドに入国することができなくなりました。

これで、完全な鎖国となりましたねー・・・ ひぇぇぇ~!

▼ 3月24日のスピーチの内容はこちらの記事にまとめています。

(2020/3/23時点) すべての国内線が運休(3/25~3/31)

3月23日、インド政府は「3月25日(水)から3月31日まで、すべての国内線を一時停止する」ことを発表しました。

3月24日の23時59分以降はすべての国内線の運航が停止、23時59分までに目的地に着陸しなければいけないとのこと。

これは旅客機のみに適用、貨物機には適用となりません。

(参考記事:livemint Coronavirus: India suspends domestic flights from 25 March

(2020/3/20時点) すべての国際線が運休(3/22~3/29)

3月19日、インド政府は「3月22日(日)から1週間、すべての国際線を運休とする」ことを発表しました。

インドの空港への着陸期限は3月22日の夜8時まで。これ以降は国際線の着陸不可です。

(参考記事:livemint India bans entry of all international commercial passenger flights for one weekIndia bars international flights for one week

同日のインド時間20時から、モディ首相から国民にスピーチがありました。

モディ首相はスピーチで「コロナウイルスに打ち勝つための9つのこと」について言及、その堂々たるスピーチはヒンディー語がわからなくても聞き入ってしまうほどでした。

▼ 3月19日のスピーチの内容はこちらの記事にまとめています。

(2020/3/18時点) EU諸国等からの入国禁止、中東から入国後は隔離

インド移民局が2020/3/18に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/3/18に発表したトラベルアドバイザリー

EU諸国等からの入国禁止

1. All passengers coming from European Union (Austria, Belgium, Bulgaria, Croatia, Cyprus, Czech Republic, Denmark, Estonia, Finland, France, Germany, Greece, Hungary, Ireland, Italy, Latvia, Lithuania, Luxembourg, Malta, Netherlands, Poland, Portugal, Romania, Slovakia, Slovenia, Spain and Sweden), European Free Trade Association (Iceland, Liechtenstein, Norway and Switzerland), Turkey and United Kingdom have been prohibited from entering India from any of the Land/Air/Seaport ICPs. This restriction shall come into effect from 1200 hrs GMT on March 18, 2020 at the port of first departure, and shall remain till March 31, 2020 and is a temporary measure.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

2020年3月18日GMT12時(=インド時間17時30分)から3月31日まで、EU諸国とイギリス、トルコからの、陸・空・海路によるすべての入国が一時的に禁止されました。この記事を書き始めたときは、韓国やイラン、イタリア、日本が危険国扱いされていましたが、いまやヨーロッパが一大感染地域です。

該当国からの国際線はすべて運休となり、外国人だけでなくインド人も入国できません。

アフガニスタン・フィリピン・マレーシアからの入国禁止

i. Travel of passengers from Afghanistan, Philippines, Malaysia to India is prohibited with immediate effect. No Flight shall take-off from these countries to India after 1500 hours Indian Standard Time (IST). The Airlines shall enforce this at the port of initial departure. This instruction is a temporary measure and shall be enforced till 31st March 2020 and will be reviewed subsequently.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

アフガニスタン、マレーシア、フィリピンからの入国も2020年3月31日まで一時的に禁止され、国際線全便がキャンセルされました。

中東から帰国後は14日間隔離

iv. All passengers coming from UAE, Qatar, Oman and Kuwait will be placed under compulsory quarantine for a minimum period of 14 days which shall come into effect from 1200 hrs GMT on March 18, 2020 at the port of first departure.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

乗り継ぎ便を含むUAE、カタール、オマーン、クエートからの旅客全員は、インド入国後最低14日間隔離されます。

3月18日GMT12時(=インド時間17時30分)以降に現地を出発した人が対象です。

(2020/3/13時点) 2020/3/3以前に発行された就労ビザは有効

在東京インド大使館が2020/3/12に発表したトラベルアドバイザリー
在東京インド大使館が2020/3/12に発表したトラベルアドバイザリー

在インド日本国大使館・領事館より

3月12日の領事メールでお知らせしたインドにおける新型コロナウイルスに関する注意喚起(その16:インド政府による新たな入国制限措置等)及び東京のインド大使館ホームページに掲載された最新情報(以下のURL御参照)のとおり,日本時間3月13日21:00をもって,3月3日以前に発行された就労(雇用)ビザ及びプロジェクトビザ(同居家族分を含む)の無効化措置が停止されます。
https://www.indembassy-tokyo.gov.in/jp/pdf/file1_pdf_13_03_2020.pdf
(2020/3/13付 在ムンバイインド領事館からのメールより抜粋)

これは朗報!就労ビザホルダーは一時無効化措置の対象外となりました。

→と思いきや・・・

インド移民局が2020/3/13に発表したトラベルアドバイザリーのFAQ
インド移民局が2020/3/13に発表したトラベルアドバイザリーのFAQ

2. Are dependents of exempted category visa category allowed? / No

インド移民局公式サイトFAQ
→PDFはこちら

ビザ一時停止措置の対象外となるビザカテゴリーの帯同者はこの対象に含まれないとのことです。

(2020/3/12時点) 全ての国に対して2020/4/15までビザ一時停止&特定国からの渡航者は14日間隔離

インド移民局が2020/3/12に発表したトラベルアドバイザリー
インド保健局が2020/3/12に発表した追加トラベルアドバイザリー

i. All existing visas issued to nationals of any country except those issued to Diplomats, Officials, UN/International organizations, Employment, Project visas stand suspended till April 15, 2020. This will come into effect from 1200 GMT on March 13, 2020 at the port of departure of any foreigner for onward journey to India.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

2020年3月13日GMT12時(=インド時間17時30分)~2020年4月15日まで、ディプロマや就労ビザを除く全てのビザが一時停止となります。

v. All incoming travelers, including Indian nationals arriving from any destination and having visited China, Italy, Iran, Republic of Korea, France, Spain and Germany on or after February 15, 2020 shall be quarantined for a minimum period of 14 days. This will come into effect from 1200 GMT on March 13, 2020 at the port of departure of such travelers.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

2020年3月13日GMT12時(=インド時間17時30分)より、中国、イタリア、イラン、韓国、フランス、スペイン、ドイツから到着した旅客、又は2020年2月15日以降にこれらの国に渡航したことがある旅客は、インド人を含む全員が最低14日間隔離されます。

商用・観光ビザはしばらくは入手困難そう。しかもビザが取れてインドに入国できたとしても、↑ これら7か国からの渡航者は入国後に隔離です…。インドで施設に隔離されるのって、嫌だなぁ…。隔離対象国に日本が加わらないといいなぁと思います。

(2020/3/11時点) フランス・ドイツ・スペイン国籍の者に対し全てのビザ無効化&インド国内でのビザ延長可能

インド移民局が2020/3/11に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/3/11に発表したトラベルアドバイザリー

(i) All regular (sticker) Visas/e-Visa granted to nationals of France, Germany and Spain and issued on or before 11.3.2020 and who have not yet entered India stand suspended with immediate effect.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

2020年3月11日以前にフランス、ドイツ、スペイン国籍の者に対して発給されたすべての通常ビザ・電子ビザで、まだインドに入国していないものは、一時無効となるようです。ホーリー休暇でインド国外に旅行していた駐在員の方もいるのではないでしょうか。タイミングがえぐいですね。

(vii) Visas of all foreigners already in India remain valid. They may contact the nearest FRRO/FRO through e-FRRO module for extension/conversion etc of their visa or grant of any consular service if they choose to do so.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

すでにインドにいる外国人のビザは引き続き有効で、e-FRROを通じて最寄りのFRRO / FROにコンタクトしてビザの延長やコンバージョンが可能

もうそろそろビザの有効期限切れそう~という方には朗報ですね!

(2020/3/8時点) 外国人はアルナチャル・プラデーシュ州に入域不可

チベット文化が残る地として有名なアルナチャル・プラデーシュ集が外国人の入域を制限。

外国人が同州に入域するためにはエージェントを通じてPAP(Protected Area Permit)が必要で、一般的にエージェントを通じて取得しなければいけないのですが、入域許可がおりなくなるようです。

The Arunachal Pradesh government on Saturday banned the entry of foreigners to prevent the spread of coronavirus in the state.

The Times of India
Now, Arunachal bans entry of foreigners

これにより、外国人はダージリンを除き、北東インドのヒマラヤ地域に訪れることができなくなりました。

(2020/3/6時点) 外国人はシッキム州に入域不可

ヒマラヤを望めるリゾート地として有名なシッキム州が外国人の入域を制限。

外国人が同州に入域するためにはILP(Inner Line Permit)が必要で、入域の際にFRO(外国人登録オフィス)に立ち寄らなければいけないのですが、入域許可がおりなくなるようです。

Sikkim has decided to ban entry of foreigners to insulate itself from the novel coronavirus (Covid-19), leading to wide-spread fears among travel and tour operators and hoteliers in Darjeeling that booking would be cancelled.

The Times of India
Coronavirus scare: Sikkim bars entry of foreigners, bans permits to Nathu La

シッキム州が外国人の入域を制限

シッキム州への旅行はダージリンとセットであることが一般的であるため、ダージリンはその打撃うけるね~と記事では言及。3月~4月はヒマラヤ山脈がきれいにハッキリと見えることが多く、また紅茶のファーストフラッシュが市場に出始める時期なのでピークシーズンなんですよね。

インドに閉じ込められたのでこの機会にインド国内旅行をしようとお考えのインド在住者の皆様、シッキムは現在訪問できないのでご注意を。

(2020/3/5時点) イタリア・韓国を訪れた人は「コロナ陰性」を証明しないと入国不可

インド保健局が2020/3/5に発表した追加トラベルアドバイザリー
インド保健局が2020/3/5に発表した追加トラベルアドバイザリー
保健局プレスリリース:Update on COVID-19: Additional Travel Advisory

イタリア・韓国からインドに入国したい旅客、およびイタリア・韓国への渡航歴があってインドに入国したい旅客は、指定機関からコロナウイルス陰性であるという証明書が必要となります。当該措置は2020年3月10日より実施され、コロナ収束まで一時的に行われるものです。

日本人も必要になるかもしれないですね・・・。

(2020/3/5時点) 日本人が現在保有しているビザは一時措置解除後は有効になる(2020/3/5)

在東京インド大使館が2020/3/5に発表したビザ申請方法に関するレター
在東京インド大使館が2020/3/5に発表したビザ申請方法に関するレター(PDFダウンロード

在東京インド大使館の情報(2020/3/5発信)によると、「現在お持ちのビザは、無効措置解除後にまた使用できるようになります。」とのことなので、インドから出国しなければ取り直ししなくても大丈夫みたいですね。

取り直しの際も、「ビザ申請料はかからない」ようですが、大使館の受付窓口がクローズしていたりと混乱しているようです。

(2020/3/3時点) イタリア・イラン・韓国・日本国籍の者に対し全てのビザ無効化

インド移民局が2020/3/3に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/3/3に発表したトラベルアドバイザリー

日本語訳は原文(英語)の後に続きます。 →原文(英語)を読み飛ばして日本語訳を見る

i) All regular (sticker) Visas/e-Visa (including VoA for Japan and South Korea) granted to nationals of Italy, Iran, South Korea, Japan and issued on or before 03.03.2020 and who have not yet entered India, stand suspended with immediate effect. Such foreign nationals may not enter India from any Air, Land or Seaport ICPs. Those requiring to travel to India due to compelling reasons, may seek fresh visa from nearest Indian Embassy/Consulate.

ii) Regular (sticker) visa / e-Visa granted to nationals of Peoples Republic of China, issued on or before 05.02.2020 were suspended earlier. It shall remain in force. Such Chinese nationals may not enter India from any Air, Land or Seaport ICPs. Those needing to travel to India under compelling circumstances may apply for fresh visa to nearest Indian Embassy/Consulate.

iii) Regular (sticker) visas/e-Visas granted to all foreign nationals who have travelled to Peoples Republic of China, Iran, Italy, South Korea and Japan on or after 01.02.2020, and who have not yet entered India stand suspended with immediate effect. Such foreign nationals may not enter India from any Air, Land or Seaport ICPs. Those requiring to travel to India under compelling circumstances may apply for fresh visa to nearest Indian Embassy/Consulate.

iv) Diplomats, officials of UN and other International bodies, OCI cardholders and Aircrew from above countries are exempted from such restriction on entry. However, their medical screening is compulsory.

v) All foreign and Indian nationals entering into India from any port are required to furnish duly filled self declaration form (including personal particulars i.e. phone no. and address in India) and travel history, to Health officials and Immigration officials at all port.

vi) Passengers (foreign and Indian) other than those restricted, arriving directly or indirectly from China, South Korea, Japan, Iran, Italy, Hong Kong, Macau, Vietnam, Malaysia, Indonesia, Nepal, Thailand, Singapore and Taiwan must undergo medical screening at port of entry.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

(1) イタリア、イラン、韓国、日本国籍者に対する措置

2020年3月3日以前に、イタリア、イラン、韓国、日本国籍の者に対して発給されたすべての通常ビザ・電子ビザ(韓国と日本の到着時ビザを含む)で、まだインドに入国していないものは、一時無効となる。これらの外国籍の者は空路、陸路、海路、いかなる方法でも入国することができない。説得力のある理由でインドへの旅行を必要とする人は、最寄のインド大使館、領事館にて新しいビザを取得すること。

在インド日本国大使館・領事館より

インド政府は,日本人に対して3月3日以前に発給されていたあらゆるビザ(通常ビザ及びe-Visa)は無効となる旨発表しましたが,これは就労ビザ等でインド国内に滞在する日本人が一時的に出張や休暇等でインドを出国した場合でも適用され,インドに戻るためには,出国先国の最寄りのインド大使館,インド総領事館において新たなビザを取得し直す必要があるとのことです。

(2020/3/3付 在ムンバイインド領事館からのメールより抜粋)

一度インドから出国すると、ビザが無効となるため・・・






\インドに閉じ込められたよ~/

(2) 中国籍者に対する措置

中国籍の者に対して2020年2月5日以前に取得したビザは、一時無効となる措置は継続される。ほか、(1)と同文。

(3) 外国籍の者に対する措置

全ての外国籍の者に対して発給された全ての通常ビザ・電子ビザのうち、2020年2月1日以降に、中国、イラン、イタリア、韓国、日本に旅行したことがあり、まだインドに入国していないものは、一時無効となる。ほか、(1)と同文。

(4) 上記措置が免除となる人

外交官、国連機関職員、OCIカードホルダー、航空会社乗務員は、こうした入国措置が免除となるが、スクリーニングは受ける必要あり。

(5) 自己申告書の提出

全ての港からインドに入国する、全ての外国人とインド人は、入国時に自己申告書(インドでの電話番号や住所といった個人情報を含む)と旅行歴を、保健当局と入国管理官に提出する必要あり。

(6) スクリーニングの実施

中国、韓国、日本、イラン、イタリア、香港、マカオ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、ネパール、タイ、シンガポール、台湾から直接、またはどこかを経由してインドに到着した全ての旅客(外国人とインド人)は入国時にスクリーニングを受けなければならない。

(2020/2/29時点) イラン人に対する全てのビザ無効化

イラン国籍者、および2020年2月1日以降にイランへの渡航歴がある人に発給された全てのビザは一時無効となると発表。

インド移民局が2020/2/29に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/2/29に発表したトラベルアドバイザリー

Existing Visas/e-Visas issued to Iranian nationals and other foreign nationals who have travelled to Iran on or after February 01, 2020 and who have not yet entered India, stand suspended with immediate effect. Such foreign nationals may not enter India from any air, land and seaport ICP.

If any foreign national of above category needs to travel to India for compelling reasons, he she may apply for fresh visa to nearest Indian Embassy/Consulate.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

(2020/2/27時点) 日本人・韓国人に対する到着時ビザ、電子ビザ無効化

2020年2月28日より日本人・韓国人向けの到着時ビザサービスを一時停止すると発表。

インド移民局が2020/2/27に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/2/27に発表したトラベルアドバイザリー

In view of the recent outbreak of CoronaVirus, VISA ON ARRIVAL facility has been temporarily suspended for nationals of Japan and South Korea.

インド移民局公式サイト
→該当ページはこちら

また、同時に日本人向けの電子査証の新規発給を停止したと、在インド大使館および各領事館よりメールあり。移民局のホームページには載ってないませんが、そういうことらしい・・・。

在インド日本国大使館・領事館より

1 2月27日,インド内務省入国管理局が,日本人及び韓国人向けのVisa on Arrivalのサービスを一時的に停止すると発表しため,28日から同サービスによる入国ができなくなりました。

2 また,e-Visaサービスの新規申請についても,日本,韓国,イラン,イタリア国籍者について受付を停止しました。ただし,現時点では,既に発給済みのe-Visaは有効とのことです

3 このため,今後,邦人のインドへの渡航に当たっては,居住国のインド大使館又は総領事館にVisa(査証)を申請し,発給を受ける必要がございます。
(2020/2/28付 在ムンバイインド領事館からのメールより抜粋)

(2020/2/27以前) インド政府のコロナウイルスに対する動き

(2020/2/26時点) 韓国・イラン・イタリアからの渡航者に対する措置

在インド日本国大使館・領事館より

2月26日,インド保健・家庭福祉省は,韓国,イラン,イタリアからのインドへの渡航者及び2月10日以降に韓国,イラン,イタリアへの渡航歴がある人は,インド到着後に14日間にわたり停留される可能性がある旨発表しました。
(2020/2/26付 在ムンバイインド領事館からのメールより抜粋)

(2020/2/5時点) 中国籍の者に対する措置

在インド日本国大使館・領事館より

5日、インド保健・家庭福祉省は、中国から渡航する外国人に発給されているインド入国査証は無効になる旨発表しました。

同省は、1月15日以降に中国への渡航歴のある人はインドへの入国の際、指定施設に停留される可能性があると発表しています。(なお、インド政府から国内の空港当局等に対し、1月15日以降に中国への渡航歴がある外国人はインドへの入国が許可されない旨の通達が出されている由です。)
(2020/2/6付 在ムンバイインド領事館からのメールより抜粋)

インド移民局HPにも2/14に詳細がアップされました。

インド移民局が2020/2/14に発表したトラベルアドバイザリー
インド移民局が2020/2/14に発表したトラベルアドバイザリー
移民局サイト 該当ページ:Coronavirus related visa restrictions and conditions for entry into India

まとめ

まとめ(2020/3/28時点)

2020年3月3日以前に取得したすべてのビザで、まだ入国していないものは無効。

すでにインドに入国している場合でも、インドから出国した時点で無効となり、再入国のためには新しいビザが必要となる。

現在保有しているビザは無効措置解除後に再度有効になる。

措置期間中にインドに入国しなければならない場合は最寄の大使館・領事館でビザを申請することができるが、混乱中。

既にインドに入国している外国人のビザは有効で、最寄のFRROで更新などができる。

4月14日までインド全土封鎖中。外国人は入国不可。

はやくコロナウイルスが収束しますように・・・!! ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)